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夜半の屋敷
97 月夜鬼達の夜-2
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続けて、シャムロックもワイングラスを手に取った。香りをそこそこに楽しみ、彼もまたわずかな量を口に含む。エルヴィーラはその様子をじっと見つめていた。黄昏を思わせる金髪の縁がわずかに烟る。彼の横顔は普段と変わらぬ整った顔立ちだ。アルコールを摂取したことにより、瞳の赤が濃い色へと変わる。
ひっそりとした空間に、大切な人と二人きりでいる。心地がいい、とても――。エルヴィーラは手元のワイングラスを見つめながら、胸の奥が満たされていくことを感じていた。
ふと、視線が正面へと向く。視界に映ったのは、今自分が座っているものと同じソファだ。その中央に人のいた跡をはっきり見ると、静かに眉を上げる。
「……そういえば、シャムのお客様の半夜はどうだったの? 彼はずいぶんと血の匂いが濃い子だったけれど」
「クライヴか」
シャムロックはワイングラスを置くと、先ほど彼がいた空白を見つめた。
「彼は月夜鬼の血の濃さに加え、自分が何者かを知らないせいで、ずいぶんと苦労してきたようだ」
街道の宿酒場で、そして屋敷のこの部屋で真実を知ったクライヴの表情を、シャムロックはその空白に重ねた。数刻前と、数日前の出来事が、目の前に浮かびあがるように蘇る。動揺していた様子もあったし、混乱しているようでもあった。しかし最後には安堵の表情を浮かべ、笑顔も見せるようになった。それは心からのものであると、シャムロックは本能的に理解している。数日前の、こちらを疑う鋭い視線がすっかり消えたことも。
「人間の特徴もあるが、こちらの常識が当てはまる部分も多い。定期的に俺達と同じ食事をしなければならないようだし」
「半夜なのに?」
思わず目を丸くしたエルヴィーラに、シャムロックは黙って頷いた。
ただでさえ半夜という存在は珍しいが、その中でもクライヴは特別だ。長い時間を生きている彼らでも、クライヴほど血の濃い半夜は知らなかった。
「血……、ね」
エルヴィーラはつぶやくと、手にしたワイングラスをくるくると揺らした。やがて水面が凪ぐと、そこに彼女の表情が浮かび上がる。赤ワインの鮮明な色に、月夜鬼の瞳の色――、生きものに流れる生命の色。様々なものをそこに重ね合わせる。ふと、視界の奥にあるガラスのテーブルが青白く光った。赤ワインの色と、月光がもたらす青白い光。赤と青は対の色。エルヴィーラはその色にメルリアの姿を重ね合わせる。その光を見つめながら沈思していたが、その思考が不意に止まる。こちらへ近づく足音を聞き取ったせいだ。
軽快なノックの音が四、五回響く。妙なリズムを刻むそれは、ウェンディのするものでないことは明白だ。エルヴィーラはシャムロックから拳三つ分の距離を取る。それと同時に扉が開いた。
「シャムロック、ここだったんだね。あ、エルヴィーラもいたんだ」
エルヴィーラは形だけの会釈をした後、彼から顔を背ける。ゆっくりと流れる時間は終わりを告げた。腹いせに、少し多めに赤ワインを口に含む。苦みが舌先にまとわりつくような感覚が残った。
「仕事の話か?」
仕事――その言葉にエルヴィーラの体がぴくりと反応する。
「あー……いや、そうじゃないんだ」
テオフィールは客人のいなくなったソファに腰掛ける。ソファの弾力に体の自由が奪われ、そのまま偉そうに両手を投げ出し、彼はソファに納まった。完全に体の自由を奪われたテオフィールは、天井に向けて力ない笑い声を漏らす。室内灯の明かりをぼんやりと見つめたまま、ばつが悪そうに頬を掻く。
「どうかしたのか?」
シャムロックが静かに問いかけると、テオフィールは返事の代わりに曖昧に笑った。作り笑いをふっと崩すと、座り心地のよすぎるソファに正しく腰掛ける。シャムロックは真っ直ぐにこちらを見ていた。傍らに座るエルヴィーラは、自分を視界から外していた。それを見て再び作り笑いを浮かべる。その表情が剥がれ、また表情に貼り直し、を三度ほど繰り返すと、テオフィールは一つ咳払いした。彼の視線が次第にガラスのテーブルへと落ちていく。そこに反射した室内灯の明かりの数を十ほど数えた後、ようやく口を開いた。
「人間の……墓参りって、どうすればいい?」
「メルリアとのことか?」
本題に触れると、テオフィールはこわごわと顔を上げた。一度だけうなずくと、膝の上で両手を揉みながら付け足す。
「……ほら、墓標を立てるのも、墓参りも、月夜鬼にはない風習だからさ――。シャムロックはその辺、詳しいでしょ?」
必死に取り繕った笑顔で、身振り手振りを交えテオフィールは言う。少々過剰な動きではあるが、彼の両手や唇の端はわずかに震えていた。脈拍は早く、口の中が不自然に乾いていく。シャムロックの視線が、その手や唇に向いている事すら気づけなかった。
「ああ、構わない」
その返答に、テオフィールの表情が瞬時に明るく変わった。先までの作り笑いとは異なる、本当の意味での笑顔だった。
夜に浮かぶ月がやがて西へと傾いてゆく。
今宵、夜半の屋敷に話題が絶えることはなかった。
ひっそりとした空間に、大切な人と二人きりでいる。心地がいい、とても――。エルヴィーラは手元のワイングラスを見つめながら、胸の奥が満たされていくことを感じていた。
ふと、視線が正面へと向く。視界に映ったのは、今自分が座っているものと同じソファだ。その中央に人のいた跡をはっきり見ると、静かに眉を上げる。
「……そういえば、シャムのお客様の半夜はどうだったの? 彼はずいぶんと血の匂いが濃い子だったけれど」
「クライヴか」
シャムロックはワイングラスを置くと、先ほど彼がいた空白を見つめた。
「彼は月夜鬼の血の濃さに加え、自分が何者かを知らないせいで、ずいぶんと苦労してきたようだ」
街道の宿酒場で、そして屋敷のこの部屋で真実を知ったクライヴの表情を、シャムロックはその空白に重ねた。数刻前と、数日前の出来事が、目の前に浮かびあがるように蘇る。動揺していた様子もあったし、混乱しているようでもあった。しかし最後には安堵の表情を浮かべ、笑顔も見せるようになった。それは心からのものであると、シャムロックは本能的に理解している。数日前の、こちらを疑う鋭い視線がすっかり消えたことも。
「人間の特徴もあるが、こちらの常識が当てはまる部分も多い。定期的に俺達と同じ食事をしなければならないようだし」
「半夜なのに?」
思わず目を丸くしたエルヴィーラに、シャムロックは黙って頷いた。
ただでさえ半夜という存在は珍しいが、その中でもクライヴは特別だ。長い時間を生きている彼らでも、クライヴほど血の濃い半夜は知らなかった。
「血……、ね」
エルヴィーラはつぶやくと、手にしたワイングラスをくるくると揺らした。やがて水面が凪ぐと、そこに彼女の表情が浮かび上がる。赤ワインの鮮明な色に、月夜鬼の瞳の色――、生きものに流れる生命の色。様々なものをそこに重ね合わせる。ふと、視界の奥にあるガラスのテーブルが青白く光った。赤ワインの色と、月光がもたらす青白い光。赤と青は対の色。エルヴィーラはその色にメルリアの姿を重ね合わせる。その光を見つめながら沈思していたが、その思考が不意に止まる。こちらへ近づく足音を聞き取ったせいだ。
軽快なノックの音が四、五回響く。妙なリズムを刻むそれは、ウェンディのするものでないことは明白だ。エルヴィーラはシャムロックから拳三つ分の距離を取る。それと同時に扉が開いた。
「シャムロック、ここだったんだね。あ、エルヴィーラもいたんだ」
エルヴィーラは形だけの会釈をした後、彼から顔を背ける。ゆっくりと流れる時間は終わりを告げた。腹いせに、少し多めに赤ワインを口に含む。苦みが舌先にまとわりつくような感覚が残った。
「仕事の話か?」
仕事――その言葉にエルヴィーラの体がぴくりと反応する。
「あー……いや、そうじゃないんだ」
テオフィールは客人のいなくなったソファに腰掛ける。ソファの弾力に体の自由が奪われ、そのまま偉そうに両手を投げ出し、彼はソファに納まった。完全に体の自由を奪われたテオフィールは、天井に向けて力ない笑い声を漏らす。室内灯の明かりをぼんやりと見つめたまま、ばつが悪そうに頬を掻く。
「どうかしたのか?」
シャムロックが静かに問いかけると、テオフィールは返事の代わりに曖昧に笑った。作り笑いをふっと崩すと、座り心地のよすぎるソファに正しく腰掛ける。シャムロックは真っ直ぐにこちらを見ていた。傍らに座るエルヴィーラは、自分を視界から外していた。それを見て再び作り笑いを浮かべる。その表情が剥がれ、また表情に貼り直し、を三度ほど繰り返すと、テオフィールは一つ咳払いした。彼の視線が次第にガラスのテーブルへと落ちていく。そこに反射した室内灯の明かりの数を十ほど数えた後、ようやく口を開いた。
「人間の……墓参りって、どうすればいい?」
「メルリアとのことか?」
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「……ほら、墓標を立てるのも、墓参りも、月夜鬼にはない風習だからさ――。シャムロックはその辺、詳しいでしょ?」
必死に取り繕った笑顔で、身振り手振りを交えテオフィールは言う。少々過剰な動きではあるが、彼の両手や唇の端はわずかに震えていた。脈拍は早く、口の中が不自然に乾いていく。シャムロックの視線が、その手や唇に向いている事すら気づけなかった。
「ああ、構わない」
その返答に、テオフィールの表情が瞬時に明るく変わった。先までの作り笑いとは異なる、本当の意味での笑顔だった。
夜に浮かぶ月がやがて西へと傾いてゆく。
今宵、夜半の屋敷に話題が絶えることはなかった。
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