朝焼色の悪魔 Evolution

黒木 燐

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第二部 第五章 告知

5.ルビコン

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 時は少し戻り、こちらは秋山家に訪問中のギルフォードたちである。彼らは聡子の頼みを受けて、知事の告知が終わるまで秋山家に留まることにした。
「もうそろそろだよね。ねえ、どのチャンネルがいいかな?」
 と、由利子がなんとなくワクワクしながら言った。ギルフォードが少し笑って答えた。
「多分どれを見ても同じ内容だと思いますが……」
「じゃ、ウザいCMがないNHKかなあ」
「どの局も途中CMは入らないと思いますわ。それより、聡子様が見たい局にするべきです」
 紗弥が至極最もなことを言った。
「いえ、私はどこでもいいんですよ」
 聡子が微笑みながら言った。
「日ごろでも、この時間帯は特に決まった番組はないんですの」
「じゃ、無難に公共放送に決めますか」
 と、ギルフォード。
「とりあえず、はやくテレビをつけましょ。もうすぐ6時よ」
 由利子が待ちきれないと言う様子で言った。紗弥が「失礼します」と、リモコンを手にしてテレビの電源を入れた。画面に浮き上がった映像と曲から、紗弥が少し悔しそうに言った。
「あ、笑点のエンディング……。しまった、すっかり忘れてましたわ」
「紗弥さん、笑点好きなんだ。意外~」
 由利子がちょっとした驚きと共に親近感を持って言ったが、紗弥はちょっぴり恥ずかしそうにして言った。
「とりあえず、NHKに変えますわね」
 チャンネルは変わったが、時間が少し早く、まだ先の番組が放映されていた。ギルフォードは画面を一瞥すると、聡子に向かって言った。
「まだちょっと時間がありそうですね。あの、ちょっと気になることがあったので、お聞きしていいですか?」
「ええ、もちろんですわ」
 と、聡子は快く答えた。
「ノブユキさんのことです。あの、彼が自殺をしようとする前に、変わったことはありませんでしたか?」
「変わったことですか?」
 聡子はそういうと、少しの間考えてから言った。
「そう言えば……、信之が先生からの来られると言う電話を受けた後、しばらくしてまた電話が何本か入って……、その頃から様子がちょっと変だったような……。でも、信之は最近ずっと不安定でこういうことはよくあったので、私たちも慣れっこになってしまって、特に気に留めようと思わなかったんです。私たちの不注意です」
「電話の内容は……」
「わからないです」
「そうですか……」
 ギルフォードは腕を組みながら言った。
「あまりにもタイミングが良すぎるんです。信之さんは、まるで僕らの来訪に合わせたように自殺を図った……」
「ってことは、誰かが私たちの行動を監視している?」
 と、由利子が眉をひそめながら訊いた。
「わかりません。でも、ノブユキさんが何者かに操られた可能性はあります。彼のような精神状態の人を追い込むのは比較的容易いですから」
 それを聞いた聡子は、第三者の存在に気付き怯えた表情を浮かべて言った。
「そんな……。じゃあ、信之はいったい誰が何のために……?」
「それもわかりません。誰がというのも今はハッキリとは言えません。というか、よくわかっていないのです」
「そんな……、おそろしい……」
 聡子が動揺して青ざめたのを見て、ギルフォードが慌てて言った。
「あ、すみません。不安をあおってしまったようです。でも、これは重要な事のように思えるのです。そして、お聞きできるのはあなたしかいなかったのです」
「いえ、お役に立てるならば、なんでもお聞きくださって大丈夫です。信之のためにも」
「ありがとうございます。とにかく、その電話がどこからかかってきたのかを、警察に調べてもらわなければなりません」
「あ、皆さん、始まりましたわよ」
 紗弥が、話に集中していた三人に向けて言った。


 画面に森の内が映った。彼は、手元に沢山の資料を置き、それをせわしく確認していたが、映っているのに気がつくと、正面を向いて礼をして言った。
「こんばんは。F県知事の森の内です。今日私は、F県とその周辺の方々に、重要なことをお伝えすることになりました。みなさん、今から私が説明することをよく聞いてください。そして、冷静に対処してください。集まられた記者の方々からの質問には後でお答えする時間をとってありますので、それまでは静かに私の説明を聞いてください。いいですか? ……。では、本題に入ります」 

「なかなか落ち着いてますね、いいぞ」
 心配そうに画面を見ていたギルフォードが、安心したように言った。

 豊島恵実子が夕飯の支度をしていると、居間の方からまだ幼い息子の輝海(あきみ)の呼ぶ声がした。
「おかあさん、おかあさん」
「なんね~?」
 恵実子は大声で答えた。
「おっかあさん、来て~。テレビでなんか言うとぉよ」
「何てぇ?」
「だいじな話だから、できるだけ聞いてって~」
「大事な話ィ? テレビでェ?」
 そう言ったあと、ハタと思い出した。そういや緊急回覧で、今日夕方6時に知事からの重要な話があるから見るように、とかいうお知らせがまわって来ていたな……。
「わかった、すぐ行くけん、ちょっと待っとって」
 恵実子は料理の下準備にキリをつけると、手を洗って居間に急いだ。
 居間では息子が例の如くテレビの前およそ二mのところでクッションを敷き、座っていた。恵実子もその横に座った。輝海は恵実子の方を向くと、深刻そうな表情で言った。
「おかあさん、シンカンセンショウだって」
「新幹線? 何?」
「うつる病気だって」
「え? うつる? 新幹線? 伝染病? なにそれ?……」
 恵実子は驚いてテレビ画面を見た。

「……経緯をご説明いたします。
 先月二十八日に日にC川で発見された遺体と、三十一日にK市のA公園で発見された4遺体を調べた結果、なんらかの感染症で死亡した可能性があるということがわかりました。その後、彼らから感染したらしい少年とその少年から感染したと思われる女性二名が死亡しました。その他わかっている死亡者は六名で、合計十四名、うち一名に関しては、身元も感染経路も全くわかっておりません」
 すでに十四名の死者が出ていると聞いて、記者達はざわついた。
「現在発症中の患者は、感染症対策センターに一名、感染発症の可能性を考慮の上、隔離されてる方が六名、以上が現在確認されている感染状況です。他にも感染者がいる可能性については、現在調査中です」
「すみません、知事、新型の感染症が発生し、そのせいで十四人の死者が出ているっていうのは、間違いないんですか?」
 と、記者の一人が待ちきれずに質問をした。それを口火に次々と質問が飛び交い始めた。しかし、森の内は無言のまま、両手を前に出し掌を下に向けて静まるようにジェスチャーをした。ざわつきが小さくなったところで森の内が言った。
「先に申し上げたとおり、質疑応答の時間はとってあります。そのためにも、今は静かに説明をお聞きください。それが出来ない方には退場していただきます」
 森の内の静かだが毅然とした態度に、記者達のざわめきが収まった。森の内は周囲が静かになったのを見計らって、話を続けた。

「それでは、まず、この感染症の病原体についてお話します。
 調査の結果、ウイルスによる感染だとまではわかっていますが、抗体反応を調べても既存のウイルスとはまったく合致いたしませんでした。未知のウイルスによる、新型感染症の可能性が高いと思われます。ウイルスの特定については、現在各機関の協力を得て、総力を挙げ調査しております。しかしながら、未知のウイルスということで、いささか特定に時間がかかると思われます。
 そういう状態ですので、私たちが今のところ得ているこの感染症の情報は、まだまだ充分とはいえませんが、現在わかっている限りのことをお伝えします」

 森の内の声が響く車内で、結城は美葉の身体を抱きしめて形振り構わず泣いていた。と、不意に美葉が身じろぎをして息を吸い込むと、激しく咳き込んだ。仰向けに反り返ったためにちょうど気道を確保したような状態になったのだ。結城がすぐに手を離したことも幸運の要因であった。
「美葉……!」
 結城が驚きと喜びの混ざった声で彼女の名を呼んだ。美葉はうっすらと目を開けてつぶやいた。
「私……生きて……る……の?」
 それだけ言うと、そのまま美葉は気を失った。
「美葉……、良かった……」
 結城は再び美葉を抱きしめて泣いた。美葉の胸からは、トクントクンという力強い心音が聞こえた。

「それでは、このウイルスの感染について。
 まず、現在の感染の広がりの緩慢さから、このウイルスが空気感染をする可能性は、ほぼないと思われます。ただし、体液等の飛沫からの感染は否定できていません。しかしながら、感染者との濃厚な接触による感染が殆どですので、普通に生活している限りでは感染リスクはかなり小さいと思われます。このウイルスにおける濃厚な接触というのは、まず性行為、それから注射器の使い廻し、傷口に感染者の体液が触れる、感染者の体液が付着した手で目や粘膜部分を触る等があります。体液と言うのは、血液・精液・汗・涙等ですが、特に危険なのが血液や精液です。したがって母乳にも感染の可能性があります。なお、死亡者の内2名が傷口に血液付着した事によって感染したことが確認されています。
 媒介生物ですが、これに関しては少し厄介です。現在わかっている限りですが、それはゴキブリです。彼らはこの感染症で死んだ遺体の匂いを好むらしく、それによって食害された遺体が何体か発見されております。さらに、その周辺には大型化したゴキブリも確認されておりますが、因果関係はまだわかっていません。我々はそれを『メガローチ』と仮称いたしております……」

 努めて冷静を装っていたが、ギルフォードはテレビから嫌な名詞が連発されるたびに、顔をしかめていた。

「次に、感染した時の症状についてです。これも、まだ情報が少ないですが、わかっていることをお伝えします。
 感染後一日から一週間の……或いはもっと長い可能性もありますが、潜伏期間を経て、発症します。最初の症状は倦怠感と発熱です。それには目の痛みや関節痛も伴い、三十九度から四十度のかなり高い熱が出ます。このあたりは他のウイルス感染症と同じですが、この感染症に限った特徴として、ある程度病状が進むと周囲が赤く見えるようになるということがわかっています。そのため、発症者は朝焼けあるいは夕焼けと勘違いをすることもあります。これは、ウイルスが脳になんらかの疾患を起こしているからだと思われます。問題は、その症状が出た時に、発作的に自傷行為を行う、或いは自らだけでなく他人も傷つけてしまうような行動に出ることです。また、この時が、周囲の感染リスクが最も高くなる時で、最も注意が必要です。
 なお、これらの症状はいくつかの症例から得た情報からまとめたものです。
 次は、皆さんからの情報提供のお願いです。
 これらに思い当たる方は、直ちに感染症対策センターあるいは最寄の保健所の方にご連絡願います。それらの連絡先については、後ほどお伝えいたします。
 ひとつは、六月四日朝八時頃、N鉄道B駅そばの踏み切りでの人身事故が発生時に、現場に居合わされた方の中で体調を崩された方、或いは急病で死亡された方のご家族、或いはそういう方をご存知の方」
 森の内の説明に沿って、画面下部に同時テロップが示された。
「もうひとつは今から特徴をあげる女性と、六月六日から六月十日の昼頃までの間に、何らかの接触を持たれた方。特にその後体調を崩された方、あるいは急病で亡くなった方の家族、或いはそういう方をご存知の方。
 女性の特徴を言います。年齢三十三歳、身長約百六十センチで痩せ型。髪は少しブラウンに染めており、肩より若干短めの長さでボブにレイヤーを入れている……って、これじゃ僕みたいなおじさんにはさっぱりわからないな。……えっと、ここにイラストがありますので参考にしてください」
 森の内はそういうとパネルを出して、演台の上に提示した。それは、美千代の写真を基にして描かれたものだったが、遺族への配慮から顔は描かれず、若干のデフォルメが施されていた。 

「美夜さん……?!」
 居間のソファに座って、コーヒーを飲みながら何となくテレビを見ていた都築は、提示されたイラストを見て驚いてソファから腰を浮かせた。その時、背後から声がした。
「おや、兄さん、生きていたんだ」
翔悟しょうご!」
 振り返った都築は、声の主を見てもう一度驚いた。
「勝手に入って来たのか」
「僕の家だもの。入るも出るも自由のはずでしょ?」
「十年近く帰ってこなかっただろう」
「でも、僕がいつ帰っても良いように鍵を変えずにいてくれたんですよね、守里生もりお兄さん」
 と、翔悟は微笑みながら言った。都築は、困惑と喜びの混じった表情で答えた。
「ああ、私たちは兄弟だもの。母親は違ってもね。お帰り、翔悟」
「まあすぐに帰るけれど。とりあえず、一緒にこれを見ましょう」
 翔悟はテレビを指差しながら言うと、都築の隣に座った。

「……六月一三日午後にC野市O町の県道の横で発見された、身元不明の遺体について心当たりのある方。損傷が激しかったので、特徴が曖昧ですが、性別は男性で身長約百七十~百七十五cm、年齢十八~五十歳くらい……おそらく着衣から二十代ではないかと思われます。発見当時彼が身につけていたものの写真とイラストです」
 そういうと、森の内はまたパネルを出した。そこには彼の持ち物である時計やネックレス等のアクセサリと、着ていた物の写真、さらにそれらを身につけていた時の想像図がイラストが描かれていた。
「それから、今から指定する地域でゴキブリに咬まれた後体調を崩された方、或いは急病で亡くなられた方のご家族、或いはそういう方をご存知の方。地域は、K市MY町のC川付近、同じくK市の祭木公園周辺、それからF市S区紗池、同じくF市W区D墓地周辺、そして、C野市O町県道E線付近、以上です。
 この地域と周辺はもちろんのこと、それ以外の地域でも、ゴキブリ対策を怠らないようにしてください」
 森の内はそこまで説明すると、一旦、間を置いて言った。
「皆さん、この説明を聞いて必要以上に恐れたりパニックに陥ったりせず、冷静に対処してください。
 この告知は皆さんの不安を煽るものではなく、ウイルスの拡大を防ぐためのものです。普段の生活をしていれば、まず問題ありません。ただし、不特定多数を相手にするような売春・買春や、麻薬や覚せい剤を打つ注射の使いまわし等の不法行為が最も感染を広めると思ってください。
 それから、これはウイルスによる感染症ですので、抗生物質は全く効きません。不安に駆られて不要に服用することは止めてください。無意味どころか耐性菌の発生する要因ともなります。抗生剤は病気の予防にはならないということを忘れないでください。抗ウイルス薬もどこまで効くか全くわかっていません。インフルエンザではありませんからタミフルやリレンザ等は効きませんし当然予防にもなりません。また、これらもむやみに服用すると耐性ウイルス発生の要因となります。ネット等を通じて購入し服用するような行為は絶対にしないでください。ウイルスに効くという民間薬のようなものも効かないと思ってください。素人判断はせずに、感染の心配がある方は必ず対策センターあるいは最寄の保健所にご相談ください」

 知事の重大発表は予定時間を大幅に過ぎ、小休憩時間が設けられた。画面には、ざわめく会場の様子がそのまま中継され、上部には重要事項がテロップで順に流れている。
その間都築は弟に尋ねた。
「ところで、おまえが継いだ教団のほうは上手くいっているのかい?」
「ええ、上々ですよ。信者もずいぶんと増えました」
 長兄、いや、翔悟はにこっと笑って言った。
「そうか、安心したよ」
「兄さんの母親が宗教を嫌って、兄さんを連れて父と別れなかったら、兄さんが継いでたかも知れないんですよね」
「私は教団には興味ないし、父も私にはそういう期待はしていなかった。おまえには私と違って、教主に必要なオーラというか、カリスマ性があるからね」
「まあ、この話は止めましょう。ところで兄さん」
 翔悟は口調を変えて言った。
「せっかく僕が兄さん好みの女性と会わせてあげたのに、ものにしなかったんだね」
「ものにするっておまえ、いつの間にそんな物言いをするようになったんだい? ……おまえがあの時、私を呼び出した癖に姿を見せなかったのは、美夜さんに会わせるつもりだったからか。彼女は体調が思わしくなかった。高熱に苦しむ女性に無礼を働くようなことが出来るものか」
「相変わらず高邁な人だねえ。色気ムンムン……って、これ、死語かな?……の美女だったから、五年間もやもめ暮らしの兄さんには目の毒だったでしょ?」
「翔悟!!」
 都築は厳しい声で弟の名を呼んだ。翔悟は肩をすくめると言った。
「で、彼女のことを知らせるの?」
「もちろんだとも」
 都築は答えた。すると翔悟は兄をじっと見据えながら言った。
「そのために弟が困っても?」
「おまえ、何を企んでいる?」
 都築は訝しげに弟を見た。
「さっき、私が生きていることにガッカリした様なことを言いながらここに来たな。美夜さんは感染していたのか? まさか、おまえ、私を病気で殺そうと……?」
「僕が彼女の感染を知るはずないでしょ。でも、兄さんが感染して死んでしまったならそれだけの男だってことだよ。ま、いつか試してみたかったけどね。兄さんが本当に高邁な人間かを」
「おまえ……!!」
 都築は鼻白んで言った。
「まさか、今、知事が言っているウイルスを……」
「いやだなあ。僕がそんなことをするわけないでしょう。仮にも僕の使命は衆生を救うことなんですから」
 翔悟はさっき言ったことの舌の根も乾かぬうちに、都築に向かって邪気のない笑顔でいけしゃあしゃあと言った。都築は、そんな弟を目の前にして、驚愕と恐怖の入り混じった眼をして言った。
「お前と言うヤツは……」
「あ、ほら、兄さん、質疑応答が始まりましたよ」
 翔悟は、再びテレビを指して言った。

「さて、記者の皆さん、これからあなた方の質問を受け付けます。これを見ている一般の方々の参考になるような、的確な質問をお願いしますよ。医学的な質問については、高柳進先生にお答えいただきます。まずは先生のご挨拶から」
 森の内に言われて、高柳が壇上に立った。
「感染症対策センター、略称IMCのセンター長、高柳です」
 彼は簡単に役職だけ告げると、一礼して一歩下がり知事と並んだ。

「IMC! ここのことだったんだわ!!」
 極美が、喉に引っかかった骨が取れたような気持ちで言った。

「では、質問のある方は挙手をお願いします」
 森の内がそういうや否や、記者達の大半が手を上げた。森の内は少し驚いて言った。
「思ったよりはるかに多いですね……。では、一番早かった女性の方、……えっと『めんたい放送』さん、どうぞ」
 森の内の指名したほうにマイクがまわった。
 記者A。
「はい。さっき一四人がすでに死亡されているとおっしゃいましたが、それは、ウイルスの仕業に間違いないのでしょうか。また、これからも死者は増えるのでしょうか。だとしたらその予想人数等を教えてください」
 高柳がまた一歩前に出て答えた。
「犠牲者の方たちが同じウイルス疾患で亡くなられたことは、ほぼ間違いないと思われます。ただ、これからの死亡人数予測は出来ません。ほとんど無いかもしれないし、百人単位になるかもしれない。現在ウイルスの正体が全く不明であるため、予測でしかお答えできないことをご了承ください。ただし、中世のペストや一九世紀の所謂スペイン風邪の時のように何十万人という規模にはならないと思います。また、この告知は感染を封じ込めこれ以上広げないためのものだと思ってください」
 そういうと、高柳は一歩下がった。すぐさま記者たちの挙手が乱立し、森の内と高柳は回答に追われた。
 記者B。
「そのウイルスに感染するリスクは? 年齢や性別・職業、それから人種や国などで違いますか?」
 高柳。
「おそらくウイルスに暴露された場合の感染リスクは、平等だと思われます」
「平等と言われますと?」
「まず言っておきたいことは、特定の人種を狙って感染するウイルスはありません。国籍ならなおさらです。もしですが、年齢や性別や職業に関係なく平等に感染リスクがあります。ですから、職業に関していうと、医療関係者などのようにウイルスに曝される可能性が高い職業はそうでない職業に比べて感染リスクが上がります」
 記者C。
「ゴキブリやメガローチについてもう少し詳しく。対策はどうすればいいのか」
 森の内。
「ゴキブリ対策については、普段と同じでいいと思います。ただ、素手で触るのは止めてください。リスクはさっき申し上げた地域が高いですが、念のため他の地域でも気をつけてください。また、駆除業者の方は防御対策を強化するようお願いします。メガローチについては目撃例といくつかの写真だけで、まだ捕獲されていません。現在捕獲を試みているところです」
 記者C。
「その写真は見ることができますか?」
 森の内。
「はい、お見せは出来ますが、人との比較対象にしかならない程度の写真です。メガローチの全体写真もありますが、単なるゴキブリの拡大写真のようなもので、ちょっと電波に乗せてお見せするには問題がありますから……。いいですか、出しますよ。嫌いな方はしばらく画面を見ないでくださいね1・2・3で出しますからね、はい、いいですか、出しますよ~、はいっ! いち、にっ、さんっ!」
 という長い前フリのあと、森の内は警察官が蟲を捕獲しようとしているシーンを撮ったパネル写真を出した。会場からどよめきが上がった。

 写真を見て、輝海が母の方を見ながら言った。
「おかあさん、あれ、大きすぎるよね。メスのヘラクレスやないと?」
「違うよ。あんたね、見つけてもぜ~~~~~ったいに触ったり捕まえたりせんでよ。生き物になら、何でも興味を持つんだから、あんたは」
 恵実子は不安そうに息子を見ながら言った。気がつくと彼女は無意識に幼い息子を引き寄せ肩を抱いていた。
「もう、こんな時にまたお父さん、なんで出張なんよ。裕海ゆみも友達と出かけているし……」
 そのころ次女の裕海は、友人と駅中の大型モニターに映し出されてた緊急放送を見ていた。周囲にだんだん人が集まってきて、モニター中心に半円状に人だかりがどんどん広がっていた。皆不安そうな表情でモニターを見上げている。人が増えるにつれざわめきで音声が聞き辛くなってきたが、画面下の同時テロップでなんとか内容がわかった。
「裕海、これほんとなんやろか」
「そりゃあ、わざわざ緊急で放送するくらいなんやから、ほんとやろ」
「ドッキリテレビとか」
「ばかやね。こんなドッキリやったら騒乱罪かなんかでテレビ局の人全員逮捕されちゃうよ」
「だってこんなの映画みたいやん」
 その時、大型モニターに映し出されたメガローチ画像にあちこちから悲鳴が上がった。当然裕海の友人もぎゃあと言って裕海にしがみついた。
「効果テキメンやね……」
 裕海は若干引きつった表情でつぶやいた。


「あ、センター長室で見せてもらった写真だ!」
 由利子が即、言った。
「よくペットとして飼われているマダガスカル・ローチとかいうのではないんですの?」
 と、紗弥。ギルフォードは画面から眼を背けて言った。
「ぜんぜん違いますよ。でも、僕にはあんなものをペットにしたがる神経がワカリマセン!」
「でも、知事ってば、きっとアレクのためにあんな注意をしたんだよね」
「ずいぶん長い前フリでしたものね」
バラエティやってた頃昔の仕事の癖じゃないんですか?」
 と、ギルフォードは不機嫌そうに言った。
「まあ、先生もあの虫がお嫌いなんですの?」
 聡子がくすっと小さく笑いながら言った。ギルフォードは肩をすくめながら答えた。
「ええ。男の癖にふがいないですが……」
「そんな、苦手なものに性別年齢はありませんわ。私もあれは生理的にダメですの。死後、そんなものにたかられてしまった母のことを思うと、恐ろしさと悔しさでいっぱいになります。せめて、誰かが同居していたら、それだけでも防げたのに……。私たちは親不孝者です」
 聡子はそういうとまた、目頭を押さえた。
「ご自分を責めないで。誰にでもどうしようもないことがあるんです。でも、これはご遺族にとっては辛い告知ですね。だけどこれからのことを考えるなら、見ておいた方がいいです。大丈夫、僕たちがついてますよ」
 ギルフォードは聡子の背に手を置いて優しく言った。紗弥がかすかだが困ったような顔でそれを見ていた。付き合っているうちに、なんだか由利子は紗弥の微妙な表情の移り変わりがわかってきたような気がした。

「こりゃあでらおでれぇ~たがね。テレQ(テレ東の九州局)まで、やっとるらしいでよ。地球最後の日が来てもアニメ流しとるだろうって言われとる局なんだが」
 帰路につきながら、車のラジオでウイルスに関する告知を聞きつつ、スマートフォンで放送をチェックしていたジュリアスが言った。
「アレクも君も、ホント、妙なことに詳しいなあ」葛西が運転をしながら呆れて言った。「ということは、これをやってないのはNHKの教育テレビだけってこと?」
「いや、Eテレもやってるぞ。昭和天皇が崩御された時、唯一通常通りの番組を流しとったが、それだけ今回は非常事態ってことだな」
「ほんとにもう、なんでそんなことまで知ってるんだよ……。あ、今の捕獲を試みているってとこ、僕たちのことだよね」
「今日は、結局小物ばかりだったけどな」
「調子に乗ってサンプルを採りすぎたので、結局半分ほどにまた分別したし」
「明日、ちゃんとホイホイにかかっとるとええがねえ」
「そうだね。考えたらちょっと気持ち悪いけどね」
 葛西が若干引きつった笑顔で言った。

                 (発出:2009年4月)

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豊島家については短編エピソード「豊島家、ある夜の話」参照。
https://www.alphapolis.co.jp/novel/875068611/837431319/episode/4384265
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