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魔女の村ミスルトー
69 魔女のお茶会2
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「今日のお菓子はねえ、私とレニーで作ったんだよ」
リタははにかむと、木の葉が描かれたティーポットを手に取った。メルリアのティーカップにそれを傾けると、光を一切許さぬ漆黒の液体が注がれる。まるで泥水のように粘度を含むそれは、あっという間にカップの中を満たした。それは夜の闇よりも深い。黒という色をこれでもかというほど主張するような、はっきりした色合いだった。
メルリアは一拍遅れてからその暗さに息を呑む。思わず底をのぞき込むと、驚きに目を見開いた自分とカップ越しに目が合った。
メルリアが目を覚ましてから二日経ったが、未だに魔女の村には慣れていなかった。とにかくここは不思議なものが多い。
ツリーハウスといった木造の建物、エルフの魔法、村に自生する数多の植物。同じようでいて少し異なるそれは、まるで別の世界に迷い込んでしまったかのような非現実さがあった。それが当たり前であると過ごすエルフ達が、自分と同じように驚くクライヴの存在が、この非現実さをより引き立たせた。
だが、この村ではそれが当たり前なのだ。自分の認識と違うだけで、決して怖いことはない。実際、床に伏せっていた間食べたお化けリンゴはメルリアの好きな味だった。とはいえ、丸の状態を見た時は驚いたが。
メルリアはティーカップを手に取ると、真っ黒な液体の匂いを嗅いだ。甘さの中に、わずかに茶葉のような爽やかなものが香る。口をつけてみると、見た目ほどに粘度はきつくなく、さらりと飲める軽さがあった。酸味の少ないカモミールティーに、砂糖を少し落としたものと似ている。
「美味しい……」
思わず漏れたその声に、リタがへにゃっと笑みを浮かべた。
メルリアはカップに手を添えながら、おもむろに尋ねる。
「この黒色は何の色なんですか?」
「えっとね、それは黒――」
その時、陶器が割れたような高い音が響く。ティースプーンがソーサーに落ちたせいだ。間髪入れず、老婆が不意に立ち上がる。
「森の怨嗟と憎悪が凝縮された所以じゃあ……」
腹の底から怨憎を漏らすかのように、重々しい声が広場に響く。ごおごおと音を立て、空の穴から風が吹いた。濃い緑の葉が一枚、リタの足下へ舞い落ちる。
無言の間、わずか二秒。
リタはその葉を左足で踏みつけると、メルリアに向き直った。
「これは黒炭ティーって言ってね、墨樹シロップとハーブ類の香草を使ったお茶なんだ。美味しいでしょ?」
「あっ、はい。とても落ち着きます」
アラキナの戯れ言を理解する前に、耳に飛び込んできたリタの声にメルリアはうなずいた。そうしてまた、ティーカップで指先を温める。
メルリアは未だ熱が残る病人だ。頭の回転も平常より遅く、物事の判断にも時間がかかっている。アラキナの物々しい言葉は完全に裏目に出てしまったのだ。
テーブルに残っているのは、木立ヤシのムースと、七種類のベリーを使用して作ったゼリーのみ。ムースは乳白色、ゼリーは赤、黒、紫などが入り交じっているが、人間から見れば特別奇妙なものではない。
アラキナは唇をとがらせながら、再び着席する。ネタが尽きた。
「ちぇー、つまらんつまらん。これから病人は。若い女ならいい反応すると思ったのにのー」
腰は痛いし人間はつまらないし完全に興がそがれたなどとぶーぶーぼやきながら、老婆は墨樹ティーを呷った。およそティータイムにふさわしくない振る舞いに、リタはため息をつく。しかし老婆はそれにも構わず、自分の分だと用意された茶菓子を早々に腹に収めた。
「ごちそうさん。じゃあの」
明らかに愛想のない返事をして老婆が立ち上がった。
その姿を見上げながら、メルリアは軽く頭を下げた。熱のせいで靄のかかった視界がよりぼやけ、思わず瞬きを繰り返す。それを二度行うと、視界にいたはずのアラキナの姿が森の木々に透けて見えた。見間違いだろうかともう一度確認すると、老婆の姿はより周囲の景色に溶け込んでいる。
「あれ……」
人が透けてる?
メルリアが呆気にとられていると、不機嫌面をしていた老婆の顔がニカッと不気味に変わった。
「それじゃ!」
透けた姿のアラキナが、こちらをビシッと指差す。ニタリと満面のしたり顔を浮かべながら、それは森へと完全に溶けていった。
「えっと」
「転移魔法の一種だね。部屋に帰ったんじゃないかな」
固まったメルリアを見かねて、リタが「あそこ」と、正面にあるツリーハウスを指差した。促されるままそこに視線を向けると、老婆らしきシルエットが窓の奥に浮かび上がる。
リタは空席をちらりと見やり、やれやれとため息をつく。アラキナは相変わらず人間を驚かすことに魔力を割く人だ。転移魔法は魔力を莫大に消費する。おまけに一瞬ではなく徐々に転移させるのだから、普通よりも負担は大きい。以前ザックに『成仏転移』などと名付けられていたのだが、全く意に介さないようだ。
リタは使用済みの食器を端に片付けると、再び椅子に腰掛ける。広場の穴から空を仰ぎながら、のんびりと息を吐いた。
「……わりと変だし子供っぽいとこもあるけど、本質的にはいい人だよ。アラキナさん」
メルリアはその言葉を耳にすると、スプーン一杯分の最後のムースを口に含んだ。控えめな甘い味が広がっていく。
そうしてから、絵本の中でしか知らなかった魔法の一端を見ることができて、嬉しく思うのだった。
リタははにかむと、木の葉が描かれたティーポットを手に取った。メルリアのティーカップにそれを傾けると、光を一切許さぬ漆黒の液体が注がれる。まるで泥水のように粘度を含むそれは、あっという間にカップの中を満たした。それは夜の闇よりも深い。黒という色をこれでもかというほど主張するような、はっきりした色合いだった。
メルリアは一拍遅れてからその暗さに息を呑む。思わず底をのぞき込むと、驚きに目を見開いた自分とカップ越しに目が合った。
メルリアが目を覚ましてから二日経ったが、未だに魔女の村には慣れていなかった。とにかくここは不思議なものが多い。
ツリーハウスといった木造の建物、エルフの魔法、村に自生する数多の植物。同じようでいて少し異なるそれは、まるで別の世界に迷い込んでしまったかのような非現実さがあった。それが当たり前であると過ごすエルフ達が、自分と同じように驚くクライヴの存在が、この非現実さをより引き立たせた。
だが、この村ではそれが当たり前なのだ。自分の認識と違うだけで、決して怖いことはない。実際、床に伏せっていた間食べたお化けリンゴはメルリアの好きな味だった。とはいえ、丸の状態を見た時は驚いたが。
メルリアはティーカップを手に取ると、真っ黒な液体の匂いを嗅いだ。甘さの中に、わずかに茶葉のような爽やかなものが香る。口をつけてみると、見た目ほどに粘度はきつくなく、さらりと飲める軽さがあった。酸味の少ないカモミールティーに、砂糖を少し落としたものと似ている。
「美味しい……」
思わず漏れたその声に、リタがへにゃっと笑みを浮かべた。
メルリアはカップに手を添えながら、おもむろに尋ねる。
「この黒色は何の色なんですか?」
「えっとね、それは黒――」
その時、陶器が割れたような高い音が響く。ティースプーンがソーサーに落ちたせいだ。間髪入れず、老婆が不意に立ち上がる。
「森の怨嗟と憎悪が凝縮された所以じゃあ……」
腹の底から怨憎を漏らすかのように、重々しい声が広場に響く。ごおごおと音を立て、空の穴から風が吹いた。濃い緑の葉が一枚、リタの足下へ舞い落ちる。
無言の間、わずか二秒。
リタはその葉を左足で踏みつけると、メルリアに向き直った。
「これは黒炭ティーって言ってね、墨樹シロップとハーブ類の香草を使ったお茶なんだ。美味しいでしょ?」
「あっ、はい。とても落ち着きます」
アラキナの戯れ言を理解する前に、耳に飛び込んできたリタの声にメルリアはうなずいた。そうしてまた、ティーカップで指先を温める。
メルリアは未だ熱が残る病人だ。頭の回転も平常より遅く、物事の判断にも時間がかかっている。アラキナの物々しい言葉は完全に裏目に出てしまったのだ。
テーブルに残っているのは、木立ヤシのムースと、七種類のベリーを使用して作ったゼリーのみ。ムースは乳白色、ゼリーは赤、黒、紫などが入り交じっているが、人間から見れば特別奇妙なものではない。
アラキナは唇をとがらせながら、再び着席する。ネタが尽きた。
「ちぇー、つまらんつまらん。これから病人は。若い女ならいい反応すると思ったのにのー」
腰は痛いし人間はつまらないし完全に興がそがれたなどとぶーぶーぼやきながら、老婆は墨樹ティーを呷った。およそティータイムにふさわしくない振る舞いに、リタはため息をつく。しかし老婆はそれにも構わず、自分の分だと用意された茶菓子を早々に腹に収めた。
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明らかに愛想のない返事をして老婆が立ち上がった。
その姿を見上げながら、メルリアは軽く頭を下げた。熱のせいで靄のかかった視界がよりぼやけ、思わず瞬きを繰り返す。それを二度行うと、視界にいたはずのアラキナの姿が森の木々に透けて見えた。見間違いだろうかともう一度確認すると、老婆の姿はより周囲の景色に溶け込んでいる。
「あれ……」
人が透けてる?
メルリアが呆気にとられていると、不機嫌面をしていた老婆の顔がニカッと不気味に変わった。
「それじゃ!」
透けた姿のアラキナが、こちらをビシッと指差す。ニタリと満面のしたり顔を浮かべながら、それは森へと完全に溶けていった。
「えっと」
「転移魔法の一種だね。部屋に帰ったんじゃないかな」
固まったメルリアを見かねて、リタが「あそこ」と、正面にあるツリーハウスを指差した。促されるままそこに視線を向けると、老婆らしきシルエットが窓の奥に浮かび上がる。
リタは空席をちらりと見やり、やれやれとため息をつく。アラキナは相変わらず人間を驚かすことに魔力を割く人だ。転移魔法は魔力を莫大に消費する。おまけに一瞬ではなく徐々に転移させるのだから、普通よりも負担は大きい。以前ザックに『成仏転移』などと名付けられていたのだが、全く意に介さないようだ。
リタは使用済みの食器を端に片付けると、再び椅子に腰掛ける。広場の穴から空を仰ぎながら、のんびりと息を吐いた。
「……わりと変だし子供っぽいとこもあるけど、本質的にはいい人だよ。アラキナさん」
メルリアはその言葉を耳にすると、スプーン一杯分の最後のムースを口に含んだ。控えめな甘い味が広がっていく。
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