幾望の色

西薗蛍

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夜半の屋敷

98 二人の朝焼けに-2

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「俺もあんまり眠れなくてさ。とりあえず体を動かそうって思って屋敷の廊下をうろうろしてたら、大窓が開いてるのを見つけて……まさか、メルも同じだなんて思ってなかった。けど、そうだよな」

 いろいろなことがありすぎた――クライヴはその言葉を飲み込み、手すりに置いた右手に力を入れた。中庭に視線を向けると、月満草が蕾む瞬間が視界に飛び込む。その様子を始まりから終わりまで、息をつめて見届けた。月満草が一輪眠るたびに夜の終わりへ向かっていく。その証拠に、東方の空に朝が来た。空の帯の先に、太陽が昇っていく。その明かりは目を細めるほどに眩しい光だった。

 朝が来る。人間にとっては一日の始まりの、月夜鬼にとっては一日の終わりの時間だ。

「……もうすぐ朝が来るな」
「うん。朝が来るのは楽しみだけど、でもちょっと残念かな」

 東方の空を眺めていたメルリアが苦笑を零した。目の前に手をかざし、太陽の光を遮るように朝焼けの空を見つめる。やがて視線を外すと、今度はバルコニーの手すりに背中を預けた。まだ夜の匂いが残る西方の空を仰ぐ。たったひとつ取り残された星を見つめながら、夜を惜しむように眉を下げた。

「昔から夜は好きだったんだ。月や星が綺麗だし、静かだし、落ち着くし……。でも多分、私が夜を好きなのは、それだけじゃなくって」

 メルリアは左胸に手を置いた。自分の心臓の音がより強く聞こえる。鼓動のリズムが手のひらにも伝わってくる。その音は穏やかだった。

「『自分の血に、月夜鬼の血が流れているから』……?」

 メルリアは目を見開き、すぐ隣にいるクライヴの顔をまじまじと見つめる。普段と変わらぬ金の瞳は、空に昇る太陽と似た色をしている。

「すごい。どうして分かるの?」
「俺もさっき同じようなことを考えてたからさ。だから、メルからその言葉を聞いて驚いた」
「そっか……」

 言葉の余韻が消えると、二人は照れくさそうに笑い合った。

 やがて、メルリアはとっさに目をそらし、クライヴはわずかに視線をそらして頬をかく。なんとも言えぬ居心地の良さと、居心地の悪さ。むず痒いような、それでいてどこか嬉しいような。

 穏やかだったメルリアの胸の鼓動が徐々に乱れていく。傍らに立つクライヴの方へ、控えめな視線を向けた。東の眩しい朝焼けの予感が広がる空を、目を細めて見つめている。茶髪の先が太陽の光に照らされて、明るい金髪を思わせた。

 そのまま彼の横顔をじっと見つめる。
 何か言いたいけれど、言葉がうまく出てこない。

 間もなく夜半の屋敷にも朝が来るだろう。
 朝焼け間際のわずかな時間が、彼女にはとても短く感じた。夜が明け、日が暮れる。どちらともあっという間に過ぎ去る時間だが、今日は特別だ。時の移り変わりがずっと早い。今までこんな風に思ったことはなかったのに。

 朝が来れば一日が始まる。夕刻までには旅支度を終わらせ、恐らく今夜はテオフィールとともにベラミントの村へ向かうだろう。夢が叶うこの瞬間は間もなく。早く叶ってほしい――と思う気持ちは変わらないが、この時間が終わってしまう事を惜しく感じていた。

 クライヴともっといろいろなことを話していたい。話をしていなくても、傍にいる時間が欲しい。今までこんな風に思ったことはなかったというのに。胸の奥に広がるしびれに、メルリアは静かに目を伏せた。

「そろそろ戻ろうと思うけど、メルはどうする?」

 待ってと追い求めるようにメルリアは手を伸ばす。それに気づいたクライヴは足を止めた。

「クライヴさんともうちょっと話していたい……な、なんて、困るよね」

 メルリアはクライヴから視線をそらし苦笑する。とっさに上げた手が、顔の周りを右往左往した。理由はよく分からなかったが、とにかく彼の顔を見ていられなくなった。話していたいのに目をそらすなんて、とても矛盾している。それは分かっていた。おかしいとは思うが、まともな答えが出てこない。

「大丈夫だ。……だけど、そうだな」

 夜半の屋敷はただただ静かだ。風は湿気をはらみつつも穏やかで、土や草の匂いをバルコニーにまで運んでくる。一日の始まりをそっと彩るように。月満草は全て眠りにつき、どこかへ飛び去った小鳥が、音を立てずに屋根へと降り立った。

 人の気配はない。バルコニーに立つ二人以外は。

 木々の間を差す暖かな光が、ようやく夜半の屋敷に顔を出す。やがて、それがクライヴの背や頬を静かに照らした。

「メル、聞いてくれるか」

 ごくりと喉を鳴らし、彼はいつになく真剣な声色で切り出した。

 一言一句はっきりと口にした言葉を耳に、メルリアは深い呼吸を何度か繰り返した。落ち着かぬ心臓を落ち着けるためだ。自分のよく分からない事情に構っている場合ではないと判断したのだ。

 背の後ろで手を組むと、ゆっくりと彼に向かい合う。耳で判断したとおり、クライヴは真剣な表情でこちらを見つめている。言うことの聞かぬ心臓の鼓動をなんとか平常心にまで押さえつけ、返事の代わりに一つうなずいた。
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