175 / 197
夜半の屋敷
95 約束のこと2-3
しおりを挟む
「……メル?」
ピクリとも動かなくなったメルリアを見て、クライヴは恐る恐る声をかける。すると、うたた寝していたところを突然起こされたかのように、びくりと体を震わせながら顔を上げた。
「えっ、と……」
メルリアは表情を強ばらせながら、どうしていいか迷っていた。声をかけてもらったのだから、なにかを言うべきなのは分かっている。けれど、なにを言ったらいいのか分からない。頭の中が空っぽになってしまった。必死に記憶を辿りながら、今まで何の話をしていたかを思い起こす。やがて、メルリアの背筋がピンと伸びた。
「ベラミントから戻ってきた後の……、クライヴさんがグローカス案内してくれるの、すごく楽しみにしてるから……!」
呼吸をしているのか怪しいほど、メルリアは次々に言葉を吐き出す。
圧倒されたように、クライヴは空返事を零した。その返事を聞きながら、彼女は運動をした後のように深い呼吸を繰り返す。やがて、脱力したようにソファに背中を預けた。
「……大丈夫か? 具合でも悪いのか?」
「ううん……そんなことない。大丈夫」
メルリアはぐったりとソファに体を預け、目を閉じる。そんな中、彼女に用意されたティーカップが新しいものへ変わった。すかさずこぽこぽと音を立てながら、薄黄緑色の液体がティーカップに注がれる。しっとりとした草花の香りだ。その香りにゆっくりと目を開く。
「どうぞ。少し心が楽になりますよ」
「あ、ありがとうございます」
メルリアはソファの縁に手をかけ、ゆっくりと上体を起こす。きちんと背を正して座り直すと、ティーカップを手に取った。カップの白色が、茶の黄緑色をくっきり映し出す。湯気を伝って昇る甘酸っぱい香りに、体の緊張が解けていく事を感じていた。
この香りの正体を知っている。エプリ食堂で働いていた時によく作ったカモミールティーだ。リンゴを思わせる香りのそれは、メルリアのお気に入りだった。カップを傾ければ、口の中いっぱいにカモミールが香る。鼻に抜ける匂い。ゆっくりと飲み込めば、喉奥から胃に伝わるハーブティーの熱。体の内側から温められ、ほっと息をついた。
「メル。今日、言えなかった話……。今度、聞いてくれるか?」
メルリアはティーカップを持ったまま顔を上げた。
エルヴィーラに呼び出される直前の、あの話のことだろう。今日はもういいと言ったあの声はひどく疲れていたが、今は先ほどのように暗い表情ではない。
左手でもティーカップを支える。カップ越しに、人差し指と中指に確かな熱を感じた。
「うん。私はいつでも大丈夫だよ。今じゃなくて平気?」
「今は……」
クライヴは言い淀みながら、辺りを見回す。真っ先に目に入ったのは、向かいに座るシャムロックの姿だ。彼はあえてクライヴから視線を逸らしているが、間近にいることに変わりはない。彼らから二メートルほど距離を取るウェンディは、こちらの様子をつくづく見つめている。百歩譲ってシャムロックはともかく、ここまで他人からしげしげと見つめられては話題を振ることもできない。
「……いや、今はいい」
「うん、分かった」
疑問に首をかしげながらも、メルリアはそれ以上問うことはなかった。話の内容は気になるが、話してくれる事には変わりない。もう少し待とうと、再びティーカップを傾けた。
「それじゃあ、私はひいおじい様と話をしてくるね」
用意されたカモミールティーを飲み終え、ティーカップをテーブルの端に寄せ、立ち上がった。
「ああ」
メルリアはクライヴに手を振った後、シャムロックに頭を下げた。部屋を出て行こうとするメルリアを見ると、ウェンディは部屋の扉を開く。その先には、しんしんと闇が広がっていた。ハンガースタンドに止まっていた乙夜鴉が、待っていましたといわんばかりに羽を広げる。廊下の闇に吸い込まれるように降り立つと、羽をたたみ客人をじっと待った。
メルリアはウェンディにも頭を下げると、そのまま部屋を後にした。
ピクリとも動かなくなったメルリアを見て、クライヴは恐る恐る声をかける。すると、うたた寝していたところを突然起こされたかのように、びくりと体を震わせながら顔を上げた。
「えっ、と……」
メルリアは表情を強ばらせながら、どうしていいか迷っていた。声をかけてもらったのだから、なにかを言うべきなのは分かっている。けれど、なにを言ったらいいのか分からない。頭の中が空っぽになってしまった。必死に記憶を辿りながら、今まで何の話をしていたかを思い起こす。やがて、メルリアの背筋がピンと伸びた。
「ベラミントから戻ってきた後の……、クライヴさんがグローカス案内してくれるの、すごく楽しみにしてるから……!」
呼吸をしているのか怪しいほど、メルリアは次々に言葉を吐き出す。
圧倒されたように、クライヴは空返事を零した。その返事を聞きながら、彼女は運動をした後のように深い呼吸を繰り返す。やがて、脱力したようにソファに背中を預けた。
「……大丈夫か? 具合でも悪いのか?」
「ううん……そんなことない。大丈夫」
メルリアはぐったりとソファに体を預け、目を閉じる。そんな中、彼女に用意されたティーカップが新しいものへ変わった。すかさずこぽこぽと音を立てながら、薄黄緑色の液体がティーカップに注がれる。しっとりとした草花の香りだ。その香りにゆっくりと目を開く。
「どうぞ。少し心が楽になりますよ」
「あ、ありがとうございます」
メルリアはソファの縁に手をかけ、ゆっくりと上体を起こす。きちんと背を正して座り直すと、ティーカップを手に取った。カップの白色が、茶の黄緑色をくっきり映し出す。湯気を伝って昇る甘酸っぱい香りに、体の緊張が解けていく事を感じていた。
この香りの正体を知っている。エプリ食堂で働いていた時によく作ったカモミールティーだ。リンゴを思わせる香りのそれは、メルリアのお気に入りだった。カップを傾ければ、口の中いっぱいにカモミールが香る。鼻に抜ける匂い。ゆっくりと飲み込めば、喉奥から胃に伝わるハーブティーの熱。体の内側から温められ、ほっと息をついた。
「メル。今日、言えなかった話……。今度、聞いてくれるか?」
メルリアはティーカップを持ったまま顔を上げた。
エルヴィーラに呼び出される直前の、あの話のことだろう。今日はもういいと言ったあの声はひどく疲れていたが、今は先ほどのように暗い表情ではない。
左手でもティーカップを支える。カップ越しに、人差し指と中指に確かな熱を感じた。
「うん。私はいつでも大丈夫だよ。今じゃなくて平気?」
「今は……」
クライヴは言い淀みながら、辺りを見回す。真っ先に目に入ったのは、向かいに座るシャムロックの姿だ。彼はあえてクライヴから視線を逸らしているが、間近にいることに変わりはない。彼らから二メートルほど距離を取るウェンディは、こちらの様子をつくづく見つめている。百歩譲ってシャムロックはともかく、ここまで他人からしげしげと見つめられては話題を振ることもできない。
「……いや、今はいい」
「うん、分かった」
疑問に首をかしげながらも、メルリアはそれ以上問うことはなかった。話の内容は気になるが、話してくれる事には変わりない。もう少し待とうと、再びティーカップを傾けた。
「それじゃあ、私はひいおじい様と話をしてくるね」
用意されたカモミールティーを飲み終え、ティーカップをテーブルの端に寄せ、立ち上がった。
「ああ」
メルリアはクライヴに手を振った後、シャムロックに頭を下げた。部屋を出て行こうとするメルリアを見ると、ウェンディは部屋の扉を開く。その先には、しんしんと闇が広がっていた。ハンガースタンドに止まっていた乙夜鴉が、待っていましたといわんばかりに羽を広げる。廊下の闇に吸い込まれるように降り立つと、羽をたたみ客人をじっと待った。
メルリアはウェンディにも頭を下げると、そのまま部屋を後にした。
0
お気に入りに追加
0
あなたにおすすめの小説
[鑑定]スキルしかない俺を追放したのはいいが、貴様らにはもう関わるのはイヤだから、さがさないでくれ!
どら焼き
ファンタジー
ついに!第5章突入!
舐めた奴らに、真実が牙を剥く!
何も説明無く、いきなり異世界転移!らしいのだが、この王冠つけたオッサン何を言っているのだ?
しかも、ステータスが文字化けしていて、スキルも「鑑定??」だけって酷くない?
訳のわからない言葉?を発声している王女?と、勇者らしい同級生達がオレを城から捨てやがったので、
なんとか、苦労して宿代とパン代を稼ぐ主人公カザト!
そして…わかってくる、この異世界の異常性。
出会いを重ねて、なんとか元の世界に戻る方法を切り開いて行く物語。
主人公の直接復讐する要素は、あまりありません。
相手方の、あまりにも酷い自堕落さから出てくる、ざまぁ要素は、少しづつ出てくる予定です。
ハーレム要素は、不明とします。
復讐での強制ハーレム要素は、無しの予定です。
追記
2023/07/21 表紙絵を戦闘モードになったあるヤツの参考絵にしました。
8月近くでなにが、変形するのかわかる予定です。
2024/02/23
アルファポリスオンリーを解除しました。

迷い人と当たり人〜伝説の国の魔道具で気ままに快適冒険者ライフを目指します〜
青空ばらみ
ファンタジー
一歳で両親を亡くし母方の伯父マークがいる辺境伯領に連れて来られたパール。 伯父と一緒に暮らすお許しを辺境伯様に乞うため訪れていた辺境伯邸で、たまたま出くわした侯爵令嬢の無知な善意により 六歳で見習い冒険者になることが決定してしまった! 運良く? 『前世の記憶』を思い出し『スマッホ』のチェリーちゃんにも協力してもらいながら 立派な冒険者になるために 前世使えなかった魔法も喜んで覚え、なんだか百年に一人現れるかどうかの伝説の国に迷いこんだ『迷い人』にもなってしまって、その恩恵を受けようとする『当たり人』と呼ばれる人たちに貢がれたり…… ぜんぜん理想の田舎でまったりスローライフは送れないけど、しょうがないから伝説の国の魔道具を駆使して 気ままに快適冒険者を目指しながら 周りのみんなを無自覚でハッピーライフに巻き込んで? 楽しく生きていこうかな! ゆる〜いスローペースのご都合ファンタジーです。
小説家になろう様でも投稿をしております。
エリート警察官の溺愛は甘く切ない
日下奈緒
恋愛
親が警察官の紗良は、30歳にもなって独身なんてと親に責められる。
両親の勧めで、警察官とお見合いする事になったのだが、それは跡継ぎを産んで欲しいという、政略結婚で⁉

巻き込まれて気づけば異世界 ~その配達員器用貧乏にて~
細波
ファンタジー
(3月27日変更)
仕事中に異世界転移へ巻き込まれたオッサン。神様からチートもらってやりたいように生きる…
と思ってたけど、人から頼まれる。神から頼まれる。自分から首をつっこむ!
「前の世界より黒くないし、社畜感無いから余裕っすね」
周りの人も神も黒い!
「人なんてそんなもんでしょ? 俺だって黒い方だと思うし」
そんな元オッサンは今日も行く!
いい子ちゃんなんて嫌いだわ
F.conoe
ファンタジー
異世界召喚され、聖女として厚遇されたが
聖女じゃなかったと手のひら返しをされた。
おまけだと思われていたあの子が聖女だという。いい子で優しい聖女さま。
どうしてあなたは、もっと早く名乗らなかったの。
それが優しさだと思ったの?

報われなくても平気ですので、私のことは秘密にしていただけますか?
小桜
恋愛
レフィナード城の片隅で治癒師として働く男爵令嬢のペルラ・アマーブレは、騎士隊長のルイス・クラベルへ密かに思いを寄せていた。
しかし、ルイスは命の恩人である美しい女性に心惹かれ、恋人同士となってしまう。
突然の失恋に、落ち込むペルラ。
そんなある日、謎の騎士アルビレオ・ロメロがペルラの前に現れた。
「俺は、放っておけないから来たのです」
初対面であるはずのアルビレオだが、なぜか彼はペルラこそがルイスの恩人だと確信していて――
ペルラには報われてほしいと願う一途なアルビレオと、絶対に真実は隠し通したいペルラの物語です。
最強の英雄は幼馴染を守りたい
なつめ猫
ファンタジー
異世界に魔王を倒す勇者として間違えて召喚されてしまった桂木(かつらぎ)優斗(ゆうと)は、女神から力を渡される事もなく一般人として異世界アストリアに降り立つが、勇者召喚に失敗したリメイラール王国は、世界中からの糾弾に恐れ優斗を勇者として扱う事する。
そして勇者として戦うことを強要された優斗は、戦いの最中、自分と同じように巻き込まれて召喚されてきた幼馴染であり思い人の神楽坂(かぐらざか)都(みやこ)を目の前で、魔王軍四天王に殺されてしまい仇を取る為に、復讐を誓い長い年月をかけて戦う術を手に入れ魔王と黒幕である女神を倒す事に成功するが、その直後、次元の狭間へと呑み込まれてしまい意識を取り戻した先は、自身が異世界に召喚される前の現代日本であった。
異世界へ誤召喚されちゃいました~女神の加護でほのぼのスローライフ送ります~
モーリー
ファンタジー
⭐︎第4回次世代ファンタジーカップ16位⭐︎
飛行機事故で両親が他界してしまい、社会人の長男、高校生の長女、幼稚園児の次女で生きることになった御剣家。
保険金目当てで寄ってくる奴らに嫌気がさしながらも、3人で支え合いながら生活を送る日々。
そんな矢先に、3人揃って異世界に召喚されてしまった。
召喚特典として女神たちが加護やチート能力を与え、異世界でも生き抜けるようにしてくれた。
強制的に放り込まれた異世界。
知らない土地、知らない人、知らない世界。
不安をはねのけながら、時に怖い目に遭いながら、3人で異世界を生き抜き、平穏なスローライフを送る。
そんなほのぼのとした物語。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる