幾望の色

西薗蛍

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夜半の屋敷

88 連れ去った先に-1

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 メルリアは手を引かれるままエントランスに連れられた。

 中庭にランタンを置きっぱなしにしてしまったせいで、周囲の景色は物の有る無ししか判らない。まだ夜目に慣れていなかった。しかし幸いにもエルヴィーラはいつもと同じ白い手袋をつけているおかげで、暗闇でもその形がくっきりと浮かび上がった。

 急ぎ足で歩を進めながら来た道に目をやる。眼前に広がるのは夜の闇。当たり前だがクライヴの姿はない。メルリアは不安そうにその黒をじっと見つめた。先ほどの彼の様子がどうしても気がかりだった。何の話があったんだろう。誰かがいると話しづらい事なのだろうか。落ち込んだ表情が脳裏に過り、視線を落とす。尋ねるべきだっただろうか。背後を気にしていると、前をゆくエルヴィーラの足が突然止まる。背中にぶつかる一歩手前で足を止めた。

「……メルに見せたいものがあるの」

 エルヴィーラはわずかに首をこちらへと向けると、再び手を引いた。彼女の表情は読めない。分かるはずがなかった。

「ウェンディに会う前に二階へ行くわ。階段に気をつけて」

 案内されるままに歩を進めると、石造りの床から赤い絨毯へ、地を踏む感触が変わる。足を包むふわりとしたそれは、ヴェルディグリのあの宿で感じたそれに近い。足裏から返ってくる感覚が柔らかすぎて、心地いいのだか居心地が悪いのかよく分からなかった。やはり慣れないな、とドキドキと落ち着かない胸の鼓動のまま、一歩一歩階段を上っていく。

 二人の間に会話はなかった。ただただ静かに手を引かれるまま、長く広い屋敷を歩く。周囲の状況を少しでも吸収しようと辺りを見回していたが、やがてその静寂に違和感を覚え始めた。

 ――なにかが、違う?

 屋敷の様子は彼女の目には分からない。けれど、なにかが足りない。なんだろう。エルヴィーラと一緒にいるのに? それに思い至り、はっと目を丸くする。そうして頭の中で過去と現在を比べるように思い浮かべ、やがてゆっくり口を開いた。

「……どうかしましたか?」
「どうか、って?」

 メルリアの前方から聞こえてくるのは、先ほど聞いたものと同じ凪いだ声だ。しかしその声色はどこか沈んでいる。

「なんだかエルヴィーラさん、元気がないような気がして……」

 今までと違うのだ。

 ヴェルディグリで共にシャノワールまで駆けたこと。ヴェルディグリの宿からネフリティスの工房へ向かった時のこと。そのどちらとも、エルヴィーラは笑顔を絶やさず、まるで踊るように街を駆け抜けていた。メルリアはあの時間が大好きだった。見慣れない街でも、エルヴィーラと共に歩くと楽しい。何気ない風景がキラキラと輝いて見える。それはきっと、エルヴィーラも楽しげだったからに違いないのだ。

 だというのに、今はどうだろう。屋敷の前で会ったエルヴィーラは以前のままだった。けれど中庭で会ってからは――今は、どうも違うよう。恐らく、彼女自身に何か思うことがあるのだろう――とメルリアは察した。

 エルヴィーラはその言葉に一瞬歩を止めそうになるが、構わずに前へ前へと進んでいく。時々頬に張り付く髪を鬱陶しげに耳にかけながら。

 やがて、彼女はバルコニーへ続くアーチ窓の前で立ち止まった。月明かりがバルコニーの白を、そして窓枠を、エルヴィーラの姿をはっきり映し出す。メルリアはそこでやっと彼女の表情を見た。彼女は笑っていた。けれどその表情はどこか力ない。

「ね、メル。私のこと、好き?」

 エルヴィーラはそっと手を離すと、こちらから二歩後退して距離を取った。背中の後ろで腕を組むと、悪戯っぽく笑って問いかける。

 その言葉に、メルリアは何度も首を縦に振った。やがて息をつき、彼女の赤い瞳を見つめながらふわりと微笑む。

「はい。エルヴィーラさんと一緒にいると、楽しいです」

 もっと相手のことを知りたいと思う。もっといろいろな話をしたいと思う。傍にいると落ち着くし、どこか懐かしい感覚を覚える。メルリアはエルヴィーラと一緒にいる時間が好きだったし、エルヴィーラのことも大切に思っていた。彼女を思う親愛の情は家族や姉妹に感じるものと同一である。傍にいると、話をしているととても安心する。メルリアが穏やかに笑うが、反対にエルヴィーラは視線を落とす。

「それは私が人間であるから言えること?」
「えぇと……?」

 質問の意図が分からず、言葉が詰まる。どうしてそんなことを聞くんだろう、と頭を捻らせると、エルヴィーラは諦めたように笑った。窓枠に手をかけるが、押し開くことはしない。ただ、その枠の縁を指でなぞるだけで。宵闇の空をいくつもの黒が横切っていく。それに構わず、彼女は人差し指を見つめて呟き言を漏らす。
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