朝焼色の悪魔 Evolution

黒木 燐

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第二部 第三章 流転

2.リーグ~同盟~

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 由利子は、美葉が暗い場所で泣いている夢を見て眼が覚めた。
 時計を見ると7時を数分過ぎたくらいだった。いつもより1時間ほど遅いが、昨夜寝たのが4時くらいだったから、ナポレオン並の睡眠時間である。しかし、ギルフォードが言った就寝前のホットミルクが効いたのか、思ったよりよく眠れたような気がした。しかし、由利子は目覚める前に見た夢が気になった。
「美葉……、ホントにあんな風に泣いてるんじゃないやろうか……」
 そう思うと朝から悲しかった。
(昨日のことが全部夢だったらいいのに)
 由利子は思ったが、テレビを見てもネットを見ても今日が金曜日であることは疑いようがなかった。由利子は重い気持ちと身体を奮い立たせて、いつもより1時間遅いジョギングに出かける準備を始めた。

 ジョギングから帰ると、いつもより少し遅い朝食を済ませ、午前中時間が空いているので、昨日の観光記事をブログに書き始めた。しかし、楽しかったあのひと時を書き残したいと思いながらも、美葉のことが気になってなかなか進まない。
「はああ~」
 と、ため息をつきながら机に突っ伏した時、インターフォンが鳴った。時計を見ると、まだ9時半ごろだ。誰だろうと思って急いで確認すると、地味なスーツを着た二人組みの男が立っていた。美葉の可能性を少しだけ期待していた由利子だが、当然のこととはいえがっかりした。気を取り直して呼びかける。
「はい、どちら様でしょうか?」
「中央警察署、刑事課の者です。多田美葉さん拉致事件の件で伺いました」
 男の片方が、モニターで見られるように警察手帳をかざしながら言った。
「あ、は~い、今開けます」
 由利子は急いで玄関に向かった。
 刑事たちは、一人が40代くらいで背はあまり高くなく、筋肉質ではあったが若干太り気味である。もう一人は葛西よりは若干年上の30代前半くらいで、背が高くがっしりとした体つきの、一昔前の刑事物ドラマによく出てくるステロタイプな刑事そのまんまな感じだった。由利子は若い方より先輩らしい刑事の方が気になった。何かに似ている……。しかし、それが何か思い出せない。
(なんか、どっかでよく見るんだよな、こういう感じ)
「あの、どうかされましたか?」
 由利子が黙ったまま何も言わないので、若い方が怪訝そうに尋ねた。
「あ、すみません。えっと、美葉の件ですよね」
「そうです」と年上の方が言った。
「あ、紹介が遅れました。多田美葉さん拉致事件の担当になりました、私は富田林とんだばやしで、こっちは増岡です」
「篠原です。美葉のこと、よろしくお願いします」
「それで……」
「あ、上がってください。話が話ですから玄関では何ですので。お茶くらい出せますから」
 由利子が言うと、富田林は遠慮なく答えた。
「じゃあ、お言葉に甘えて……。いやぁ、悪いですねぇ」
 むさくるしい男二人は、少し照れくさそうに室内に入って来た。
「部屋の方は散らかってますし、猫が怖がるのでキッチンのテーブルでいいですか?ちょっと狭いけど」
「いえいえ、座れるだけでありがたいです」
 二人は由利子に勧められるまま、椅子に座った。
「一人暮らしなんですか?」
 富田林はが尋ねた。
「ええ。気楽なものですよ」
 お茶を入れながら由利子が答えた。
「じゃあ、こんなむさいオッサンが二人も上がっちゃあ不味かったですね」
「あはは、そんなことないですよ。だって警察の方でしょ?」
 そう言いながら由利子は思った。
(そういえば、この部屋に父親以外の男の人を上げるのって初めてよね)由利子は思った。(夢では昨夜アレクがいたけど)
「多田さんとはお付き合いは長いんですか?」
「ええ。そうですね、子供の頃家が近かったから……もう30年以上の腐れ縁ですかねえ」
「えっ、30年以上?」
 若い方の増岡が驚いて言ったので、由利子は苦笑いした。
「意外と歳食ってるので驚きました?」
「あ、いえ……」
「おい、増岡。いつも脊髄反射は止めろって言っとるやろ」
「すみません」
 富田林に注意されて、増岡は下を向いた。
「あ、気にしないで」由利子はお茶を配りながら言った。「若く見られたってことだから、嬉しいです。大目に見てあげてくださいな、富田林さん」
 そういいつつ、富田林を見た由利子は、さっきから気になっていた疑問が一気に氷解したのを感じた。
(この人、ふっ○い君に似てる……! 制服を着たらそっくりだわ)
 由利子は、富田林がF県警マスコットに似ていることにようやく気がついた。謎が解けて嬉しくなったが、由利子はそれ以来噴き出しそうで、富田林をまともに見ることが出来なかった。 

 教主は、長い朝のお祈りを終え、立ち上がった。ここは教主専用の祈祷室で「ニュクスの間」と呼ばれていた。瞑想の間に比べるとささやかともいえるつくりだが、黒をベースに金の装飾が施され、その中で沢山の蝋燭ろうそく燦然さんぜんと輝き幻想的な雰囲気を漂わせていた。部屋の奥には祭壇が飾られ、さらに多くの蝋燭が美しい模様を形どって輝いていた。その真ん中に神像が飾られていた。男とも女とも見える神秘的な美しい白亜の像である。
 教主がゆっくり振り返ると、後ろに控えていた二人の御付の者は、うやうやしく頭を下げた。
「二人とも、お待たせしましたね。さあ参りましょう。頭を上げてください」
 その御付の片方……女性の方が言った。
「長兄さま。遥音先生が何かお話されたいということで、控えの間で待っておられます」
「そうですか。何の用でしょうね。すぐにお通ししてください」
 涼子は、控えの間でじっと教主のお目どおりを待っていた。ようやく祈祷室の戸口が開き名を呼ばれた。涼子は立ち上がって祈祷室に向かった。中は洞窟のように感じられた。その暗い洞窟を数多の蝋燭が照らし、御付の者たちと教主を真っ黒いシルエットに浮かび上がらせていた。教主のシルエットが言った。
「いらっしゃい、遥音先生。何かあったのですか?」
「はい。大事なお話があります。お人払いを……」
「わかりました」教主は御付の者たちに向かって言った。「私はここでもう少し先生とお話をします。あなた方は先に行ってください」
 二人は深くお辞儀をすると、ニュクスの間から出て行った。二人は蝋燭の光の中向かい合った。二人の周りの空気が緊張を帯びたような感じがした。教主は、再び神像の方に向かって座った。涼子もその斜め後ろに座る。
「さて、ご用件は何でしょう?」
 教主は、からかうような口調で言った。
「もう、ご存知でしょう?」
 涼子は、出来るだけ感情を押し殺して言った。
「私の夫が再び事件を起こしました。今度は警察も動き出しました……」
「ああ、そのことですか」
 教主はかすかに笑って言った。涼子は、辛そうに顔をゆがめて続けた。
「若い夫婦と公安警察の二人を襲い、愛人の美葉さんを誘拐して再び姿をくらましました。今回結城は直接人に手をかけています。確実に指名手配されるでしょう」
「まったく……。君の夫にも困ったものだな」
 教主の口調が変わった。
「昔はああじゃありませんでした」
 涼子は目を伏せながら続けた。
「少し自分を卑下し人を羨むようなところもありましたが、優しい人でした。ここ2・3年で急にあのような粗暴な人になりました。……長兄さまが結成された秘密結社『タナトスの大地』に入会してからです」
「彼は、私の理想に賛同してくれた。だから、特別に入会させ重要なポストにつかせたんだ。お偉い妻を持った負い目があったようだからね。だが彼は増長し、私を裏切って勝手にウイルスを仕掛けた。そして皮肉にもそれは成功し、すでにわかっているだけで10人以上の死者を出し、今もそれは増殖を続けている。まだそれに気がついているのは一部の人間だけだけどね」
「その一部の者たちが問題です。知事や警察がすでに現状を把握しています。おそらく結城が実行犯だということも」
「何、連中はまだ何も出来ないさ。現在の死者数と経済的パニックを計りにかけると、早々に事実を発表するわけにもいかないだろう」
「しかし、人を傷つけた結城は確実に追われるでしょう。何れは我が教団との関連も……」
「大丈夫だ。彼を我が教団と関連付けることは出来ない。彼は教団とは関わっていないだろう。直接『タナトス』の方に入ったからね。『タナトス』は、完全な地下組織だからね。まだ公安すらそれを把握していないはずだ。
 ところで、我々が実験的に日本中に仕掛けたウイルスは何箇所だったかね」
「首都を含む5箇所です」
「それがことごとく失敗して、単に結城が私怨で仕掛けたウイルスだけが増殖するとは皮肉な話だな」
「はい。その前にK市で、インフルエンザの組み換えウイルスを使って実験した時は上手く行ったのですが……。やはりウイルスの感染力の差でしょう。タナトス・ウイルスの場合、やはりエアロゾルでは感染力が弱いようです。結城は、ターゲットにほぼ『原液』を浴びせたようですが、それは感染者の血液を注射した時とほぼ同じ感染力があります。それに、感染可能なのは、人間と我々が『蟲』と呼んでいるゴキブリのみですし、ウイルス自体は直射日光に当たるとすぐに死滅してしまいますから」
「確かに他の動物にも感染すれば、ヒトへの感染の確率はかなり上がるだろうが、動物たちをも死なせてしまうだろう。それで無くともヒトという種に絶滅に追い込まれている彼らまで殺しては、本末転倒だ。だから、君にヒトとゴキブリのみに感染するようなウイルスを注文したわけだ」
「ヒトもゴキブリも要らないものと……?」
「バカを言っちゃいけない。ゴキブリは野生ではちゃんとした掃除屋の役割を担っている。ヒトのように汚して回るだけの生き物ではない。ずっと上等な生き物さ。それに感染しても生き残った彼らは、もっと強い種になる。スーパーローチだな」
 教主は愉快そうに笑いながら、涼子の方を振り向いた。彼の美しい顔立ちが蝋燭の光で凄みを増して見え、涼子は心ならずもドキッとした。
「遥音先生、ご安心ください。彼は我々がこれまで以上に全力をつくして、警察より先に探し出して見せますよ」
 教主は口調をいつも通りに戻して言った。涼子はその教主の目をまっすぐに見て言った。
「あの人は、もうどうでもいいんです。ただ、巻き添えで誘拐された美葉さんを助けてあげてください。今の結城は、彼女に何をするかわかりません」
「ほお、愛人の心配をされますか。お優しいことです。そのお気持ちをずっとお忘れのないように。彼女の救出ももちろん視野に入れていますからご安心ください」
 教主は、優しい笑みを浮かべながら言った。涼子は教主の真意を図りかねたが、深く礼をしながら感謝の言葉を述べた。
「ありがたいお言葉を戴き、気持ちがかなり落ち着きました。美葉さんの保護をよろしくお願いいたします」
「お任せください。ですから、先生は今までどおり何も気にせずに研究に励んでください。お姉さんの病気の治療法を1日も早く見つけるためにね」
 涼子は無言で再び深く礼をしてから部屋を出て行った。涼子が去った後、教主は自分の右手を広げ数秒間見つめた後、軽く掌を握ると微かな笑みを浮かべてつぶやいた。
「夫婦ともども私の掌の上……か」
 そして、再び神像の前に跪くと静かに祈り始めた。
 
 由利子の部屋を出た富田林刑事らは、車に乗るともう一度事件現場である美葉の部屋に向かった。
「特に、昨日以上の証言は無かったですね」
 増岡が、運転をしながら言った。富田林は助手席でメモを整理しながら言った。
「そうだな。最近まで数年間疎遠だったって言ってたしな。付き合いが再開した途端にこの事件ってわけだ」
「何か因縁を感じますねえ」
「馬鹿なことを言うんじゃないよ。せめてマーフィーの法則とか」
「今時それを言う人こそ、あまりいないんじゃないスか? それにしても……」
 増岡は、ちょっと嬉しそうに言った。
「猫可愛かったですねえ……」
「そうだな。俺はカミサンが猫嫌いだから飼えねぇからな。いいよな、癒しになって」
「僕、スマホで写真撮らせてもらったから、待ち受け画面に設定します」
「いいな。俺も出来たらそうしたいけど、カミサンがなあ……」
「でも、勤務中に猫撫でたりしてて良かったんでしょうか?」
「まあ、動物をネタに市民との交流を図るのも、警察のイメージアップとしてはいいんじゃないか?」
「そうですね、動物好きの優しい刑事さんって感じで」
「ところで、あの篠原由利子、途中から俺の顔をまともに見なくなったんだけど、何でかな」
「さあ?」
「よくあるんだよな、こういうこと。特に制服を着てる時さぁ」
(そりゃあ、あなたがふ○けい君に似ているから……)
 増岡は心の中で思ったが、口には出さずに適当に誤魔化した。
「そうなんですか? 不思議ですねえ」
「お前も最初の頃は、俺の顔を見て話さなかったよな?」
「(今は見慣れましたからね)え? そうでしたっけ?」
「まあいいや、それより、今署内でも話題になり始めたバイオテロとの関連だが、どう思う?」
「う~ん」
 増岡は、うなりながら言った。
「僕は、そんなことが起こっていること自体、まだピンと来ていませんからねえ」
「そうだよな。特に、この誘拐事件の犯人がテロの実行犯の可能性だなんて余計にだよな」
 彼らがピンときていようがいまいが、確実に病原体は広がっていた。いずれそれは彼らの上にも暗雲としてのしかかってくるのだが、今の彼らには目先の事件解決しか念頭に無かった。

「あの人たち、猫見に来たんやろか、ねえ、にゃにゃ子、はるさめ」
 由利子は、部屋で猫達を撫でながら言った。彼らは一通り質問をした後、遠慮がちに猫を見たいと言い出した。もちろん、由利子もそういわれると嬉しいので、人見知りをしないにゃにゃ子を連れてきて刑事達に見せた。彼らはいきなり相好を崩してにゃにゃ子を撫で、口調がいきなり幼児語っぽくなった。
(ごつい刑事が二人、猫萌えしとぉ……。しかも、その一人は○っけい君・・。)
 由利子は、笑い出しそうになるのをこらえながら、半ばあきれてそれを見学していたのだった。
「まあ、動物好きに悪い人はいないって言うからね、きっと二人ともいい人なんやろね。いい人たちが担当でよかったね、美葉」
 由利子は、写真の美葉に向かって言った。それは、昔旅行に行った時の写真で、まだ20代の二人が楽しそうに笑って写っていた。今朝アルバムから引っ張り出して飾ったのだ。美葉が無事に帰ってくることを祈って。
「この頃はまだ夢がいっぱいあったような気がするな……。まだ怖いもの知らずで無敵やったよね」
 由利子はため息をついて言った。
「私は無職、美葉は行方不明……。そして、二人ともバイオテロなんかに関わっちゃってさ~。一体なんだっていうんやろ。私ら、何か悪いことした?」
 由利子はまた、気分が滅入ってくるのを感じた。それで、由利子は窓に向かった。外を眺めると、昨日に引き続き晴天である。由利子は気分転換に窓を開けた。そろそろ日差しが強くなってきそうだが、窓から入る風は梅雨前で若干湿気を含んでいるものの、まだ涼しかった。
「美葉……。あんた、今、一体どこにおると……?」
 由利子は流れる雲をぼんやりと見ながらつぶやいた。

 昼休み、食後図書館に行くために廊下を歩いていた彩夏あやかは、ふと窓から外を見た。なんとなく気になる光景が目に入ったからだ。確認しようと窓に近づく。やはりそうだ。校庭の裏庭の片隅で、佐々木良夫と田村勝太が、何か真剣な顔で話をしていた。不審に思った綾香は急遽予定を変更、返す本を持ったまま階段を駆け下り、靴を履き替えるのももどかしく、急いで二人の下に向かった。
 珍しく自分の方に駆けて来る彩夏を見て、勝太はニコニコしていたが、良夫は若干不機嫌な顔をしながら近づく彩夏に言った。
「何の用だよ。西原君ならまだ病院だよ」
「そんなの知ってるわよ」
 彩夏は、彼らの傍まで来ると少し息を弾ませながら言い、さらに数秒間を置いて続けた。
「珍しい顔ぶれで一体何の話をしてるのかしらと思って」
「そんなこと、あんたに関係ないやろ」
 良夫はあくまでも彩夏に冷たい。勝太は、こんな可愛い子に話しかけられて、何の不満があるのだろうといぶかしく思った。彩夏はそれを無視して二人に言った。
「あのね、私も同じ事件に関わっているでしょ。外さないでよね。口止めされてるから誰にも言えないから辛いんだから。それに、どうせ言っても誰も信じてくれないし。でも……」
 彩夏は不安な顔をして口ごもった。
「錦織さん、ひょっとして……」勝太が言った。「誰かにそのことを聞かれたっちゃないと?」
「ええ、ええ、そうなの。……田村君、ひょっとして、あなたも?」
 彩夏は勝太の顔をまっすぐ見て言った。彩夏にそんな風に話しかけられて、勝太はすこし嬉しくなった。
「うん、一昨日。今、ぼくらはその話をしていたところなんだよ」
 勝太は、若干ぎこちない標準語で言った。彩夏はそんな勝太に向かって訊いた。
「その人って、わりと若い女性で、美人でスタイルの良い……?」
「そうそう、その人!」
「もしかして、佐々木……クンも?」
「会ったよ。ボクは昨日。君みたいなな感じの女やったけどね」
「一体どこで嗅ぎ付けて来たのかしら……」
 彩夏は良夫の挑発を無視して、腕を組みながら小首をかしげて言った。この事件を嗅ぎまわっている女がいるのは確実だった。
「いらん事をしゃべったりしとらんやろうね」
 良夫は訝しげに彩夏を見ながら言った。
「言うわけないじゃないの。徹底的に無視してあげたわよ。って、あんたこそどうなのよ」
 彩夏はむっとして言うと、良夫も負けじと答えた。
「ボクだって無視したよ。だいたい、男がみんな田村君みたいにフラフラついて行くって思ってんだよ、ああいう女は!」
「田村君、ついて行っちゃったの?」
 彩夏が驚いて田村の方を見ながら言った。勝太は焦って答えた。
「あのね、ぼくは、そんなんでついて行ったわけじゃないよ。あの人がどれだけ何を知っているか知りたかっただけだよ。そりゃあ、ちっとはクラクラ来たけどさ」
「やっぱ、そうなんじゃん」
 良夫と彩夏は口を揃えて言い、はっと気が付いて「ふん!」とそっぽを向いた。ベタだな、と思いながら勝太は話を続けた。
「お……ぼくは、最初にあの人から、雅之の死に疑問を持たなかったかって聞かれて、驚いたんだ。だって、普通は自殺って思うだろ? それで、何を聞いてくるかって思ったんで、ついていったんだよ。事故の状況については、ぼくは辛くて説明できないっていったんだ。本当のことだしね。そしたら、あの人話題を変えてきたんだ。大きい外人の男が関わって来なかったかって聞いたんだよ」
「それ、やっぱギルフォードさんのことやろ?」
「他にいないわよ、そんな人。私はあの時病院で少ししか話さなかったけどさ、目立つよ、あの人」
「何が少しだよ。ボクにギルフォードさんと話す機会をほとんどくれずに、一人で質問してたじゃないか」
 良夫がむっとした顔で言った。彩夏は良夫の方を向くと、両手を腰に置いて答えた。
「だって、わからないコトだらけだったんだもん。だいたいギルフォードさんギルフォードさんって、あんた、気持ち悪いわよ」
「で、でさ」
 勝太は二人の雰囲気が悪くなる一方なので、焦って口をはさんだ。
「適当に誤魔化そうって思ったんだけど、ついフェイントを受けて、病院の名前とか、ギルフォードさんに会ったこととか言っちゃったんだ。それで、気になって良夫に相談してたんだ」
「どういうフェイントだか」
 彩夏があきれて言うと、良夫が珍しく同意して言った。
「まったく、下手の考え休むに似たり、やね。で、さっきの続きやけど、そこまでやって、あの女が何処まで情報を掴んでるかわかったと?」
「ああ、雅之がホームレスを……。」
 と、言いかけて、勝太は彩夏を見た。
「そのウワサはもうみんなが知ってるわ。気にしないで続けて大丈夫よ」
「う、うん、わかった。……雅之のホームレス事件とその時西原君が傍にいたってこと、雅之が事件を悔やんで自殺したんじゃないか、ってこと。でも、彼女はそれを疑問視してる。それから、ギルフォードさんになんか興味を持っているみたいだってことくらいかな」
「たいした情報じゃないじゃん。秋山君の話は、周知のことだし」
 彩夏が言うと、良夫がふっと含み笑いをして言った。
「甘いね。問題は、その女がどうしてギルフォードさんのことを聞いてきたかってこと。ギルフォードさんについてはボクたちしか知らないことやし、ひょっとしたら、例の病気について何か掴んでいるのかもしれんやろ」
「そうなんだよ、錦織さん。あの女の人は、雅之の死に疑問を持ってるんだよ。ただの自殺や事故死じゃないって。そこから例の病気のことを突き止めたのかも知れないんだ」
「で、何故、彼女はそんなことを調べてるっていうの?」
 二人に言われて彩夏は少しお冠で言った。それに良夫が深刻な顔をして答えた。
「ボクはマスコミ関係者じゃないかって思うんやけど」
「え? あのデカパイが?」
 そう言ったのは、なんと彩夏だった。勝太は驚いてぽかんとして彩夏の方を見た。彩夏はつい口に出た言葉に焦って、真っ赤になって口を押さえた。良夫はまた含み笑いをして言った。
「まあ、そんな感じで女性だって見かけによらないってことやね」
「と、とにかく」勝太は彩夏が良夫に突っかかりそうになったので、急いで口を挟んだ。「このことは、ギルフォード先生に報せたほうがよかっちゃ……いいんじゃないかな」
「ボクが電話しておくよ。西原君のことも聞きたいし」
 良夫は言ったが祐一の名を出した時ちらりと彩夏を見た。
「じゃあ、お願いしておくわね」
 彩夏は、見事にそれを無視して言った。
「その人が田村君に接触してから、すでに2日経ってるから急いだほうがいいわ」
「わかっとぉ。今日放課後連絡してみる」
 良夫は、少し口を尖らせて言った。彩夏は二人を見ながら言った。
「私達は、西原君も含めて恐ろしい事件に巻き込まれちゃったのよね。だから、私達4人はリーグを組まないといけないの。お互いが協力しあわないと、不安に飲み込まれてしまうわ。だって、それぞれの胸にしまっておくには、事件が大きすぎるもの。だから、お互いの情報は公開し合っていかないと……」
 雅之から発生した事件に関わった4人をまとめようと考えたのは、他ならぬ彩夏だった。彼女は美千代の事件に関わり、祐一たちと共にギルフォードから質問を受けた。その時、逆に彼を質問攻めにして辟易させたのも彩夏だった。傍にいた良夫やまだショックから覚め切れていない祐一が、驚いて彩夏を見ていた。
 彩夏はその後、雅之の死に関わった勝太に話しかけた。その時、雅之の病気について報せたのが勝太であり、彼はそのために例の病院に連れて行かれ、ギルフォードに会ったということを知った。そして、彩夏は良夫も勝太もかなり精神的にダメージを受けていることを感じていた。彩夏本人は、悲惨な現場を目の当たりにしていないため、まだ余裕があった。それで、事件に関わった自分を含めた四人が支えあうような協力体制を考えたのだ。これなら個々にのしかかる負担が四分の一に軽減されるはずだ。誰にも言えないことほど辛いことはないということを、彩夏は経験上知っていた。
「あの女性も気になるけど……」彩夏は続けた。「事故現場で田村君に秋山君の病気のことを教えたっていう女医さんも気になるのよね。まるで病気のことを知っていたよう……」
「うん。今考えるとそうだね。でも、その時は医者だから当たり前だって思ってたから……」
「え?」
「通りがかりのお医者さんに感染症のおそれがあるって言われたとしか説明しなかったんだ」
「あんた、バカじゃないの?」
 彩夏が言った。
「何でちゃんと説明しなかったの? あんたの話を聞いたとき、私だってその女医はメチャメチャ怪しいって思ったわよ。それにその人に会ったのって君だけなんだよ」
「だって……。オレ……、あん時すごくショック受けとって、ホントに全然まともに答えられんかったんだ。そんなことまで頭に回らんかったんだよ」
 勝太は、彩夏に言われて半べそをかきながら言った。それを見て、流石の良夫も気の毒になったのかフォローに回った。
「田村君、そのことはボクが電話した時ついでに伝えるから……。錦織さん、田村君を責めるのは可哀想だよ。実際に悲惨な事件を目の当たりにするとね、すごく辛いんだよ」
「わかったわ。ごめんなさい……」
 彩夏は素直に謝った。
「とにかく、もうすぐ帰って来る西原君も含めてお互いが協力しあいましょう。これからも何がおこるかわからないし」
「西原君、立ち直れるかなあ……」
 勝太は心配そうに言った。
「大丈夫だよ」
 良夫が言った。
「西原君は強いもの。きっと帰ってくる」
 その時、昼休みが終わるチャイムが鳴った。
「いっけない、結局図書館へ行けなかったわ」
「早く教室に戻らないと!」
 良夫はそういうと駆け出した。後の二人もそのあとを追った。誰も居なくなった校庭を、午後の日差しが照り付け始めた。
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