朝焼色の悪魔 Evolution

黒木 燐

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第三部 第三章 暗雲

6.すれ違う心、結びつく心

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 気が付くと、由利子はベッドで寝ていた。
「あれ?」
 由利子は狐につままれたような表情で、横になったまま周囲を見渡した。ベッドの横には笹川歌恋の兄嫁である美紗緒が心配そうな表情で座っていた。泣きはらした目が痛々しい。由利子は事態を飲み込めずに美紗緒に尋ねた。
「美紗緒さん……? 私たち、確か歌恋さんの病室の前に居て……、あれぇ?」
「篠原さん……でしたね。あなた、病室の前で倒れたんですよ」
 美紗緒は心配そうな表情に少し安堵の色を浮かべて言った。
「あちゃ~。みっともないところをお見せしましたね」
 と、言いながら、顔を赤らめて由利子は体を起こした。美紗緒はあわてて言った。
「だめですよ。もう少し休んでいてください」
「いえ、もう大丈夫です」
「だめです。それに高柳先生が、あなたのお連れさんが来られるまで休んでいるようにと……」
「そうか。じゃあ、入れ違いにならないようにここに居ないといけないか。かと言って、寝ているわけにも……」
 由利子は布団から出るとベッドサイドに腰かけ、改めて言った。
「ずっとついていてくださったんですね。ありがとうございます」
「さっきまでお連れのきれいな女性が一緒におられたんですが、時間が来たとおっしゃって、出て行かれました」
「紗弥さんだ。ってことは、アレクも来てるんだ。忙しいのかしら……」
「あの、篠原さん……」
 美紗緒は、改めて由利子に頭を下げて言った。
「身内でもないのに、一緒に歌恋を看取ってくださって、心から感謝しています。きっと歌恋も喜んでいると思います……」
「ああ、そうでした。でも、まだ信じられません。歌恋さんが亡くなられたなんて……」
「あんな光景を見せられたんですから、気分が悪くなって気を失っちゃったんですよね。私、申し訳なくて……。あなたがずっと居てくださったから、私も歌恋の近くにいてやれたのです。一人だったらとても耐えられなかった……。本当なら夫が居るべきはずなのに……」
「お兄さんは結局……?」
「ええ……」
 美紗緒は怒りとも悲しみともとれる表情で言った。
「夫は、歌恋が亡くなった連絡を受けて、しぶしぶやってきました。今、センター長先生とお話をしていると思います」
「ご両親は?」
義父ちち義母ははも、夫に任せると言って電話を切ってしまいました……」
「そうですか……」
 由利子は予想はしていたものの、再びやりきれない気持ちになってしまった。美紗緒はそんな由利子の表情を気にしながら言った。
「あの……、篠原さん」
「なんですか?」
「あの、気になりませんでしたか?」
「何が?」
 由利子は笑顔に少し戸惑いの色を浮かべて聞いた。美紗緒は若干躊躇しながら言った。
「歌恋、夫の……歌恋の兄のことをまったく口にしなかったでしょう?」
「あ、そういえば……」
「いくら精神的に退行しているからって、兄が記憶から無くなっているって、不自然と思いませんか?」
「確かにそうですねえ。あなたや私のことは何となく記憶に残っていたみたいですが」
「わたし、そこまで妹に嫌われている夫が怖くなって……」
 美紗緒は、そう言いながらぞっとしたように身をこごめるようにすると続けた。
「今は私にやさしいけれど、いつか義妹いもうとのように扱われるようになるのではないかって……」
「美紗緒さん、それは考えすぎなんじゃ……」
「いえ!」
 美紗緒は首を振って言った。
「今までも何回かですが、冷たい人だと感じたことがあるんです。しかも、母親の干渉がすごくて……。でも、今まで気にしないように努めてきました。だけど、今度のことで気持ちが動きました」
「動いた?」
「はい。笹川と別れようかと……」
「え? 確かにいけ好かないヤロー……あ、いやその……」
「いいですよ。ほんとのことですもの」
「いえいえ、失礼しました。えっと、ちょっと変な人とは思いましたが、もう少し考えられたほうが……」
 由利子は、ここでそんなことを言われても困るがなと思いながら言ったが、美紗緒は首を横に振った。
「私、決めたんです。一緒に歌恋を看取ってくださったあなたに、それを聞いてほしくてお目覚めを待ってたんです」
「だ、だけど、美紗緒さん……」
 その時、ドアをノックする音が聞こえた。
「ギルフォードです。ユリコ、入ってもいいですか?」
 由利子は美紗緒のほうを見た。美紗緒はうなずきながら言った。
「あ、どうぞ。私のお話はだいたい終わりましたし」
 美紗緒の許可を得て由利子がギルフォードに応えた。
「は~い、どうぞ」
 由利子の返事が終わるや否や、ギルフォードがあわただしく入って来た。珍しく、黒っぽいスーツで髪もきっちり束ね、教授然としていたので、由利子は少し戸惑った。
「オー、ユリコ、倒れたと聞いて驚きました。……ああ、大丈夫そうですね。よかった」
 ギルフォードの心配そうな表情が安堵に変わったが、それが高じたのかいきなり由利子を抱きしめた。ついで、パチーンという乾いた音が部屋に響いた。
「人前で何すんだっ、ばかっ!」
「ああ、いつも通り切れのいいビンタ……。元気そうでなによりです」
 ギルフォードは、頬を抑えながらもうれしそうに言うと、ようやく美紗緒の存在に気が付いた。すかさず、驚いて目が点になっている美紗緒に満面の笑顔で会釈した。
(こいつはもう……)
 と思いながら、由利子は気を取り直してそれぞれを紹介した。
「この方は笹川美紗緒さん。歌恋さんのお兄さんの奥さんだよ。それから美紗緒さん、みっともないところをお見せてごめんなさい。彼はQ大のギルフォード教授です」
「オー、ミサオさん。お名前の通りおキレイな方ですね」
 由利子に紹介されたギルフォードは、すかさず最強の笑顔でいつもどおりのセリフを言った。
「いえ、そんな……」
 美紗緒は戸惑いながら微笑んで言った。
「それより夫がご迷惑をおかけしているようで……」
「あなたのせいじゃありません。お気になさらないでください」
 と、ギルフォードは神妙な顔をしながらお辞儀をした。
「この度は、とても残念なことでした」
「いえ、義妹が大変お世話になりまして、感謝しております。特に、こちらのセンター長ご夫妻には大変お世話になりまして……。歌恋も死の間際で救われたと思います」
美紗緒はそう言いながら一礼すると、荷物を手にして言った。
「では、お連れさんがこられたので、そろそろお|暇(いとま》しますね。いい加減に夫のところに行かないと、機嫌が悪くなっちゃうんで」
「美紗緒さん、あまり無茶しないで」
「ええ慎重にしていくから大丈夫よ、ありがとう。篠原さん、彼、素敵な方ね。では、失礼します」
 美紗緒は一礼すると、部屋から出て行った。美紗緒の去った後、ドアのほうを見て由利子がぼそりと言った。
「急いで帰ったけど、なにか誤解されちゃったかも……」
「誤解?」
 と、ギルフォードが不思議そうな顔をして言った。
「そうだよ」
 由利子は少し照れくさそうに言った。
「アレクってば、いきなり抱きついてくるんだから。きっとアレクのこと彼氏とか思ったんだよ」
「ユリコのカレシって思われたのですか。それは光栄です」
「またあ。もう、口がうまいんだから」
「本心ですってば。……それより、よかった。倒れたと聞いて心配していました。極度に緊張したせいだろうということでした。すみません、僕のせいです。君をあんな場所に一人行かせてしまって……。緊張するのは当たり前ですよね」
 と、ギルフォードがすまなさそうに言った。
「いえ、アレクのせいじゃないわ。たぶん疲れてたのよ。短い間にいろいろありすぎたんだもの。きっとそうよ……。それより、斉藤孝治は?」
「亡くなったそうです」
「亡くなった?」
 由利子が鸚鵡返しに聞いた。
「はい。もうじき遺体が運ばれてくると思います」
「おばあさんは?」
「彼女は無事だそうです。しばらくはここで隔離でしょうけど」
「お気の毒だけど、仕方ないわよね。孝治の方は病気が悪化して死んだの?」
「間接的にはそうなるでしょうけど、自殺だそうですよ。二階から飛び降りたということです」
「だけど2階から落ちたくらいじゃ、簡単に死なないでしょ。よっぽど打ち所が悪かったのかしら?」
「しかも、レスキューがエアクッションを敷いていたんです」
「それじゃなんで……」
「持っていた刃物をのどにあてたまま落下したらしいです」
「え? クッション敷いてたのに刺さるの?」
「そりゃあ、落下時の衝撃は弱まりますが、刃にかかる質量は同じですから」
「あ、そっか」
「刃は、頸椎まで貫いていたそうです」
「げっ。こわっ。聞いただけでこっちまで痛くなるわ」
 と、言いながら、由利子は自分ののどを抑えた。
「裁断用鋏の片刃だったんで、頑丈だったんでしょうね。ほとんど即死だったと思われます。これでまた、彼の潜伏時の行動が謎のままになりました」
「それって……」
 由利子が眉を寄せながら言った。
「なんか美千代の時と似てない?」
「ええ、似ています。警察の方も、関連性を指摘しているとジュンが言ってました」
「詳しいと思ったら、葛西君情報か」
「そりゃあ、僕はこの事件の顧問ですからね」
 と、ギルフォードは少し誇らしげに言った。
「コウジは、最後の最後までカレンさんの名前を呼んでいたそうです。彼は彼なりにカレンさんのことを愛していたのかもしれませんね」
「屈折した愛かあ……。迷惑な話だよね」
「男ってのは、単純バカな生き物ですからね。中には勘違いしちゃうヒトもいるんですよ。無理やりでも肉体的な関係を持ったら、きっと自分に夢中になるにちがいない……なんてね。まったくのファンタジーなんですけど」
「アレクもそんな目にあったことがあるの?」
「あの時は、間一髪でシンイチが駆けつけて……って、何言わせるんですか」
「アレクが勝手に話し始めたんじゃん」
「ほんとにもう……」
 ギルフォードはそう言いながら、さっきまで美紗緒が座っていた椅子に腰かけ、なぜかじっと由利子の顔を見た。いつもと違うスーツ姿のイケメンに見つめられて、由利子はどぎまぎした。
「何よ、照れるじゃない」
 と、由利子が困ったように言うと、ギルフォードはほっとしたように微笑んで答えた。
「たいしたことなくてよかったなあと思って……。ユリコが倒れたと聞いたときは、ぞっとしました。看護師が一人発症したでしょ? だから、まさかって思って……」
「大丈夫よ。この病院のシステムは万全なんでしょ?」
「はい。しかし、ヒトのすることに完全はありませんし、ウイルスの性質もまだよくわかってませんから」
「看護師の園山さんは、多美山さんの血を大量に浴びたために発症したんでしょ? ほかのスタッフ間の感染がないんだから、防御システムは十分機能してるってことだよ」
「そうですよね。僕としたことが、弱気になってました」
 ギルフォードはそう言うと、また微笑んだ。しかし、その笑みから浮かない表情が消えなかったために、由利子は他にも何か心配事があるのかもしれないと直感して尋ねた。
「何かあったの? 来るのも遅かったし」
「実は、研究室でキサラギ君から問題点を指摘されましたので、その検証をしていたのです。そのために感対センターここに来るのが遅くなってしまって……」
「で、問題点って?」
「ええ、まあ……その……、まだ何とも言えないので説明できませんが、その件で高柳先生と話をしていたんですが、途中であのバカ兄が来たので、中断しました」
「バカ兄って、歌恋さんのお兄さんだよね。アレクったら相当嫌っちゃったんだねえ。……じゃあ、話は中断したまま?」
「というか、保留ですね。ちゃんとした資料をもらって、もう一度きちんと検証しなければ結論が出せませんから」
 ギルフォードが珍しくお茶を濁したので、浮かない表情の原因は気になったが、由利子はそれ以上聞かないことにして、質問を変えた。
「で、紗弥さんは? 一度ここには来ていたようだけど」
「君のことが心配だったので、様子を見に来てもらったのですが、その後一足先に車の方に行きました。今頃は玄関の方に回って待機していると思います」
「車? どこか行くの?」
「今日は多美山さんの初七日でしょ。遺体が帰らないのでまだお葬式ができないから、仮のお葬式を兼ねて法要をするということで、僕たちも行くことになりました」
「ああ、だから……」
 スーツの理由がわかったので納得して言った。
「君も行くでしょ?」
「行っていいの?」
「もちろんですよ」
 と、ギルフォードが笑顔で言った。
「それにしても……」
 由利子がしみじみとして言った。
「もう初七日になるのかあ。早いような気もするけど、なんだかずいぶん経ったような気もするなあ。十年くらい……」
「何、ミもフタもないコト言ってるんですか」
「だって、いろんなことがありすぎるんだもん。仕方ないじゃん」
「それ、僕のまねじゃん」
「あ、わかった?」
 由利子はそう言うとあははと笑った。それを見て、ギルフォードはまた心配そうな表情を浮かべたが、すぐに笑顔に戻って言った。
「じゃあ、そろそろ行きましょうか」
「そうだね」
 由利子は答えると、座っていたベッドから立ち上がった。
 
 佐々木良夫は、学校の帰りに本屋に寄っていた。西原祐一が買いたい本があるから本屋に寄るというので、例の事件以来仲間となった4人で、K駅隣にあるデパートの大型書店に行こうということになったのだ。
 祐一は、退院した翌日の火曜から登校することができた。休みの理由は表向けには風邪をこじらせたことになっていた。兄妹二人が同時に休むにはこれが最適な理由だったからだ。しかし、休み前からの孤立状態は相変わらずだった。その上、予想通りの悪いうわさがちらほら立ちはじめており、中には露骨に祐一を避ける者までいた。祐一は、それでも寂しそうな表情をするだけで、特に何も言わないでいた。だが、あの事件の前と違うのは、祐一のことを理解し支えようとする友人が二人増えたことだった。祐一にはそれがありがたかった。しかし、その一方では、彼らがそのせいでこれから先危険な目に合うのではないかという不安が拭えず、今一つなじめないでいた。
 良夫はコミックスの新刊が出ていないかと新刊コーナーの前で物色していたが、その中には彼が揃えているコミックスの名前がない。それで、祐一のいる方へ行こうとした時、誰かが後ろから襟首を引っ張った。驚いて振り返るとそこには錦織彩夏が立っていた。
「脅かすな! なんだよ。君は参考書のところに……」
「そんなことはどうでもいいわ。佐々木、とにかくちょっと来て!」
 彩夏は構わずに良夫の襟首をつかんだまま、足早に歩きだした。良夫は引きずられるように彩夏について行った。
「ちょ、こら待て。ちょっとボクより背が高いからって威張んなよ」
「アンタがチビなだけじゃん」
「ああ?」
「いいから、来る!」
 彩夏は良夫の襟首から手を放し、右手に掴み変えると、週刊誌の棚まで引っ張っていった。そこでは田村勝太が一冊の週刊誌を手にして立っていたが、彼は二人を見るとすぐに言った。
「ヨシオ、大変だ。これを見てくれ!」
 勝太が差し出した週刊誌の記事を見て、良夫が驚いて言った。
「なんだよ、これ!? しかも、平積みの量ハンパないし」
「俺が君たちを待っている間だけでも、五人くらい買っていったよ」
 と、勝太が説明した。良夫は額に手を当てながら言った。
「あの女、やりやがったな」
「でしょ。西原君にも教えなきゃあ」
「うん。急ごう。これ、持って行ったほうがいいな」
 三人は雑誌を手にすると、祐一のいる方に急いだ。
 祐一は、ノンフィクションの区画で立読みをしていた。
「西原君!」
 三人からほぼ同時に背後から呼ばれ、立読みに没頭していた祐一は飛び上がるようにして振り返った。
「脅かすなよ。どうしたんだ。三人そろってすごい顔をして」
「いいから、これを読んで!!」
 三人は異口同音に言うと、一斉に週刊誌を差し出した。それは言うまでもなく、あのサンズマガジンのサイキウイルス特集号だった。
 
 ギルフォードは、運転を紗弥に任せて後部席に由利子と座っていた。
「だって、狭いんだもん」
「ケチって軽なんか買うからですわよ」
「わざわざハイブリット車を買うよりエコなんですよ」
「ま。いつもは『やたらエコエコアザラクっていうやつに、ろくなのが居ない』って言っていらっしゃいますわよね」
「アザラクまでは言ってませんよ。っていうか、黒井〇サに怒られますよ。それに僕は、たまにしか口に出しませんから」
 ギルフォードはそううそぶいたが、由利子がおとなしいのを見て不思議そうに言った。
「あれ、ユリコ? いつもなら絶対ここでツッコミを入れてくるのに」
「え? あ、ごめん。考え事してた」
 と、我に返ったように由利子が言った。
「何か難しい命題でも解いているんですか?」
「なによ、それ」
「ずいぶんと小難しい顔をしてましたよ」
 と言うと、ギルフォードはにこっと笑った。その時、ブーンと電話のバイブ音がした。
「うひゃあ、マナーモードのままでした。……すみません、電話ですので……」
 ギルフォードは急いで携帯電話を出して送信元を確認した。
「オー。ヨシオ君からです。何かあったのでしょうか」
 心配そうに言いながら、ギルフォードは電話にでた。
「もしもし? ヨシオ君、何か……」
 ギルフォードが出るや否や、電話の向こうから何人かが一斉にわめいてきた。ギルフォードはいったん電話を耳から離し、顔をしかめて電話のディスプレイを見ると、気を取り直して再び電話を耳にあてた。
「えーっと、誰か代表して話してください」
 ギルフォードの注文に、電話の向こうが揉めているようだったが、良夫が若干息を切らしながら質問した。
「あのっ、サンズマガジンって雑誌にっ」
「ああ、あれですね」
 ギルフォードは少しうんざりしながら言った。
「僕も困っているんです」
「ご存じだったんですか」
「はい。東京のほうが早く発売されるので、それが一足先に手に入ったんです」
「じゃあ、今は大変なんじゃ……」
「まだ落ち着いていますが、警察内部ではやはり大問題になっています。本当に迷惑な話です」
「僕らはあんな記事、絶~っ対信用しませんからね!」
「ありがとう。力強いですね」
「裁判になったら証言台に立ってもいいです」
「ありがとう。でも、そんなことになったら大変ですね」
 ギルフォードが苦笑いをしながら言った。電話の向こうで女の子が「証言台って、アンタ、教授を犯罪者にするつもり? 馬鹿じゃないの?」と、やや煽るように言ったのが聞こえた。ついで、良夫の「うるせーよ」という声。ギルフォードはくすくす笑って言った。
「仲がいいですね」
「誤解です。誰があんな嫌な女!」
「あはは。まあ、いいでしょう。今日は心配して電話くれたんですね。ありがとう。ところで西原君は元気ですか? ずいぶんとおとなしいようですが、一緒にいるんでしょう?」
「あ、代わります」
 良夫は快く電話を祐一に渡した。
「教授、その節はお世話になりました」
「ああ、元気そうですね。いい友達も出来たようです。こういう逆境の時に支えてくれる友人は宝物です。大事にしてください」
「はい」
「何度も言いますが、絶対に無茶をしてはダメですよ」
「はい。今回のことで身に染みました」
 祐一は素直に答えた。実際、祐一は今回のことで懲り懲りしており、もう厄介ごとには関わりたくないと思っていた。
「今日はホントにありがとう。それでは、みなさんによろしくお伝えください」
「はい。教授もくれぐれもお気をつけて」
 そう答えた後に電話が切れたので、祐一も電話を切った。
「あー、西原君、電話切ったとお?」
 良夫が少し怒ったように言った。祐一は良夫に電話を返しながら言った。
「あ、ごめん」
「ボク、まだ話したいことあったとに」
「でも、教授が先に切ったんで……」
「佐々木、アンタたいがい話してたじゃん。教授は忙しいのよ。中坊と長電話する暇なんてないんだからね」
「嫌な女だな。ちょっとかわいいと思って」
「かわいいって認めるんだ」
「『言葉の綾』ってやつだよ! 自惚れんな!!」
 二人がまた口げんかを始めたので、祐一は少し驚いて勝太に言った。
「なんか、オレがおらん間に二人のキャラ変わった?」
「そうかもね」
 勝太が肩をすくめて言った。

 電話が終わったようなので、すかさず由利子が尋ねた。
「ね、今の電話は?」
「美千代の事件に関わったあの少年たちです。サンズマガジンの記事に心配して電話してくれたのです」
「そっか。いい子たちだね」
「はい。だから、彼等にはこの事件にはもう関わってほしくないと思います」
「そうだね。……だけど、サンズマガジンにも困ったもんだわね。妙な影響がなけりゃいいけど……」
「ホントに悩ましいことです」
 ギルフォードはそういうと腕組みをしてため息をついた。
「そろそろ、多美山家に着きますわよ。降りる準備をしてくださいな」
 と、紗弥がナビを確認して言った。車はすでに住宅街に入っていた。 
 
 山中久雄は、自分の持ち山の見回りをしていた。彼は、最近裏山に大型ごみの不法投棄が相次ぎ、頭を痛めていた。
 ごみの種類とその多さから、悪質業者の不法投棄と判断して警察に通報し、見回りをしてもらっているが、巧妙にパトロールの隙をついてごみの投棄がなされた。それで、彼は隠居している父と共に高校生と中学生の息子二人と愛犬のダルメシアン『佐武海707号』愛称サブを連れ立って投棄の状態の確認にきたのだった。もしも悪質業者と鉢合わせても、この人数ならなんとかなるだろう。そう思って久雄は意気込んで投棄現場までやってきた。
 案の定、三日前よりも大型ごみの量が増えていた。
「くそっ、撤去するにも金がかかるってのに、また増やしやがって、クソッタレ共が!!」
 久雄が吐き捨てるように言った。
 六月も後半になると暑さで悪臭が増し、その上たまった雨水にボウフラがわいてヤブ蚊の発生元にもなってしまう。すでに周囲には悪臭が漂い、人間4人は無意識に顔をしかめていた。高校生の修太郎が鼻と口を覆いながら言った。
「お父さん、このにおいひどすぎるよ。肉かなんかが腐れとっちゃないやろか?」
「そうか? 俺は鼻が悪かけんそこまで臭かっちゃ思わんが……」
「そのお前がわかるくらい臭かっちゅうことや」
 いまいち反応の鈍い父親に祖父の秀雄が言った。中学生の英二郎は耐えきれず涙目になっている。
「えっ、そげんニオイのすごかとか?」
 久雄は首をかしげながら言ったが、サブがいきなり引っ張ったので、二三歩ほどよろけながら進んだ。
「おい、サブ。どうしたとや?」
 久雄はサブに声をかけたが、犬はそれを無視して気になる方向に行こうとする。久雄は仕方なくその方向に行くことにした。
「サブが何かに気付いたごたるけん、行ってみるわ。修太郎、英二郎を連れて臭くないところまで避難しとれ。親父、行ってみようや」
 父の言葉に従って兄弟は十数メートルほど離れ、久雄と秀雄が愛犬とともに投棄現場に近づいて行った。サブの毛はだんだん逆立っていき、頭を低く下げ時折低いうなり声をあげて尋常な様子ではない。久雄は徐々に不安になっていき、横の父親に話かけた。
「親父ぃ、このニオイばってん、俺、なんかいやな予感がするっちゃけど……」
「おいもそげな気がすっとたい」
「さすがに俺にもニオイの凄かとのわかってきたばい。こりゃあたまらん」
「おいの鼻は、もう曲がろうごとあるじぇ」
 秀雄はすでに鼻をつまんでおり、言葉の一部が鼻濁音になっている。サブはうなりながら、粗大ごみの中の冷蔵庫の前まで行くと、ピタリと止まってそれから頑として動かなくなった。相変わらずうなり声をあげ続けているが、背から尾の先まで毛を逆立てている。
「これやな。親父、サブを頼むわ」
 久雄は愛犬を父に任せ、件の冷蔵庫に近づいてまじまじと見た。業務用の大型冷蔵庫だが、パッキンが緩くなっているのだろう。ドアから何か液体が漏れており、それから悪臭が漂っている。
「どこかの馬鹿が、食材を入れたまま投棄したっちゃろ。何が入っとおとか」
 と言いながら、久雄は冷蔵庫に手を伸ばしたが、ふと視界に何かがよぎってその手を止めた。見ると冷蔵庫から垂れた液体にたかっていた虫が四散したのだ。
「うわ、ゴキブリか。なんちゅう数か、こりゃ。まあこげなとこやけんおってもおかしくはなかばってん」
 久雄は言いながら再び手を伸ばし取っ手を握った。しかし、秀雄はゴキブリと聞いて驚いて叫んだ。
「久雄、待て。開けたらいかん!」
「え? なんで……」
 久雄はそう言いかけたが、すでに手がドアを開けてしまっており、中身がずるりと庫外に落ちた。
「うぎゃぁあ~~~、出たーーーーーっ」
 久雄がとっさに飛び上がり後退った。
「そこをどけ、久雄!」
 秀雄はそう怒鳴ると、肩にかけていたショルダーバッグからスプレーを出して周囲にぶちまけた。
「こういうこともあろうかと思って持っていたんだ」
 秀雄はそういうと、息子にスプレーを投げて言った。
「急いで修太郎と英二にこれをかけてやれ!」
 そのスプレーは、件の激臭虫除けハーブスプレーだった。
「わかった」
 久雄はそういうと、息子たちの方に駈け出した。さっきまで自分の隣でうなっていたサブが、いつのまにか兄弟たちの横で、震えながらうずくまっていた。


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 タミヤマリーグの四人組はお気に入りです。特に彩夏ちゃんとヨシオ君のふたりが可愛い。
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