幾望の色

西薗蛍

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魔女の村ミスルトー

64 目覚めは夜更けに-2

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 クライヴはメルリアからタオルを受け取ると、再びそれをおけに浸した。テーブルの上から木製のスプーンを手に取る。同じく木製の器には、お化けリンゴの摺り下ろしが入っていた。その器に手を伸ばそうとしたクライヴだったが、思わず動きが止まってしまう。アラキナやリタの指示通り、皮ごと摺り下ろしたものだ。テーブルの器を恐る恐るのぞき込む。

 器の焦げ茶色と実の黄色が混ざっているおかげで、あの毒々しい色はあまり目立たない。あまり。それに、今は夜だ。ツリーハウス内を照らすのはわずかな蝋燭の光のみ。今ならば色素の濃いリンゴにしか見えない――かもしれない。クライヴは改めて器の中をまじまじと見つめる。色が視認しづらい暗い部屋では、灰色に近い塊としてそこに存在している。しかし。クライヴは息をのんだ。元の色を知っているせいで、毒々しい色にしか見えなくなっていたのだ。

 クライヴは乾いた笑みを一つ浮かべると、意を決して器を手に取った。ベッドで待つメルリアにスプーンと器を差し出す。

「ありがとう」

 メルリアはクライヴににこりと微笑みかけた。決して悪いことをしていないが、その笑顔になぜか良心が痛む。いただきますと手を合わせるメルリアを見て、慌ててクライヴは口を挟んだ。

「すごい色してると思うけど、危なくないから大丈夫だ。食べられる、俺も食べた。平気だった」

 必死に弁解するクライヴに、メルリアは首をかしげた。どうしてそんな風に慌てているのか理解できない。しかし頭がうまく動かないメルリアは、それを尋ねることはしなかった。そんな彼に構わず、スプーンで摺り下ろしたお化けリンゴをすくい、何の躊躇もなく口へ運んでいく。

 口当たりよく柔らかいリンゴをゆっくりと咀嚼するメルリアを見ながら、クライヴは胃がきゅっと締め付けられるような不快感を覚えた。

「おいしい。ありがとう」

 鼻に抜けるリンゴの爽やかな香り。一般的なものと比べると控えめな味ではあるが、その味は普通のリンゴと大差ない。メルリアはスプーンをもう一度口に含みながら、古い記憶を呼び起こしていた。

 ベラミントはリンゴの名産地である。彼女の周囲には当たり前のようにリンゴがあった。生のリンゴ、もしくはリンゴの料理を口にしない月はなかった。

 メルリアがまだ幼い頃――彼女が風邪を引いた時、まずはじめに食べさせられたのはリンゴの摺り下ろしだった。大丈夫だよと穏やかに笑う祖母の姿をふっと思い起こす。それはメルリアにとって随分と古い記憶だというのに、今起こっている出来事のように鮮やかに蘇った。目を閉じれば、祖母と住んでいた家、リビング、自分の使っていた部屋、好きだった絵本に、お気に入りの青いマグカップ。祖母の家族を描いた絵画、リンゴの形の丸い小皿――。大好きだった家の景色を、全て鮮明に見る事ができる。まるでその当時に戻ったかのように、はっきりと。

「おばあちゃん……懐かしいなぁ」

 メルリアはスプーンで器の中をすくう。ふと、その中に固形のリンゴを見つけた。小指の第一関節ほどくらいの大きさで、摺った後で周囲がざらざらとしていた。

「あ……悪い。そういえば、途中で折れたのがあったな」

 申し訳なさそうに頭をかくクライヴに、メルリアはううんと首を振って否定した。そうしてまた、スプーンの上に乗ったリンゴの固形を見つめる。

 こんなこと、前にもあった。けれど、ロバータが摺り下ろしたリンゴにはここまで大きい塊は入っていなかった。

 そうだ、あのひと。祖母の親戚だという男が作ったリンゴのすりおろしには、決まってそれがあった。メルリアがそれを今と同じように見つめていると、男は「ごめんごめん」と謝りつつも、少し困ったように笑っていた。

 今度は男の顔を思い浮かべながら、スプーンを口に運ぶ。固形のリンゴの食感は、メルリアの知るリンゴらしいものだ。

「……ごめん、メルリア。怖い思いをさせて」
「えっと……?」

 メルリアはその言葉にゆっくりと顔を上げる。肩に掛かっていた長い髪がさらさらと胸の方へ垂れた。

 目を覚ます前のことはよく覚えていない。思い出そうにもうまく頭が働かないのだ。恐る恐る記憶の縁を辿るメルリアは、一番新しい記憶として魔獣の姿を思い出す。魔獣の赤い瞳、銀色に光る爪先。それ以降の記憶は思い出せないが、それ以前の記憶は簡単に呼び起こせる。

 ネフリティスの工房から旅立ったこと。ヴェルディグリから出て、次はグローカスの夜半の屋敷へ向かうところだったこと。街道を行く途中クライヴに偶然会って、それから魔獣に襲われて、赤い色が見えて――。

「私、あれからどうなったの……?」

 メルリアは器の上にスプーンを置くと、ぽつりとつぶやく。
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