朝焼色の悪魔 Evolution

黒木 燐

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第三部 第三章 暗雲

1.ジュリアスとアレクサンダー

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 話は少し前に戻る。
 由利子が帰宅するまでの護衛を葛西に任せ、ギルフォードはジュリアスと共に如月と紗弥を送った後、帰路に就いていた。
「キサラギ君が気になった事って、いったいなんでしょうね?」
 ギルフォードが言った。
「実際見せないと説明しにくいって言ってましたけど……」
「なんか後ろめたそうな感じだったもんで、勝手にデータでもいじくったんじゃあーせんか?」
「そんな気もしますが、なんにしろ、明日ですね」
「おれは、明日わりと早ゃーて、研究室には顔は出せにゃーな。残念だなも」
「そういえば……」
 ギルフォードが、クスリと笑いながら言った。
「また僕たち、二人だけなのに日本語で会話してますね」
「明日から、また英語ばっかの国に帰るんだで、出来るだけ日本語で会話してゃーんだがね」
「OK、お付き合いしましょう。部屋に帰り着くまで英語禁止です」
「禁止することはにゃーけどよー。だゃーいち、外来がいりゃー語まで日本語になおしとったら、どえりゃーことになるがね」
「ははは、そうですね。元とは意味が違ったりしますし。まあ、外来語を含めふつうに日本語で話すということで」
「じゃあ、三回英語でしゃべったら負けにしよまい。ほいで、負けた方は勝った方の言うことを聞く、と」
「いいでしょう。受けて立ちます」
「その前にお願いしてえーかね?」
「なんでしょう?」
「酔い覚ましにちょこっと夜風に当たりてゃーんだが」
「じゃ、少しの間エアコンを切って窓を開けましょう」
「ついでにちょこっとだけドライブしにゃーか?」
「じゃ、戻ってT神の街をちょっと流してみましょう」
 ギルフォードはそう言うと、適当なところでUターンをした。
「よっしゃ~、これから何があっても英語禁止だなも」
 ジュリアスが陽気に言った。

 山口医師が病棟を見回っていると、園山看護師の病室に明かりがついていることに気がついた。当然消灯時間はとっくに過ぎている。
(あらら、消し忘れてるのかしら? それとも、眠れないのかしら?)
 山口は、とりあえずインターフォンで声をかけてみた。
「園山君? ひょっとしてまだ起きてる?」
「ああ、すみません。なんか、寝付けなくて……」
「ちょっと窓を『開ける』わよ。いい?」
「はい、どうぞ」
 園山の了解を得ると同時に窓の曇りが消え、窓が『開いた』。
「あら、本を読んでいたのね? 具合はいいの?」
「ええ。だけど、なんか眠れなくて……」
「あら、お薬出しましょうか?」
「いえ、大丈夫です」
「そうなの? ほどほどにして眠らないとだめよ」
「はい」
「で、何の本?」
「聖書です」
 そう答えると、園山は何故か少し歪んだ笑顔を浮かべた。
「聖書?」
 山口が少し驚いたように鸚鵡返して言った。
「あら、園山君ってば、クリスチャンだったの?」
「違います。……いえ、正確には、今は違います」
「今は? まえはそうだったの」
「はい。僕はN県の生まれで、家は代々カトリックでした。貧乏人の子沢山を地で行くような家庭で、僕は八人兄妹の七人目でした」
「八人! お母様頑張っ、いえ、それはにぎやかだったわねえ。あ、そうか、カトリックは……」
「そうです。避妊や堕胎が禁止されてるので……。それでも今時それを頑なに守って子沢山ってのは流石に……なんと言うか、年頃になったらなんか恥ずかしくて……」
「まあ、考えたら、そうかもねえ……」
「でも、そういうのは瑣末なことで、キリスト教から離れたのは、書いてあることに逐一共感できなくなったからです」
「まあ、アダムの肋骨からイヴが生まれたとかいうこと自体に、医者として賛同できないけど、いちいち神話にケチつけても仕方ないじゃない?」
「まあ、そうですけど……」
 園山は、またも歪んだ笑顔を浮かべながら言った。
「僕が共感出来ないのはそういう物語的なことだけではありません。その神の名の下に行われてきたことについてもです。迫害される側だった時であれ、迫害する側だった時であれ……。それに布教することにより、力ずくで、もともと先住民が崇めていた神や文化ですら、破壊消滅させてしまったり……」
「でも、それは仕方のないことだと思うわ。私だってそれが良いこととは思わないけれど……。結局は歴史なんて弱肉強食の積み重ねなんだから……。それに、それはどんな宗教にもいえることじゃない?」
「それはそうですけど……。……僕の先祖は隠れキリシタンだったんです。それで、改宗せずに惨殺された先祖が沢山いるんです。でも、僕は、そこまでして守る価値があるものだったのかと。しかも、隠れですから、教え自体が土着の神様と融合して、かなり変質していたんです」
「そうかあ。でも、強制じゃなくてそれが正しいと信じて信仰を守って亡くなられたんなら、本人にとっては本望だったんじゃないのかしら?」
「でもそれって、自爆テロをしたら天国に行けるっていうのと根っこは同じですよね」
「そうかなあ……」
「そうやって色々考えていたら、自分が信じてきた宗教だけでなく、宗教全体に懐疑的になったんです。それが、決定的になったのは、ある殺傷事件でした。犯人は知人を含む六人を殺傷した挙句に自分も自殺しました。人も自分も殺してしまったんです。キリスト教では特に自殺は重罪です。僕が気になったのは、彼の両親が敬虔なカトリック信者で、彼も洗礼をを受けていたということです。彼も幼い頃からキリスト教の教えを学ばされてきたはずです。にもかかわらず、彼も成人後キリスト教から疎遠になっていました。いったい彼は今まで何を信じ何に裏切られ何を思って事件を起こし、最終的に自らを殺したのかとずっと考えていました」
「そうだったの……」
「悪魔に魅入られたと解釈すれば、それで済むのですが、僕にとってそれは納得できない答えでした。何故なら……」
 そこで園山は、大きくため息をついてから続きを話した。
「それ以前から僕は、看護大学を出てそのままF市内の病院に勤務してて、忙しさもあってほとんどキリスト教から遠ざかっていました。意図的でもあったのですが……。里の父親からは、相変わらすちゃんと信心しているか、ミサにはちゃんと行っているのかと毎週のように電話が入りましたが、行っているから大丈夫と適当にごまかしてました。そんな自分がまた嫌で……。そういう自分を、その犯人と重ね合わせていたのかもしれません。そんな時、会社の同僚に誘われて講演会に行ったんです。その時の話を聞いて、目からうろこが落ちたというか、解放されたというか……」
「解放?」
「はい。僕は正しかった、僕の思い通りに生きていいんだ、信じたいものを信じればいいんだって」
「そうね。今聞いただけでも、あなた、子供の頃から信心してきたものに疑問を持っていながら断ち切れてないって感じがしたものね」
「そうだったんです。でも、僕はそれに気づかないで、悶々としていたんです。その方から、それは僕が疑問を持ち始めた時から、僕の信心するものではなくなったのだと言われました。頭から水を被ったような衝撃を受けました」
「へえ、明瞭な答えだわね。じゃ、そこに行ってよかったじゃない?」
「そう思っています……。でも……」
「……でも?」
 山口は、今まで淡々とした表情で話していた園山の表情に、一瞬暗い影が差したような気がして用心深く聞き返した。
「あ、すみません。たいしたことではないんで、気にしないで下さい」
「そうなの?」
 園山の口調に不自然さを感じて、山口は怪訝そうな表情で言った。
「言いたいことがあったら、言ったほうがいいわよ」
「いえ、大丈夫です。もう十分聞いていただきました。
 ……あの、そろそろ眠くなってきたようなので、消灯して寝ます。他愛ない話にお付き合いしていただいて、ありがとうございます」
「そう?」山口は園山が言いかけたことが気になったが、問い詰めるのも良くないと思い、頃合いを見て聞きなおすことにした。
「じゃあ、ゆっくり眠るのよ。なにか言いたいことがあったら遠慮なく言って。一人で抱え込んじゃだめよ」
「はい、ありがとうございます。おやすみなさい」
 園山はそう言うと、枕元に聖書を置き照明を消して横になった。
「じゃ、園山君、行くわよ。なんかあったら遠慮しないですぐにコールしてちょうだい。いいわね」
 山口は念を押すと、窓を閉めた。園山は、山口が去ったことを確認すると、ほうっとため息をつきベッドに体をうずめた。そして、暗い天井を凝視しながらつぶやいた。
「怖くない。これはお導きだ。僕は浄化されるんだ。僕は間違っていない。僕らの正しさはすぐに証明される……。」
 園山は自分に言い聞かせるように何度もつぶやいていた。
 
「おーーーっ!」
 ジュリアスが窓の外の異様な雰囲気に驚いて言った。
「何かねここは? この時間に若者ばっかがこんなよーけおって、未成年っぽいのも結構おるぞ。しかも、でーらきわどい格好をした若い女たちがたまにおるけど、パンパンかねー?」
「パンパンって、君はいつの人間ですか。それに、都市部ではあまり珍しい光景でもないと思いますケド」
 ジュリアスの問いに、ギルフォードが苦笑しながら説明した。
「きわどいというか、ほとんど下着のあのお姉さま方は、なんかヨカラヌ所の勧誘でしょうね。ここは、通称『親不孝通り』と言って、若い人が良く利用する歓楽街です。おじさんたちはN洲のほうに行きますけど。もともと近くに大手の予備校があって、予備校生が通うとかいう理由でついた名前のようですが。最近はその予備校もなくなって、聞こえが悪いとか犯罪を誘発するからとかいう理由で、親不孝の不の字をとみと言う字に変えた『親富孝おやふこう通り』というのが正式名称のようです。まあ、あまり効果ないような気がしますけど」
「おれは田舎生まれの田舎育ちなもんで、こーゆーのには不慣れなんだなも。ここにおる連中を見る限り、元の漢字の方が正解のような気がするぞ」
「そうですねえ。でも、ここは有名ですから押さえておかないと」
「趣味じゃにゃーしうぜーし車も進まにゃーし、もーえーて、他に行こまい」
「そうですか? ここには外国人が集まるパブとかもあるんですけどね」
「おみゃーさんは飲めにゃーだろー」
「言ってみただけです。じゃ、せっかくだから、このまま西通りまで抜けてから帰りましょうか」
「そうしよまい」
「君がドライブしたいっていうからここまで来たのに。なかなか観光では夜にこんなとこ通りませんよ」
 ギルフォードが少し不満げに言ったので、ジュリアスはすかさず彼の首に手を回しながら言った。
「ありがとう、アレックス。愛しとるでよ」
 さらにそのまま唇に軽くキスをしたので、道行く女性たちの黄色い歓声が響いた。ギルフォードはあわてた。
”バカヤロー! いくら徐行運転でも危ないだろうがっ! しかも丸見えだ! 第一近くに交番があるんだぞ!”
「1回目」
 と、言いながらジュリアスがにまっと笑った。 
「しまった! 今のは無し、無しです」
「だ~め」
「不意打ちはズルイです」
「まだまだ修行が足らにゃーて。それはともかく、このままじゃおれたちの方が見世物だもんで、ちゃっとここから出たほうがええて」
「誰のせいだと思ってるんですか。しかも、何人かから写メ撮られたじゃあないですか」
 ギルフォードは、自分らを見ながらきゃあきゃあ言っているらしい女性たちを横目に、恨めしそうに言った。
 しばらく進んでいると、ジュリアスが更にやきもきして言った。
「なんか狭ゃー道ばっか通っとるんで、さっぱり酔い覚ましにはならにゃーんだが」
「まあいいじゃないですか、たまにはこういうのも。今までゆっくりドライブすることがなかったんだし」
「そりゃあまあ、そうだがよお」
「ここは、さっき言った『天神西通り』ですよ。ここも観光地というより、地元の人が利用する繁華街ですが、全国的に有名なラーメン屋の本店もありますから、旅行者もたくさん訪れるようですね。あ、ほら、もうじき丁字路ですから、左折して大通りに出ます。そのまま都市高に入ってさっと帰りましょうか」
「ほだな。そろそろ眠くなってきたし……」
 そう言うと、ジュリアスは大きなあくびをした。それを見ながらギルフォードがからかい気味に言った。
「まだ寝ないで下さいよ。寝ちゃったらそのまま車に放置していきますからね」
「でゃーじょーぶだがね。……って、あれ、あそこにいるの、由利子と葛西じゃにゃーか?」
 ギルフォードはジュリアスの指差すほうを見た。確かに件の二人が丁字路手前の歩道でなにかもめている。
「もう、早くタクシーに乗って帰れって言ったのに、何やってるんでしょう、あの二人は」
「おれが葛西に入れ知恵したせいかも知れにゃー。酔い覚ましにコーヒーショップに誘えって言ったもんだで」
「へーそうですか。でも、それで、何をもめてるのでしょうね」
「あー、ついでに上手く口説いて、その後どこかにしけこめって言ったんだわー」
”何だって!? おい、ジュリー、てめぇ、ジュンに妙なことを吹き込みやがって!”
「ブブー! 英語使用2回目~」
 驚いて素になったギルフォードを軽くいなしてジュリアスが言った。ギルフォードは小さく「あっ」と言って左手で口を押さえたが、言ってしまったことは仕方がない。ギルフォードは気を取り直すと、いつもの調子に戻って言った。
「まったくもー、不意打ちばっかり。……で、どうしてそんなことを言ったんです?」
「だって、由利子のほうもホントはまんざらでもなさそうだもんで、この際引っ付けたほうがえーかなと思ったんだわー。愛のキューピッドだがね」
「何が愛のキューピッドですか。面白がっているだけでしょう。ま、あれじゃあ恋愛成就は無理みたいですけど。由利子からすごい顔と勢いで手を振り切られてしょげてますよ」
 ギルフォードは二人のほうを見ながら言った。丁字路の前で信号が赤に変わったのを契機に、しばらく二人を観察することにしたらしい。
「いーや、待った。葛西の奴、あきらめにゃーで由利子の腕を掴んでひっぱっとるがね。結構しつこいんだなも」
「酔っ払って大胆になっているだけですよ。あの先もう少し歩いたら、有名なホテル街がありますからね。だけど、あんな強引なことしちゃダメです、ユリコの様なタイプの女性の場合、怒らせるだけですよ。ジュンは功を焦りすぎです。ユリコは相当怒ってますよ」
「経験値が足らにゃーねー。オヤジじゃのーて高校生レベルだて」
「まさか、初めてじゃないでしょうね」
「なんぼなんでもあの歳でそりゃ~にゃーて。あ~あ、とうとう投げ飛ばされてしもうたがや」
「……ユリコ、強かったんですね」
 思いがけないものを見て、ギルフォードは目を丸くして言った。
「おれもやられたからなー。美葉直伝らしいて。ただし、あれしか出来にゃーのだと」
「不意打ち専門ってやつですか。まあユリコは用心深いですから無茶はしないでしょう」
「往来で連れを投げ飛ばすのも十分無茶だと思うぞ。あ、さすが由利子だわ、すぐにタクシーを止めたな。判断早ぇ~わ。おっと、後部座席に葛西を蹴り込んで、自分は助手席に乗ったぞ」
「怖いです。これから彼女を怒らせることはしないようにします」
「あーあ、行ってしもうたがね」
 由利子たちを乗せたたタクシーは、彼らのいる道とは反対側車線を突っ切って姿を消した。ギルフォードとジュリアスは顔を見合わせると仲良く笑い出した。
「葛西、見事に玉砕!」
「まったくこっちに気がつきませんでしたね。でも、おかげで二人の意外な面が見れて、なかなか面白かったです」
「ほだね。ところで、この先、ホテル街があると言っただろー?」
「はい。地元では有名ですが」
「おれ、いっぺんそーゆーとこに泊まってみてゃ~んだが」
「却下します」
「なんでー? そのためにこっちに来たんじゃにゃーのか?」
「ジュンと一緒にしないで下さい。だいたい、ちゃんと僕の部屋があるのに、何でわざわざそーゆーところに行くんです?」 
「ほだけど、バーがついてたり、プールがあったり、カラオケがついてたり、天井が鏡張りだったり、風呂がガラス張りだったり、ネズミーやら○ティやらミ×フィーだらけだったり、ペントハウスに風呂がついてて夜景が見えたりするんだろー? 行きた~い」
「どこからそんな情報を……」ギルフォードはあきれながら言った。「でもカラオケや鏡張りとかはともかく、バーやペントハウスやプール付きなんてそうそうありませんよ。まったくもー、いったいどこからそういう情報を仕入れてるんです?」
「プールはのーてもええて、行きた~い、行きた~い、行こぉよ~」
「ダメです」
 普通ならジュリアスがこういう風におねだりした場合、叶えてやるのだが、今回は何故かきっぱりと断った。
「ケチ~。なんでぇ~」
「水曜日に遺体で見つかったエビツさんは、仕事場の風俗営業のホテルで感染しました。ですから、僕は今、そういうところを利用するのは危険と考えます」
「ちぇ~っ。変なところに神経質なんだで、おみゃ~さんは」
「あのね、あーゆーホテルは使用目的のわりに、往々にして公衆衛生的にあまり感心しないような清掃のされ方だったりするんですよ(※)。僕は神経質にならざるを得ませんね」
「相変わらず理屈っぽい男だなも」
「すみませんね。まあ、このウイルス渦が収まるまで待ってください。それまでにいいところを探しておきますから」
「そーいや、おみゃーさん、事前に下調べしにゃーと気が済まにゃー奴だったわ」
「人を初デート前の中学生みたいに言わないでください。じゃ、さっさと帰りますよ」
 ギルフォードはそう言いながら珍しく眉間にしわを寄せていた。それに気づいたジュリアスは、困った顔でギルフォードの顔を覗き込みながら言った。
「アレックス、怒ったのきゃ~?」
「いいえ、そろそろ我慢が出来なくなりました。早く帰りたいです」
「やっぱり日本語しか話せにゃーのはえらい疲れるかねー?」
「そっちじゃありません」
 ギルフォードが少し顔を赤らめて言った。
「大きな赤頭巾ちゃんがあんまりかわいいので、今にでもオオカミになりそうなんです」
「そりゃあアカンて。だいたいがおみゃあさんは羊の皮を被ったオオカミだで」
 ジュリアスはそう言うと、えへへと笑ってギルフォードによりかかった。
「こら、だめですよ。走行中は危険です。オートマだからまだいいようなものの……」
 ギルフォードが言い終わらないうちに、ジュリアスはクスクス笑いながら、彼の首筋にキスをした。
”うわっ、このバカっ! 暴発したらどーすんだ!!”
「はい、三回目。さ~て、何をしてもらおうかね~」
「……ったくもお……」
 そう言いながらもギルフォードは、寄りかかるジュリアスの背に左手を回して軽く抱き寄せた。
「君はホントに悪い子です」
 ジュリアスは、クスクス笑うと言った。
「そりゃあ、おみゃーさんのことめちゃんこ愛しとるで」
「I know.」
「何て? まいっぺん言ってみ?」
「……いえ、一度言ってみたかっただけですから、もう言いません」
 ギルフォードが照れくさそうに言った。

 
 斉藤孝治は、部屋の中でうなっていた。
 あれから容態は悪くなる一方で、熱はついに四十度を越していた。祖母にもらった解熱剤を飲んではみたが、一時的に楽にはなるが、二・三時間もすればすぐにまた頭痛が襲ってきた。それで、孝治は六時間空けねばならない服用間隔を四時間三時間と縮めざるをえなくなっていた。食事もすでにおかゆすらのどを通らなくなって、スポーツドリンクでなんとか干上がるのを防いでいる状態であった。しかも、腹の調子までなんとなくおかしくなってきたように思われた。
(もうどうしようもないな、あした病院にいくしか……)
 孝治は弱気になっていた。しかし、病院に行った時点で自分が破滅するであろうことは、孝治の劣化した思考状態でも理解していた。
(だめだ。病院にいったらおしまいだ。だけど、このままだと……)
 その時、孝治は激しい腹痛にみまわれた。
「ううう……」
 彼は腹を押さえながらよろよろと起き上がり、危うい足取りで手洗いに向かった。幸いにも手洗いは孝治の匿われている離れのそばにあった。彼は何度か転びそうになりながら個室に入った。だが、激しい腹痛はあるものの、一向に下す様子はない。そうこうするうちに吐き気まで襲ってきた。急いでトイレットペーパーを大量に引っ張り出してぐしゃぐしゃのまま丸め、そのまま口に当てた。のどを鳴らすいやな音がして、口の中に生ぬるいものが上がってきた。食べてないせいか、量はそんなに多くないようだった。そのままペーパーに吐き出すと、何か黒っぽいタール状のものが確認できた。気持ち悪くなって、彼はすぐにそれをトイレの中に捨て、水に流した。しかし、腹痛は一向に治まらない。頭痛もまた復活してきた。その上に、熱のせいか初夏だというのに寒気までしてきた。このままだと便座に座っていられる状態ではなくなるだろうと思った孝治は、ふと、祖母が手洗いに常備している失禁対策用のナプキンに気がついた。孝治は少しの間躊躇したが、それに手を伸ばした。
 孝治は再び危うい足取りで手洗いを出て部屋に向かった。だが、部屋に入った途端に気が緩んだのか、足を絡ませて転倒してしまった。右足首を少し挫いて右の頬と掌に畳にこすった擦り傷ができてしまった。
「いってぇ~!」
 孝治は畳に転んだ体勢で寝転んだままわめいた。
「いってぇよぉ~、いてぇんだよお~、誰か来てくれよぉ~~~」
 孝治は子供のように半べそをかいていた。しかし、祖母は熟睡しているのか来てくれる気配はない。孝治はしばらくじたばたしていたが、あきらめたように起き上がって布団に入った。そしてスポーツ飲料で解熱剤を飲むと、横になり毛布に包まった。
「寒いよぉ、痛いよお……」
 孝治はしばらくの間、力なくつぶやいていたが、薬が効いたのか、いつの間にか眠っていた。

 高柳敏江は早朝から歌恋の病室にいた。
 昨夜は就寝時間をとうに過ぎ、夜半になっているというのに、なぜか自分を母親と勘違いしている笹川歌恋が、手を離してくれなかった。なだめすかして寝かしつけても、すぐに起きだしては母親を呼ぶのだ。無視をしても、何度もナースコールを押して看護師を呼びつけ、自分を呼んでくるように懇願する。仕方なく敏江が歌恋の元に行き、なだめ寝かしつける。そんなことの凝り返しなのだった。このままでは患者医者ともに体力を消耗させると言うことで、鎮静剤を打ち、ようやく眠らせることができた。しかし、早朝から目を覚ました歌恋は、起きるなりまた、母を呼んだ。
 甲斐看護師がため息をついて言った。
「困りましたね。あまり長時間この装備で居ることは避けないといけないのに。私たちは交代できるからいいですけど、先生はそうはいきませんもの」
「まあ、仕方ないわね」
 敏江が歌恋の頭を撫でながら言った。
「この子は今までずっと親に甘えたいのを我慢してきたのだもの。出来るだけ一緒に居てあげたいわね。仕事柄そうも言ってられないのかもしれないけど……」
 優しく頭を撫でられながら、歌恋は苦しい息の下で嬉しそうに笑った。
 
(※)あくまでギルフォードの私見ですが……。


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 じゅりー と きょうじゅ、いちゃいちゃ?
 (CV:アーニャ・フォージャー)
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