164 / 197
夜半の屋敷
91 思わぬ再会1-3
しおりを挟む
今日も、本来ならそういった方法で構わないはずだった。しかし、精鋭部隊の半分ほどが来客のために持ち場を離れている。テオフィールがこの変化に気づき、今からメルリアが来ると分かれば、どんな手を使ってでも逃げ出すだろう――そう危惧したウェンディは、数日前に屋敷の地下室から足枷二つと、石造りの無骨な椅子を一脚引っ張り出した。腕を拘束していたベルトは、先日購入したばかりの新品である。
後に、それらしい理由をつけて彼を部屋へ呼び出し、あることないこと吹き込みつつも素早い手際で彼を縛り上げたのだった。
「以上です」
道中顔を白黒させるテオフィールを横目に、ウェンディは淡々と言い切った。エプロンのポケットから銀色の鍵を取り出すと、左足の鍵を開いた。両腕の拘束も解かれ、彼の身は自由となった。しかし、その表情は晴れない。メルリアも同じような表情をして、テオフィールの瞳を見つめていた。
メルリアはあの当時、テオフィールによく懐いていた。日が落ちてからとはいえ、話し相手も、遊び相手もいなかった彼女にとって、彼と話す時間はとても楽しかった。だが、テオフィールにしてみたらどうだったのだろうか。それは分からない。
「ひいおじいさまは、私に会いたくなかった……?」
メルリアは胸の前で手を組むと、ぽつりと零した。本当は、楽しかったのは自分だけで――迷惑だったのではないかと、そう思えたからだ。
「それは違うよ」
テオフィールは再び、はっきりと否定した。メルリアの疑念が広がらぬよう、迅速に。
「ウェンディも言ってたでしょ。……オレ、甲斐性ないんだよね」
冗談を話すように苦笑を交えると、傍らのメイドからそうですねと言わんばかりの鋭い視線を感じた。場を和ませる冗談のつもりが意味をなさないなと苦笑する。視線を逸らすと、テーブルに置きっぱなしになっていた空のバスケットが目に入った。かつて――、八年前、バスケットに入ったリンゴを手に取り、こちらに微笑みかける幼いメルリアの顔が思い浮かぶ。何の疑惑もない眩しいほどの笑顔。あの時、メルリアは自分に懐いていた。分かっていたことだ。
……だから。
「怖かったんだ。久しぶりにメルリアに会って、なんて言われるか」
テオフィールはメルリアの表情を見ないまま、淡々と続けた。
「突然黙っていなくなったし、そもそもオレは人間じゃないし……。嫌われてるんじゃないかって思ってた」
その言葉にメルリアははっとする。視界に映るテオフィールと、記憶の中の人物の姿とを重ね合わせる。まだ新しい記憶だ。あの時、彼女が見せた、恐れに揺れる赤い瞳も、恐れに震え、どこか上擦ったような高い声も――目の前と、本当によく似ていると思った。
二人の立場は異なれど、抱えている感情は全く同じ。
だからこそ、メルリアは同じように笑った。
「嫌いになんてなりません」
腕の動きを制限する皮はない。歩みを縛る足枷もない。身の自由をもう一度確認してから、テオフィールは曾孫娘をそっと抱きしめた。その力は随分と弱々しい。添える程度の力でメルリアの肩を抱く。もう彼女に合わせて屈む必要はなくなった。彼が生きた時間からすればわずかな時の流れだというのに、それはずっとずっと昔のことのように感じられた。
「大きくなったね。……本当に」
それは彼女の曾祖父としての、テオフィール・ゼーベックとしての言葉だった。
月夜鬼である彼の体は、メルリアと比べるとやはり冷たい。しかしこの体温も、添えられる程度に触れる腕の力も、あの時と何一つ変わっていなかった。テオフィールの口から控えめに嗚咽が漏れる。それを聞いていると、メルリアも目頭に重たい違和感を覚えた。
悲しいことなんて、なにもないはずなのに。
メルリアは瞳を閉じると、そのまま静かに涙を零した。
後に、それらしい理由をつけて彼を部屋へ呼び出し、あることないこと吹き込みつつも素早い手際で彼を縛り上げたのだった。
「以上です」
道中顔を白黒させるテオフィールを横目に、ウェンディは淡々と言い切った。エプロンのポケットから銀色の鍵を取り出すと、左足の鍵を開いた。両腕の拘束も解かれ、彼の身は自由となった。しかし、その表情は晴れない。メルリアも同じような表情をして、テオフィールの瞳を見つめていた。
メルリアはあの当時、テオフィールによく懐いていた。日が落ちてからとはいえ、話し相手も、遊び相手もいなかった彼女にとって、彼と話す時間はとても楽しかった。だが、テオフィールにしてみたらどうだったのだろうか。それは分からない。
「ひいおじいさまは、私に会いたくなかった……?」
メルリアは胸の前で手を組むと、ぽつりと零した。本当は、楽しかったのは自分だけで――迷惑だったのではないかと、そう思えたからだ。
「それは違うよ」
テオフィールは再び、はっきりと否定した。メルリアの疑念が広がらぬよう、迅速に。
「ウェンディも言ってたでしょ。……オレ、甲斐性ないんだよね」
冗談を話すように苦笑を交えると、傍らのメイドからそうですねと言わんばかりの鋭い視線を感じた。場を和ませる冗談のつもりが意味をなさないなと苦笑する。視線を逸らすと、テーブルに置きっぱなしになっていた空のバスケットが目に入った。かつて――、八年前、バスケットに入ったリンゴを手に取り、こちらに微笑みかける幼いメルリアの顔が思い浮かぶ。何の疑惑もない眩しいほどの笑顔。あの時、メルリアは自分に懐いていた。分かっていたことだ。
……だから。
「怖かったんだ。久しぶりにメルリアに会って、なんて言われるか」
テオフィールはメルリアの表情を見ないまま、淡々と続けた。
「突然黙っていなくなったし、そもそもオレは人間じゃないし……。嫌われてるんじゃないかって思ってた」
その言葉にメルリアははっとする。視界に映るテオフィールと、記憶の中の人物の姿とを重ね合わせる。まだ新しい記憶だ。あの時、彼女が見せた、恐れに揺れる赤い瞳も、恐れに震え、どこか上擦ったような高い声も――目の前と、本当によく似ていると思った。
二人の立場は異なれど、抱えている感情は全く同じ。
だからこそ、メルリアは同じように笑った。
「嫌いになんてなりません」
腕の動きを制限する皮はない。歩みを縛る足枷もない。身の自由をもう一度確認してから、テオフィールは曾孫娘をそっと抱きしめた。その力は随分と弱々しい。添える程度の力でメルリアの肩を抱く。もう彼女に合わせて屈む必要はなくなった。彼が生きた時間からすればわずかな時の流れだというのに、それはずっとずっと昔のことのように感じられた。
「大きくなったね。……本当に」
それは彼女の曾祖父としての、テオフィール・ゼーベックとしての言葉だった。
月夜鬼である彼の体は、メルリアと比べるとやはり冷たい。しかしこの体温も、添えられる程度に触れる腕の力も、あの時と何一つ変わっていなかった。テオフィールの口から控えめに嗚咽が漏れる。それを聞いていると、メルリアも目頭に重たい違和感を覚えた。
悲しいことなんて、なにもないはずなのに。
メルリアは瞳を閉じると、そのまま静かに涙を零した。
0
お気に入りに追加
0
あなたにおすすめの小説

男爵家の厄介者は賢者と呼ばれる
暇野無学
ファンタジー
魔法もスキルも授からなかったが、他人の魔法は俺のもの。な~んちゃって。
授けの儀で授かったのは魔法やスキルじゃなかった。神父様には読めなかったが、俺には馴染みの文字だが魔法とは違う。転移した世界は優しくない世界、殺される前に授かったものを利用して逃げ出す算段をする。魔法でないものを利用して魔法を使い熟し、やがては無敵の魔法使いになる。

俺だけLVアップするスキルガチャで、まったりダンジョン探索者生活も余裕です ~ガチャ引き楽しくてやめられねぇ~
シンギョウ ガク
ファンタジー
仕事中、寝落ちした明日見碧(あすみ あおい)は、目覚めたら暗い洞窟にいた。
目の前には蛍光ピンクのガチャマシーン(足つき)。
『初心者優遇10連ガチャ開催中』とか『SSRレアスキル確定』の誘惑に負け、金色のコインを投入してしまう。
カプセルを開けると『鑑定』、『ファイア』、『剣術向上』といったスキルが得られ、次々にステータスが向上していく。
ガチャスキルの力に魅了された俺は魔物を倒して『金色コイン』を手に入れて、ガチャ引きまくってたらいつのまにか強くなっていた。
ボスを討伐し、初めてのダンジョンの外に出た俺は、相棒のガチャと途中で助けた異世界人アスターシアとともに、異世界人ヴェルデ・アヴニールとして、生き延びるための自由気ままな異世界の旅がここからはじまった。
うちの冷蔵庫がダンジョンになった
空志戸レミ
ファンタジー
一二三大賞3:コミカライズ賞受賞
ある日の事、突然世界中にモンスターの跋扈するダンジョンが現れたことで人々は戦慄。
そんななかしがないサラリーマンの住むアパートに置かれた古びた2ドア冷蔵庫もまた、なぜかダンジョンと繋がってしまう。部屋の借主である男は酷く困惑しつつもその魔性に惹かれ、このひとりしか知らないダンジョンの攻略に乗り出すのだった…。
【完結】恋は、終わったのです
楽歩
恋愛
幼い頃に決められた婚約者、セオドアと共に歩む未来。それは決定事項だった。しかし、いつしか冷たい現実が訪れ、彼の隣には別の令嬢の笑顔が輝くようになる。
今のような関係になったのは、いつからだったのだろう。
『分からないだろうな、お前のようなでかくて、エマのように可愛げのない女には』
身長を追い越してしまった時からだろうか。
それとも、特進クラスに私だけが入った時だろうか。
あるいは――あの子に出会った時からだろうか。
――それでも、リディアは平然を装い続ける。胸に秘めた思いを隠しながら。
能力値カンストで異世界転生したので…のんびり生きちゃダメですか?
火産霊神
ファンタジー
私の異世界転生、思ってたのとちょっと違う…?
24歳OLの立花由芽は、ある日異世界転生し「ユメ」という名前の16歳の魔女として生きることに。その世界は魔王の脅威に怯え…ているわけでもなく、レベルアップは…能力値がカンストしているのでする必要もなく、能力を持て余した彼女はスローライフをおくることに。そう決めた矢先から何やらイベントが発生し…!?

神様の手違いで、おまけの転生?!お詫びにチートと無口な騎士団長もらっちゃいました?!
カヨワイさつき
恋愛
最初は、日本人で受験の日に何かにぶつかり死亡。次は、何かの討伐中に、死亡。次に目覚めたら、見知らぬ聖女のそばに、ポツンとおまけの召喚?あまりにも、不細工な為にその場から追い出されてしまった。
前世の記憶はあるものの、どれをとっても短命、不幸な出来事ばかりだった。
全てはドジで少し変なナルシストの神様の手違いだっ。おまけの転生?お詫びにチートと無口で不器用な騎士団長もらっちゃいました。今度こそ、幸せになるかもしれません?!

転生令嬢シルクの奮闘記〜ローゼ・ルディ学園の非日常〜
桜ゆらぎ
ファンタジー
西の大国アルヴァティアの子爵令嬢、シルク・スノウパール。
彼女は十六歳になる年の春、熱で倒れ三日間寝込んだ末に、全てを思い出した。
前世の自分は、日本生まれ日本育ちの女子高生である。そして今世の自分は、前世で遊び倒していた乙女ゲームの序盤に登場したきり出てこない脇役キャラクターである。
そんなバカな話があるかと頬をつねるも、痛みで夢ではないことを突きつけられるだけ。大人しく現実を受け入れて、ひとまず脇役としての役目を果たそうと、シルクは原作通りに動き出す。
しかし、ヒロインが自分と同じく転生者であるというまさかの事態が判明。
“王太子と幼なじみを同時に攻略する”という野望を持つヒロインの立ち回りによって、この世界は何もかも原作から外れていく。
平和な学園生活を送るというシルクの望みは、入学初日にしてあえなく打ち砕かれることとなった…
転生『悪役』公爵令嬢はやり直し人生で楽隠居を目指す
RINFAM
ファンタジー
なんの罰ゲームだ、これ!!!!
あああああ!!!
本当ならあと数年で年金ライフが送れたはずなのに!!
そのために国民年金の他に利率のいい個人年金も掛け、さらに少ない給料の中からちまちまと老後の生活費を貯めてきたと言うのに!!!!
一銭も貰えないまま人生終わるだなんて、あんまりです神様仏様あああ!!
かくなる上はこのやり直し転生人生で、前世以上に楽して暮らせる隠居生活を手に入れなければ。
年金受給前に死んでしまった『心は常に18歳』な享年62歳の初老女『成瀬裕子』はある日突然死しファンタジー世界で公爵令嬢に転生!!しかし、数年後に待っていた年金生活を夢見ていた彼女は、やり直し人生で再び若いままでの楽隠居生活を目指すことに。
4コマ漫画版もあります。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる