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都市ヴェルディグリ
44 最後の仕事3-1
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工房の主が用意した席は、ぱっと見小綺麗であったが、よくよく見ると粗が目立っていた。
焦げ茶色のテーブルの上には、色の濃さが違う紅茶のカップがふたつ。それぞれ等しく細く長い湯気が立っている。
中央の白い皿の上には、こんがりとよい焼き目のついたクッキーが盛ってある。それは昨晩工房に届けられたものだ。
が、クッキーには所々ヒビが入っていたり、真っ二つに割れていたりと散々な形状をしていた。
原因は、運送業の人間が箱をひっくり返したことに加え、ネフリティスが箱を雑に揺らし乱暴に皿に盛った事に由来する。
メルリアは紅茶に口をつける。舌の先に苦みが残るほど濃い味だった。その味に思わず眉を寄せてしまう。
彼女の正面に座るネフリティスは、皿からクッキーをひょいっと拾い上げた。
それは奇跡的に割れてもいないし欠けてもいない。
本来、この皿のクッキーはすべてそういう形だった。
「割れていようが味は変わらん。食え」
綺麗な形のクッキーをかじりながらネフリティスは言う。
その態度と行動のせいで言葉の信憑性は薄いが、言葉は受け取る人間によって解釈が異なるものだ。
メルリアはその言葉に嫌な顔一つせず――そもそも嫌だとすら思わず、割れたクッキーを手に取った。
四分の一程度しか残らない一口サイズのそれを口にする。サクサクの食感にクッキーの香ばしい匂い。
最後に、果物に似たものが香る。大人の味だった。
「朝方、お前が言った時計の音だが、あれは魔術の音の一種だ。今晩からしなくなる。安心していい」
イリスの言葉と一致する――ネフリティスの言葉に、メルリアは黙って頷いた。
「私の弟子は、魔力が暴走したせいで、ずっと目を覚まさなかったんだ。部屋に寝たきりの状態で四ヶ月経ったが……。やっとレシピ作りから解放されるな」
ネフリティスは気が抜けたように笑う。退屈だったという風に、一度大きくあくびをした。
棚に視線を向けると、何かを思い出したかのようにふっと笑みを浮かべた。
メルリアはそんな彼女の様子を見ながら、ゆっくりと微笑んだ。
四ヶ月というあまりにも長い時間。
ずっと傍にいてくれた人が、突然眠ってしまった――その事実はメルリアの心に大きくのしかかっていた。
ロバータが倒れたのも、突然のことだった。
日常が変わってしまったという実感はすぐには起こらない。
違和感が日に日に少しずつ降り積もっていって、やがて自分がひとりになってしまったと気づくものだ。
少し前からそうだというのにも拘わらず。
メルリアはネフリティスの孤独を、痛いほど知っていた。
「……それと、こういうのは柄じゃないんだが」
二枚目のクッキーへと伸ばした手を引っ込めると、ネフリティスは落ち着かない様子で膝に手を置いた。
その目はまっすぐにメルリアを見る。
「メルリアのおかげで、やっと帰ってくるよ。ありがとう」
感慨を抱くようにネフリティスは目を伏せると、薄い紅茶に口をつけた。
紅茶の香りばかりで肝心の味が遠い。普段メルリアが飲んでいるのはこんな薄味だったのかと知った。
やはり自分に茶をうまく入れるセンスはないようだ――と、ネフリティスは自嘲の笑みを浮かべた。
「いえ、そんな」
メルリアは自分はたいしたことをしていないと首を横に振る。
そして、よかったと笑顔を向けた。
照れくさそうではあったが、ありがとうと口にした彼女の表情が温かかったことに気づいたからだ。
その表情はメルリアが初めて見るものであったし、弟子の存在は、彼女にとって非常に大きいのだろうと感じ取るには十分だった。
「さて……と」
ネフリティスはティーカップをソーサーに置く。
妙にしんみりとした空気が居心地悪く感じ、行儀が悪いと知りながらあえて音を立てた。
「そんな感じで今日の私は来客の相手とレシピ作成で多忙を極めていたから、お前の書いてくれた紙に目を通していない」
ネフリティスが事実をありのままに伝えると、メルリアは目を見開いた。
クッキーを食べていたせいで口は開かない。午前中にその話をされていたことを、今まですっかり忘れていたのだ。
その表情から事情を察したネフリティスは、どれだけお人好しなんだとため息をつく。
「だから、お前が探している花について教えてくれ。今」
口の中に入っていたクッキーを慌てて飲み込む。苦みの強い紅茶で口の中を潤すと、行儀よく姿勢を正した。
焦げ茶色のテーブルの上には、色の濃さが違う紅茶のカップがふたつ。それぞれ等しく細く長い湯気が立っている。
中央の白い皿の上には、こんがりとよい焼き目のついたクッキーが盛ってある。それは昨晩工房に届けられたものだ。
が、クッキーには所々ヒビが入っていたり、真っ二つに割れていたりと散々な形状をしていた。
原因は、運送業の人間が箱をひっくり返したことに加え、ネフリティスが箱を雑に揺らし乱暴に皿に盛った事に由来する。
メルリアは紅茶に口をつける。舌の先に苦みが残るほど濃い味だった。その味に思わず眉を寄せてしまう。
彼女の正面に座るネフリティスは、皿からクッキーをひょいっと拾い上げた。
それは奇跡的に割れてもいないし欠けてもいない。
本来、この皿のクッキーはすべてそういう形だった。
「割れていようが味は変わらん。食え」
綺麗な形のクッキーをかじりながらネフリティスは言う。
その態度と行動のせいで言葉の信憑性は薄いが、言葉は受け取る人間によって解釈が異なるものだ。
メルリアはその言葉に嫌な顔一つせず――そもそも嫌だとすら思わず、割れたクッキーを手に取った。
四分の一程度しか残らない一口サイズのそれを口にする。サクサクの食感にクッキーの香ばしい匂い。
最後に、果物に似たものが香る。大人の味だった。
「朝方、お前が言った時計の音だが、あれは魔術の音の一種だ。今晩からしなくなる。安心していい」
イリスの言葉と一致する――ネフリティスの言葉に、メルリアは黙って頷いた。
「私の弟子は、魔力が暴走したせいで、ずっと目を覚まさなかったんだ。部屋に寝たきりの状態で四ヶ月経ったが……。やっとレシピ作りから解放されるな」
ネフリティスは気が抜けたように笑う。退屈だったという風に、一度大きくあくびをした。
棚に視線を向けると、何かを思い出したかのようにふっと笑みを浮かべた。
メルリアはそんな彼女の様子を見ながら、ゆっくりと微笑んだ。
四ヶ月というあまりにも長い時間。
ずっと傍にいてくれた人が、突然眠ってしまった――その事実はメルリアの心に大きくのしかかっていた。
ロバータが倒れたのも、突然のことだった。
日常が変わってしまったという実感はすぐには起こらない。
違和感が日に日に少しずつ降り積もっていって、やがて自分がひとりになってしまったと気づくものだ。
少し前からそうだというのにも拘わらず。
メルリアはネフリティスの孤独を、痛いほど知っていた。
「……それと、こういうのは柄じゃないんだが」
二枚目のクッキーへと伸ばした手を引っ込めると、ネフリティスは落ち着かない様子で膝に手を置いた。
その目はまっすぐにメルリアを見る。
「メルリアのおかげで、やっと帰ってくるよ。ありがとう」
感慨を抱くようにネフリティスは目を伏せると、薄い紅茶に口をつけた。
紅茶の香りばかりで肝心の味が遠い。普段メルリアが飲んでいるのはこんな薄味だったのかと知った。
やはり自分に茶をうまく入れるセンスはないようだ――と、ネフリティスは自嘲の笑みを浮かべた。
「いえ、そんな」
メルリアは自分はたいしたことをしていないと首を横に振る。
そして、よかったと笑顔を向けた。
照れくさそうではあったが、ありがとうと口にした彼女の表情が温かかったことに気づいたからだ。
その表情はメルリアが初めて見るものであったし、弟子の存在は、彼女にとって非常に大きいのだろうと感じ取るには十分だった。
「さて……と」
ネフリティスはティーカップをソーサーに置く。
妙にしんみりとした空気が居心地悪く感じ、行儀が悪いと知りながらあえて音を立てた。
「そんな感じで今日の私は来客の相手とレシピ作成で多忙を極めていたから、お前の書いてくれた紙に目を通していない」
ネフリティスが事実をありのままに伝えると、メルリアは目を見開いた。
クッキーを食べていたせいで口は開かない。午前中にその話をされていたことを、今まですっかり忘れていたのだ。
その表情から事情を察したネフリティスは、どれだけお人好しなんだとため息をつく。
「だから、お前が探している花について教えてくれ。今」
口の中に入っていたクッキーを慌てて飲み込む。苦みの強い紅茶で口の中を潤すと、行儀よく姿勢を正した。
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