幾望の色

西薗蛍

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魔女の村ミスルトー

54 そこは魔女の村2

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 森の夜は早く、朝は遅く訪れる。

 この村が柔らかな朝の日差しを浴びる頃には人々はとっくに目を覚まし、それぞれの一日を送っている。

 エルフ達はまだ宵闇に似た薄暗さの中で目を覚まし、着々と一日を始めるのだ。

 何羽もの小鳥が翼を羽ばたかせ木々に止まったかと思うと、カラスが周囲の鳥を威嚇するように低く鳴いた。

 やっと腰を下ろしたはずの小鳥たちは、その低い声を聞くなり一斉に飛び立っていった。

 魔女の村にようやく朝が訪れた。


 クライヴの意識がわずかに浮上したのは、朝の九時を過ぎた頃だった。

 窓から差し込むほんのわずかな光が、彼の瞼を照らす。それは、朝の五時に似た明るさであった。

 クライヴは頬にチクチクとしたむず痒さのようなものを感じて、ううんと寝返りを打つ。プチリという妙な音が耳元で聞こえたかと思うと、その感覚は痛みに変わる。

 なんだ……?

 クライヴはゆっくりと目を開いた。

「あー……」

 そこには金髪の少女が、がっくりと肩を落としていた。手には緑の葉をつけた木の枝は、先端がポッキリと折れてしまっている。

 彼の頬の下には、恐らく折れた先である木の破片が落ちていた。

 ベッドの柱が音を立ててきしんだ。
 状況を理解するなり、クライヴが慌てて飛び起きたせいだ。背中がズキリと痛み、思わず体が固まる。
 痛みが引いた頃合いで、かつて枝だった木のくずを手に取ると、怪訝そうに首をかしげる。

「なん……え、お前、誰だ……? それに、ここは……」

 クライヴは目をこすりながら、でかかったあくびをかみ殺す。

 脳を無理矢理たたき起こしながら、ぐるりと周囲を見回す。まず目に入った壁には、茶色い凹凸があった。それは壁紙ではなく、丸太を組んだ木の形だ。

 部屋の中は大して広くない。街道にある宿酒場の一部屋より気持ち広い程度だ。それから、ベッドと木製の簡素なテーブル、タンス。
 傍らにある椅子の上には、クライヴが身につけていたリュックが横たわっていた。
 申し分程度の丸い小窓の向かい側には、開けっぱなしになった扉。それは風に揺れパタパタと音を立てている。

 少女はくあっと大きくあくびすると、目に涙を浮かべた。

「ここはミスルトーだよー。よその人は魔女の村って呼ぶねえ」

 涙声で少女は言うと、彼女の長い耳がぴこぴこと左右に揺れる。まるで小鳥の翼のようだった。

「自己紹介まだだったね。私はリタ・ランズ。キミの事は、名前とか全部イリス達に聞いたよ。クライヴ……だっけ。昨日はよく寝てたねぇ」

 その言葉に、クライヴははっとした。

 街道でメルリアに会ったこと、魔獣に襲われそうになったこと、イリス達に助けられたこと、魔女の村と言う場所に案内されたこと――。

 彼女の顔を見たところまでは覚えているが、それ以降の意識があやふやだった。確か、椅子に座ってから意識がないような。

 リタの言葉から察するに、恐らくそこで眠ってしまったのだろう――とクライヴは判断する。

 クライヴは改めて開けっぱなしにされている扉の奥、外の景色に目をやる。音もなく、人の気配もない。ただただ静かだった。

「……あの二人はどうしたんだ?」
「昨晩、お夕飯食べた後帰ったよ。二人とも売れっ子だからねえ」
「そんなにすごいのか?」

 驚くクライヴに、リタはうなずいて答えた。

「んっとね、あの二人はすごい家の出身でさ――」

 リタは折れた木の棒をゆらゆら揺らしながら話し始める。


 イリスのゾラ家と、クロードのノルデ家は、代々魔力の強い血筋である。

 ゾラ家は闇、ノルデ家は水を操る魔術士として有名だ。国内外問わず、名前を聞くだけで震え上がる者も珍しくはない。
 過去にルーフスの魔術学園に在籍しており、二人はそろって一年飛び級で卒業。在籍中は成績表のトップでは共に一位二位を争い続けており、学園の後輩からは伝説扱いされる有名人だ。学園関係者曰く、ゾラ家とノルデ家の子供が入学すると大体そうなるらしい。

「――っとまあ、そんな感じですごいんだよー」

 そこまで話し終えると、リタは気の抜けたようなため息をついた。その語り口はどこか他人事で、尊敬や畏敬の念は感じられない。

「一位、二位って……それにしたら、いがみ合ってる様子がないのが不思議だな」

 クライヴがぽつりとこぼすと、リタは木の枝でそちらを指す。すっかり指し棒代わりだ。

「いいところに目をつけるねー。先代まではそうだったみたい。でも、今は真逆。ま、家がなんであれ、二人はそれぞれ親とは違う生き物だから、いつかは変わってもおかしくないねー」

 リタはゆらゆらと指し棒を揺らしたかと思うと、折れた木の棒でいびつな丸模様を描いた。

 開いた扉からふわりと枯れ葉が舞い落ちる。リタは足下に落ちたそれを拾い上げると、扉の外に放した。森の風に乗って、それは木々の麓まで落ちていく。本来あるべき場所に帰るように。

「さてとー。朝ご飯食べよっかあ」

 リタはその落ち葉を見送った後、腕を空に向けてぐっと伸ばす。振り返り、ベッドに腰掛けたままのクライヴにふにゃっと笑いかけた。

「私は先に行ってるから、キミの支度が終わったら広場で待っててねー」

 リタはそれだけ伝えると、軽やかに木の階段を下りていく。引き留める隙はなかった。

 クライヴは俯き、己の手のひらを見つめる。裏返して手の甲を見ると、そこには擦った傷が残っていた。
 起き上がった際の背中の痛みは大分治まったが、動きに気を配らなければ再び痛み始めるだろう。

 ……聞きたかったことが二つ、まだ聞けていない。

 彼はため息をつく。と、同時に、空っぽの腹が地響きのような音を立てた。それが収まると、音のした辺りが熱を持っている事に気づく。昼過ぎから何も口にしていないせいだ。

 クライヴはゆっくり立ち上がると、村の広場へ向かった。
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