幾望の色

西薗蛍

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夜半の屋敷

99 ロバータとの約束-2

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 月夜鬼は見た目が変わらない。父であろうと、祖父であろうと、曾祖父であろうと、姿だけでは年齢は推し量れない。理論上は寿命がないからだ。だが人間は違う。年を取り、老い、寿命が来れば命果てる。半夜とはいえ、メルリアは月夜鬼の血が弱い。人間として生きていく曾孫にとって、自分のような例外は不要だ。それに、吸血鬼との接触は避けたい。だから、ロバータの親戚ということにして押し通すことにした。無論ロバータから反対はあったが、それだけは頑なに譲らなかった。

 テオフィールはベラミントで仕事に就きながら、娘と曾孫と五年間を過ごした。

 三人の誰もが、この五年間はあっという間に過ぎ去ったと感じた。


 ――八年前のある日。別れの日が訪れた。

 まだ夜の早い時間だ。夏に向かっているだけあって、空は明るい。

 ロバータは村の出口――街道までテオフィールを見送り、何度もありがとうと口にした。ここで別れたら、もう二度と会えないと知っていたからだ。

 本当にありがとうと涙ながらに伝えるロバータの傍で、鳥の羽音が響いた。やがて、一輪の花がその手に舞い落ちる。月の光を閉じ込めたようなそれは、夜風に揺れて薄ぼんやりと輝いていた。

 空を舞う乙夜鴉に一礼した後、テオフィールは娘に向き直る。

「この花、咲くのがすごく難しくてさ……。周りの自然が壊れると、二度と咲かないなんて言われてるんだ。今はこれを守って、育ててる。これが今のオレの仕事だよ」

 ロバータは月満草の花弁にそっと触れた。包み込むように指を折り、胸の近くへ抱き寄せる。かみしめるように目を閉じると、涙がぽろぽろとこぼれ落ちた。小さな嗚咽を漏らしながら、やがて顔を上げる。穏やかに、そっと笑った。

「そんな仕事を選ぶなんて、本当にお父さんらしい。安心したわ。……どうか頑張って」

 目に溜まった涙を拭って笑うその顔は、彼が最後に見た娘の姿だった。

 全てはテオフィールが蒔いた種だった。

 五年前、娘に手渡した月満草が事の始まりだった。ロバータはメルリアに月満草を見せ、二人は約束を交わした。

 この花が咲いている場所を探しに行こう、と。

 それはメルリアひとりに受け継がれ、間もなく果たされようとしている。


 ゴロゴロと重く鈍い音を立て、車輪が回る。

 静かに揺れる戊夜車の中、テオフィールはゆっくりと椅子の背もたれに体を預けた。ギィ、とわずかに不安定な音を立てて、背もたれが体を受け止める。大きな音を立てぬよう細心の注意を払いながら、息を紡ぐように、細く長い息を吐き出した。そのまま右腕で目を覆い、それを繰り返す。

 テオフィールは生まれてこの方、墓参りを行ったことがなかった。月夜鬼には、葬式も墓を建てる習わしもない。今後一生、そのようなものとは関わらないであろうと思っていた。娘の傍にずっといてあげられなかった負い目もあった。嫌われているだろうとずっと思い込んでいた。それに、墓標を見てしまったら、娘はもうこの世にいないという現実を突きつけられる。だから、避けてきた。

 だが今は曾孫に勧められ、娘の墓参りへ向かう道をたどっている。彼の目を覚ましたのは、その曾孫の一言だった。

 ――ひいおじい様は、テオフィールさんは、おばあちゃんのお父さんです。嬉しくないわけ、ないです。

 震えた声で言葉を伝える曾孫を見て、はっとした。ロバータは優しい子だった。自分と妻の最愛の娘だった。墓参りに顔を見せた彼を嘲るような、度量の狭い人間ではない。

 右腕も座席のクッションへと投げ出すと、天井をぼんやりと見つめた。昨晩のことをその黒色と重ね合わせ、なんて情けないんだと自嘲の笑みを浮かべる。実の父より、孫娘の方がロバータをよく知っているじゃないか、と。

 それに、習わしでも身内の死と向き合う人間は、とても強い存在だ。月夜鬼である自分なんかよりもずっと。ずっと、現実を見ていた。

 視線だけを動かし、うとうとと眠るメルリアを視界に映した。臆病な自分の背中を優しく押してくれた存在だ。その寝顔を愛おしげに見つめ、暗闇の中、静かに目を閉じる。

 口の中で最愛の娘の名を、そして妻の名をつぶやいた。
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