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夜半の屋敷
92 思わぬ再会2-2
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「念のため、メルリア様にお伝えすることがございます」
傍らに立つウェンディが、ああ忘れていたといった風に手を合わせる。
慌てて紅茶を飲み込もうとするメルリアを見て、構いませんとウェンディは手で制した。
「夜半の屋敷に住まう者は皆、月夜鬼です。私も、お嬢様も、シャムロック様も」
向かいに座るテオフィールが、こちらに向かってにこにこと手を振った。その様子を見たウェンディはあなたはいいでしょうと冷たい目で刺すと、呆れたため息をついた。
メルリアはきょとん、と目を丸くする。テオフィールと瞳の深紅と、ウェンディの瞳の深紅を探る。お互いに赤であることに変わりはないが、それぞれの質が異なるように思えた。そのままシャムロックとエルヴィーラの表情を思い出す。二人も似たような赤い瞳をしているが、やはり少しだけ違う。けれど、テオフィールとエルヴィーラの瞳はどこかが似ている気がした。
……似ている、といえば。
記憶の中から赤い瞳を探す中、ある時の光景が浮かびあがってきた。
それは、夜の森の出来事。こちらの両肩を痛いくらいに掴む男の両手の感覚。苦しげに呻く声、余裕のない表情。俺が欲しいのは――と喉の奥から絞り出したようなか細い声に、自分を見据える赤い瞳の色。驚愕で脳裏に焼き付いた、酷く暴力的な色だった。
それはほんの少し前――。魔女の村で、クライヴの瞳が赤く変わったところを見たことがある。あの時は、幻でも見たのではないかと呆然としていた。だけど、この色は。
脱力したように、テーブルの端にスプーンを置く。カチリ、と高い音が立った。
メルリアは顔を上げると、テオフィールを真っ直ぐ見つめた。
「月夜鬼の特徴の一つって、目が赤いことですよね?」
「うん、そうだね」
困惑に揺れる声を聞きながらも、しかしテオフィールは穏やかに言葉を返した。
「お連れの――クライヴ様は半夜ですね。月夜鬼の血が流れている人間のことです」
メルリアの胸の内を見透かしたように、ウェンディは傍らではっきりと口にした。言葉の強さと同じ、力強い眼差しでこちらを見据えている。メルリアはその瞳をじっくりと見つめ、再認識した。やはり似ている赤だ、と。
「近い親族に月夜鬼がいるのでしょう。メルリア様と同じように」
「私と……」
メルリアは自身の左胸に手を置いた。規則正しく脈打つ鼓動が、手のひらから伝わってくる。その鼓動は特別早いわけではないが、落ち着いている時のように静かなものでもない。
どっちつかずに脈打つ鼓動へ問いかける。自分が生きてきた中で、クライヴが言うような――そして自分が見たような喉の渇きを感じたことはない。自分の顔は鏡がなければ見えないが、目の色を特別指摘されたことはなかった。もっとも、相手が触れなかっただけかもしれないが。
「メルリア様含め、一般的な半夜とは異なり、我々の血が少々濃いばかりに何かと苦労されたようですが」
苦労――。左胸に置いた手を握りしめた。メルリアはクライヴに変わることはできない。発作が起こった時、自分は何もできなかった。一度ならず三度も。彼の苦しみの上澄みだけを知っているだけに過ぎないのだと思うと、胸の奥がずきりと痛んだ。
「今、別室でシャムロック様はクライヴ様に苦労の理由と原因、対処法をお話しされているかと」
その言葉を聞くと、痛みと苦みに歪んだ表情が、ふっと和らいでいく。本当にもう大丈夫なんだと安堵の気持ちがそうさせた。しかし胸の内は変わらない。その痛みに蓋をするようにメルリアは笑顔を作った。
「よかった。……でも私、辛いのが分かっていて何もできませんでした」
同じ半夜であったのなら、できたことがあったかもしれないのに。走り去る背中を思い返しながら、メルリアは右手を握りしめた。
「メルリアは、そのクライヴって子といつ知り合ったの?」
テオフィールがこちらへ気さくな笑顔を向けてくる。背中を押されるように、メルリアはテオフィールにこれまでの事を伝えた。
ベラミントの村から出た時に初めて会ったこと。エピナールの教会を抜け、シーバに辿り着いた時に彼と再会したこと。シーバからヴェルディグリに向かう間、街道で偶然鉢合わせし、御者を助けるため共に馬車でヴェルディグリへ向かったこと。ヴェルディグリを出た直後の街道でクライヴと再会したこと、つい先日まで理由あって二人でミスルトーに世話になっていたこと……。
メルリアの話を聞くテオフィールは、うんうんとにこやかに頷きながらも、時折硬い表情を見せた。しかし、曾孫の視線に気づくとすぐに笑ってみせた。
傍らに立つウェンディが、ああ忘れていたといった風に手を合わせる。
慌てて紅茶を飲み込もうとするメルリアを見て、構いませんとウェンディは手で制した。
「夜半の屋敷に住まう者は皆、月夜鬼です。私も、お嬢様も、シャムロック様も」
向かいに座るテオフィールが、こちらに向かってにこにこと手を振った。その様子を見たウェンディはあなたはいいでしょうと冷たい目で刺すと、呆れたため息をついた。
メルリアはきょとん、と目を丸くする。テオフィールと瞳の深紅と、ウェンディの瞳の深紅を探る。お互いに赤であることに変わりはないが、それぞれの質が異なるように思えた。そのままシャムロックとエルヴィーラの表情を思い出す。二人も似たような赤い瞳をしているが、やはり少しだけ違う。けれど、テオフィールとエルヴィーラの瞳はどこかが似ている気がした。
……似ている、といえば。
記憶の中から赤い瞳を探す中、ある時の光景が浮かびあがってきた。
それは、夜の森の出来事。こちらの両肩を痛いくらいに掴む男の両手の感覚。苦しげに呻く声、余裕のない表情。俺が欲しいのは――と喉の奥から絞り出したようなか細い声に、自分を見据える赤い瞳の色。驚愕で脳裏に焼き付いた、酷く暴力的な色だった。
それはほんの少し前――。魔女の村で、クライヴの瞳が赤く変わったところを見たことがある。あの時は、幻でも見たのではないかと呆然としていた。だけど、この色は。
脱力したように、テーブルの端にスプーンを置く。カチリ、と高い音が立った。
メルリアは顔を上げると、テオフィールを真っ直ぐ見つめた。
「月夜鬼の特徴の一つって、目が赤いことですよね?」
「うん、そうだね」
困惑に揺れる声を聞きながらも、しかしテオフィールは穏やかに言葉を返した。
「お連れの――クライヴ様は半夜ですね。月夜鬼の血が流れている人間のことです」
メルリアの胸の内を見透かしたように、ウェンディは傍らではっきりと口にした。言葉の強さと同じ、力強い眼差しでこちらを見据えている。メルリアはその瞳をじっくりと見つめ、再認識した。やはり似ている赤だ、と。
「近い親族に月夜鬼がいるのでしょう。メルリア様と同じように」
「私と……」
メルリアは自身の左胸に手を置いた。規則正しく脈打つ鼓動が、手のひらから伝わってくる。その鼓動は特別早いわけではないが、落ち着いている時のように静かなものでもない。
どっちつかずに脈打つ鼓動へ問いかける。自分が生きてきた中で、クライヴが言うような――そして自分が見たような喉の渇きを感じたことはない。自分の顔は鏡がなければ見えないが、目の色を特別指摘されたことはなかった。もっとも、相手が触れなかっただけかもしれないが。
「メルリア様含め、一般的な半夜とは異なり、我々の血が少々濃いばかりに何かと苦労されたようですが」
苦労――。左胸に置いた手を握りしめた。メルリアはクライヴに変わることはできない。発作が起こった時、自分は何もできなかった。一度ならず三度も。彼の苦しみの上澄みだけを知っているだけに過ぎないのだと思うと、胸の奥がずきりと痛んだ。
「今、別室でシャムロック様はクライヴ様に苦労の理由と原因、対処法をお話しされているかと」
その言葉を聞くと、痛みと苦みに歪んだ表情が、ふっと和らいでいく。本当にもう大丈夫なんだと安堵の気持ちがそうさせた。しかし胸の内は変わらない。その痛みに蓋をするようにメルリアは笑顔を作った。
「よかった。……でも私、辛いのが分かっていて何もできませんでした」
同じ半夜であったのなら、できたことがあったかもしれないのに。走り去る背中を思い返しながら、メルリアは右手を握りしめた。
「メルリアは、そのクライヴって子といつ知り合ったの?」
テオフィールがこちらへ気さくな笑顔を向けてくる。背中を押されるように、メルリアはテオフィールにこれまでの事を伝えた。
ベラミントの村から出た時に初めて会ったこと。エピナールの教会を抜け、シーバに辿り着いた時に彼と再会したこと。シーバからヴェルディグリに向かう間、街道で偶然鉢合わせし、御者を助けるため共に馬車でヴェルディグリへ向かったこと。ヴェルディグリを出た直後の街道でクライヴと再会したこと、つい先日まで理由あって二人でミスルトーに世話になっていたこと……。
メルリアの話を聞くテオフィールは、うんうんとにこやかに頷きながらも、時折硬い表情を見せた。しかし、曾孫の視線に気づくとすぐに笑ってみせた。
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