幾望の色

西薗蛍

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魔女の村ミスルトー

65 ミスルトーの朝1

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 木々の隙間から一条の光が差し込む。それは、憂鬱な雲の合間から照らす太陽のごとく。今朝のミスルトーには霧がない。森の景色ははっきりと、木々の緑は一際鮮やかだ。

 そんな中、村で四番目に早く目を覚ましたリタは、上機嫌に鼻歌を歌う。時々音がおかしいのはご愛敬だ。彼女は広場とツリーハウスの様子を外から見回ると、森の空気を肺いっぱいに吸い込んだ。数秒息を止め、体に残った錆を吐き出す想像をしながら息を吐く。清々しい一日の始まりではあるが、リタの表情は少しぼんやりしていた。普段通りである。

 朝の決まり事を終えたリタを見計らうと、木の上で休んでいたザックが顔を上げた。エルフらしからぬ巨体がのっそり動き、これまたエルフらしからぬ重量を持つ音を立て、地面へ降り立った。裂けた木の枝を踏み潰しながら、怠そうに肩を回す。

「リタ。バァさんが言ってた客ってのはいつ来るんだ?」
「来週くらいかなあ? 手紙届いたのがいつかにもよるけど」

 魔女の村では、毎年ルーフスのソル・ヴィザス魔術学園と交流がある。秋になると、学園生が研修に来るのだ。アラキナはここ数日、その下準備に追われていた。学生に出す課題作りや環境作り。倉庫封鎖の魔法や魔獣対策の確認。学生が誤って意図せぬ場所に入らないように、それぞれの空間に施す結界――。昨晩リタを邪魔しながら作っていた薬もそれに使うものだ。

 さらに、準備の一環として、村の環境が正常かどうかを確認する必要がある。植物や自然の息吹、それらの様子は、エルフが一番理解できる。しかし、村の湖に自生しているあの花だけは特別だ。その性質をよく知る者が見なければ判別がつかない。どうにも様子が変だと気づいたアラキナは、専門家へ手紙を寄越したのである。

「あいつらだろ? どっちだ? どっちが来る?」
「えーっとねえ……」

 リタが顎に手を当てると、背後の草がガサガサと怪しい物音が響く。

 二人はそれに構わなかった。やがて、その草が左右にかき分けられ、人影が現れる。リタはそれにひらひらと手を振った。それはスタスタと二人の間に割って入る。

「おぬしの気が楽じゃない方じゃぁ」
「よっしゃ――、……あ?」

 思わず握りこぶしを作りかけたザックだったが、言葉の意味を理解し言葉を失う。一瞬の笑顔は手のひらを返したようにしかめっ面へ。ほぐしたはずの肩がさらに凝った気がして、両肩をもう一度回した。凝りがほぐれる様子はない。

「嘘だろ……」
「そっかあ、あの人なら安心だねえ」

 ヒェヒェヒェ、と妙な笑い声を零しつつ、アラキナは再び森の奥へ消えていく。その足取りは軽やかだ。
 リタは老婆の後ろ姿を目で追いながら苦笑いした。これを言うためだけに出てきたんだな、と察したからだ。

「……じゃーな、リタ」

 絶望しきった顔で地面を見つめていたザックは、やがて誰に向けるでもなく舌打ちした。あからさまに嫌だとため息をつくと、肩を落としながらとぼとぼと森に消えていった。

「ザック、ほんとに苦手なんだなあ……。いい人なのに」

 リタは首をかしげながら、数日後に来るであろう客人の顔を思い浮かべた。アラキナは面白い奴だとか面白くない奴だとか時として正反対なことを言ったりしているけれど、どちらにしても評価は高そう。自分は尊敬できるし好きな人だけれど、ザックはどうにも落ち着かないようだ。

 嫌いではないみたいだけれど……。

 ううん、と唸りながら、ツリーハウスの階段を上っていく。すると、二軒奥のツリーハウスから顔を出すエルフの姿がひとつ。それはリタを見るなりガチリと硬直する。ハルだった。

「おはよー」

 ふらふらと右手を振りながら、リタはドアノブに手をかけた。返ってくる言葉がないと分かっていたからだ。ざらりとした木の感覚が心地よく手になじむ。

「……お……、お、オハヨ、ウゴザイマス!」

 頭のてっぺんから両手両足のつま先までをピンと伸ばしたままハルは言い放った。その声に感情はなく、言い切るなり口は固く閉ざされる。かつてのハルとは異なり、怯えて背筋が曲がるような様子はない。しかし、全身には余分な力が入り、形状は角材のような棒状の何かになっている。

「おお、ハルが喋ってるの初めて聞いたー」

 リタはその言葉ににこにこと笑みを浮かべると、ドアノブをひねり、ツリーハウスの中に消えていく。物音が収まると同時に、ハルの体からは力が抜けていった。土を失い干からびた雑草のようにしおれると、地面にへたり込み、バクバク鳴る心臓を押さえるように、左胸に手を置く。

 二軒分の距離感と、埋められない温度差がそこにはあった。


 リタはそっと部屋の中に足を踏み入れた。物音を立てないように、ゆっくりと。細心の注意を払いながら、扉を静かに閉めた。部屋の状況を確認しようとベッドに視線を向けた途端、リタの口から気の抜けた妙な声が漏れる。

「あー……」

 メルリアはベッドで静かに眠っている。その傍らには、ベッドを枕に座ったまま眠るクライヴの姿があった。こちらから彼の表情は見えないが、こんな姿勢で起きているわけもないから眠っているのだろうと納得した。

 妙な現場に居合わせたなあ、お邪魔しましたーって出て行きたいなあ、など、いたたまれない気持ちになったリタは、そろりそろりと忍び足で部屋の奥へと向かった。窓際のテーブルの食器は空。ガラスのコップに入れた水は空。アラキナが用意した風邪薬も綺麗になくなっている。燭台の蝋燭はまだ残っているが、斜めに抉れて立ち消えた形跡がある。

 空の食器を重ね、それを手に取った。陶器の食器じゃなくてよかったなあ、と苦笑しながら、また一歩一歩静かに歩を進める。やがてその動きが止まり、もう一度ベッドで眠るメルリアの表情を窺った。まだ頬は赤いが呼吸は落ち着いている。峠は超えたようだ。このまま静養すれば、熱はじきに治まるだろう。対して、ベッドに突っ伏しているクライヴの様子は分からない。

「……クライヴって、いつも変な格好で寝てるなあ」

 リタはぼそっとつぶやく。明らかに体を痛めそうな格好だ。声をかけようか迷ったが、クライヴを起こすと一緒にメルリアも起きてしまいそうだ。取り敢えずそっとしておくことにして、静かにその場から立ち去った。
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