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追加エピローグ「もうひとつの旅の終わり」
102 街道の夜-4
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けれど。クライヴは黙思の後、真っ直ぐに笑顔を向けるメルリアを思い浮かべた。彼女の純真さが今は眩しく、そして同時に羨ましくもあった。疑うことを知らないかのように、危なっかしい一面は持ち合わせているものの、彼女ならこうした迷いを抱えることもないのだろう。しかし、自分はメルリアではない。自分で納得して乗り越えなければならない。
戸惑いに揺れる瞳が、シャムロックの姿をわずかな時間捉える。月夜鬼という異種族であるが、見た目は人間と大差ないようだ。
種族が異なれど言葉は通じる。先日エルフ達に多分に世話になったように、理解し合えないわけではない。それぞれ異なる特徴を持つだけで、本質的な部分はきっと変わらない。要は、シャムロックという人物が信じられるかどうかだ――そこまで思い至ると、クライヴは一人頷いた。何度か視線が泳ぎ、カウンターにあるグラスと、奥の酒瓶を行き来する。膝の上で握り拳を作り、意を決して顔を上げた。シャムロックは相変わらず、こちらを静かに見据えている。
「一つだけ教えてくれないか。どうしてシャムロックは俺に対して『こうするべき』だとか、決めつけや意見をしないんだ?」
クライヴは真っ直ぐな視線で問いかけた。彼の言葉の真意を読み取ろうと、わずかな表情や声色の変化を見逃すまいと集中する。
自分のことがどうでもいいと言われたらそこまでだが、この返答で、彼の人間性が少しでも読めないかと考えた。賭けでもある。
思ってもみない言葉にシャムロックはわずかに動揺の色を見せたが、それも一瞬のことだった。表情や態度から動揺を瞬時に消すと、彼は姿勢を正す。
「思うことはあるが、あえて言わないだけだ。俺が何を言おうとも、最終的な判断はクライヴ自身が下すものだ。他人である俺が指図することはできない」
まるで突き放すような物言いに、クライヴは言葉を詰まらせる。本当に他者に興味がないだけなのか。質問を間違えただろうか。何か違う事を聞くべきか――。依然シャムロックの動作に集中しながら、クライヴは頭の片隅で考える。迷いと共に、作った握り拳から少しずつ力が抜けていく。
やがて、シャムロックは伏し目がちにカウンターのグラスを見つめる。氷は完全に溶け、その場所が丸い透明色に変わった。周囲に飲み込むような琥珀色が覆う。丸い輪郭がぼやける様に目をやりながら、彼は口を開いた。
「……人の心は他人が縛るものではないし、縛れるものでもない。誰にもそんな権利はない。あってはならない」
掠れた声でつぶやくと、シャムロックはグラスの酒を口に含む。透明色と琥珀色がわずかに混ざった。
クライヴは、その反応に初めて感情の揺らぎを見た気がした。シャムロックは普段からあまり表情を変えない。いかなる時も平常心を保ち、己のペースを崩すような様子は見せなかった。だからこそ、クライヴは今の揺らぎに人間臭さのようなものを感じた。恐らく、最後の言葉は本心から出た言葉なのだろうと理解もした。
感情が読み取りづらいだけで、それぞれ異なる特徴を持つだけで、本質的な部分は自分たちと何ら変わりはないのだ――先ほど、頭に浮かんだ言葉を繰り返した。
「なんていうか、すごいな。それが正しいって分かってても、中々そうは思い切れないというか……。昔聞いた、教会の説法を思い出したよ」
クライヴは固まった表情を少し解すと、膝で作っていた握り拳を完全に解いた。
シャムロックの言葉や意思はとても立派な考えであるが、それを実際に実行できるかどうかとなると話は別だ。まるで、教科用図書のお手本のような――子供の頃、教会で聞いた説教と近いところがあるように思えた。
「案外、修道士――というか、神父とか務まりそうだよな」
冗談めかして言うと、隣でゴトリと重い音が立った。
「……畏れ多いことを言うな、俺は月夜鬼だぞ」
妙なことを口走ってしまったか、とクライヴは思ったが、シャムロックの声に怒りは感じられない。少し速いペースで喋っただけだった。
念のため彼の方を窺う。複雑な表情をしていた。その表情にほっとすると、クライヴは口元だけで苦笑した。役職の難しさは理解しているが、例え話に対して「畏れ多い」と表現するなんて、ちょっと大げさすぎないか――と。
「さて……。そろそろ休むといい。遅い時間になってきた」
受付付近の壁掛け時計から、カチリと分を刻む音が鳴る。時計の長針と短針は、それぞれ反対方向を示していた。
時刻は一時三十七分。随分と長い時間話し込んでしまったようだ――。グラスに半分ほど残っていた水を一気に呷る。口の端からこぼれた滴を腕で拭い、クライヴは席を立った。
「シャムロックは寝ないのか?」
「元々、俺はこの時間に調子が出る。あまり眠くはないな」
「そうか……」
彼は本当に月夜鬼なのだと……月夜鬼とは、本当に人間と生きる時間が違うのだなと改めて感じながら、クライヴは部屋へ戻った。
抱えていたわだかまりがひとつ解けたおかげで、部屋に戻ったクライヴの意識は、あっという間に沈んでいった。
戸惑いに揺れる瞳が、シャムロックの姿をわずかな時間捉える。月夜鬼という異種族であるが、見た目は人間と大差ないようだ。
種族が異なれど言葉は通じる。先日エルフ達に多分に世話になったように、理解し合えないわけではない。それぞれ異なる特徴を持つだけで、本質的な部分はきっと変わらない。要は、シャムロックという人物が信じられるかどうかだ――そこまで思い至ると、クライヴは一人頷いた。何度か視線が泳ぎ、カウンターにあるグラスと、奥の酒瓶を行き来する。膝の上で握り拳を作り、意を決して顔を上げた。シャムロックは相変わらず、こちらを静かに見据えている。
「一つだけ教えてくれないか。どうしてシャムロックは俺に対して『こうするべき』だとか、決めつけや意見をしないんだ?」
クライヴは真っ直ぐな視線で問いかけた。彼の言葉の真意を読み取ろうと、わずかな表情や声色の変化を見逃すまいと集中する。
自分のことがどうでもいいと言われたらそこまでだが、この返答で、彼の人間性が少しでも読めないかと考えた。賭けでもある。
思ってもみない言葉にシャムロックはわずかに動揺の色を見せたが、それも一瞬のことだった。表情や態度から動揺を瞬時に消すと、彼は姿勢を正す。
「思うことはあるが、あえて言わないだけだ。俺が何を言おうとも、最終的な判断はクライヴ自身が下すものだ。他人である俺が指図することはできない」
まるで突き放すような物言いに、クライヴは言葉を詰まらせる。本当に他者に興味がないだけなのか。質問を間違えただろうか。何か違う事を聞くべきか――。依然シャムロックの動作に集中しながら、クライヴは頭の片隅で考える。迷いと共に、作った握り拳から少しずつ力が抜けていく。
やがて、シャムロックは伏し目がちにカウンターのグラスを見つめる。氷は完全に溶け、その場所が丸い透明色に変わった。周囲に飲み込むような琥珀色が覆う。丸い輪郭がぼやける様に目をやりながら、彼は口を開いた。
「……人の心は他人が縛るものではないし、縛れるものでもない。誰にもそんな権利はない。あってはならない」
掠れた声でつぶやくと、シャムロックはグラスの酒を口に含む。透明色と琥珀色がわずかに混ざった。
クライヴは、その反応に初めて感情の揺らぎを見た気がした。シャムロックは普段からあまり表情を変えない。いかなる時も平常心を保ち、己のペースを崩すような様子は見せなかった。だからこそ、クライヴは今の揺らぎに人間臭さのようなものを感じた。恐らく、最後の言葉は本心から出た言葉なのだろうと理解もした。
感情が読み取りづらいだけで、それぞれ異なる特徴を持つだけで、本質的な部分は自分たちと何ら変わりはないのだ――先ほど、頭に浮かんだ言葉を繰り返した。
「なんていうか、すごいな。それが正しいって分かってても、中々そうは思い切れないというか……。昔聞いた、教会の説法を思い出したよ」
クライヴは固まった表情を少し解すと、膝で作っていた握り拳を完全に解いた。
シャムロックの言葉や意思はとても立派な考えであるが、それを実際に実行できるかどうかとなると話は別だ。まるで、教科用図書のお手本のような――子供の頃、教会で聞いた説教と近いところがあるように思えた。
「案外、修道士――というか、神父とか務まりそうだよな」
冗談めかして言うと、隣でゴトリと重い音が立った。
「……畏れ多いことを言うな、俺は月夜鬼だぞ」
妙なことを口走ってしまったか、とクライヴは思ったが、シャムロックの声に怒りは感じられない。少し速いペースで喋っただけだった。
念のため彼の方を窺う。複雑な表情をしていた。その表情にほっとすると、クライヴは口元だけで苦笑した。役職の難しさは理解しているが、例え話に対して「畏れ多い」と表現するなんて、ちょっと大げさすぎないか――と。
「さて……。そろそろ休むといい。遅い時間になってきた」
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時刻は一時三十七分。随分と長い時間話し込んでしまったようだ――。グラスに半分ほど残っていた水を一気に呷る。口の端からこぼれた滴を腕で拭い、クライヴは席を立った。
「シャムロックは寝ないのか?」
「元々、俺はこの時間に調子が出る。あまり眠くはないな」
「そうか……」
彼は本当に月夜鬼なのだと……月夜鬼とは、本当に人間と生きる時間が違うのだなと改めて感じながら、クライヴは部屋へ戻った。
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