145 / 197
ヴィリディアンの街道3
84 翌日、待ちぼうけ-2
しおりを挟む
「あれが文字だと分かるのか?」
「はい。ネフリティスさんのところでお世話になっていた時、似たような文字を見たので……」
メルリアがかつての記憶をたどると、それは鮮明に脳裏に蘇る。
――それは、ネフリティスに「最後の仕事」を頼まれた時のこと。
メルリアは言われるまま、意味の通らない言葉を代筆した。その下にネフリティスが、読めない文字で何かの文章らしきものを書き記していた。その時見たインクの塊のいくつかが、この外套にも記されていたのだ。
「そういえば、メルリアはネフリティスに花のことを聞きに行ったのだったな。何か手がかりは掴めたか?」
何気なくシャムロックが尋ねると、メルリアは背筋を伸ばした。本題を切り出そうと短く吸った息を、喉の奥でいったん止める。吐き出そうと思った言葉もそこで途切れた。笑顔が次第に固まって、そのまま動きまでもぱったりと止まってしまう。
「どうした?」
笑っているようで笑っていない――まるで言葉を失ったような表情に、シャムロックは疑わしげに眉を寄せた。いくらネフリティスとはいえ、彼女に全くヒントを与えないと言うことはないだろう。錬金術師である彼女であっても知らないことだった? いや、どちらにしても事の顛末を尋ねなければ。
どうしたのかと声をかけると、彼女の体がびくりと反応する。やがて、風船から空気が抜けていくように、肩に入っていた力が緩んでいく。メルリアはゆっくり顔を上げると、弱々しく笑顔を作った。
「ネフリティスさんはご存じみたいだったんですけれど、あの花についてはシャムロックさんの方が詳しいだろうって……」
「俺が?」
ふむ、とシャムロックは腕を組む。錬金術師であるネフリティスの方が、自分よりも遥かに植物には詳しいはずだ。自分が知ることと言えば――。頭を捻りながら、苦笑を浮かべる彼女へ問う。
「メルリアの探している花はどういう特徴なんだ? そういえば聞いてなかっ……」
「く、クライヴさんの話が先です! 私は後で」
ネフリティスの言葉の真意と、自分の詳しいという花。それらを探りつつ問いかけると、話半ばでメルリアが身を乗り出した。話を遮るように言葉を重ね、姿勢を正す。
突然のことにシャムロックは瞠目したが、やがてくすりと笑みを零した。
メルリアはその様子に気づかず、ただひたすらに首を横に振っている。
「クライヴの話は答えが用意できている。メルリアの話にも、今から答えを用意しておきたい」
メルリアは返事ができなかった。シャムロックの言うことはもっともだが、やはりどこか嘘をついたような――抜け駆けのような、そんな申し訳なさと居心地の悪さがあった。しかし、自分は他人を頼る立場にある。我がままを通すのは気が引けた。
「えっと……」
しばらく考えた後、ぎこちなく頷く。
静かに目を閉じ、過去にロバータと触れたあの花のことを思い出した。優しくこちらに微笑みかける、大好きな祖母の姿。少し骨張った手の上で、あの柔らかく白い花がそっと光っていた。幼い自分はその花を食い入るように見つめている。試しに触れてみたら、ぼんやりとした光がさらに輝きを増して、なんとも言えぬ幻想的な光景だった――。
あの日の記憶を思い返しながら、ゆっくりと口を開いた。
「……白い花です。形は釣鐘状で、ちょっと膨らんでて。でもそこまで大きくなくって、花自体は大人の女性の手に収まるくらいなんです。茎の高さも……たぶん、背の低いチューリップくらいで」
ここまでは誰にも問題なく話せる、けれど。
ゆっくりと目を開き、相手の様子をうかがった。向かいに座るシャムロックは、その特徴を手帳に書き記している。ペンを走らせる動きが止まり、今まで書いた文字に目を通した。やがて、ほんのわずかに表情が強ばる。それを見るなり、メルリアは視線を逸らした。自分の追い求めている花自体を知っているかどうか、期待と不安もある。しかしそれ以上に、これ以上のことを伝えるのは抵抗があった。恐怖もあった。シャムロックはあんな反応をしないと分かっていても、過去の経験が、どうしてもここで言葉を詰まらせてしまう。けれど、ロバータとの約束のためには聞かなくてはならない。喩え自分が嗤われようとも。無意識に、奥歯を強く噛んでしまう。いつかこの力を抜いて、口を開かなければならない――しかし意思に反し、唇がぎゅっと固く結ぶ。
「はい。ネフリティスさんのところでお世話になっていた時、似たような文字を見たので……」
メルリアがかつての記憶をたどると、それは鮮明に脳裏に蘇る。
――それは、ネフリティスに「最後の仕事」を頼まれた時のこと。
メルリアは言われるまま、意味の通らない言葉を代筆した。その下にネフリティスが、読めない文字で何かの文章らしきものを書き記していた。その時見たインクの塊のいくつかが、この外套にも記されていたのだ。
「そういえば、メルリアはネフリティスに花のことを聞きに行ったのだったな。何か手がかりは掴めたか?」
何気なくシャムロックが尋ねると、メルリアは背筋を伸ばした。本題を切り出そうと短く吸った息を、喉の奥でいったん止める。吐き出そうと思った言葉もそこで途切れた。笑顔が次第に固まって、そのまま動きまでもぱったりと止まってしまう。
「どうした?」
笑っているようで笑っていない――まるで言葉を失ったような表情に、シャムロックは疑わしげに眉を寄せた。いくらネフリティスとはいえ、彼女に全くヒントを与えないと言うことはないだろう。錬金術師である彼女であっても知らないことだった? いや、どちらにしても事の顛末を尋ねなければ。
どうしたのかと声をかけると、彼女の体がびくりと反応する。やがて、風船から空気が抜けていくように、肩に入っていた力が緩んでいく。メルリアはゆっくり顔を上げると、弱々しく笑顔を作った。
「ネフリティスさんはご存じみたいだったんですけれど、あの花についてはシャムロックさんの方が詳しいだろうって……」
「俺が?」
ふむ、とシャムロックは腕を組む。錬金術師であるネフリティスの方が、自分よりも遥かに植物には詳しいはずだ。自分が知ることと言えば――。頭を捻りながら、苦笑を浮かべる彼女へ問う。
「メルリアの探している花はどういう特徴なんだ? そういえば聞いてなかっ……」
「く、クライヴさんの話が先です! 私は後で」
ネフリティスの言葉の真意と、自分の詳しいという花。それらを探りつつ問いかけると、話半ばでメルリアが身を乗り出した。話を遮るように言葉を重ね、姿勢を正す。
突然のことにシャムロックは瞠目したが、やがてくすりと笑みを零した。
メルリアはその様子に気づかず、ただひたすらに首を横に振っている。
「クライヴの話は答えが用意できている。メルリアの話にも、今から答えを用意しておきたい」
メルリアは返事ができなかった。シャムロックの言うことはもっともだが、やはりどこか嘘をついたような――抜け駆けのような、そんな申し訳なさと居心地の悪さがあった。しかし、自分は他人を頼る立場にある。我がままを通すのは気が引けた。
「えっと……」
しばらく考えた後、ぎこちなく頷く。
静かに目を閉じ、過去にロバータと触れたあの花のことを思い出した。優しくこちらに微笑みかける、大好きな祖母の姿。少し骨張った手の上で、あの柔らかく白い花がそっと光っていた。幼い自分はその花を食い入るように見つめている。試しに触れてみたら、ぼんやりとした光がさらに輝きを増して、なんとも言えぬ幻想的な光景だった――。
あの日の記憶を思い返しながら、ゆっくりと口を開いた。
「……白い花です。形は釣鐘状で、ちょっと膨らんでて。でもそこまで大きくなくって、花自体は大人の女性の手に収まるくらいなんです。茎の高さも……たぶん、背の低いチューリップくらいで」
ここまでは誰にも問題なく話せる、けれど。
ゆっくりと目を開き、相手の様子をうかがった。向かいに座るシャムロックは、その特徴を手帳に書き記している。ペンを走らせる動きが止まり、今まで書いた文字に目を通した。やがて、ほんのわずかに表情が強ばる。それを見るなり、メルリアは視線を逸らした。自分の追い求めている花自体を知っているかどうか、期待と不安もある。しかしそれ以上に、これ以上のことを伝えるのは抵抗があった。恐怖もあった。シャムロックはあんな反応をしないと分かっていても、過去の経験が、どうしてもここで言葉を詰まらせてしまう。けれど、ロバータとの約束のためには聞かなくてはならない。喩え自分が嗤われようとも。無意識に、奥歯を強く噛んでしまう。いつかこの力を抜いて、口を開かなければならない――しかし意思に反し、唇がぎゅっと固く結ぶ。
0
お気に入りに追加
0
あなたにおすすめの小説
[鑑定]スキルしかない俺を追放したのはいいが、貴様らにはもう関わるのはイヤだから、さがさないでくれ!
どら焼き
ファンタジー
ついに!第5章突入!
舐めた奴らに、真実が牙を剥く!
何も説明無く、いきなり異世界転移!らしいのだが、この王冠つけたオッサン何を言っているのだ?
しかも、ステータスが文字化けしていて、スキルも「鑑定??」だけって酷くない?
訳のわからない言葉?を発声している王女?と、勇者らしい同級生達がオレを城から捨てやがったので、
なんとか、苦労して宿代とパン代を稼ぐ主人公カザト!
そして…わかってくる、この異世界の異常性。
出会いを重ねて、なんとか元の世界に戻る方法を切り開いて行く物語。
主人公の直接復讐する要素は、あまりありません。
相手方の、あまりにも酷い自堕落さから出てくる、ざまぁ要素は、少しづつ出てくる予定です。
ハーレム要素は、不明とします。
復讐での強制ハーレム要素は、無しの予定です。
追記
2023/07/21 表紙絵を戦闘モードになったあるヤツの参考絵にしました。
8月近くでなにが、変形するのかわかる予定です。
2024/02/23
アルファポリスオンリーを解除しました。

捨てられた転生幼女は無自重無双する
紅 蓮也
ファンタジー
スクラルド王国の筆頭公爵家の次女として生を受けた三歳になるアイリス・フォン・アリステラは、次期当主である年の離れた兄以外の家族と兄がつけたアイリスの専属メイドとアイリスに拾われ恩義のある専属騎士以外の使用人から疎まれていた。
アイリスを疎ましく思っている者たちや一部の者以外は知らないがアイリスは転生者でもあった。
ある日、寝ているとアイリスの部屋に誰かが入ってきて、アイリスは連れ去られた。
アイリスは、肌寒さを感じ目を覚ますと近くにその場から去ろうとしている人の声が聞こえた。
去ろうとしている人物は父と母だった。
ここで声を出し、起きていることがバレると最悪、殺されてしまう可能性があるので、寝たふりをして二人が去るのを待っていたが、そのまま本当に寝てしまい二人が去った後に近づいて来た者に気づくことが出来ず、また何処かに連れていかれた。
朝になり起こしに来た専属メイドが、アイリスがいない事を当主に報告し、疎ましく思っていたくせに当主と夫人は騒ぎたて、当主はアイリスを探そうともせずに、その場でアイリスが誘拐された責任として、専属メイドと専属騎士にクビを言い渡した。
クビを言い渡された専属メイドと専属騎士は、何も言わず食堂を出て行き身支度をして、公爵家から出ていった。
しばらく歩いていると、次期当主であるカイルが後を追ってきて、カイルの腕にはいなくなったはずのアイリスが抱かれていた。
アイリスの無事に安心した二人は、カイルの話を聞き、三人は王城に向かった。
王城で、カイルから話を聞いた国王から広大なアイリス公爵家の領地の端にあり、昔の公爵家本邸があった場所の管理と魔の森の開拓をカイルは、国王から命られる。
アイリスは、公爵家の目がなくなったので、無自重でチートし続け管理と開拓を命じられた兄カイルに協力し、辺境の村々の発展や魔の森の開拓をしていった。
※諸事情によりしばらく連載休止致します。
※小説家になろう様、カクヨム様でも掲載しております。
装備製作系チートで異世界を自由に生きていきます
tera
ファンタジー
※まだまだまだまだ更新継続中!
※書籍の詳細はteraのツイッターまで!@tera_father
※第1巻〜7巻まで好評発売中!コミックス1巻も発売中!
※書影など、公開中!
ある日、秋野冬至は異世界召喚に巻き込まれてしまった。
勇者召喚に巻き込まれた結果、チートの恩恵は無しだった。
スキルも何もない秋野冬至は一般人として生きていくことになる。
途方に暮れていた秋野冬至だが、手に持っていたアイテムの詳細が見えたり、インベントリが使えたりすることに気づく。
なんと、召喚前にやっていたゲームシステムをそっくりそのまま持っていたのだった。
その世界で秋野冬至にだけドロップアイテムとして誰かが倒した魔物の素材が拾え、お金も拾え、さらに秋野冬至だけが自由に装備を強化したり、錬金したり、ゲームのいいとこ取りみたいな事をできてしまう。
所詮、わたしは壁の花 〜なのに辺境伯様が溺愛してくるのは何故ですか?〜
しがわか
ファンタジー
刺繍を愛してやまないローゼリアは父から行き遅れと罵られていた。
高貴な相手に見初められるために、とむりやり夜会へ送り込まれる日々。
しかし父は知らないのだ。
ローゼリアが夜会で”壁の花”と罵られていることを。
そんなローゼリアが参加した辺境伯様の夜会はいつもと雰囲気が違っていた。
それもそのはず、それは辺境伯様の婚約者を決める集まりだったのだ。
けれど所詮”壁の花”の自分には関係がない、といつものように会場の隅で目立たないようにしているローゼリアは不意に手を握られる。
その相手はなんと辺境伯様で——。
なぜ、辺境伯様は自分を溺愛してくれるのか。
彼の過去を知り、やがてその理由を悟ることとなる。
それでも——いや、だからこそ辺境伯様の力になりたいと誓ったローゼリアには特別な力があった。
天啓<ギフト>として女神様から賜った『魔力を象るチカラ』は想像を創造できる万能な能力だった。
壁の花としての自重をやめたローゼリアは天啓を自在に操り、大好きな人達を守り導いていく。

異世界に落ちたら若返りました。
アマネ
ファンタジー
榊原 チヨ、87歳。
夫との2人暮らし。
何の変化もないけど、ゆっくりとした心安らぐ時間。
そんな普通の幸せが側にあるような生活を送ってきたのにーーー
気がついたら知らない場所!?
しかもなんかやたらと若返ってない!?
なんで!?
そんなおばあちゃんのお話です。
更新は出来れば毎日したいのですが、物語の時間は割とゆっくり進むかもしれません。

追放幼女の領地開拓記~シナリオ開始前に追放された悪役令嬢が民のためにやりたい放題した結果がこちらです~
一色孝太郎
ファンタジー
【小説家になろう日間1位!】
悪役令嬢オリヴィア。それはスマホ向け乙女ゲーム「魔法学園のイケメン王子様」のラスボスにして冥界の神をその身に降臨させ、アンデッドを操って世界を滅ぼそうとした屍(かばね)の女王。そんなオリヴィアに転生したのは生まれついての重い病気でずっと入院生活を送り、必死に生きたものの天国へと旅立った高校生の少女だった。念願の「健康で丈夫な体」に生まれ変わった彼女だったが、黒目黒髪という自分自身ではどうしようもないことで父親に疎まれ、八歳のときに魔の森の中にある見放された開拓村へと追放されてしまう。だが彼女はへこたれず、領民たちのために闇の神聖魔法を駆使してスケルトンを作り、領地を発展させていく。そんな彼女のスケルトンは産業革命とも称されるようになり、その評判は内外に轟いていく。だが、一方で彼女を追放した実家は徐々にその評判を落とし……?
小説家になろう様にて日間ハイファンタジーランキング1位!
※本作品は他サイトでも連載中です。
能力値カンストで異世界転生したので…のんびり生きちゃダメですか?
火産霊神
ファンタジー
私の異世界転生、思ってたのとちょっと違う…?
24歳OLの立花由芽は、ある日異世界転生し「ユメ」という名前の16歳の魔女として生きることに。その世界は魔王の脅威に怯え…ているわけでもなく、レベルアップは…能力値がカンストしているのでする必要もなく、能力を持て余した彼女はスローライフをおくることに。そう決めた矢先から何やらイベントが発生し…!?

異世界転生したので森の中で静かに暮らしたい
ボナペティ鈴木
ファンタジー
異世界に転生することになったが勇者や賢者、チート能力なんて必要ない。
強靭な肉体さえあれば生きていくことができるはず。
ただただ森の中で静かに暮らしていきたい。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる