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夜半の屋敷
96 真実の話-2
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まるで威圧しているかのような物言いに、メルリアはびくりと体を震わせる。この屋敷の中で最も夜目の利かぬ彼女にとって、その感情がどれに向けられているか理解することはできない。どうやらエルヴィーラは自分のした何かのせいで機嫌が悪いらしい――と誤認するほどに。
何かを言おうと腕を動かすと、衣擦れの音が大げさに響く。すると、その音に気づいたエルヴィーラがゆっくりと目を開いた。赤い瞳が、窓から漏れる月の光を受け止める。物憂げに閉じられていた瞳が、瞬時に見開いた。
「メル? どうして……?」
苛立ちで眉を寄せていたエルヴィーラの表情が瞬時に変わり、彼女は反射的に右足を一歩、後ろへと引く。両腕を体の後ろへ動かし、背中で自分の両手を握る。落ち着かない様子だった。
「ウェンディさんとひいおじい様――テオフィールさんが、今日はここに泊まっていいって。だから、乙夜鴉さんに道案内してもらっていたんです」
メルリアは室内灯の上に留まる乙夜鴉へ視線を向けた。
エルヴィーラの非難を受けた乙夜鴉が、そうだそうだと強調するように首を前後に振った。そのたびに月満草から光が零れる。
「そう……」
エルヴィーラはメルリアから視線をそらしたまま、素っ気なく返事をした。そしてそのまま会話が途切れてしまう。
メルリアはエルヴィーラに伸ばしかけた手を膝の横へ下ろすと、廊下に伸びる窓の影に視線を落とした。どうやらもう怒っているわけではないようだ。けれど、まだ元気がないように思う。
別れ際に言った言葉を気にしているのかな?
なんて言ったらいいのだろう。大丈夫です?
それじゃあ、抽象的すぎるかもしれない。嫌いじゃない……だったら、好き?
それは言いたい気持ちと逸脱しすぎている。
いくつもの言葉を頭の中に思い浮かべては、それではだめだと首を振る。正しい言葉が思いつかない。言葉がまるで出てこない。こんな時、どう伝えるべきが正しいのだろう。
先ほどまで気にも留めなかった静寂が、今となっては重荷となってのしかかってくる。
なんて言おう。どうやって声をかけるべきだろう――そう考えた途端、脳裏にある映像が浮かぶ。エピナールの外れでエルヴィーラと見たあの湖だ。夜空を鏡のように映し出す巨大な湖。その水面は、まるでそこに生まれた夜空のよう。水に手を浸せば、まるで月に触れられるような不思議な気分を味わった。メルリアはそこでの出来事をひとつずつ思い出しながら、一歩一歩前へ踏み出す。十分すぎるほど離れたエルヴィーラとの距離を埋めるように。
「……私、ひいおじい様とお話しして、分かったことがあるんです」
そうすれば、言葉を考えずとも自然に出てくる。
エルヴィーラはメルリアの動きに再び目を丸くした。一歩後ろへ下げた右足にすがるように、左足も後ろへ、そしてそのまま一歩退く。取った距離は、一歩にしてはずいぶんと控えめだった。
「エルヴィーラさんと初めて会った時に感じた、懐かしい感じとか、落ち着くって気持ち……それって、私の中に月夜鬼の血が混じってたからだって。今だったら分かるんです」
言いたいことも、伝えたいことも。
頭の中で考え込まずに出てくる言葉の方が、メルリアにとっては自然だった。肩の力が抜けたまま、優しく微笑みかける。エルヴィーラが再び距離を取ろうと、右足を動かした事を知るよしもなく。
「だから……私は最初から、エルヴィーラさんが嫌いになんてなれるはずがないんです」
エルヴィーラは後ろへ向けた右足を前へ出すと、二人の間にあった数歩分の空きを自ら埋めていった。靴先が軽やかに地面を叩き、もたれかかるようにメルリアを抱きとめた。
メルリアは数歩後退するが、きちんとそれを受け止める。
言葉は聞こえない。表情も見えない。エルヴィーラの気持ちは、態度から推し量るしかなかった。細く白い腕に抱き留められながら、ゆっくりと続けた。
「エルヴィーラさんのことが大好きです。大切に思ってます」
視界に入ったエルヴィーラの頭が、こくりとうなずく。胸の奥に広がる心地よい親愛の熱に、メルリアは目を閉じた。
今日は抱きしめられてばかりいる。月夜鬼の体温は人間とは違い、ずっと冷たい。
けれど、そのどれもメルリアにとっては温かいものだった。
何かを言おうと腕を動かすと、衣擦れの音が大げさに響く。すると、その音に気づいたエルヴィーラがゆっくりと目を開いた。赤い瞳が、窓から漏れる月の光を受け止める。物憂げに閉じられていた瞳が、瞬時に見開いた。
「メル? どうして……?」
苛立ちで眉を寄せていたエルヴィーラの表情が瞬時に変わり、彼女は反射的に右足を一歩、後ろへと引く。両腕を体の後ろへ動かし、背中で自分の両手を握る。落ち着かない様子だった。
「ウェンディさんとひいおじい様――テオフィールさんが、今日はここに泊まっていいって。だから、乙夜鴉さんに道案内してもらっていたんです」
メルリアは室内灯の上に留まる乙夜鴉へ視線を向けた。
エルヴィーラの非難を受けた乙夜鴉が、そうだそうだと強調するように首を前後に振った。そのたびに月満草から光が零れる。
「そう……」
エルヴィーラはメルリアから視線をそらしたまま、素っ気なく返事をした。そしてそのまま会話が途切れてしまう。
メルリアはエルヴィーラに伸ばしかけた手を膝の横へ下ろすと、廊下に伸びる窓の影に視線を落とした。どうやらもう怒っているわけではないようだ。けれど、まだ元気がないように思う。
別れ際に言った言葉を気にしているのかな?
なんて言ったらいいのだろう。大丈夫です?
それじゃあ、抽象的すぎるかもしれない。嫌いじゃない……だったら、好き?
それは言いたい気持ちと逸脱しすぎている。
いくつもの言葉を頭の中に思い浮かべては、それではだめだと首を振る。正しい言葉が思いつかない。言葉がまるで出てこない。こんな時、どう伝えるべきが正しいのだろう。
先ほどまで気にも留めなかった静寂が、今となっては重荷となってのしかかってくる。
なんて言おう。どうやって声をかけるべきだろう――そう考えた途端、脳裏にある映像が浮かぶ。エピナールの外れでエルヴィーラと見たあの湖だ。夜空を鏡のように映し出す巨大な湖。その水面は、まるでそこに生まれた夜空のよう。水に手を浸せば、まるで月に触れられるような不思議な気分を味わった。メルリアはそこでの出来事をひとつずつ思い出しながら、一歩一歩前へ踏み出す。十分すぎるほど離れたエルヴィーラとの距離を埋めるように。
「……私、ひいおじい様とお話しして、分かったことがあるんです」
そうすれば、言葉を考えずとも自然に出てくる。
エルヴィーラはメルリアの動きに再び目を丸くした。一歩後ろへ下げた右足にすがるように、左足も後ろへ、そしてそのまま一歩退く。取った距離は、一歩にしてはずいぶんと控えめだった。
「エルヴィーラさんと初めて会った時に感じた、懐かしい感じとか、落ち着くって気持ち……それって、私の中に月夜鬼の血が混じってたからだって。今だったら分かるんです」
言いたいことも、伝えたいことも。
頭の中で考え込まずに出てくる言葉の方が、メルリアにとっては自然だった。肩の力が抜けたまま、優しく微笑みかける。エルヴィーラが再び距離を取ろうと、右足を動かした事を知るよしもなく。
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「エルヴィーラさんのことが大好きです。大切に思ってます」
視界に入ったエルヴィーラの頭が、こくりとうなずく。胸の奥に広がる心地よい親愛の熱に、メルリアは目を閉じた。
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