幾望の色

西薗蛍

文字の大きさ
上 下
152 / 197
夜半の屋敷

87 中庭にて-2

しおりを挟む
 月の光に煌めくその花は、記憶にあるものよりずっと生き生きとしていた。記憶の中よりも花弁の光はずっと強いし、葉や茎がぼんやりとした光を放つことは知らなかった。実際にあの花を見つけたら、あの時のように触れてみたいと思っていた。つい先ほどまでは。けれど今はそれが怖いと思う。触れてしまえば、その輝きを損ねてしまうかもしれない。メルリアは何もせず、月満草と呼ばれた花を見つめるのみに留めた。輝きこそ記憶より強いものの、花の色や形は自分の知るものと相違ない。ほのかな風に、月満草が輝きながら揺れる。白雪のようにただ静かに、淡々と。その花が揺れるたび、息が詰まりそうな感覚を覚える。何度か息をのもうとするも、うまくいかない。

 呆然とその景色を見つめるメルリアを見て、シャムロックは言う。

「これは厳密には植物ではない。花鉱石と呼ばれる鉱物の一種だ」

 ロバータが病気で入院したのは五年前。祖母が病死し、メルリアが一人でも約束を果たそうと決心したのは三年前。

 ――やっと見つけたよ、おばあちゃん。

 胸の前で両手を握り、ただただ俯いた。目の前に見えるのは、あの日祖母の手の中にあったものと同じ花だ。滲んだ視界のまま輪郭を失った花々を見ていると、風に乗ってロバータが笑う明るい声が聞こえてくるようだった。

「――メルリアが探していた花はこれではないか?」

 メルリアは静かに顔を上げる。花に目をやっていたシャムロックが、こちらを見て穏やかに微笑んだ。その温かさと共に、喉の奥からじんとした痛みのようなものが巡る。

 はい、と。一つ頷こうとした言葉が、喉の奥から――舌の先に乗る辺りでぴたりと止まると、感慨や重み、感動と共に胸の奥へと沈んでいった。

「あ、あの、私……」

 鼻を詰まらせたような声をこぼし、言い渋る。確かにこの花で間違いはない。けれど――、後ろに視線を向けると、シャムロックは納得したように頷くと、苦笑を浮かべる。

「約束を破ったのは俺だ。すまない。だが、クライヴにも予めこれを見ておいてほしくてな」
「い、いえ、そんな! 私のわがままで」

 メルリアが慌てて首を振ると、彼女の左目から一筋の涙がこぼれ落ちる。その軌道を静かに見つめた後、シャムロックは中庭に咲く月満草に目を向け、静かに立ち去った。靴音一つ残さず、早々に。

「……さて、メルリア様。クライヴ様。お二人にはそれぞれお話がございますので、こちらの用意が調うまでこのままお待ちください」

 ウェンディの淡々とした声が中庭に響く。二人が頷くのを見ると、彼女はひとつ咳払いし、メルリアの足下に視線を向ける。

「メルリア様がいる場所までであれば近づいていただいても構いませんが、それ以上はお控えください。まあ、近づかれたら近づかれたで」

 ウェンディは言葉を濁すと、庭の端に目をやった。中庭を囲うように生える低木には葉がなく、枝だけが静かに伸びている。だというのに、葉や実が成っているように、黒い塊が点々としていた。やがてその実が木から離れると、羽音を立てずにメイドの頭上にとまる。

「う」

 クライヴはそれに気づくと、傷口がずきりと痛んだ。先ほど彼を噛んできた小型のコウモリである。人懐っこいのかそうではないのか、やはりこれも彼に向かって、くあっと大口を開けた。牙の先は薄汚れている。

 ウェンディはごく自然な動作で頭と顎を探り当てると、そのままその口を無理矢理閉じさせた。子犬が頭を垂れるような高い音を漏らし、コウモリは素直に従った。

「クライヴ様はご存じのようですが、それ以上近づかれますと……。くれぐれもご留意くださいませ」
「分かってます」

 その言葉に、ウェンディはふっと表情を崩した。少々お待ちくださいませと頭を下げると、彼女も屋敷の中へ戻っていく。シャムロックとは異なり、靴音がしっかりと響いた。

 やがてその音が消えると、クライヴは一つため息をつく。ぼうっと花を見つめるメルリアの傍らに立ち、彼もまた、同じように月満草を見つめた。

「メルリアが探してた花、これだったんだな」
「……うん。やっと、やっとね」

 メルリアは彼に視線を合わせず、ただただ眼前で煌めく月満草を見つめていた。借り物のランタンを足下に置くと、控えめにその風景へ手を伸ばす。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

日陰の下で笑う透明なへレニウム

たまかKindle
ファンタジー
 ※縦書きで読んで頂ければ幸いでございます。  花は、何処に生えるのか。  美しく逞しく咲こうとする花もコンクリートの上では咲けない。  花弁を開け、咲こうとも見えぬ場所では何も確認などできない。  都会からは、遥彼方にある自然に囲まれた島に一人、花を愛でる青年がいた。  ただ呑気にそして陽気にその島で暮らす彼。ただのんびりとうたた寝を謳歌する事が好きな彼が不慮の事故によりある世界に入り込んでしまう。  そこは、今まで暮らしてきた世界とはまるで違う世界‥‥異世界に勇者として召喚されてしまった。  淡々と訳のわからぬまま話が進むも何も上手くいかず。そしてあろう事か殺されたかけてしまう。そんな中ある一人の男に助けてもらい猶予を与えられた。  猶予はたったの10日。その短時間で勇者としての証明をしなければいけなくなった彼は、鍛錬に励むが‥‥‥‥   彼は我慢する。そして嘘を吐く。慣れたフリをしてまた作る。    見えぬ様、見せぬ様、抗おうとも。

君は妾の子だから、次男がちょうどいい

月山 歩
恋愛
侯爵家のマリアは婚約中だが、彼は王都に住み、彼女は片田舎で遠いため会ったことはなかった。でもある時、マリアは妾の子であると知られる。そんな娘は大事な子息とは結婚させられないと、病気療養中の次男との婚約に一方的に変えさせられる。そして次の日には、迎えの馬車がやって来た。

僕は君を思うと吐き気がする

月山 歩
恋愛
貧乏侯爵家だった私は、お金持ちの夫が亡くなると、次はその弟をあてがわれた。私は、母の生活の支援もしてもらいたいから、拒否できない。今度こそ、新しい夫に愛されてみたいけど、彼は、私を思うと吐き気がするそうです。再び白い結婚が始まった。

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

魔法が使えない令嬢は住んでいた小屋が燃えたので家出します

怠惰るウェイブ
ファンタジー
グレイの世界は狭く暗く何よりも灰色だった。 本来なら領主令嬢となるはずの彼女は領主邸で住むことを許されず、ボロ小屋で暮らしていた。 彼女はある日、棚から落ちてきた一冊の本によって人生が変わることになる。 世界が色づき始めた頃、ある事件をきっかけに少女は旅をすることにした。 喋ることのできないグレイは旅を通して自身の世界を色付けていく。

旦那様、前世の記憶を取り戻したので離縁させて頂きます

結城芙由奈@コミカライズ発売中
恋愛
【前世の記憶が戻ったので、貴方はもう用済みです】 ある日突然私は前世の記憶を取り戻し、今自分が置かれている結婚生活がとても理不尽な事に気が付いた。こんな夫ならもういらない。前世の知識を活用すれば、この世界でもきっと女1人で生きていけるはず。そして私はクズ夫に離婚届を突きつけた―。

子持ちの私は、夫に駆け落ちされました

月山 歩
恋愛
産まれたばかりの赤子を抱いた私は、砦に働きに行ったきり、帰って来ない夫を心配して、鍛錬場を訪れた。すると、夫の上司は夫が仕事中に駆け落ちしていなくなったことを教えてくれた。食べる物がなく、フラフラだった私は、その場で意識を失った。赤子を抱いた私を気の毒に思った公爵家でお世話になることに。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

処理中です...