幾望の色

西薗蛍

文字の大きさ
上 下
148 / 197
ヴィリディアンの街道3

85 屋敷へ続く道-2

しおりを挟む
 乙夜鴉はこちらから二メートル先の地面に止まると、くちばしをくあっと大きく開いた。持っていた光源を地面へ置くなり、シャムロックの視線の高さで羽ばたく。渋く重みのある声で一鳴きすると、静かに飛び立っていった。

 その姿を目で見送りながら、シャムロックはそれを手に取った。

「メルリア、これを」

 シャムロックはそれをメルリアに差し出す。携帯用のランタンだった。光源には魔力石が使用されており、橙色の光がぼんやりと周囲を照らしている。あまり強い明かりではないものの、本物の火を利用しない分、火傷の心配がなく、普通のランタンよりも軽い。おまけに光の揺らぎが少ない高級品だった。

「あ、ありがとうございます……!」

 メルリアはランタンを受け取ると、持ち手をしっかり握りしめた。魔術の炎だと分かっていても、真っ暗闇は心細い。それに、道の先も見通せるかどうか不安な状況だった。地面を踏みしめる乾いた音が落ち葉だと分かれば、木霊のような音が木々のざわめきであると分かれば……見えていれば、恐れることはないのだ。自身の周りを照らすあたたかな光を見つめ、胸を撫で下ろした。

「クライヴさんは、これくらいの暗さは平気?」
「ああ。まだ遠くまで見えるし」
「夜目がきくんだね。すごいなあ」

 メルリアは感心しながら周囲を見回す。森の黒、夜の闇。光に照らされた足下は灰色。ランタンがなければ、森と空の境目しか判別することはできない。

 シャムロックも夜目がきくのだろう、彼の足取りには迷いがない。隣を歩くクライヴと、先導するシャムロックに改めて感心した。

 野生動物の足音が草を揺らし、藍色の空には鳥の影が舞う。そんな中、道の奥からこちらめがけて飛んでくる何かがあった。乙夜鴉よりずいぶん小さい影の正体はコウモリだ。それはシャムロックの顔の周りをぐるりと二周すると、右肩の上に腰を下ろす。シャムロックが人差し指で羽に触れると、キィキィと声を漏らした。

 やがて奥から飛んできたもう一匹のコウモリが、躊躇せず左肩にとまる。シャムロックは足を止めず、振り払うこともせず、コウモリの好きにさせてやった。

「コウモリって、肩に留まるんだ……」

 好奇心で浮かれるメルリアがぽつりとつぶやく。すると、シャムロックの右肩に留まっていたコウモリが飛び立った。ランタンの持ち手を握る右手へ降り立つと、そのまま口を大きく開いてみせる。真っ黒な体に白い牙が光った。

「コウモリって、血を吸うんだったか?」

 その様子を隣で眺めていたクライヴが、ぽつりと疑問を口にする。

 メルリアの手に留まっていたコウモリは、それを聞くや否や瞬時に口を閉じた。瞬く間に羽を広げ、クライヴの体の周りをパタパタ飛び回る。歩を止めないにも拘わらず器用に旋回する彼は、何かを探っているようだ。

「いるにはいるが、この種は吸わないな。というより、血を吸う方が珍しいのだが――」

 やがてコウモリはクライヴの左手に目をつけると、親指の付け根付近に牙を立てた。

「いッ……!?」

 ジクリと小指に走る痛みに顔をしかめる。思わず左手を押さえると、ほんの少し湿った感触があった。

「だ、大丈夫?!」

 明らかに不快感から出た声だ。メルリアは慌てて手を伸ばしたが、どうしていいか分からない。ランタンの明かりが、行き場を失うように左右に揺れた。

 当事者であるコウモリは何食わぬ顔で、再びシャムロックの右肩に留まった。体をこちらへ向けると、二人に口を開いてみせる。つんと鋭利な牙が、赤い血でわずかに濡れていた。

「あ、あの、吸わないんじゃ……?」

 患部を押さえるクライヴを気にかけながら、メルリアは恐る恐る真っ黒な背中に問いかけた。右肩のコウモリは相変わらず口をパクパクさせている。

「抗議や威嚇で刺す事も希にある。……だが、少々悪戯が過ぎるな」

 シャムロックはやれやれとため息をつくと、右肩に乗る小さな背を突いた。

「……後でウェンディに叱られるぞ」

 コウモリだけに聞こえるよう囁くと、それは慌てて肩から飛び立つ。キィキィと悲鳴に似た声を漏らしながら、彼は森の奥へ消えていった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

転生悪役令嬢に仕立て上げられた幸運の女神様は家門から勘当されたので、自由に生きるため、もう、ほっといてください。今更戻ってこいは遅いです

青の雀
ファンタジー
公爵令嬢ステファニー・エストロゲンは、学園の卒業パーティで第2王子のマリオットから突然、婚約破棄を告げられる それも事実ではない男爵令嬢のリリアーヌ嬢を苛めたという冤罪を掛けられ、問答無用でマリオットから殴り飛ばされ意識を失ってしまう そのショックで、ステファニーは前世社畜OL だった記憶を思い出し、日本料理を提供するファミリーレストランを開業することを思いつく 公爵令嬢として、持ち出せる宝石をなぜか物心ついたときには、すでに貯めていて、それを原資として開業するつもりでいる この国では婚約破棄された令嬢は、キズモノとして扱われることから、なんとか自立しようと修道院回避のために幼いときから貯金していたみたいだった 足取り重く公爵邸に帰ったステファニーに待ち構えていたのが、父からの勘当宣告で…… エストロゲン家では、昔から異能をもって生まれてくるということを当然としている家柄で、異能を持たないステファニーは、前から肩身の狭い思いをしていた 修道院へ行くか、勘当を甘んじて受け入れるか、二者択一を迫られたステファニーは翌早朝にこっそり、家を出た ステファニー自身は忘れているが、実は女神の化身で何代前の過去に人間との恋でいさかいがあり、無念が残っていたので、神界に帰らず、人間界の中で転生を繰り返すうちに、自分自身が女神であるということを忘れている エストロゲン家の人々は、ステファニーの恩恵を受け異能を覚醒したということを知らない ステファニーを追い出したことにより、次々に異能が消えていく…… 4/20ようやく誤字チェックが完了しました もしまだ、何かお気づきの点がありましたら、ご報告お待ち申し上げておりますm(_)m いったん終了します 思いがけずに長くなってしまいましたので、各単元ごとはショートショートなのですが(笑) 平民女性に転生して、下剋上をするという話も面白いかなぁと 気が向いたら書きますね

断る――――前にもそう言ったはずだ

鈴宮(すずみや)
恋愛
「寝室を分けませんか?」  結婚して三年。王太子エルネストと妃モニカの間にはまだ子供が居ない。  周囲からは『そろそろ側妃を』という声が上がっているものの、彼はモニカと寝室を分けることを拒んでいる。  けれど、エルネストはいつだって、モニカにだけ冷たかった。  他の人々に向けられる優しい言葉、笑顔が彼女に向けられることない。 (わたくし以外の女性が妃ならば、エルネスト様はもっと幸せだろうに……)  そんな時、侍女のコゼットが『エルネストから想いを寄せられている』ことをモニカに打ち明ける。  ようやく側妃を娶る気になったのか――――エルネストがコゼットと過ごせるよう、私室で休むことにしたモニカ。  そんな彼女の元に、護衛騎士であるヴィクトルがやってきて――――?

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

旦那様、前世の記憶を取り戻したので離縁させて頂きます

結城芙由奈@コミカライズ発売中
恋愛
【前世の記憶が戻ったので、貴方はもう用済みです】 ある日突然私は前世の記憶を取り戻し、今自分が置かれている結婚生活がとても理不尽な事に気が付いた。こんな夫ならもういらない。前世の知識を活用すれば、この世界でもきっと女1人で生きていけるはず。そして私はクズ夫に離婚届を突きつけた―。

【完結】仰る通り、貴方の子ではありません

ユユ
恋愛
辛い悪阻と難産を経て産まれたのは 私に似た待望の男児だった。 なのに認められず、 不貞の濡れ衣を着せられ、 追い出されてしまった。 実家からも勘当され 息子と2人で生きていくことにした。 * 作り話です * 暇つぶしにどうぞ * 4万文字未満 * 完結保証付き * 少し大人表現あり

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

【完結】もう…我慢しなくても良いですよね?

アノマロカリス
ファンタジー
マーテルリア・フローレンス公爵令嬢は、幼い頃から自国の第一王子との婚約が決まっていて幼少の頃から厳しい教育を施されていた。 泣き言は許されず、笑みを浮かべる事も許されず、お茶会にすら参加させて貰えずに常に完璧な淑女を求められて教育をされて来た。 16歳の成人の義を過ぎてから王子との婚約発表の場で、事あろうことか王子は聖女に選ばれたという男爵令嬢を連れて来て私との婚約を破棄して、男爵令嬢と婚約する事を選んだ。 マーテルリアの幼少からの血の滲むような努力は、一瞬で崩壊してしまった。 あぁ、今迄の苦労は一体なんの為に… もう…我慢しなくても良いですよね? この物語は、「虐げられる生活を曽祖母の秘術でざまぁして差し上げますわ!」の続編です。 前作の登場人物達も多数登場する予定です。 マーテルリアのイラストを変更致しました。

魔法が使えない令嬢は住んでいた小屋が燃えたので家出します

怠惰るウェイブ
ファンタジー
グレイの世界は狭く暗く何よりも灰色だった。 本来なら領主令嬢となるはずの彼女は領主邸で住むことを許されず、ボロ小屋で暮らしていた。 彼女はある日、棚から落ちてきた一冊の本によって人生が変わることになる。 世界が色づき始めた頃、ある事件をきっかけに少女は旅をすることにした。 喋ることのできないグレイは旅を通して自身の世界を色付けていく。

処理中です...