幾望の色

西薗蛍

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夜半の屋敷

90 客室にて-1

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 二人はエントランスへと戻ってきた。

 しんと静まりかえったこの場所に明かりはない。メルリアは周囲を見回した。目はある程度暗闇に慣れたとはいえ、やはり視界は普段の何倍も頼りない。

 しかし、左方へと続く廊下だけは違った。ぽつんと弱々しい光が、点となってそこに存在している。先ほどと全く場所を変えず、乙夜鴉はそこでただただメルリアを待っていたのだ。ぴたりとその場を動かずにいた乙夜鴉だが、やがて物音が響くと、そちらへと顔を向けた。音は赤い絨毯の質感に飲み込まれる事なく、鴉にははっきりと届く。

「……二人ともどうした?」

 その音に、メルリアだけ反応が遅れた。暗闇から突然現れた幽霊を発見したように、息が詰まる。やがて、それが自分のよく知る声であると気づくと、固まっていた体の力が抜ける。肺の中に押し込んでいた空気を口からゆっくり吐きだした。

 階段を降り、シャムロックの足が絨毯から石造りの床へ動く。確かな足音が暗闇に響いた。そこでやっと、メルリアは彼の足音を耳にした。

 エントランスは変わらず薄暗く、シャムロックの表情は読めない。彼の体の輪郭は細く、光り物の服飾がないことから、外套は脱いできたのだろう――ということだけは察することができた。

 ほっと胸をなで下ろし、メルリアはその影へ一歩踏み出す。

「あの、クライヴさんに……シャムロックさんが、少し遅くなるかもってお話ししようと中庭に行ったんですけど……」

 メルリアは暗闇の中、身振り手振りを交えながらこれまでの事を説明した。シャムロックが中庭に到達するのはもう少し後になると言うことを、中庭で待つクライヴに伝えようとした。が、彼の体が信じられないほど冷たく、それどころではなくなってしまった。取り敢えず風の当たらないエントランスに戻ってきたところだった。

 一通り説明を終えると、シャムロックはうなずいた。

「なるほどな」
「……あの、大丈夫でしたか?」

 メルリアは窺うようにシャムロックを見上げる。応えるように、彼は笑顔を向けた。

「ああ。ありがとう、背中を押してくれて」

 彼の表情は相変わらず暗闇に包まれていてよく見えない。しかし、声色は感情を映し出すように柔らかだ。その声を耳にすると、暗闇に向けて笑顔を作った。

 メルリアは周囲を見回すと、クライヴのものらしい人影にゆっくりと近づいていく。やはり、こちらの表情も分からない。手や腕の位置もよく見えない。恐らく顔らしい楕円に視線を向けた。

「それじゃあ、また後でね」
「……ああ」

 メルリアは小さく手を振ると、二人に背を向けた。左方の廊下で待つ乙夜鴉に声をかけると、彼は心得たとばかりに飛び去っていく。その光の軌跡を、ゆっくりと追いかけた。


 いくつもの扉を、いくつもの窓を通り過ぎる。

 廊下に面する半円形のアーチ窓にカーテンはなく、月明かりが廊下を照らしていた。それによって落ちた窓枠の影が、廊下に丸い模様を落としている。

 メルリアは時折窓の外に視線を向けながら、乙夜鴉が示すとおりの道を進んでいた。カーテンがないおかげで、道すがら目が飽きることはない。屋敷は似た景色が広がっているが、外は一歩進むごとに変化があった。大きな鉄塀に生け垣の緑。点々と咲く赤い花。山の遠くの緑。

 窓の外に見つけた花を数えていると、やがて乙夜鴉は最奥からひとつ手前の扉の前で羽を休めた。この部屋だ、と指し示すように左の翼だけを広げる。漆黒の羽根は光を反射し、青白く光っている。メルリアはその傍らに立ち、扉を指さした。

「この部屋でいいの?」

 問うと、乙夜鴉はくわえた月満草を足下に置いた。同意を示すよう、短く鳴く。相変わらずの渋い声は、聞き慣れてしまえばどこか味のある声だ。

 メルリアはその場でしゃがんだ。律儀にこちらを待つ乙夜鴉と目が合う。どこか青みがかった羽根とは違い、瞳は深い夜の色をしている。それを見つめながら微笑んだ。

「ここまで連れてきてくれてありがとう」

 当然だと言わんばかりに一鳴きすると、乙夜鴉は足下に置いた月満草をくわえ、一直線に来た道を帰っていく。キャンパスに一本線を伸ばしたかのような、綺麗な直線が闇に生まれた。月満草の零れた光が軌道を描き、余韻を残してゆっくりと黒へ溶けていく。心を奪われるその光を見つめたてから、扉に向き直った。わずかに見える焦げ茶の色を見つめながら、メルリアはその場に立ち尽くした。

 ウェンディとは今日知り合ったばかりだ。そんな彼女は、自分に一対一で話があるという。一体どういう内容なのだろう。クライヴとシャムロックがあの症状の話をしている間、邪魔にならないようにということだったらいいのだけれど……。

 震える手を押さえるように、握り拳を作る。力が音に現れぬよう、控えめに扉をノックした。
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