幾望の色

西薗蛍

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魔女の村ミスルトー

71 炎火-2

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「俺も途中まで一緒に行かせてくれ」

 先ほどの迷うように頼りない様子とは異なり、彼はじっとこちらの目を見ていた。

 その問いを受け、メルリアは言葉を詰まらせた。普段ならすぐに大丈夫だと誘いを断るところだが、今日は違った。そこまでしてもらうのは悪いと思う。けれど、一人で街道を行くのは少し怖い。おずおずと顔を上げると、窺うような視線を向けた。

「……迷惑じゃない?」
「ああ」

 しっかりとうなずくクライヴを見て、メルリアは胸の違和感――そこにある不快感が緩和されたような気がして、ほっとため息をつく。

 二人の間に穏やかな風が抜ける。木の葉が舞い、湿気をはらんだ土の匂いが漂った。背中から吹く風は、目の前で燃え続けるたき火の炎を遠ざけた。わずかにそれが離れただけで、体の熱が一、二度下がったような感覚がある。クライヴは遠ざかる熱を見つめながら、手を組んだ。

「メルリアは探していた花が見つかったらどうするんだ?」

 メルリアは言葉を失った。旅の終わりの後のことなど考えたこともなかったからだ。

 ロバータが他界してから、まもなく三年が経つ。その間、メルリアは祖母との約束を叶えるためだけに精一杯生きてきた。エプリ食堂で働いて旅費を稼ぎ、ベラミントを出てからは花の手がかりを求める日々。あの約束を一日でも早く叶えたい。それだけだった。だから、本当に見つけた後のことは……。自分のためにやりたいことはない。いずれきちんとした仕事を探すべきだとは思っているが、その当ては何もない。働きたい職種も思い当たらない。メルリアの頭が、やがて真っ白になっていく。

「……考えたこと、なかった」

 行き着く先がないことに気づいた途端、そう零していた。膝に置いた手をきゅっと掴むと、スカートに皺ができる。

 漠然とした様子で告げるメルリアに対して、クライヴは深呼吸を繰り返していた。話題を切り出すために、ドクドクと脈打つ心臓を落ち着けるために。口の端が落ち着かぬように何度も形を変える。やがて意を決したクライヴは、すっと短く息を吸った。その一瞬、鼻腔を刺激する甘い匂い。砂糖菓子とも、お化けリンゴとも異なる、花の蜜に近いような。疑問には思ったが、それに構わず手を伸ばす。右手がメルリアの肩に触れ、その感触に彼女は顔を上げた。二人の目が合う。

「――ッ!」
「え……」

 二人は驚きに目を見開いたが、両者とも動くことができない。

 根元から崩れたたき火が、ひときわ大きな音を立てて火の粉をいくつも散らした。無数の粉が森の宵闇に吸い込まれて消えていく。炎の形がバランスを崩した右方へと湾曲し、そしてまた燃え続ける。

「く、そ……」

 クライヴだけが感じている甘い匂いは、やがてむせ返るほど強く濃く変わる。喉の奥がじわりじわりと疼きはじめた。ここで彼はようやく理解する。あの症状だ、と。苦しげに目を細め、メルリアから手を離す。眉間に深い皺を寄せ、口元を手で押さえた。べっとりと湿った感触が気持ち悪い。肩で繰り返す呼吸は浅く、頬に汗が流れ落ちた。指の隙間からは荒い気息。それは言葉を失った獣のようだった。

「クライヴさん……?」

 メルリアは恐る恐るクライヴに手を伸ばした。これに居合わせるのはもう三度目になる。彼に以前聞いた症状とはこの事だろう――様子のおかしい彼を気にかけるが、それを問うことはしなかった。彼に余裕がないのは、火を見るより明らかだ。

「水、持ってくるね?」

 メルリアはゆっくりと立ち上がる。返事はない。苦痛に歪む表情を一瞥した後、彼に背を向けて歩き出した。瞬間、左腕が冷たい手に引っ張られる。衝撃に歩みを止めざるを得なくなった。クライヴの親指が、上腕骨を滑る。その力は強く、締め付けられるようにじんと痛んだ。

「俺が欲しいのは、水じゃない……」

 聞こえた音は酷く掠れて、やつれ、普段のクライヴからは想像もできないほど疲れた声だった。
 メルリアはその腕を振り払わなかった。じんわりと残る痛みに耐えながら、彼の様子を窺う。

「俺が欲しいのは……!」

 絞り出すようなか細い声を漏らしたかと思うと、クライヴははっと目を見開く。突き放すように手を離すと、数歩後ずさった。荒い呼吸を繰り返したまま、背後を確認し、黙って走り去った。その動きに躊躇はない。その姿はあっという間に森の闇に紛れ消えていく。

 勢いをなくしたたき火の炎が静かに揺れ、灰色の煙だけが空の穴に向かってか細く伸びていく。

 メルリアはその場に立ち尽くした。

 どうしたらいいのか分からなかった。 
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