幾望の色

西薗蛍

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魔女の村ミスルトー

72 村の外れにて-3

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「俺は……、人間じゃないのか?」

 クライヴは再び背後の柵に背中を預けた。体から力が抜け、持っていたコップが鈍い音を立てて転がっていく。
口をついて出てしまったそれは信じたくはないものであったし、そうであってほしくはないと思う。今まで信じてきた物が、見てきた物が、全て嘘になってしまう。目に見えている森の青さや夜空の色、月の色ですら白と黒に塗りつぶされるような、そんな感覚を抱いてしまいそうになる。だから考えてこなかった。考えようとすらしなかった。

 男は静かに首を横に振った。

「いいや、お前は人間だ」

 強い口調で言い切ると、男は地面からコップを拾い上げ、立ち上がった。

 クライヴは釈然としないまま、地面から青々とまっすぐ生える草の動きをぼうっと見つめる。細く長く伸びる道草が、風を受けてそよいでいる。

「お前に話しておかねばならぬ事が山ほどあるが……。ここはその場ではないな」

 男は森の闇や木々の枝を見つめた。森を抜ける風は増し、嵐のような音を立てて枝枝や葉がこすれて反響する。雲一つない夜空に似つかわしくない騒がしさだ。木々のわずかな隙間から差し込む月光を受け、四足歩行の動物の目がギラリとこちらを捉える。二匹のコウモリが彼らの周囲を飛び、闇の奥へ消えていく。

 森の声や様子に詳しくないクライヴですら、その異なる違和感に気づいていた。どこか騒がしいと。息を吐いて、ゆっくり立ち上がる。いささか体は重いが、広場に戻る程度には体力が残っている。黒衣の男をうかがい見た途端、思わず妙な声が出そうになった。慌てて喉の奥で相殺する。随分と細身であるから気がつかなかったが、男はこのあたりではまず見ない高身長だった。こちらとの身長差は三十センチ程度。動揺を隠すように、もう一度咳払いをこぼした。高い背中に慎重に問いかける。

「お前、エルフじゃないよな。どうしてここに?」

 その問いに、男はゆっくり振り返った。

「ミスルトーの村長アラキナ・ダンズより、数日前手紙を受けてここに来た」

 その言葉にクライヴは思い当たる節がある。数日前――リタから風邪薬を受け取った時のことだ。アラキナはここ最近慌ただしくしているという話を聞いた。なんでも、来月ルーフスの学生がこの村に研修に来るという。準備の一環として、外部から専門家を呼んだ。おそらく二人と入れ替わりで来るだろうと笑っていた。その専門家というのはこの男のことだろう。

「……まだ名乗っていなかったな。俺はシャムロック。お前は?」

 男はクライヴに手を差し出した。

 だが、クライヴはすぐには動かない。その手と男の顔を交互に見つめる。手には白い手袋をはめている。暗がりでなんとか判別できる程度だが、表情から感情は読み取れない。分かりやすい悪人面ではなかったし、不自然に親切というわけでもない。その手を凝視したまま、動けなくなる。フルネームを口にしない人間は信用ならない――幼少期の頃から、母親が何度も口にしていた言葉が脳裏を過ったからだ。その点から言うと怪しいが、どちらと判断するにも決定打に欠ける。

 クライヴの表情が徐々にこわばっていく。そのまま男の手を凝視していると、男は静かに目を伏せた。躊躇いがちに視線を泳がせると、再びこちらの表情を窺った。

「きちんと名乗らないのは失礼だったな、すまない。ファミリーネームはスレイターという」

 このあたりの名前の響きだった。

 心を見透かされたようなその言葉に思わず目を見張った。しかし男は変わらず表情を変えない。辛うじて言葉と感情が均しいのだろうと言うことくらいは読み取れたが。

「あ、いや……」

 クライヴは頭を掻き、取り敢えず返事のような声を漏らす。全く反応をしないというのはいたたまれなかったからだ。口の中にたまった唾液を一気に飲み込むと、好意的な表情を作ってみせる。目はあまり笑っていなかった。

「俺はクライヴ・シーウェル。よろしく」

 恐る恐る男に手を伸ばし、短く握手を交わす。

 手袋越しに感じた男の体温は、クライヴが思っていたそれよりも随分と冷たかった。 
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