幾望の色

西薗蛍

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魔女の村ミスルトー

62 古い時間の夢-2

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 メルリアは川のほとりへ向かうと、その様子をうかがう。川幅は彼女の想像よりずっと広い。辺りを見回すが、橋らしき物は見当たらなかった。渡るとするならば、川を歩いて行くしかないだろう。

 メルリアは川の水をのぞき込む。それは驚くほど澄んでおり、このまま飲んでも害はなさそうだと一目で分かるほど、透明感があった。水草に紛れ、苔色の背中をした魚がゆらゆらと優雅に泳いでいた。その底――石の灰色に、魚の影がうっすらと浮かび上がる。こちらの影に気づくと、魚は慌てて川を上っていった。

 その様子を目で追った後、川に手を伸ばし、人差し指を第一関節まで浸した。水に触れた途端、メルリアは目を見開いた。川の水は想像以上に冷たく、こちらの体熱を瞬時に奪う。水面に揺れる自分の指の形を見つめながら、メルリアは首を横に振った。この川を渡っていくなんて、そんな無礼なまねはできない。そもそも、魚が住んでいるのだし――ゆっくりと指を引き抜くと、川向こうに広がる緑をぼんやりと見つめた。教会の教えを疑っていたわけではないが、本当にあるんだと感心していた。

 しかし、これから先、どうしたらいいか分からない。周囲に人らしい気配はない。喉が苦しいような感覚を覚え、メルリアは唾を飲み込んだ。けれど、焦る必要はない。もう時間に追われることはないのだから。

 さらさらと流れる川の手前――水草が揺らめき、メルリアの表情を歪に映し出す。彼女は何も考えずに自分の影を見つめていた。そうしていると、水の底にエルヴィーラの姿が思い浮かぶ。それに続けて、クライヴの顔も。途端、頭の端がずきりと痛んだ。脳がうまく働かない。瞬きの回数が次第に減っていき、目を開けている時間よりも、目を閉じている時間の方が長くなっていく。メルリアは川の音に耳を傾けながら、心地のいい眠気に襲われていた。

 森の夜は早い。次第に周囲が薄暗く変わってゆく。森の暗さが、余計にメルリアの眠気を誘った。やがて体はバランスを失い、川の方にのめり込むように上体が倒れ込む。心地のいい川の音、頬に触れる冷気が増していた。

 その途端、強い力で右腕が後ろに引っ張られた。その衝撃でメルリアは数歩後退し、川辺から距離を置く。

「間に合った……」

 その人物はメルリアからそっと手を離すと、ほっと安堵の息を吐く。

 メルリアはゆっくりと目を開いた。自分の腕を引いたその手は見覚えがあった。骨張った男性の手。服装もそうだ。旅人の身につける、動きやすい格好に長いズボン。顔を上げると、安心しきったように笑うクライヴの表情が目に入る。

「大丈夫か?」

 その言葉を聞いたメルリアは何も言わない。

 分からなかったからだ。どうしてクライヴがこんなところにいるのだろう。メルリアはゆっくりと記憶を辿る。魔獣に襲われる前、自分はクライヴと歩いていた――そのことを思い出したメルリアははっと目を丸くすると、視線を下へ泳がせた。そうして、自分の左手をクライヴの手に重ね合わせる。彼の手はずいぶんと冷たい。その温度に目を細めながら、顔を上げた。

「私……もしかして、巻き込んじゃったの?」

 川辺の冷え冷えとした空気が吹き抜けると、メルリアの長い髪が風を含んでふわりと揺れた。

 ゆっくり喋るメルリアに、クライヴは一瞬驚いたように目を見開いた。困惑と照れが混ざったような表情を浮かべながら、居心地が悪そうに頬をかく。落ち着いたのか、やがて咳払いを一つすると、クライヴは首を横に振った。彼女の言葉を否定する意味でだ。

「いや、巻き込んだのは俺の方だ。俺が、ちゃんとメルリアを守れなかったから……」

 その声は徐々に小さく力をなく変わっていく。

 うつむくクライヴを見て、メルリアは胸の奥が締め付けられるような鈍い痛みを感じた。本当に巻き込んでしまったようだと、実感が襲ってくる。自分一人ならまだいい。けれど、人を巻き込んだとなると話は別だ。しかし、もうどうすることもできないのは事実だった。ごめんなさいと伝えたかった言葉を飲み込む。メルリアはゆっくりと呼吸すると、笑顔を作った。

「ここ……どうしたらこの先に行けるか、知ってる?」
「この先……?」

 メルリアは川向こうを指さす。クライヴはその先を目で追った。日暮れを迎えた魔女の村は暗い。指さした先には薄暗い森が広がるのみだ。メルリアの指す方角と太陽の位置から察するに、あちらはベラミントやシーバの方角だろう。しかし、彼女はここがどこか知らないはずだ。

「三本渡った川の先……だったっけ。両親が待っててくれると思うんだけど」

 その言葉に、クライヴはメルリアの表情を伺う。ぼうっと森の奥を見つめていた。
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