幾望の色

西薗蛍

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都市ヴェルディグリ

43 最後の仕事2-2

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 ネフリティスが静かにペンをしまうと、その上にコップを躊躇なく置いた。

 ガラス製の透明なそれには何も入っていない。フラスコを手に取ると、紫色の液体をコップ八分目まで注いだ。

 液体が空気に触れたせいでわずかに煙が上がる。
 その様子を横目に、白樺のかごからからグリーンスフェーンに似た石――この間彼女が作ったそれを、躊躇なくコップに落とした。

 その石は、水面に大きな波紋を残しながら、水の中へ飲み込まれていく。二酸化炭素が空気に溶けるような、痺れに似た音と共に、緑色の宝石が底へ沈んだ。

「うまくいくといいんだが……」

 メルリアは黙ってネフリティスの様子をうかがった。声を出してはいけないと思ったからだ。

 彼女は落ち着かない両手をぎゅっと握ると、祈るようにネフリティスの背中を見つめる。

 成功してほしい、うまくいってほしい――ただひたすらそう願いながら。

「……よし」

 意を決したようにネフリティスは呟く。
 コップに手をかざすと、その水が淡く光りはじめた。

 テーブルに触れるものは何もないというのに、水面に波紋が浮かんだ。
 その様子にもかまわず、彼女はコップの中にある宝石に集中した。周囲の様子を注意深く観察しながらも、己の魔力を石へと送り込む。

 背後に立つメルリアは固く口を閉ざし、それらの変化を見つめていた。
 錬金術は科学技術だというが、目の前の現象はまるで魔法のように見えた。

 コップの中で光る水、コップの中央に浮き上がる宝石、風や振動がないのに揺れる水面。下に敷いた紙の文字すらもそれらに呼応するように揺れている。

 この部屋には音がない。
 人が二人、黙ってそこにいる以外の音が。

 無音に近いその状況の中、メルリアは経験したことのない非現実を目の当たりにしていた。
 まるで時間が止まっているようだ――コップの中でわずかに上下する宝石を見つめながら、メルリアは息をのんだ。

 すると突然、水の中に気泡が生まれる。こぽこぽと音を立て、次第に激しくコップが揺れた。

 それと同時に、水の光が強く変わり、紙に躍る文字がコップ周辺へ浮かび上がる。

 インクの黒がネフリティスの人差し指に触れた途端、目を開けていられぬほどの眩しい光が部屋中を覆った。

 耐えかねたメルリアは目を閉じながら、とっさに顔を手で覆う。

「……やっと、か?」

 ネフリティスの呟く声を聞き、メルリアは顔を手で覆ったまま恐る恐る目を開く。
 指の間から見える部屋の景色は、錬成が始まる前と何一つ変わっていなかった。

 ただ一つ、テーブルの上を除いては。

 コップの下に敷いた紙は、それが火元だったかのように丸く焼け焦げている。
 コップの水は全てなくなり、中に入れた宝石だけが底に転がっていた。

 ネフリティスはその宝石を手に取ると、部屋の灯りにかざした。
 黄緑の色は錬成前と変わらないが、軽く揺らしてみると、その輝きは水のように揺らめく。
 ネフリティスはそれを見つめ、ほっと息をついた。

「成功、したようだ」

 その石をもう一度コップの中に戻すと、深々と椅子の背もたれに体を預けた。ギィッと音を立て古びた木が軋む。

「おめでとうございます!」

 パチン、と手を叩き、メルリアは微笑みかける。

 しかし彼女は動かなかった。
 未だ現実味がないといった表情で、だらしなく椅子に腰掛けたまま、コップの中を見つめる。
 そこには、この四ヶ月の努力の結晶が煌めいていた。

 ……これで、やっと帰ってくるのか。

 見えている世界がわずかに揺らいだのは、石を見ていたからなのか、自分の目がそうだったのか、ネフリティスには分からなかった。
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