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追加エピローグ「もうひとつの旅の終わり」
102 街道の夜-2
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そんな背中に向けて、一歩、一歩と伺うように、クライヴは歩を進めた。緊張は歩を進める足取りに現れ、時々、意図せぬ場所に足を落とす。わずかに体のバランスを崩しかけたが、椅子の背に手をつくことでやり過ごした。
……まさかこの男がいるなんて。
クライヴは視線を足下に落とす。メルリアといる時には聞けない話があった。発作の話ではないし、自分のことではない。ただ、頭の中に浮かんだ疑問の答え合わせがしたかった。機会をずっと窺っていたが、恐らく今がその時なのだろう。
シャムロックの背中に視線を向ける。今は黒い外套を身につけていない。とはいえ、上も下も靴の色に至るまで、相変わらず黒ばかりの服装だが。
嫌な緊張だ。クライヴは迷うように目を伏せる。口はへの字に固く閉ざしたままだ。きつく閉じた唇が薄い色へ変わる。
「お飲み物はいかがいたしますか」
そんな中、カウンター越しにバーテンダーが声をかけてきた。クライヴは慌てて顔を上げると、遠慮するように苦笑を浮かべる。
「あ、いや……、酒じゃなくて、水を一杯、いただきに来ただけで」
「構いませんよ。ご用意いたしますので、お掛けください」
バーテンダーは穏やかに言うと、クライヴに座るよう促した。
クライヴは曖昧に会釈し、周囲の様子を確認した。外から聞こえてくる足音もなければ、階段から下りてくる人の気配もない。二階の廊下を歩く足音も聞こえない。硬い表情のまま、一席分間隔を置いて椅子に腰掛けた。
バーテンダーがグラス一杯の水をクライヴに手渡した。クライヴは礼と共にそれを受け取る。妙に喉が渇いたなと自覚しながら一口含んだ。常温に近い、ちょうどいい温度だった。体の熱を奪いすぎることなく、体内へ吸収されていく。
形だけの息をつくと、シャムロックを窺い見た。彼は手慣れた様子でグラスを手にしている。こちらへ視線一つ向けずに、溶けゆく氷の末路を見澄ましていた。その瞳の赤は濃い。宿を出る直前、宿に着いた直後の顔色の悪さは窺えない。それに、彼は日中眠そうにしているが、今は欠伸一つ漏らさない。目もはっきりと開いているから、そもそも眠気を感じていないのだろう。昼間は調子が出ないと言っていたが、この様子を見ると、その言葉はあながち間違いではなさそうだ。
やっぱり……。クライヴは息を呑む。魔女の村にいる時、シャムロックと会ったのは決まって日暮れ以降だった。日中姿を見かけたことはない。加えて、今は光を避けるような黒い外套を身につけている。これはアラキナから渡された実験作のようだから、確証は持てない。
けれど……、もしこの仮説が本当ならば、どうすればいい?
誰に問うでもなく、クライヴは胸中に零した。
「なにか、俺に話があるようだが」
シャムロックはその赤い瞳だけを動かし、こちらに視線を向けた。
背筋を走るぞくりとした悪寒と共に、クライヴは居心地の悪さを覚える。まただ。またこの感覚。まるで心を読まれているかのようだ。それとも、自分の顔に出ている? 咄嗟に顔を擦りたくなるが、頭を振る。
そんなもの、分かるはずがない――そのまま、視線をカウンターへ逸らした。気づけば、そこにいたバーテンダーは姿を消していた。背後からはいびきが聞こえる。受付で船を漕いでいた男は、テーブルに突っ伏して完全に眠っていた。
「……『俺の疑問には全て答える』、そう言ったよな」
「ああ。クライヴが聞きたいのなら、俺は今でも構わない」
シャムロックはグラスをカウンターに置いた。グラスの中の氷が揺れて溶け、火花のような音がより一層大きく響いた。
「お前……、吸血鬼、なのか」
クライヴは氷に視線を向けながら、呟くように問う。視線を合わせないのは、自信がないからでもあったし、そうであってほしくないと思ったからだ。
……まさかこの男がいるなんて。
クライヴは視線を足下に落とす。メルリアといる時には聞けない話があった。発作の話ではないし、自分のことではない。ただ、頭の中に浮かんだ疑問の答え合わせがしたかった。機会をずっと窺っていたが、恐らく今がその時なのだろう。
シャムロックの背中に視線を向ける。今は黒い外套を身につけていない。とはいえ、上も下も靴の色に至るまで、相変わらず黒ばかりの服装だが。
嫌な緊張だ。クライヴは迷うように目を伏せる。口はへの字に固く閉ざしたままだ。きつく閉じた唇が薄い色へ変わる。
「お飲み物はいかがいたしますか」
そんな中、カウンター越しにバーテンダーが声をかけてきた。クライヴは慌てて顔を上げると、遠慮するように苦笑を浮かべる。
「あ、いや……、酒じゃなくて、水を一杯、いただきに来ただけで」
「構いませんよ。ご用意いたしますので、お掛けください」
バーテンダーは穏やかに言うと、クライヴに座るよう促した。
クライヴは曖昧に会釈し、周囲の様子を確認した。外から聞こえてくる足音もなければ、階段から下りてくる人の気配もない。二階の廊下を歩く足音も聞こえない。硬い表情のまま、一席分間隔を置いて椅子に腰掛けた。
バーテンダーがグラス一杯の水をクライヴに手渡した。クライヴは礼と共にそれを受け取る。妙に喉が渇いたなと自覚しながら一口含んだ。常温に近い、ちょうどいい温度だった。体の熱を奪いすぎることなく、体内へ吸収されていく。
形だけの息をつくと、シャムロックを窺い見た。彼は手慣れた様子でグラスを手にしている。こちらへ視線一つ向けずに、溶けゆく氷の末路を見澄ましていた。その瞳の赤は濃い。宿を出る直前、宿に着いた直後の顔色の悪さは窺えない。それに、彼は日中眠そうにしているが、今は欠伸一つ漏らさない。目もはっきりと開いているから、そもそも眠気を感じていないのだろう。昼間は調子が出ないと言っていたが、この様子を見ると、その言葉はあながち間違いではなさそうだ。
やっぱり……。クライヴは息を呑む。魔女の村にいる時、シャムロックと会ったのは決まって日暮れ以降だった。日中姿を見かけたことはない。加えて、今は光を避けるような黒い外套を身につけている。これはアラキナから渡された実験作のようだから、確証は持てない。
けれど……、もしこの仮説が本当ならば、どうすればいい?
誰に問うでもなく、クライヴは胸中に零した。
「なにか、俺に話があるようだが」
シャムロックはその赤い瞳だけを動かし、こちらに視線を向けた。
背筋を走るぞくりとした悪寒と共に、クライヴは居心地の悪さを覚える。まただ。またこの感覚。まるで心を読まれているかのようだ。それとも、自分の顔に出ている? 咄嗟に顔を擦りたくなるが、頭を振る。
そんなもの、分かるはずがない――そのまま、視線をカウンターへ逸らした。気づけば、そこにいたバーテンダーは姿を消していた。背後からはいびきが聞こえる。受付で船を漕いでいた男は、テーブルに突っ伏して完全に眠っていた。
「……『俺の疑問には全て答える』、そう言ったよな」
「ああ。クライヴが聞きたいのなら、俺は今でも構わない」
シャムロックはグラスをカウンターに置いた。グラスの中の氷が揺れて溶け、火花のような音がより一層大きく響いた。
「お前……、吸血鬼、なのか」
クライヴは氷に視線を向けながら、呟くように問う。視線を合わせないのは、自信がないからでもあったし、そうであってほしくないと思ったからだ。
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