朝焼色の悪魔 Evolution

黒木 燐

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第二部 第五章 告知

9.背徳者

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 まだ幼い美葉は恐ろしさに体が硬直し、全く身動き出来なかった。その目線の先には泥だらけになった少年の手を掴んで引きずりながら近づく30代前半くらいの長身の男がいた。しばらく日にあたっていないのか肌の色も異様に白く、髭を生やした痩せこけた顔に目だけがギラギラしており、見ただけで『ヤバイやつ』だと判った。その男との間に美葉より少し長身でボーイッシュな少女が立ちはだかっていた。
「ゆりちゃんだめ! 逃げて!」
「ばかっ! そんなことできるか!」
 由利子は美葉に言うと、すぐに男に向かって叫んだ。
「そんな変装、あたしには通じないよ! あんたが美葉を誘拐した奴だってのは判ってるんだ! もうじき警察が来るからね! 逸美いつみちゃんを放して大人しく捕まれ!」
 しかし、警察が来るというのはハッタリだった。

 そこは町はずれの廃墟になった工場跡の倉庫だった。
 数時間前、由利子は校庭をじっと見ている男がいることに気づき、それが数年前美葉を誘拐した男だと直感したが、先生に言っても誰も本気で対応してくれなかった。誰も犯人が戻ってくるようなリスクを冒すとは考えていなかったのだ。それで、由利子は男のアジトを突きとめようと、親友の美葉と級友の紫藤逸美と三人で男の姿を探し、街中で発見してこっそりそいつの後を付けたのだった。被害者の美葉が加わることは最初反対したが、このままでは一生誘拐犯の夢を見続けるからと頼み込んだので、仕方なく行動を共にしたのだった。
「ガキどもが生意気言うんじゃねえ! もうガキを二人ってるんだ! 捕まったら死刑か良くても無期だ! それくらいならお前たち全員始末して逃げられるところまで逃げ切ってやる!!」
 そう言うや、男は由利子に向かってきた。由利子は追跡途中に見つけた草野球の練習をしている友達から借りてきたバットを構えたが、まだ幼い彼女は恐怖で一瞬ぎゅっと目をつぶってしまった。その時男がつんのめって倒れそうになった。逸美が男の足にしがみついたからだ。
「このクソガキがあッ!」
 男は怒鳴りながら忌々しそうに逸美を蹴った。力まかせに蹴られた逸美はそのままぐったりとして意識を失ってしまった。男はその勢いのまま由利子に襲い掛かった。由利子はバットを振り回して応戦したが、廃工場の倉庫は足場が悪くよろけて態勢を整えようとしたスキを突かれてバットを奪われてしまった。男はにやりと笑って由利子めがけてバットを振り下ろそうとした。
「だめぇっ! ゆりちゃん」
 美葉は悲鳴を上げた。悲鳴を上げながら美葉は自分の体が自分の意志とは裏腹な動きをしているのを覚えた。
 気が付くと男が血まみれで倒れており、由利子が必死にしがみついて自分を止めていた。
 
 美葉はそこでハッと目が覚めた。そこはホテルの一室で、バスローブに着替え、紫煙をくゆらせながらテレビを見てくつろぐ結城の姿があった。美葉は横になったまま、室内を見回した。過度な装飾、そして天井に映った自分の姿……、レザーのタンクトップとアンダーパンツだけの姿で、毛布も掛けられずにベッドに寝かされている……。現実も夢と同じように、いや、それ以上に厳しい。美葉はため息をついた。
「目が覚めたかい、美葉」
 結城は美葉が目を覚ましたことに気がついて、ソファから立ち上がって彼女の方に近づいてきた。
「なかなか目を覚まさないんで、先に風呂に入らせてもらったよ」
「また、こんなところなのね」
「仕方ないだろう、『僕たち』はお尋ね者なんだからね。普通のホテルだったら怪しまれるどころか通報されてしまうだろ? しかも、おまえは眠ったままだったし。ここはガレージから直接部屋に入れるようになってたから、その点も都合が良かったしね」
 そう言いながら、彼は美葉に近づいてきた。
「ま、もう少ししたら、仲間が僕たちの住む場所を提供してくれる手はずになっているから、それまでの辛抱だよ」
 そう言いながら、結城はベッドサイドに腰掛けて、美葉の方に手を伸ばした。美葉は静かに、しかし鋭く言った。
「触らないで」
「おや、また今夜は特にご機嫌斜めで」
「あたりまえよ。私、あんたに殺されかかったのよ」
「おまえが僕を馬鹿にして、笑い続けるからいけないんだ」
「そんなことで……」
「僕を馬鹿にする者は許さない」
「あんた……」
 美葉は結城の言葉の中に狂気を感じて一瞬言葉を失った。
「今、僕は無敵なんだ。全人類を滅ぼすことだって出来るんだ」
「そんなことはさせない。さっきの警察官たちは見抜けなかったけど、由利ちゃんなら、あんたがどんなに面変わりをしても、絶対に見つけ出すから。警察側に由利ちゃんがついている限り、あんたが逃げ切れることはないんだからね」
「篠原由利子、あの女がか?」
「そうよ。由利ちゃんはね、人の顔を覚えるのが得意なの。そうそう、いい事を教えてあげる。私ね、子どもの頃にも誘拐されたの。公には未遂ってことになってるけどね。まあ、ほかの子たちと違って早めに逃げ出せたので助かったけど、それでもけっこうひどい目にあった。今ほどじゃないけど」
 美葉の告白に結城は少なからず驚いたようだが、彼女が忘れずに皮肉を交えた事に気がついてだまっていた。美葉はかすかに笑って続けた。
「だから私、ホントは男の人がすごく苦手だったの。何度か付き合ったことはあるけど、全部長続きしなかったわ」
「そうか、それで……」
 結城は何か言いかかったが、美葉が眉を寄せたのを見て口をつぐんだ。
「……でも、あなたが現れて……。最初は由利ちゃんがやきもきするのが面白くて付き合ってみたの。でも、あなたは優しくて、一緒にいて安心出来たの。だからあなたなら大丈夫だって思えるようになった。でもその頃、私のおいたが過ぎて、由利ちゃんに絶交されちゃった……。だけど、あなたがいるから大丈夫だって思った。だから、あなたに奥さんがいるって知った時、ショックだった。奈落に落ちた感じだった。その上、あなたはしばらく会えないっていい出すし。私、途方に暮れたわ。そしたら、由利ちゃんがまた手を差し伸べてくれたの。すごく親身になってくれた。嬉しかった……」
 美葉はここで一息ついた。
「そうそう、肝心な誘拐犯の事を言わないとね。由利ちゃんはね、事件の後ずっと私の周囲を警戒してくれたの。犯人はきっと様子を見に戻って来るって。そして、とうとう犯人を見つけてくれたわ。そいつも痩せた上に髭を生やして面変わりしていたけど、由利ちゃんの目は誤魔化せなかったの。由利ちゃんね、私が目の前で誘拐されたから、すごく悔しがってね、絶対に見つけてやるって。あいつが捕まったのは由利ちゃんのおかげ。今度も由利ちゃんはきっと見つけてくれる」 
 美葉は結城から目をそらすと、遠くを見るような目で言った。それを見て結城はせせら笑うように言った。
「馬鹿なことを。細身で見た感じ宝塚の男役みたいなやつだったが、所詮ただの女だろ。そんなヤツにこの僕が捕まるはずがないだろう?」
「自信過剰ね。あなたはきっと捕まるわ。史上最悪のテロリストとしてね」
 美葉はそう言うと、くすっと笑った。
「美葉、まさかおまえ……」
 結城は美葉の顔をまじまじと見て言うと、いきなり彼女を抱きしめた。
「だめだ、おまえは誰にも渡さない」
「やめて。どきなさい。もう一度言うけど、私、少し前にあなたに殺されかかったのよ。いい加減にして」
 美葉は言い放った。しかし、こういう状態になった結城は歯止めが利かない。結城はさらに激しく力任せに美葉を抱きしめながら言った。
「おまえは僕のものだ! なんでわからないんだ!!」
「いやあ苦しい、離してッ! 助けて! 由利ちゃん由利ちゃん!」
「由利ちゃん、ゆっちゃん? そういうことか!!」
 結城は美葉の身体を離すと、彼女の頬を平手打ちして言った。
「この女!! やっぱりそうだったのか。とんだ倒錯者だったわけだ」
「違うわ、友情よ!」
 切れた唇から流れる血を手で拭いながら、美葉が言った。
「へえ、女同士の熱~い友情ってわけか。そうだよな。あっちはノンケのようだから、そうやって誤魔化すしかないか。だが、友情だろうと愛情だろうと、おまえはあの女には渡さん」
 結城はそういいながらまた抱きすくめようとしたが、美葉はそれをかわしてベッドの隅に身を寄せシーツで体を隠した。
「もうやめて! 今は本当にきついの。せめて今日はゆっくり休ませて……」
 しかし、結城はにやりと笑って言った。
「そうだ、いいことを考えた。僕の仲間に、おまえの由利ちゃんを攫ってこさせよう。それから、おまえの目の前で息の根を止めてあげる。でさ、篠原由利子の死体を前にしてさ、しようよ」
 美葉はおぞましさに身震いしながら叫んだ。
「やめて! 由利ちゃんに何かしたら、許さない―――」
「立場をわきまえろよ。君は命令する立場にはいないんだから。いいか、僕は今、その気になれば人類を滅ぼすことだって出来るんだ」
 結城はそういうと高らかに笑った。ひとしきり笑うと、こんどは喉の奥で嗤いながら美葉の顔を掴んで無理やり自分の目の前に近づけて囁いた。
「いい加減に僕を拒否するのはやめろ。愛しい由利ちゃんを守りたかったらな」
 美葉はその時結城の顔を目の当たりにして愕然とした。その眼には狂気が宿っていた。
(この人は狂ってしまったんだ……。多分元には戻らない……。私はもうこの人から逃げられないのか……)
「ああ……」
 美葉は絶望し、気が遠くなるのがわかった。結城に殺されかかったことも相まって彼女の精神力はもう限界を超えていた。
 結城は崩れ落ちる美葉の身体を受け止め抱きしめた。
「おまえは僕のものだ……!」
 結城の腕の中で気を失った美葉は、まるで人形のように愛らしかった。結城は彼女に頬ずりをしながら言った。
「可哀想に、おまえもあの男と同じ背徳の徒だったんだな。重罪だよ。でも、僕がおまえを浄化してあげるから奈落に落ちることは無いよ。一緒に楽園に行こうね。僕はおまえを絶対に離さない。誰にも渡さない……。」
 結城はまた、くすくすと笑った。その後、結城は美葉に軽く口づけすると、彼女の身体を静かに寝かせた。
「さあ美葉、今から僕が浄化してあげるよ……」
 結城はそういうと、なにやらつぶやきながら美葉の周囲を何度も這い回った。その狂気に満ちた姿は、まるで雨月物語の『青頭巾』に出てくる悪鬼と化した老僧のような禍々しさを漂わせていた。
 
(「第2部 第5章 告知」 終わり)   

【第2部:終わり】 第3部へ続く

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 ここと、なろう版はソフトに書き直しましたが、先行版であるココログ版は少し過激な内容になっております。
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