幾望の色

西薗蛍

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都市ヴェルディグリ

41 凍った時間-2

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 部屋の脇に設置されたベッドの傍らで立ち止まると、顎で「これだ」と示して見せた。

 そこには、一人の男が寝かされていた。男の目は開いていたるが、焦点は合っていない。
 ただぼうっと天井を見つめているだけだった。ほんの一瞬窓から差し込んだ日の光が、男の白い肌と金色の瞳を照らす。

 男の周囲の時間は歪んでいるが、男の姿は変わらなかった。
 周囲の家具がいくら年老いても、作られたばかりのように若返っても、彼は青年の姿のまま、ただただ無表情でそこにある。

 それは彼が時と融合しかけている証だった。

 クロードは男に右手をかざす。
 それは顔、首、肩、右手を通って腹部、左手へと移動した。

 そうしながら、男の魔力と元素の流れを読み解いていく。
 その手が左胸をかざすと、クロードの眉がピクリと動いた。
 そこから溢れ出していた魔力は想像を超えていたのだ。

 自分ですらこんなもの扱える気がしない――そう思った途端、勝手に苦笑が漏れた。

 全身を調べること、数分。流れを一通り読み解いたクロードは、軽く息を吐いた。

 窓越しから差し込む真夏の日差しが彼の頬を焼いたかと思えば、雨粒が窓を叩く音がした。

「十分だ」

 クロードが言うと、ネフリティスは彼の手を引いて部屋を後にする。

 ネフリティスはもう一度部屋の中にいる青年に目を向けた後、部屋を施錠した。


 二人はネフリティスの仕事場にいた。

 作業台には裏表びっしりと文字が書かれた一枚の紙がある。ネフリティスが書いた錬金術のレシピだ。
 クロードはそれを手に取ると、隅から隅まで目を通す。

 ネフリティスはここ数ヶ月、難しい錬金術のレシピ作成に没頭していた。
 先ほどの青年に渡すためのペンダントのレシピだ。

 ただの服飾品ではなく、それは彼の手に負えないほど強大な魔力を封じ込める役割を担う。

 それさえ完成すれば全てが終わるはずだったのだが、肝の部分の作成に手間取っていた。
 何度か試作してみてもうまくいかないし、いくらレシピを変えてもしっくりする物が作れなかった。
 つい先日、二十四番目のレシピがゴミになったばかりだ。

 クロードが手に取ったレシピは、その肝の部分だ。
 それを作るための大まかな手順と、この手順が完成品にどう影響を与えるかが赤ペンで詳しく記されている。

 ネフリティスと同等、あるいはそれ以上の錬金術師であれば、手順を読んだだけで彼女が何をどうしたいのかが読み取れただろう。
 しかし、クロードは錬金術を扱えない。手順の黒字よりも、補足の赤字の方が多いのは、致し方ないことだった。

 クロードはレシピの表裏に三回目を通すと、息をついた。

「俺が分かる問題点は二つ」

 珍しく棚の片付けをしていたネフリティスの手が止まる。腕を組み、さあ聞いてやるぞと態度で示した。

「一つは魔力の扱い方だ。エルフはこれでいいのかもしれないが、人間はこのようには扱えない」

 クロードは紙の端――問題点の記述がある一行目にレ点をつけた。
 もう一つはと付け足しながら、紙の裏、最後にある行に目を通す。

「もう一つ。これは憶測に過ぎないが……。これはお前一人では作れない」
「どういうことだ?」

 苛立ちに似た鋭い視線がクロードに向く。彼はそれに動じず、もう一度問題のある文章に目を通した。
 錬金術の手順の黒文字と、ネフリティスが記載した補足の赤文字それぞれに。

「この石は封じ込める役割を……つまり魔力を吸収させたいのだから、石の中心部は魔力が一切ない状態の方がいいだろう」

 乾いたタオルがよく水を吸うように、石の中心部分は魔力がない方がより多くの魔力を吸収できる――クロードはそう考えていた。

 彼は錬金術が使えない。しかし、人間の使う魔術の流れは読むことができた。おまけに、これは魔法ではなく魔術を扱う話。大体の想像はついたのだ。

 ネフリティスはその言葉に顎に手を当てて考え込むようなポーズを作った。
 言葉の意味が理解できなかったわけではない。彼の真意は十二分に理解していたが、その解釈が間違っている線を期待していた。

 しかし、どう考えても異なる解釈ができなかった。彼女は苦笑を浮かべる。

「つまり、魔力が一切ない人間に錬成を手伝わせろと?」
「そうだ」

 クロードがはっきりと言い切ると、ネフリティスの口から乾いた笑いが漏れる。

 真っ先に浮かんだ人物をいったん消して、他を探った。

 エルフである彼女の知り合いは、そこのクロードのように必然的に高い魔力を持つ者が多い。
 エルフも人間も例外なく。昔からの知り合いは多かれ少なかれ魔力を有していた。

 母国に頼ろうにも、魔力のないエルフは魔力のない人間よりも希少だし、そんなエルフははみ出し者として扱われるから、本国で生きるのは難しい。

 だとすれば、グローカスの知り合いだろうか。

 口が堅く魔力がないやつといえばあの男ほど適任者はいないだろうが、今からここに来て間に合うか?

 いや、間に合わないだろう。
 ネフリティスの脳内から貴重な選択肢が一つ減る。

 弟子ができてからというものの、買い出しやら配達やらはほとんど弟子に任せっきりにしていた。そのため、彼女自身は顔が広くない。

 どう回っても選択肢は一つのようだ――と、ネフリティスは深いため息をついた。

「この手段を選ぶなら時間はないだろうが……やはりエルフのお前に求めるのは酷か?」

 クロードの言葉に、ネフリティスは首を横に振った。

「いや、すぐ近くにいるよ。あまり頼りたくはなかったが」

 諦めたように笑い、彼女は視線を落とした。

 お人好しでぼやっとしていて小心翼翼としていて――だからこそ頼もうとは思えるし、だからこそ巻き込みたくはなかったのだが。


 ヴェルディグリに差した太陽の光が、厚い雲によって遮られる。

 あっという間に、都市には大きな影が落ちた。

 風が強い日だった。
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