幾望の色

西薗蛍

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ヴィリディアンの街道3

84 翌日、待ちぼうけ-2

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「あれが文字だと分かるのか?」
「はい。ネフリティスさんのところでお世話になっていた時、似たような文字を見たので……」

 メルリアがかつての記憶をたどると、それは鮮明に脳裏に蘇る。

 ――それは、ネフリティスに「最後の仕事」を頼まれた時のこと。

 メルリアは言われるまま、意味の通らない言葉を代筆した。その下にネフリティスが、読めない文字で何かの文章らしきものを書き記していた。その時見たインクの塊のいくつかが、この外套にも記されていたのだ。

「そういえば、メルリアはネフリティスに花のことを聞きに行ったのだったな。何か手がかりは掴めたか?」

 何気なくシャムロックが尋ねると、メルリアは背筋を伸ばした。本題を切り出そうと短く吸った息を、喉の奥でいったん止める。吐き出そうと思った言葉もそこで途切れた。笑顔が次第に固まって、そのまま動きまでもぱったりと止まってしまう。

「どうした?」

 笑っているようで笑っていない――まるで言葉を失ったような表情に、シャムロックは疑わしげに眉を寄せた。いくらネフリティスとはいえ、彼女に全くヒントを与えないと言うことはないだろう。錬金術師である彼女であっても知らないことだった? いや、どちらにしても事の顛末を尋ねなければ。

 どうしたのかと声をかけると、彼女の体がびくりと反応する。やがて、風船から空気が抜けていくように、肩に入っていた力が緩んでいく。メルリアはゆっくり顔を上げると、弱々しく笑顔を作った。

「ネフリティスさんはご存じみたいだったんですけれど、あの花についてはシャムロックさんの方が詳しいだろうって……」
「俺が?」

 ふむ、とシャムロックは腕を組む。錬金術師であるネフリティスの方が、自分よりも遥かに植物には詳しいはずだ。自分が知ることと言えば――。頭を捻りながら、苦笑を浮かべる彼女へ問う。

「メルリアの探している花はどういう特徴なんだ? そういえば聞いてなかっ……」
「く、クライヴさんの話が先です! 私は後で」

 ネフリティスの言葉の真意と、自分の詳しいという花。それらを探りつつ問いかけると、話半ばでメルリアが身を乗り出した。話を遮るように言葉を重ね、姿勢を正す。

 突然のことにシャムロックは瞠目したが、やがてくすりと笑みを零した。

 メルリアはその様子に気づかず、ただひたすらに首を横に振っている。

「クライヴの話は答えが用意できている。メルリアの話にも、今から答えを用意しておきたい」

 メルリアは返事ができなかった。シャムロックの言うことはもっともだが、やはりどこか嘘をついたような――抜け駆けのような、そんな申し訳なさと居心地の悪さがあった。しかし、自分は他人を頼る立場にある。我がままを通すのは気が引けた。

「えっと……」

 しばらく考えた後、ぎこちなく頷く。

 静かに目を閉じ、過去にロバータと触れたあの花のことを思い出した。優しくこちらに微笑みかける、大好きな祖母の姿。少し骨張った手の上で、あの柔らかく白い花がそっと光っていた。幼い自分はその花を食い入るように見つめている。試しに触れてみたら、ぼんやりとした光がさらに輝きを増して、なんとも言えぬ幻想的な光景だった――。

 あの日の記憶を思い返しながら、ゆっくりと口を開いた。

「……白い花です。形は釣鐘状で、ちょっと膨らんでて。でもそこまで大きくなくって、花自体は大人の女性の手に収まるくらいなんです。茎の高さも……たぶん、背の低いチューリップくらいで」

 ここまでは誰にも問題なく話せる、けれど。

 ゆっくりと目を開き、相手の様子をうかがった。向かいに座るシャムロックは、その特徴を手帳に書き記している。ペンを走らせる動きが止まり、今まで書いた文字に目を通した。やがて、ほんのわずかに表情が強ばる。それを見るなり、メルリアは視線を逸らした。自分の追い求めている花自体を知っているかどうか、期待と不安もある。しかしそれ以上に、これ以上のことを伝えるのは抵抗があった。恐怖もあった。シャムロックはあんな反応をしないと分かっていても、過去の経験が、どうしてもここで言葉を詰まらせてしまう。けれど、ロバータとの約束のためには聞かなくてはならない。喩え自分が嗤われようとも。無意識に、奥歯を強く噛んでしまう。いつかこの力を抜いて、口を開かなければならない――しかし意思に反し、唇がぎゅっと固く結ぶ。
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