110 / 197
魔女の村ミスルトー
64 目覚めは夜更けに-2
しおりを挟む
クライヴはメルリアからタオルを受け取ると、再びそれをおけに浸した。テーブルの上から木製のスプーンを手に取る。同じく木製の器には、お化けリンゴの摺り下ろしが入っていた。その器に手を伸ばそうとしたクライヴだったが、思わず動きが止まってしまう。アラキナやリタの指示通り、皮ごと摺り下ろしたものだ。テーブルの器を恐る恐るのぞき込む。
器の焦げ茶色と実の黄色が混ざっているおかげで、あの毒々しい色はあまり目立たない。あまり。それに、今は夜だ。ツリーハウス内を照らすのはわずかな蝋燭の光のみ。今ならば色素の濃いリンゴにしか見えない――かもしれない。クライヴは改めて器の中をまじまじと見つめる。色が視認しづらい暗い部屋では、灰色に近い塊としてそこに存在している。しかし。クライヴは息をのんだ。元の色を知っているせいで、毒々しい色にしか見えなくなっていたのだ。
クライヴは乾いた笑みを一つ浮かべると、意を決して器を手に取った。ベッドで待つメルリアにスプーンと器を差し出す。
「ありがとう」
メルリアはクライヴににこりと微笑みかけた。決して悪いことをしていないが、その笑顔になぜか良心が痛む。いただきますと手を合わせるメルリアを見て、慌ててクライヴは口を挟んだ。
「すごい色してると思うけど、危なくないから大丈夫だ。食べられる、俺も食べた。平気だった」
必死に弁解するクライヴに、メルリアは首をかしげた。どうしてそんな風に慌てているのか理解できない。しかし頭がうまく動かないメルリアは、それを尋ねることはしなかった。そんな彼に構わず、スプーンで摺り下ろしたお化けリンゴをすくい、何の躊躇もなく口へ運んでいく。
口当たりよく柔らかいリンゴをゆっくりと咀嚼するメルリアを見ながら、クライヴは胃がきゅっと締め付けられるような不快感を覚えた。
「おいしい。ありがとう」
鼻に抜けるリンゴの爽やかな香り。一般的なものと比べると控えめな味ではあるが、その味は普通のリンゴと大差ない。メルリアはスプーンをもう一度口に含みながら、古い記憶を呼び起こしていた。
ベラミントはリンゴの名産地である。彼女の周囲には当たり前のようにリンゴがあった。生のリンゴ、もしくはリンゴの料理を口にしない月はなかった。
メルリアがまだ幼い頃――彼女が風邪を引いた時、まずはじめに食べさせられたのはリンゴの摺り下ろしだった。大丈夫だよと穏やかに笑う祖母の姿をふっと思い起こす。それはメルリアにとって随分と古い記憶だというのに、今起こっている出来事のように鮮やかに蘇った。目を閉じれば、祖母と住んでいた家、リビング、自分の使っていた部屋、好きだった絵本に、お気に入りの青いマグカップ。祖母の家族を描いた絵画、リンゴの形の丸い小皿――。大好きだった家の景色を、全て鮮明に見る事ができる。まるでその当時に戻ったかのように、はっきりと。
「おばあちゃん……懐かしいなぁ」
メルリアはスプーンで器の中をすくう。ふと、その中に固形のリンゴを見つけた。小指の第一関節ほどくらいの大きさで、摺った後で周囲がざらざらとしていた。
「あ……悪い。そういえば、途中で折れたのがあったな」
申し訳なさそうに頭をかくクライヴに、メルリアはううんと首を振って否定した。そうしてまた、スプーンの上に乗ったリンゴの固形を見つめる。
こんなこと、前にもあった。けれど、ロバータが摺り下ろしたリンゴにはここまで大きい塊は入っていなかった。
そうだ、あのひと。祖母の親戚だという男が作ったリンゴのすりおろしには、決まってそれがあった。メルリアがそれを今と同じように見つめていると、男は「ごめんごめん」と謝りつつも、少し困ったように笑っていた。
今度は男の顔を思い浮かべながら、スプーンを口に運ぶ。固形のリンゴの食感は、メルリアの知るリンゴらしいものだ。
「……ごめん、メルリア。怖い思いをさせて」
「えっと……?」
メルリアはその言葉にゆっくりと顔を上げる。肩に掛かっていた長い髪がさらさらと胸の方へ垂れた。
目を覚ます前のことはよく覚えていない。思い出そうにもうまく頭が働かないのだ。恐る恐る記憶の縁を辿るメルリアは、一番新しい記憶として魔獣の姿を思い出す。魔獣の赤い瞳、銀色に光る爪先。それ以降の記憶は思い出せないが、それ以前の記憶は簡単に呼び起こせる。
ネフリティスの工房から旅立ったこと。ヴェルディグリから出て、次はグローカスの夜半の屋敷へ向かうところだったこと。街道を行く途中クライヴに偶然会って、それから魔獣に襲われて、赤い色が見えて――。
「私、あれからどうなったの……?」
メルリアは器の上にスプーンを置くと、ぽつりとつぶやく。
器の焦げ茶色と実の黄色が混ざっているおかげで、あの毒々しい色はあまり目立たない。あまり。それに、今は夜だ。ツリーハウス内を照らすのはわずかな蝋燭の光のみ。今ならば色素の濃いリンゴにしか見えない――かもしれない。クライヴは改めて器の中をまじまじと見つめる。色が視認しづらい暗い部屋では、灰色に近い塊としてそこに存在している。しかし。クライヴは息をのんだ。元の色を知っているせいで、毒々しい色にしか見えなくなっていたのだ。
クライヴは乾いた笑みを一つ浮かべると、意を決して器を手に取った。ベッドで待つメルリアにスプーンと器を差し出す。
「ありがとう」
メルリアはクライヴににこりと微笑みかけた。決して悪いことをしていないが、その笑顔になぜか良心が痛む。いただきますと手を合わせるメルリアを見て、慌ててクライヴは口を挟んだ。
「すごい色してると思うけど、危なくないから大丈夫だ。食べられる、俺も食べた。平気だった」
必死に弁解するクライヴに、メルリアは首をかしげた。どうしてそんな風に慌てているのか理解できない。しかし頭がうまく動かないメルリアは、それを尋ねることはしなかった。そんな彼に構わず、スプーンで摺り下ろしたお化けリンゴをすくい、何の躊躇もなく口へ運んでいく。
口当たりよく柔らかいリンゴをゆっくりと咀嚼するメルリアを見ながら、クライヴは胃がきゅっと締め付けられるような不快感を覚えた。
「おいしい。ありがとう」
鼻に抜けるリンゴの爽やかな香り。一般的なものと比べると控えめな味ではあるが、その味は普通のリンゴと大差ない。メルリアはスプーンをもう一度口に含みながら、古い記憶を呼び起こしていた。
ベラミントはリンゴの名産地である。彼女の周囲には当たり前のようにリンゴがあった。生のリンゴ、もしくはリンゴの料理を口にしない月はなかった。
メルリアがまだ幼い頃――彼女が風邪を引いた時、まずはじめに食べさせられたのはリンゴの摺り下ろしだった。大丈夫だよと穏やかに笑う祖母の姿をふっと思い起こす。それはメルリアにとって随分と古い記憶だというのに、今起こっている出来事のように鮮やかに蘇った。目を閉じれば、祖母と住んでいた家、リビング、自分の使っていた部屋、好きだった絵本に、お気に入りの青いマグカップ。祖母の家族を描いた絵画、リンゴの形の丸い小皿――。大好きだった家の景色を、全て鮮明に見る事ができる。まるでその当時に戻ったかのように、はっきりと。
「おばあちゃん……懐かしいなぁ」
メルリアはスプーンで器の中をすくう。ふと、その中に固形のリンゴを見つけた。小指の第一関節ほどくらいの大きさで、摺った後で周囲がざらざらとしていた。
「あ……悪い。そういえば、途中で折れたのがあったな」
申し訳なさそうに頭をかくクライヴに、メルリアはううんと首を振って否定した。そうしてまた、スプーンの上に乗ったリンゴの固形を見つめる。
こんなこと、前にもあった。けれど、ロバータが摺り下ろしたリンゴにはここまで大きい塊は入っていなかった。
そうだ、あのひと。祖母の親戚だという男が作ったリンゴのすりおろしには、決まってそれがあった。メルリアがそれを今と同じように見つめていると、男は「ごめんごめん」と謝りつつも、少し困ったように笑っていた。
今度は男の顔を思い浮かべながら、スプーンを口に運ぶ。固形のリンゴの食感は、メルリアの知るリンゴらしいものだ。
「……ごめん、メルリア。怖い思いをさせて」
「えっと……?」
メルリアはその言葉にゆっくりと顔を上げる。肩に掛かっていた長い髪がさらさらと胸の方へ垂れた。
目を覚ます前のことはよく覚えていない。思い出そうにもうまく頭が働かないのだ。恐る恐る記憶の縁を辿るメルリアは、一番新しい記憶として魔獣の姿を思い出す。魔獣の赤い瞳、銀色に光る爪先。それ以降の記憶は思い出せないが、それ以前の記憶は簡単に呼び起こせる。
ネフリティスの工房から旅立ったこと。ヴェルディグリから出て、次はグローカスの夜半の屋敷へ向かうところだったこと。街道を行く途中クライヴに偶然会って、それから魔獣に襲われて、赤い色が見えて――。
「私、あれからどうなったの……?」
メルリアは器の上にスプーンを置くと、ぽつりとつぶやく。
0
お気に入りに追加
0
あなたにおすすめの小説
能力値カンストで異世界転生したので…のんびり生きちゃダメですか?
火産霊神
ファンタジー
私の異世界転生、思ってたのとちょっと違う…?
24歳OLの立花由芽は、ある日異世界転生し「ユメ」という名前の16歳の魔女として生きることに。その世界は魔王の脅威に怯え…ているわけでもなく、レベルアップは…能力値がカンストしているのでする必要もなく、能力を持て余した彼女はスローライフをおくることに。そう決めた矢先から何やらイベントが発生し…!?

積みかけアラフォーOL、公爵令嬢に転生したのでやりたいことをやって好きに生きる!
ぽらいと
ファンタジー
アラフォー、バツ2派遣OLが公爵令嬢に転生したので、やりたいことを好きなようにやって過ごす、というほのぼの系の話。
悪役等は一切出てこない、優しい世界のお話です。

転生したおばあちゃんはチートが欲しい ~この世界が乙女ゲームなのは誰も知らない~
ピエール
ファンタジー
おばあちゃん。
異世界転生しちゃいました。
そういえば、孫が「転生するとチートが貰えるんだよ!」と言ってたけど
チート無いみたいだけど?
おばあちゃんよく分かんないわぁ。
頭は老人 体は子供
乙女ゲームの世界に紛れ込んだ おばあちゃん。
当然、おばあちゃんはここが乙女ゲームの世界だなんて知りません。
訳が分からないながら、一生懸命歩んで行きます。
おばあちゃん奮闘記です。
果たして、おばあちゃんは断罪イベントを回避できるか?
[第1章おばあちゃん編]は文章が拙い為読みづらいかもしれません。
第二章 学園編 始まりました。
いよいよゲームスタートです!
[1章]はおばあちゃんの語りと生い立ちが多く、あまり話に動きがありません。
話が動き出す[2章]から読んでも意味が分かると思います。
おばあちゃんの転生後の生活に興味が出てきたら一章を読んでみて下さい。(伏線がありますので)
初投稿です
不慣れですが宜しくお願いします。
最初の頃、不慣れで長文が書けませんでした。
申し訳ございません。
少しづつ修正して纏めていこうと思います。

間違い転生!!〜神様の加護をたくさん貰っても それでものんびり自由に生きたい〜
舞桜
ファンタジー
「初めまして!私の名前は 沙樹崎 咲子 35歳 自営業 独身です‼︎よろしくお願いします‼︎」
突然 神様の手違いにより死亡扱いになってしまったオタクアラサー女子、
手違いのお詫びにと色々な加護とチートスキルを貰って異世界に転生することに、
だが転生した先でまたもや神様の手違いが‼︎
神々から貰った加護とスキルで“転生チート無双“
瞳は希少なオッドアイで顔は超絶美人、でも性格は・・・
転生したオタクアラサー女子は意外と物知りで有能?
だが、死亡する原因には不可解な点が…
数々の事件が巻き起こる中、神様に貰った加護と前世での知識で乗り越えて、
神々と家族からの溺愛され前世での心の傷を癒していくハートフルなストーリー?
様々な思惑と神様達のやらかしで異世界ライフを楽しく過ごす主人公、
目指すは“のんびり自由な冒険者ライフ‼︎“
そんな主人公は無自覚に色々やらかすお茶目さん♪
*神様達は間違いをちょいちょいやらかします。これから咲子はどうなるのか?のんびりできるといいね!(希望的観測っw)
*投稿周期は基本的には不定期です、3日に1度を目安にやりたいと思いますので生暖かく見守って下さい
*この作品は“小説家になろう“にも掲載しています

龍王の番〜双子の運命の分かれ道・人生が狂った者たちの結末〜
クラゲ散歩
ファンタジー
ある小さな村に、双子の女の子が生まれた。
生まれて間もない時に、いきなり家に誰かが入ってきた。高貴なオーラを身にまとった、龍国の王ザナが側近二人を連れ現れた。
母親の横で、お湯に入りスヤスヤと眠っている子に「この娘は、私の○○の番だ。名をアリサと名付けよ。
そして18歳になったら、私の妻として迎えよう。それまでは、不自由のないようにこちらで準備をする。」と言い残し去って行った。
それから〜18年後
約束通り。贈られてきた豪華な花嫁衣装に身を包み。
アリサと両親は、龍の背中に乗りこみ。
いざ〜龍国へ出発した。
あれれ?アリサと両親だけだと数が合わないよね??
確か双子だったよね?
もう一人の女の子は〜どうしたのよ〜!
物語に登場する人物達の視点です。

特殊部隊の俺が転生すると、目の前で絶世の美人母娘が犯されそうで助けたら、とんでもないヤンデレ貴族だった
なるとし
ファンタジー
鷹取晴翔(たかとりはると)は陸上自衛隊のとある特殊部隊に所属している。だが、ある日、訓練の途中、不慮の事故に遭い、異世界に転生することとなる。
特殊部隊で使っていた武器や防具などを召喚できる特殊能力を謎の存在から授かり、目を開けたら、絶世の美女とも呼ばれる母娘が男たちによって犯されそうになっていた。
武装状態の鷹取晴翔は、持ち前の優秀な身体能力と武器を使い、その母娘と敷地にいる使用人たちを救う。
だけど、その母と娘二人は、
とおおおおんでもないヤンデレだった……
第3回次世代ファンタジーカップに出すために一部を修正して投稿したものです。
異世界転生目立ちたく無いから冒険者を目指します
桂崇
ファンタジー
小さな町で酒場の手伝いをする母親と2人で住む少年イールスに転生覚醒する、チートする方法も無く、母親の死により、実の父親の家に引き取られる。イールスは、冒険者になろうと目指すが、周囲はその才能を惜しんでいる
魔王と王の育児日記。(下書き)
花より団子よりもお茶が好き。
BL
ある日魔族の王は一人の人間の赤ん坊を拾った。
しかし、人間の育て方など。
「ダメだ。わからん」
これは魔族と人間の不可思議な物語である。
――この世界の国々には必ず『魔族の住む領土と人間の住む領土』があり『魔族の王と人間の王』が存在した。
数ある国としての条件の中でも、必ずこれを満たしていなければ国としては認められない。
その中でも東西南北の四方点(四方位)に位置する四カ国がもっとも強い力を保持する。
そしてその一つ、東の国を統べるは我らが『魔王さまと王様』なのです。
※BL度低め
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる