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第4話「じゃあ結構です」
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「ありがとうございました! 素敵な夜を!」
――翌日。
ガトーショコラを手にした老夫婦に向けて、リーゼロッテは明るい声で客を送り出した。老婆はにこりと彼女に微笑みかけ、老夫は照れくさそうに早々に店を出て行く。
今日の客層は比較的年齢層が高かった。学生は早い時間にちらほら見かける程度で、それ以外の客は大人ばかりだ。前日と比べ、焼き菓子より洋菓子の売り上げが伸びた。ディスプレイされているケーキケースの中には、洋菓子はほとんど残っていない。
ラズは焼き菓子の棚にある商品を整列させながら、壁に掛かった時計に視線を向ける。七時五十七分。このまま進めば、何事もなく一日が終わりそうだ。
明日からはやっと甘ったるい空気から解放されるのか。そう思うと、肩の荷が下りる気がした。
「リーゼロッテ、お疲れ様! はい、ハッピーバレンタイン」
「わあ、ありがとうございます!」
後営業時間が一分残っているにもかかわらず、客の来ない店内はすっかり終業モードだった。
カウンター奥に座るリーゼロッテに、女店主ゼナイドが焼き菓子の箱を差し出す。黒字の紙に金色のリボン。正方形のそれには、それぞれ色や形の違うチョコレートが九つ入っている。バレンタイン用に販売していた商品の中で、一番値が張る品だ。店の売りであるショコラティエ・オーギュストが、昨日熱心に作成していたチョコレートの一部である。これは今日だけで五十は捌けた商品だ。
ゼナイドは満面の笑みで受け取るリーゼロッテを満足げに見つめると、未だ熱心に仕事を続けるラズの元に向かった。
「あんたにも、バレンタインのチョコだよ」
ゼナイドは、リーゼロッテに渡したものと同じ箱をラズに差し出した。彼は受け取る前に、それをじっくり見つめる。空っぽのケーキケースに視線を向けた後、差し出された箱に手を伸ばした。
「どうも。売れ残りですね」
ラズが箱を掴もうとした瞬間、ゼナイドがその手を振り上げた。
「給料分から天引きしてやろうか」
「じゃあ結構です」
「あんたは本当に可愛くないねえ」
男が可愛くても仕方ないですよ――と言いたかったが、ラズはそれを飲み込んだ。話が長くなるからだ。
ゼナイドは、チョコレートの箱を左右に揺らした。箱の中では、チョコレートがゴロゴロと動く音が響いた。ショコラティエ泣かせだが、それにはかまわず、やれやれとため息をついた。
「ま、きちんと職務を果たした褒美に一つくれてやるよ。浮かれた客への愛想笑いも頑張ってたことだしねえ」
「……そりゃどうも」
今度こそ渡されたチョコレートを、ラズは黙って受け取った。
女というのは、どうしてこうも周りを見ているのかと恐ろしくなる。意中の相手があんなにぼやっとしているのだから、余計。百歩譲ってゼナイドとエイミーはまだしも、あの二人とリーゼロッテが同じ人間というのはどうにも想像がつかない。
時計の針が八時ちょうどを示すと、ゼナイドは太い手のひらを二度叩いた。乾いた音がショコラトリーの中にこだまする。
「はいはい、明日は休みだ! さぁみんな帰った帰った」
厨房の奥にも聞こえるような大きな声で言うと、ゼナイドはカウンターの奥に向けてコツコツと歩いて行く。道中にあるバレンタイン用のポップを剥がしながら、レジカウンターを引き出した。
カウンターの中から硬貨が小気味よい音を立てる。そこには、金銀銅といった様々な色のものがみっちりと詰まっていた。
それを見て、ゼナイドはにんまりと怪しげな笑みを浮かべる。目は見開き、口の端はつり上がっている。おまけに、喉の奥からくくくっと高い声が漏れ聞こえた。
子供が見たら十分は泣き続けるであろう、あまりにも危ない笑みだ。
――どうやら相当儲かったらしい。
ゼナイドのにんまり顔に背を向け、ラズは店の裏へ向かった。
ラズは制服を早々に片付けると、手荷物をまとめる。普段使うショルダーバッグの隣に、茶色の紙袋が立てかけられていた。中には赤いリボンでラッピングされた、正方形の箱が入っている。ラッピングペーパーには、お節介にも「ハッピーバレンタイン」の文字が印刷されていた。
ラズはその紙袋を不愉快そうに見つめた。
中身はリーゼロッテへのプレゼントに選んだ、白と桃色が基調の、造花のアレンジが入っている。
この機会に告白するのも世間に乗せられているような気がして嫌だったし、こんなベタな場面で気持ちを伝えるのはプライドが許さない。
が、何も渡さないというわけにはいかなかった。それを後押ししたのは、結果的に昨晩のエイミーの「リーゼロッテってモテそうだけどね」の言葉である。彼にとっては余計な一言だったが、何かせざるを得なくなってしまった。
エイミーのせいって、それはそれで癪なんだけど――ラズは奪い取るように、その紙袋を乱暴に手に取った。
――翌日。
ガトーショコラを手にした老夫婦に向けて、リーゼロッテは明るい声で客を送り出した。老婆はにこりと彼女に微笑みかけ、老夫は照れくさそうに早々に店を出て行く。
今日の客層は比較的年齢層が高かった。学生は早い時間にちらほら見かける程度で、それ以外の客は大人ばかりだ。前日と比べ、焼き菓子より洋菓子の売り上げが伸びた。ディスプレイされているケーキケースの中には、洋菓子はほとんど残っていない。
ラズは焼き菓子の棚にある商品を整列させながら、壁に掛かった時計に視線を向ける。七時五十七分。このまま進めば、何事もなく一日が終わりそうだ。
明日からはやっと甘ったるい空気から解放されるのか。そう思うと、肩の荷が下りる気がした。
「リーゼロッテ、お疲れ様! はい、ハッピーバレンタイン」
「わあ、ありがとうございます!」
後営業時間が一分残っているにもかかわらず、客の来ない店内はすっかり終業モードだった。
カウンター奥に座るリーゼロッテに、女店主ゼナイドが焼き菓子の箱を差し出す。黒字の紙に金色のリボン。正方形のそれには、それぞれ色や形の違うチョコレートが九つ入っている。バレンタイン用に販売していた商品の中で、一番値が張る品だ。店の売りであるショコラティエ・オーギュストが、昨日熱心に作成していたチョコレートの一部である。これは今日だけで五十は捌けた商品だ。
ゼナイドは満面の笑みで受け取るリーゼロッテを満足げに見つめると、未だ熱心に仕事を続けるラズの元に向かった。
「あんたにも、バレンタインのチョコだよ」
ゼナイドは、リーゼロッテに渡したものと同じ箱をラズに差し出した。彼は受け取る前に、それをじっくり見つめる。空っぽのケーキケースに視線を向けた後、差し出された箱に手を伸ばした。
「どうも。売れ残りですね」
ラズが箱を掴もうとした瞬間、ゼナイドがその手を振り上げた。
「給料分から天引きしてやろうか」
「じゃあ結構です」
「あんたは本当に可愛くないねえ」
男が可愛くても仕方ないですよ――と言いたかったが、ラズはそれを飲み込んだ。話が長くなるからだ。
ゼナイドは、チョコレートの箱を左右に揺らした。箱の中では、チョコレートがゴロゴロと動く音が響いた。ショコラティエ泣かせだが、それにはかまわず、やれやれとため息をついた。
「ま、きちんと職務を果たした褒美に一つくれてやるよ。浮かれた客への愛想笑いも頑張ってたことだしねえ」
「……そりゃどうも」
今度こそ渡されたチョコレートを、ラズは黙って受け取った。
女というのは、どうしてこうも周りを見ているのかと恐ろしくなる。意中の相手があんなにぼやっとしているのだから、余計。百歩譲ってゼナイドとエイミーはまだしも、あの二人とリーゼロッテが同じ人間というのはどうにも想像がつかない。
時計の針が八時ちょうどを示すと、ゼナイドは太い手のひらを二度叩いた。乾いた音がショコラトリーの中にこだまする。
「はいはい、明日は休みだ! さぁみんな帰った帰った」
厨房の奥にも聞こえるような大きな声で言うと、ゼナイドはカウンターの奥に向けてコツコツと歩いて行く。道中にあるバレンタイン用のポップを剥がしながら、レジカウンターを引き出した。
カウンターの中から硬貨が小気味よい音を立てる。そこには、金銀銅といった様々な色のものがみっちりと詰まっていた。
それを見て、ゼナイドはにんまりと怪しげな笑みを浮かべる。目は見開き、口の端はつり上がっている。おまけに、喉の奥からくくくっと高い声が漏れ聞こえた。
子供が見たら十分は泣き続けるであろう、あまりにも危ない笑みだ。
――どうやら相当儲かったらしい。
ゼナイドのにんまり顔に背を向け、ラズは店の裏へ向かった。
ラズは制服を早々に片付けると、手荷物をまとめる。普段使うショルダーバッグの隣に、茶色の紙袋が立てかけられていた。中には赤いリボンでラッピングされた、正方形の箱が入っている。ラッピングペーパーには、お節介にも「ハッピーバレンタイン」の文字が印刷されていた。
ラズはその紙袋を不愉快そうに見つめた。
中身はリーゼロッテへのプレゼントに選んだ、白と桃色が基調の、造花のアレンジが入っている。
この機会に告白するのも世間に乗せられているような気がして嫌だったし、こんなベタな場面で気持ちを伝えるのはプライドが許さない。
が、何も渡さないというわけにはいかなかった。それを後押ししたのは、結果的に昨晩のエイミーの「リーゼロッテってモテそうだけどね」の言葉である。彼にとっては余計な一言だったが、何かせざるを得なくなってしまった。
エイミーのせいって、それはそれで癪なんだけど――ラズは奪い取るように、その紙袋を乱暴に手に取った。
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