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夜半の屋敷
90 客室にて-2
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「メルリアです。お待たせしてしまい、申し訳ありません」
「お待ちしておりました、メルリア様。どうぞお入りください」
問いかけから返答まで、ほとんど時間はかからなかった。
ウェンディの言葉と共に、扉がゆっくりと押し開かれる。今後の話に少しの緊張を覚えながら、その様子をじっと見つめていた。
ここの部屋は他の部屋と異なり、どこか明るい。燭台やランタンなどの明かりが灯っているようだ。頼りない明るさであるのは変わらないが、ないよりはずっといい。橙色の光源の付近がぼんやりと照らされ、メルリアでも物の形や色がはっきりと見て取れる。まず目に入ったのは飾り棚だ。海を閉じ込めたような藍色の結晶、どこか落ち着いたユカリノ風の茶器、赤いラインが目を引くオウコウの絵皿。車輪のついた箱型の模型はズィルヴァーを象徴するものだ。どれも、ヴィリディアンでは馴染みのない物ばかりが並べられている。一つ一つじっくり見るだけでも日が暮れてしまいそうだった。傍らのチェストには本が数冊。ブックエンドがないせいで、何冊かが壁際に寄りかかるように情けなく倒れていた。出窓には月満草が一輪生けられている。カーテンのない窓が、周囲の森をはっきりと映し出している。
中央には、窓から差し込む光を背負う男がひとり。彼は、冷たい印象を匂わせる灰色の椅子にゆったりと腰掛けていた。
ウェンディは靴音を響かせると、部屋の扉をゆっくりと閉じる。
「お連れいたしました」
男へ耳打ちすると、ウェンディは彼の傍で控えた。
メルリアは恐る恐る一歩前へ出た。逆光で男の表情がよく分からなかったのだ。距離を詰めるたび、影の落ちていた男の顔が鮮明になっていく。黒い短髪に赤い瞳。年齢はシャムロックより七歳から十歳ほど年上。恐らく初老――四十代あたりだろう。
その様子を見つめながら、メルリアはさらに男へ近づいていく。やがて、その輪郭や表情をはっきりと認識した途端、足を止めた。
メルリアは知っていた。困ったように笑う表情も、冗談を言う時の軽い声も、少し大げさな手の振り方も。記憶にある姿と瓜二つの人物を前に、思わず息を吸う。あの時と同じ洋酒の匂いが鼻腔を刺激した。
「おばあちゃんの……親戚の、おじさん?」
恐る恐る尋ねると、肘掛けに置いたままの男の手がわずかに反応する。そのまま腕を上げようとしたが、すぐに力を抜いた。そこへ視線をやると、男は困ったように笑う。メルリアの記憶にある表情と、全く同じ顔をして。
「メルリア、久しぶり。……大きく、なったね」
震えながら紡いだその声が、彼女の記憶と一致した。やがて、胸の内にこみ上げてくる懐かしさと共に、当時の姿がよみがえってくる。
祖母の親戚で、自分が五歳から十歳くらいまで一緒に住んでいた人だ。夜勤だという彼は、夕方一人だった自分の面倒をずっと見てくれていた。
メルリアは驚きと困惑で目を見開く。どうしてあのおじさんがここにいるのだろう。
男は腕を上げようとしたが、重たい金属の感覚が肘に伝わって、諦めたように腕の力を抜いた。今の自分の状況を思い知らされたのだ。男が何か言いたげな視線をウェンディに向けるが、彼女は涼しい顔を貫く。しかし肘掛けの手が迷うように右往左往する様を見るなりウェンディはため息をついた。椅子の傍に膝を下ろすと、男の右肘を固定していたベルトの根元に鍵穴を差し込んだ。左にもそれを繰り返し、腕の拘束が解かれる。肘掛けに体重をかけ、男は体を歪に反らしながら立ち上がった。やっと格好がつくと、男は首の後ろを掻く。
ウェンディから注がれる鋭い視線に居心地の悪さを覚えながら、男は一つ咳払いした。その声を聞き、メルリアははっと我に返る。声も、姿も、何一つ変わらず自分の記憶のままなのに、背格好の印象だけが異なった。八歳の見る世界と、十八歳の見る景色が違うせいだ。
「……ロバータも言わなかったと思うから、ちゃんと自己紹介するね」
久しぶりに他人の口から聞く祖母の名前。そして、祖母を知る人物。メルリアの混乱は収まらないが、しかし真っ直ぐ男の目を見つめ返した。
男はその無垢な瞳の色を受け止めきれず、視線が泳ぐ。間を置いて、その強さを苦笑いで受け止めた。メルリアの右肩に冷たい手を置くと、彼は彼女のよく知る顔で微笑した。
「オレの名前はテオフィール・ゼーベック。ロバータの父で、君の曾祖父にあたる月夜鬼だ」
「お待ちしておりました、メルリア様。どうぞお入りください」
問いかけから返答まで、ほとんど時間はかからなかった。
ウェンディの言葉と共に、扉がゆっくりと押し開かれる。今後の話に少しの緊張を覚えながら、その様子をじっと見つめていた。
ここの部屋は他の部屋と異なり、どこか明るい。燭台やランタンなどの明かりが灯っているようだ。頼りない明るさであるのは変わらないが、ないよりはずっといい。橙色の光源の付近がぼんやりと照らされ、メルリアでも物の形や色がはっきりと見て取れる。まず目に入ったのは飾り棚だ。海を閉じ込めたような藍色の結晶、どこか落ち着いたユカリノ風の茶器、赤いラインが目を引くオウコウの絵皿。車輪のついた箱型の模型はズィルヴァーを象徴するものだ。どれも、ヴィリディアンでは馴染みのない物ばかりが並べられている。一つ一つじっくり見るだけでも日が暮れてしまいそうだった。傍らのチェストには本が数冊。ブックエンドがないせいで、何冊かが壁際に寄りかかるように情けなく倒れていた。出窓には月満草が一輪生けられている。カーテンのない窓が、周囲の森をはっきりと映し出している。
中央には、窓から差し込む光を背負う男がひとり。彼は、冷たい印象を匂わせる灰色の椅子にゆったりと腰掛けていた。
ウェンディは靴音を響かせると、部屋の扉をゆっくりと閉じる。
「お連れいたしました」
男へ耳打ちすると、ウェンディは彼の傍で控えた。
メルリアは恐る恐る一歩前へ出た。逆光で男の表情がよく分からなかったのだ。距離を詰めるたび、影の落ちていた男の顔が鮮明になっていく。黒い短髪に赤い瞳。年齢はシャムロックより七歳から十歳ほど年上。恐らく初老――四十代あたりだろう。
その様子を見つめながら、メルリアはさらに男へ近づいていく。やがて、その輪郭や表情をはっきりと認識した途端、足を止めた。
メルリアは知っていた。困ったように笑う表情も、冗談を言う時の軽い声も、少し大げさな手の振り方も。記憶にある姿と瓜二つの人物を前に、思わず息を吸う。あの時と同じ洋酒の匂いが鼻腔を刺激した。
「おばあちゃんの……親戚の、おじさん?」
恐る恐る尋ねると、肘掛けに置いたままの男の手がわずかに反応する。そのまま腕を上げようとしたが、すぐに力を抜いた。そこへ視線をやると、男は困ったように笑う。メルリアの記憶にある表情と、全く同じ顔をして。
「メルリア、久しぶり。……大きく、なったね」
震えながら紡いだその声が、彼女の記憶と一致した。やがて、胸の内にこみ上げてくる懐かしさと共に、当時の姿がよみがえってくる。
祖母の親戚で、自分が五歳から十歳くらいまで一緒に住んでいた人だ。夜勤だという彼は、夕方一人だった自分の面倒をずっと見てくれていた。
メルリアは驚きと困惑で目を見開く。どうしてあのおじさんがここにいるのだろう。
男は腕を上げようとしたが、重たい金属の感覚が肘に伝わって、諦めたように腕の力を抜いた。今の自分の状況を思い知らされたのだ。男が何か言いたげな視線をウェンディに向けるが、彼女は涼しい顔を貫く。しかし肘掛けの手が迷うように右往左往する様を見るなりウェンディはため息をついた。椅子の傍に膝を下ろすと、男の右肘を固定していたベルトの根元に鍵穴を差し込んだ。左にもそれを繰り返し、腕の拘束が解かれる。肘掛けに体重をかけ、男は体を歪に反らしながら立ち上がった。やっと格好がつくと、男は首の後ろを掻く。
ウェンディから注がれる鋭い視線に居心地の悪さを覚えながら、男は一つ咳払いした。その声を聞き、メルリアははっと我に返る。声も、姿も、何一つ変わらず自分の記憶のままなのに、背格好の印象だけが異なった。八歳の見る世界と、十八歳の見る景色が違うせいだ。
「……ロバータも言わなかったと思うから、ちゃんと自己紹介するね」
久しぶりに他人の口から聞く祖母の名前。そして、祖母を知る人物。メルリアの混乱は収まらないが、しかし真っ直ぐ男の目を見つめ返した。
男はその無垢な瞳の色を受け止めきれず、視線が泳ぐ。間を置いて、その強さを苦笑いで受け止めた。メルリアの右肩に冷たい手を置くと、彼は彼女のよく知る顔で微笑した。
「オレの名前はテオフィール・ゼーベック。ロバータの父で、君の曾祖父にあたる月夜鬼だ」
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