幾望の色

西薗蛍

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魔女の村ミスルトー

70 村の昼下がり

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 一日一日が過ぎてゆくたび、メルリアの熱はゆるやかに下降していた。

 食事以外ツリーハウスにいたメルリアも、今日は外へ出て風に当たったり、広場に足を運んだり。村のエルフと会話をする時間も長くなった。本調子にはまだ少し遠いが、熱は大分落ち着いている。


 そんな昼下がり、メルリアはリタと共に午後のひとときを楽しんでいた。

 透明なティーカップは鮮やかなオレンジ色で満たされていた。まぶしいほどの色彩は、魔女の村で採れた橙色のグレープフルーツに、皮や種まで真っ白な桃などを混ぜた飲み物である。

「それでね、アラキナさんってば、本当に人間を驚かすのが好きでさー。この間なんて、ゴーストパンプキンを喋らせるような魔法をかけちゃって大変だったの。口がもごもご動いて、でも声はアラキナさん……」
「ちょっと怖いかも……」

 広場で談笑する二人からは笑顔が絶えない。

 そんなメルリアの様子を、クライヴは少し離れたところから見ていた。彼は、ハル、レニーと共に、今晩の夕食に使う素材の下ごしらえをしている。すり鉢で豆を砕く音に紛れ、広場の会話はよく聞こえない。はっきりと分かるのは、彼女たちの笑い声が重なる時だけだ。

 ……大分落ち着いているようでよかった。クライヴはほっと胸をなで下ろす。その瞬間、ガコンと嫌な音が響いた。右方へ視線を向けると、隣で同じ作業をしていたはずのハルがいない。すり鉢の豆は、まだ形が残っているものばかりだ。

「またやっちゃった……」

 やがて、ハルが戻ってくる。困ったように頬を掻きながら、右手にはすりこぎがしっかりと握られていた。

 それを見てクライヴは苦笑する。ハルが豆をすっている間にすりこぎを吹っ飛ばしたのは、これで三度目だった。

「変わろうか? 俺の方は十分に見えるし」

 クライヴの手前にあるすり鉢には、豆の形は姿もなかった。皮まで白い雲上豆は粗い粉状になっている。これは豆の粉末ですと言われなければ、元々が何であったかは判別がつかないほどに。

「いいんですか?」

 ハルの瞳が期待に輝いた。しかしその希望を遮るように、レニーは彼の行動を手で制した。そうして、ゆっくりと首を横に振る。

「経験を積まないとハルのためにならない。暇ならもう一袋」
「あ、ああ、分かった」

 レニーはクライヴのすり鉢を手に取ると、銀のボウルに注いでいく。すりこぎですり鉢を軽く叩くと、粉末が彼の周りに散った。空のすり鉢に再び雲上豆を投入した後、クライヴに手渡した。

 そうして、レニーは地面に腰を下ろす。今日の相手はゼブラスイカだ。直径三十センチのそれを見据えながら、切れ目を探すようにゴロゴロと転がした。

 クライヴが作業を再開すると、ハルもまた淡々と豆を潰した。仕方なくやっている、という態度が顔に出ている。

 エルフの社会では、家事はほとんど男に任される。女の方が強大な魔力を持つ個体が生まれやすいからだ。本国ブランの王や神子は必ず女性が選ばれているため、女性が強い社会である。魔女の村も力関係は例外ではないが、家事は当番制である。ただし、アラキナは除く。

 ざくざくと差し込むようにすりこぎを動かしていたハルが、その様子を見て手を止めた。

「シーウェルさん。……ありがとうございました」
「何がだ?」

 思わずクライヴの手が止まる。腕や右手の平にじんわりとした熱を感じた。

 すると、今度はハルの方が手を動かし始めた。

「その。挨拶……は、できた、ので」

 ハルは顔だけを広場の方に向けて、理解しろと促す。視線を動かさなかったのは、あちらを見たら間違いなくすりこぎが吹き飛ぶと分かっていたからだ。

 その意図を正しくくみ取り、クライヴは広場の方を見る。真っ先に視界に捉えたのはメルリアだったが、いやいや違うだろうと隣のリタを見て納得する。思わず笑みがこぼれた。

「よかったじゃないか! ハルが頑張ったからだな」
「え、あ……そう、でしょうか」

 予想外の言葉に、作業のハルの手が止まりそうになる。なんとか平常を装って豆を潰し続けた。レニーに詳細を聞かれたくなかったからだ。

「ああ。俺が何を言ったところで、やるかやらないかはハル次第だ。『自分でできた』っていうのは、すごく大きな事だと思う」

 ハルの手元でことんと静かな音が立ち、すりこぎがすり鉢に寄りかかかる。そうして、そのまま動かなくなった。その言葉をかみしめるように目を伏せる。

 それに気づかぬまま、クライヴは手を動かし始める。豆をすりこぎに押しつけるように静かに力を入れた。

「そうだ、クライヴ。アラキナさんからの伝言」
「……なんだ?」

 あの癖の強い老婆からの伝言? 何を言われるのだろうと、つい手が止まってしまう。顔を上げ、レニーの顔色をまじまじと窺った。しかし彼はゼブラスイカと対峙したまま表情一つ変えないし、こちらも見ない。黒い線の部分を指でなぞりながら、彼は淡々としていた。

「『明日には娘の熱が下がる見込みだが、出発は明後日にしろ』だ」
「ああ、分かった……」

 クライヴはその言葉にただうなずいた。

 おそらくこれはアラキナからの忠告だろうと思った。そうであれば聞いておいた方がいい。そもそも自分たちが魔女の村に来た経緯を思い出すと、大事を取る以外の選択肢はない。ここは素直に受け入れるべきだろう。一つ頷くと、視線を落とした。固形の豆の面影がほとんど消え、間もなく粉末状になりそうだ。その白を見つめながら、聞いた伝言を頭の中で反芻する。

 ……出発は明後日にしろ、か。

 魔女の村の空は高く遠く、木々の間から差し込むのは西方からの光。
 夕暮れは遠からず訪れる。 
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