幾望の色

西薗蛍

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夜半の屋敷

95 約束のこと2-3

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「……メル?」

 ピクリとも動かなくなったメルリアを見て、クライヴは恐る恐る声をかける。すると、うたた寝していたところを突然起こされたかのように、びくりと体を震わせながら顔を上げた。

「えっ、と……」

 メルリアは表情を強ばらせながら、どうしていいか迷っていた。声をかけてもらったのだから、なにかを言うべきなのは分かっている。けれど、なにを言ったらいいのか分からない。頭の中が空っぽになってしまった。必死に記憶を辿りながら、今まで何の話をしていたかを思い起こす。やがて、メルリアの背筋がピンと伸びた。

「ベラミントから戻ってきた後の……、クライヴさんがグローカス案内してくれるの、すごく楽しみにしてるから……!」

 呼吸をしているのか怪しいほど、メルリアは次々に言葉を吐き出す。

 圧倒されたように、クライヴは空返事を零した。その返事を聞きながら、彼女は運動をした後のように深い呼吸を繰り返す。やがて、脱力したようにソファに背中を預けた。

「……大丈夫か? 具合でも悪いのか?」
「ううん……そんなことない。大丈夫」

 メルリアはぐったりとソファに体を預け、目を閉じる。そんな中、彼女に用意されたティーカップが新しいものへ変わった。すかさずこぽこぽと音を立てながら、薄黄緑色の液体がティーカップに注がれる。しっとりとした草花の香りだ。その香りにゆっくりと目を開く。

「どうぞ。少し心が楽になりますよ」
「あ、ありがとうございます」

 メルリアはソファの縁に手をかけ、ゆっくりと上体を起こす。きちんと背を正して座り直すと、ティーカップを手に取った。カップの白色が、茶の黄緑色をくっきり映し出す。湯気を伝って昇る甘酸っぱい香りに、体の緊張が解けていく事を感じていた。

 この香りの正体を知っている。エプリ食堂で働いていた時によく作ったカモミールティーだ。リンゴを思わせる香りのそれは、メルリアのお気に入りだった。カップを傾ければ、口の中いっぱいにカモミールが香る。鼻に抜ける匂い。ゆっくりと飲み込めば、喉奥から胃に伝わるハーブティーの熱。体の内側から温められ、ほっと息をついた。

「メル。今日、言えなかった話……。今度、聞いてくれるか?」

 メルリアはティーカップを持ったまま顔を上げた。

 エルヴィーラに呼び出される直前の、あの話のことだろう。今日はもういいと言ったあの声はひどく疲れていたが、今は先ほどのように暗い表情ではない。

 左手でもティーカップを支える。カップ越しに、人差し指と中指に確かな熱を感じた。

「うん。私はいつでも大丈夫だよ。今じゃなくて平気?」
「今は……」

 クライヴは言い淀みながら、辺りを見回す。真っ先に目に入ったのは、向かいに座るシャムロックの姿だ。彼はあえてクライヴから視線を逸らしているが、間近にいることに変わりはない。彼らから二メートルほど距離を取るウェンディは、こちらの様子をつくづく見つめている。百歩譲ってシャムロックはともかく、ここまで他人からしげしげと見つめられては話題を振ることもできない。

「……いや、今はいい」
「うん、分かった」

 疑問に首をかしげながらも、メルリアはそれ以上問うことはなかった。話の内容は気になるが、話してくれる事には変わりない。もう少し待とうと、再びティーカップを傾けた。

「それじゃあ、私はひいおじい様と話をしてくるね」

 用意されたカモミールティーを飲み終え、ティーカップをテーブルの端に寄せ、立ち上がった。

「ああ」

 メルリアはクライヴに手を振った後、シャムロックに頭を下げた。部屋を出て行こうとするメルリアを見ると、ウェンディは部屋の扉を開く。その先には、しんしんと闇が広がっていた。ハンガースタンドに止まっていた乙夜鴉が、待っていましたといわんばかりに羽を広げる。廊下の闇に吸い込まれるように降り立つと、羽をたたみ客人をじっと待った。

 メルリアはウェンディにも頭を下げると、そのまま部屋を後にした。
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