幾望の色

西薗蛍

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夜半の屋敷

95 約束のこと2-2

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 ああ、そうだったのか。メルリアは心の中で呟く。あの色を見たのは、あの時が初めてではなかったのだ。

「……それに、クライヴさんの目のおかげで、私は助かったんだと思うよ」

 部分的に思い出せたとはいえ、彼女の中で、あの一瞬の記憶はひどく断片的だった。それに途中で気絶してしまったせいで、全ての事は知らない。ただ、その中でも、クライヴの声は覚えている。最後に一瞬見た彼の表情も覚えている。自分を守ってくれたあの感覚も。それならば、怖いと思うこと自体おこがましいのではないか――その実感が、優しい熱と共に胸の奥へと染み込んでいく。

「いや、そんな、ことは……」

 ないはずだ、とクライヴの視線が泳ぐ。

 隣に座るメルリアの笑顔が眩しければ眩しいほど、彼の中には罪悪感が募っていった。この瞳はメルリアを怖がらせただけだと思っていたし、最悪の場合傷つけてしまったかもしれないのだ。事実として、あの嫌な空想は今でも脳裏に焼き付いている。どうにかして否定したいものの、どうしたらいいのか分からない。断言できるほど、自分は月夜鬼についての知識がないからだ。そのまま言葉を紡げずに口を閉ざす。言葉を濁した後に訪れる沈黙というのは居心地が悪い。嫌な沈黙だ、と思った。

 やがて、それを埋めるように、陶器の高い音がした。シャムロックがコーヒーカップを手に取ったのだ。カップから漏れる湯気は細く頼りなく、気をつけずとも火傷せずに飲める温度だと伝える。

「メルリアの言うことは間違いではないと思う」

 向かい合って座る二人が、同時にシャムロックを見る。片方は興味深そうに、片方は探るように。

「月夜鬼は夜を生きる分、周囲の感覚に敏感だと言われている。その時、クライヴにとって、普段と違う変化が現れても不思議ではない」

 クライヴはその言葉に俯いた。胸に手を当てるまでもない。心当たりは大いにある。普段聞き逃すような物音もはっきり聞こえていたし、何より周囲の景色がとても遅く感じた。今までこんな経験をしたことはなかった。自分に流れている血がそうさせるというならば、その方が説得力がある。……だとすれば、自分のしたことは本当に無駄ではなかった。胸の奥から溢れる感情をごまかすように、クライヴは奥歯を噛んだ。

「それにしても、なんだか不思議だね。私もクライヴさんも……半夜、っていうんだっけ。同じ月夜鬼の血が流れてたんだね」

 メルリアは一つ息をついた。安らいだ表情のまま、夜空に浮かぶ月へ手を伸ばす。月光に照らされた右手の輪郭が、月明かりで青白く光った。月満草を思わせるその色に目を細める。己の存在を知ったせいだろうか、その光を心地よく感じていた。

「ひいおじい様から聞いたんだけど……。月夜鬼も、それから半夜も、お互いを引き寄せる性質なんだって」

 月に伸ばしていた手を下ろすと、隣に座るクライヴを見た。クライヴがこちらの様子を目で追っている。その視線に気づくなり、メルリアは照れくさそうに笑った。

「私、旅先で出会えたのがクライヴさんでよかった」

 ――彼女の旅路にはいつも月夜鬼の影があった。全く違う道を辿っていた四人の線が、血筋によって時折同じ場所を辿る。その交わる線を辿っていたのが、クライヴで、エルヴィーラで、シャムロックでよかったと、心から思った。みんな心根が優しい。悪意ある人物が同じ道を辿ったとあれば、自分はどうなっていたか分からない。その実感が、メルリアの心の奥底に染み入る。

「俺も……」

 クライヴはか細く呟いた。頼りなさげに視線を迷わせていると、やがて意を決して顔を上げる。

「俺も、傍にいてくれたのがメルリアでよかったと思ってる」

 その声は、はっきりと力強いものであった。嘘偽りなく、伝えることに躊躇いなどあるはずもない心の内がそうさせる。

 その言葉を聞くなり、メルリアの青色の瞳が大きく見開かれた。どくりと心臓が脈打った音を、耳元で聞いたような錯覚に陥る。

「メルに会えてよかったって、本当に思うよ」

 クライヴはメルリアに出会えていなかったのならば――仮に月夜鬼の血の性質でシャムロックと知り合ったとしても、彼の言葉を受け入れられはしなかっただろう。

 シャムロックと知り合えたとしても、そうでなくても、メルリアに出会わなければ、自分は一生わけのわからない発作に苦しめられ続けていた事は想像に難くない。

 それは痛いほど分かっている。

 しかしクライヴはそのことを口には出さず、心の内にとどめた。
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