158 / 197
夜半の屋敷
89 淡く白く導く-1
しおりを挟む
足音が完全に消えた後、メルリアは足下にいる乙夜鴉へ視線を向けた。彼はちょこんとそこにとまったままこちらを見上げている。精巧な彫刻のように微動だにしない。
メルリアはどうしたらいいのか少し迷っていた。鴉の扱いがよく分からないのである。普通の鴉は夕刻の空を飛んでいたり、家の屋根で羽を休めていたり、道すがら何かをついばんでいるイメージがある。間近でその姿を目にしたことはあるが、だからといって特別近づくことはなかった。しかし、シャムロック曰く彼らはとても賢い生き物だという。事実シャムロックの言葉を理解しているようなそぶりはあったし、彼も「こちらの言葉は理解できているだろう」と言っていた。だとすれば、自分も同じようにすべきかもしれない。メルリアはごくりと唾を飲み込むと、恐る恐る乙夜鴉に問いかけた。
「えぇっと……、それじゃあ道案内よろしくお願いします」
これでこのまま動かなかったらどうしよう――と不安になったが、その不安は足下の音でかき消される。返事をするように乙夜鴉は低く艶のある声で鳴いたのだ。鴉にしてはやたらと色気のある声だ。例によって彼なりのいい声のつもりである。そのまま漆黒の翼を羽ばたかせ、メルリアの周りを二、三周ぐるりと回る。やがて彼は進路を変え、薄く開いた大窓の外へと飛び去ってしまった。
「あ、えっ……!?」
咄嗟に手を伸ばすが当然届くはずもなく、屋敷の中にはメルリアだけが取り残される。窓の外では、キィキィとコウモリが突然騒ぎ出した。その声を治めるように乙夜鴉は低い声で一鳴きすると、その騒ぎは嘘のように消えた。同時に、大窓から飛び立った乙夜鴉が姿を現す。嘴には広場に咲き誇っていた月満草をくわえていた。それはぼんやりと光っており、暗闇の中でもその存在をはっきりと知らせてくれる。
「採ってきてくれたの? ありがとう」
口が塞がっているせいで乙夜鴉は鳴くことができないが、堂々と胸を張っている姿がなんとなく見て取れた。どうやら彼は本当に人の言葉を理解できるようだ。疑っていたわけではないけれど――自分の言葉がきちんと通じた事にメルリアは安堵した。ああ言ってしまった手前、どうしたらいいかとシャムロックに聞きに行く事はできないのだ。
乙夜鴉は進行方向を向けというように嘴を向ける。月満草が光の粒子を零し、それが軌跡となって一つの線を描いた。
メルリアは彼に導かれるまま、屋敷の階段を一段一段ゆっくりと降りていった。
やがて最後の一段を下り、エントランスへと戻る。あの時は四人、そして今は一人と一羽だ。乙夜鴉は闇の空間に一筋の光の線を描きながら旋回していた。そのたびに、エントランスの壁面の形や明かりのない室内灯の姿があらわになる。時々額縁の中の絵画をも映し出した。幸いにも、ここには人物の顔が堂々と描かれた彫刻や肖像画の類いは見当たらなかった。もしそんなもの暗闇の中から這い出るよう浮かび上がっていたら……。考えるだけで彼女の背筋に悪寒が走る。慌てて頭を振り、その空想を振り切った。
エントランスをぐるりと回る乙夜鴉は、やがてこちらだと言うように左方の廊下に降り立った。シャムロック曰く、ウェンディは一階奥の客室で待っているという。中庭とは正反対の道だ。
メルリアは乙夜鴉の待つ左方の廊下を見つめた。月満草の光では、その奥を見通すことはできない。少し思案した後、その反対――中庭へ続く長い階段に目をやった。光一つないそちらはただただ闇が広がっており、彼女の目には何も映らない。目には。
先ほど乙夜鴉が旋回してくれたおかげで、どこに何の障害物があるか、ある程度見ることはできた。後はその記憶を辿り、壁を伝って歩けば問題なく進めるだろう。その暗闇を見つめると、ひとつ頷いた。
「ごめんね。すぐ戻ってくるから、ちょっとだけ待ってて」
左方の廊下の前でじっと待つ乙夜鴉に頭を下げた。そのまま行くべき方向とは逆に、己の記憶を見ながら歩き出した。
メルリアはどうしたらいいのか少し迷っていた。鴉の扱いがよく分からないのである。普通の鴉は夕刻の空を飛んでいたり、家の屋根で羽を休めていたり、道すがら何かをついばんでいるイメージがある。間近でその姿を目にしたことはあるが、だからといって特別近づくことはなかった。しかし、シャムロック曰く彼らはとても賢い生き物だという。事実シャムロックの言葉を理解しているようなそぶりはあったし、彼も「こちらの言葉は理解できているだろう」と言っていた。だとすれば、自分も同じようにすべきかもしれない。メルリアはごくりと唾を飲み込むと、恐る恐る乙夜鴉に問いかけた。
「えぇっと……、それじゃあ道案内よろしくお願いします」
これでこのまま動かなかったらどうしよう――と不安になったが、その不安は足下の音でかき消される。返事をするように乙夜鴉は低く艶のある声で鳴いたのだ。鴉にしてはやたらと色気のある声だ。例によって彼なりのいい声のつもりである。そのまま漆黒の翼を羽ばたかせ、メルリアの周りを二、三周ぐるりと回る。やがて彼は進路を変え、薄く開いた大窓の外へと飛び去ってしまった。
「あ、えっ……!?」
咄嗟に手を伸ばすが当然届くはずもなく、屋敷の中にはメルリアだけが取り残される。窓の外では、キィキィとコウモリが突然騒ぎ出した。その声を治めるように乙夜鴉は低い声で一鳴きすると、その騒ぎは嘘のように消えた。同時に、大窓から飛び立った乙夜鴉が姿を現す。嘴には広場に咲き誇っていた月満草をくわえていた。それはぼんやりと光っており、暗闇の中でもその存在をはっきりと知らせてくれる。
「採ってきてくれたの? ありがとう」
口が塞がっているせいで乙夜鴉は鳴くことができないが、堂々と胸を張っている姿がなんとなく見て取れた。どうやら彼は本当に人の言葉を理解できるようだ。疑っていたわけではないけれど――自分の言葉がきちんと通じた事にメルリアは安堵した。ああ言ってしまった手前、どうしたらいいかとシャムロックに聞きに行く事はできないのだ。
乙夜鴉は進行方向を向けというように嘴を向ける。月満草が光の粒子を零し、それが軌跡となって一つの線を描いた。
メルリアは彼に導かれるまま、屋敷の階段を一段一段ゆっくりと降りていった。
やがて最後の一段を下り、エントランスへと戻る。あの時は四人、そして今は一人と一羽だ。乙夜鴉は闇の空間に一筋の光の線を描きながら旋回していた。そのたびに、エントランスの壁面の形や明かりのない室内灯の姿があらわになる。時々額縁の中の絵画をも映し出した。幸いにも、ここには人物の顔が堂々と描かれた彫刻や肖像画の類いは見当たらなかった。もしそんなもの暗闇の中から這い出るよう浮かび上がっていたら……。考えるだけで彼女の背筋に悪寒が走る。慌てて頭を振り、その空想を振り切った。
エントランスをぐるりと回る乙夜鴉は、やがてこちらだと言うように左方の廊下に降り立った。シャムロック曰く、ウェンディは一階奥の客室で待っているという。中庭とは正反対の道だ。
メルリアは乙夜鴉の待つ左方の廊下を見つめた。月満草の光では、その奥を見通すことはできない。少し思案した後、その反対――中庭へ続く長い階段に目をやった。光一つないそちらはただただ闇が広がっており、彼女の目には何も映らない。目には。
先ほど乙夜鴉が旋回してくれたおかげで、どこに何の障害物があるか、ある程度見ることはできた。後はその記憶を辿り、壁を伝って歩けば問題なく進めるだろう。その暗闇を見つめると、ひとつ頷いた。
「ごめんね。すぐ戻ってくるから、ちょっとだけ待ってて」
左方の廊下の前でじっと待つ乙夜鴉に頭を下げた。そのまま行くべき方向とは逆に、己の記憶を見ながら歩き出した。
0
お気に入りに追加
0
あなたにおすすめの小説

5歳で前世の記憶が混入してきた --スキルや知識を手に入れましたが、なんで中身入ってるんですか?--
ばふぉりん
ファンタジー
「啞"?!@#&〆々☆¥$€%????」
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
五歳の誕生日を迎えた男の子は家族から捨てられた。理由は
「お前は我が家の恥だ!占星の儀で訳の分からないスキルを貰って、しかも使い方がわからない?これ以上お前を育てる義務も義理もないわ!」
この世界では五歳の誕生日に教会で『占星の儀』というスキルを授かることができ、そのスキルによってその後の人生が決まるといっても過言では無い。
剣聖 聖女 影朧といった上位スキルから、剣士 闘士 弓手といった一般的なスキル、そして家事 農耕 牧畜といったもうそれスキルじゃないよね?といったものまで。
そんな中、この五歳児が得たスキルは
□□□□
もはや文字ですら無かった
~~~~~~~~~~~~~~~~~
本文中に顔文字を使用しますので、できれば横読み推奨します。
本作中のいかなる個人・団体名は実在するものとは一切関係ありません。

乙女ゲームの悪役令嬢に転生したけど何もしなかったらヒロインがイジメを自演し始めたのでお望み通りにしてあげました。魔法で(°∀°)
ラララキヲ
ファンタジー
乙女ゲームのラスボスになって死ぬ悪役令嬢に転生したけれど、中身が転生者な時点で既に乙女ゲームは破綻していると思うの。だからわたくしはわたくしのままに生きるわ。
……それなのにヒロインさんがイジメを自演し始めた。ゲームのストーリーを展開したいと言う事はヒロインさんはわたくしが死ぬ事をお望みね?なら、わたくしも戦いますわ。
でも、わたくしも暇じゃないので魔法でね。
ヒロイン「私はホラー映画の主人公か?!」
『見えない何か』に襲われるヒロインは────
※作中『イジメ』という表現が出てきますがこの作品はイジメを肯定するものではありません※
※作中、『イジメ』は、していません。生死をかけた戦いです※
◇テンプレ乙女ゲーム舞台転生。
◇ふんわり世界観。ゆるふわ設定。
◇なろうにも上げてます。
集団召喚⁉︎ ちょっと待て!
春の小径
ファンタジー
楽しく遊んでいたオンラインゲーム(公開四ヶ月目)。
そんなある日発表された【特別クエスト】のお知らせ。
─── え?
ログインしたら異世界に召喚!
ゲームは異世界をモデルにしてたって⁉︎
偶然見つけた参加条件で私は不参加が認められたけど、みんなは洗脳されたように参加を宣言していた。
なんで⁉︎
死ぬかもしれないんだよ?
主人公→〈〉
その他→《》
です
☆他社でも同時公開しています

転生したおばあちゃんはチートが欲しい ~この世界が乙女ゲームなのは誰も知らない~
ピエール
ファンタジー
おばあちゃん。
異世界転生しちゃいました。
そういえば、孫が「転生するとチートが貰えるんだよ!」と言ってたけど
チート無いみたいだけど?
おばあちゃんよく分かんないわぁ。
頭は老人 体は子供
乙女ゲームの世界に紛れ込んだ おばあちゃん。
当然、おばあちゃんはここが乙女ゲームの世界だなんて知りません。
訳が分からないながら、一生懸命歩んで行きます。
おばあちゃん奮闘記です。
果たして、おばあちゃんは断罪イベントを回避できるか?
[第1章おばあちゃん編]は文章が拙い為読みづらいかもしれません。
第二章 学園編 始まりました。
いよいよゲームスタートです!
[1章]はおばあちゃんの語りと生い立ちが多く、あまり話に動きがありません。
話が動き出す[2章]から読んでも意味が分かると思います。
おばあちゃんの転生後の生活に興味が出てきたら一章を読んでみて下さい。(伏線がありますので)
初投稿です
不慣れですが宜しくお願いします。
最初の頃、不慣れで長文が書けませんでした。
申し訳ございません。
少しづつ修正して纏めていこうと思います。
公女様は愛されたいと願うのやめました。~態度を変えた途端、家族が溺愛してくるのはなぜですか?~
朱色の谷
恋愛
公爵家の末娘として生まれた幼いティアナ。
お屋敷で働いている使用人に虐げられ『公爵家の汚点』と呼ばれる始末。
お父様やお兄様は私に関心がないみたい。
ただ、愛されたいと願った。
そんな中、夢の中の本を読むと自分の正体が明らかに。
◆恋愛要素は前半はありませんが、後半になるにつれて発展していきますのでご了承ください。
前世は冷酷皇帝、今世は幼女
まさキチ
ファンタジー
2、3日ごとに更新します!
コミカライズ連載中!
――ひれ伏せ、クズ共よ。
銀髪に青翡翠の瞳、人形のような愛らしい幼女の体で、ユリウス帝は目覚めた。数え切れぬほどの屍を積み上げ、冷酷皇帝として畏れられながら大陸の覇者となったユリウス。だが気が付けば、病弱な貴族令嬢に転生していたのだ。ユーリと名を変え外の世界に飛び出すと、なんとそこは自身が統治していた時代から数百年後の帝国であった。争いのない平和な日常がある一方、貧困や疫病、それらを利用する悪党共は絶えない。「臭いぞ。ゴミの臭いがプンプンする」皇帝の力と威厳をその身に宿す幼女が、帝国を汚す悪を打ち払う――!

王命って何ですか?
まるまる⭐️
恋愛
その日、貴族裁判所前には多くの貴族達が傍聴券を求め、所狭しと行列を作っていた。
貴族達にとって注目すべき裁判が開かれるからだ。
現国王の妹王女の嫁ぎ先である建国以来の名門侯爵家が、新興貴族である伯爵家から訴えを起こされたこの裁判。
人々の関心を集めないはずがない。
裁判の冒頭、証言台に立った伯爵家長女は涙ながらに訴えた。
「私には婚約者がいました…。
彼を愛していました。でも、私とその方の婚約は破棄され、私は意に沿わぬ男性の元へと嫁ぎ、侯爵夫人となったのです。
そう…。誰も覆す事の出来ない王命と言う理不尽な制度によって…。
ですが、理不尽な制度には理不尽な扱いが待っていました…」
裁判開始早々、王命を理不尽だと公衆の面前で公言した彼女。裁判での証言でなければ不敬罪に問われても可笑しくはない発言だ。
だが、彼女はそんな事は全て承知の上であえてこの言葉を発した。
彼女はこれより少し前、嫁ぎ先の侯爵家から彼女の有責で離縁されている。原因は彼女の不貞行為だ。彼女はそれを否定し、この裁判に於いて自身の無実を証明しようとしているのだ。
次々に積み重ねられていく証言に次第に追い込まれていく侯爵家。明らかになっていく真実を傍聴席の貴族達は息を飲んで見守る。
裁判の最後、彼女は傍聴席に向かって訴えかけた。
「王命って何ですか?」と。
✳︎不定期更新、設定ゆるゆるです。
💚催眠ハーレムとの日常 - マインドコントロールされた女性たちとの日常生活
XD
恋愛
誰からも拒絶される内気で不細工な少年エドクは、人の心を操り、催眠術と精神支配下に置く不思議な能力を手に入れる。彼はこの力を使って、夢の中でずっと欲しかったもの、彼がずっと愛してきた美しい女性たちのHAREMを作り上げる。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる