幾望の色

西薗蛍

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都市ヴェルディグリ

41 凍った時間-1

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 それは、メルリア達が衛兵から事情聴取を受けている真っ只中のこと。

 ネフリティスは、アトリエにやってきた客人を家に招いていた。

 真っ黒い髪の青年は、初夏だというのに象牙色のコートを羽織っていた。
 暑苦しいなと男を冷ややかな目線で見つめるが、男は気にするそぶりを見せない。

 胸ポケットから手帳を取り出すと、ペンを握った。

「――で、四ヶ月も目を覚まさないそうだが……」

 男は玄関先から奥の階段を見つめる。
 波のように広がる魔術の波動。
 ネフリティスにも男にも、その波が見えていた。

 カチリ、カチリ、と時計の秒針に似た音を耳にする。時の魔術の音だ。

「事態は深刻だな」
「だからそう書いて寄越しただろう。さっさと来い」

 ネフリティスは男を多少睨むと、早々に二階へと向かう。
 相当気が立っているな、と男は思った。
 余計な口を挟まない方がいいだろうと、黙って彼女についていく。

 カツカツ、と、木の床を踏みしめる無機質な音だけが響いた。

 ネフリティスは左手奥の部屋で立ち止まった。メルリアが音が聞こえたと言った方向だ。

 ポケットから鍵を取り出すと、迷いなく部屋の鍵を解錠する。すぐに扉は開けなかった。

 男は部屋の前で腕を組む。規則的に聞こえた秒針の音がおかしいことに気づいたからだ。

 一秒一秒聞こえるはずの音が、一秒に五度ほど鳴ったかと思うと、今度は三秒に一度響くといった風に。
 事態は深刻だ、と二度つぶやきそうになった言葉を飲み込む。

「このまま部屋に入るのは危険だな。策はあるのか?」
「その程度の魔法なら寝ながらでもできる。手を貸せ」

 ネフリティスの言葉通り、男は左手を差し出す。
 その手を包むと、彼女は旧い言葉を口にした。魔法の詠唱だ。
 それは、この部屋の事象からネフリティスと男を守るための障壁を果たす。

「部屋を出るまで悪いが手を繋いだままでいてもらおう」

 ネフリティスに包まれた手から熱を感じる。温かいと言うより少し熱い。
 よほど効果の強い魔法なのだと男はその熱で判断した。

「イリス嬢ではなくてすまないが――あぁ、そうか、私もお前をクロードではなくクロと呼ぼう。魔法でイリスそっくりに変身して――」
「アホかやめろ余計なことに魔力を使うな」

 男の低い声が響く。

 彼はとっさにネフリティスの顔を伺う。冗談は声だけのようだ。人をからかうような顔をしていない。
 つまり、それほど余裕がないと言うことだ。

 思えば、数日前に寄越した手紙もそうだった。
 いつもは冗談から入る手紙が、あの日は要件だけだった。
 扉の先はよほど酷い事になっているのだろう――クロードは覚悟した。

 ネフリティスはドアノブに手をかけると、いたく真面目な様子で言う。

「開けるぞ。絶対に手を離すなよ」
「分かっている」

 ギィ、と古びた音を立てながら、ネフリティスは扉を引いた。

 その途端、奥から強風が吹き付けたような感覚に、クロードは一歩後退した。

 力の風圧に背中に汗をかく。おかしな拍子を刻む秒針の音がやけに耳についた。
 自身も相当な魔力を有しているクロードですら、これはまずいと思うほどに。

 ネフリティスの障壁がなければ、どうなっていたか分からない。

 部屋の中にある机やシェルフといった家具が古びてボロボロになったかと思えば、次の瞬間には再生したかのように新品同様の輝きを放つ。

 さらに異質なのは窓の外だ。
 朝になったかと思えば昼になり、昼になったかと思えば夜になる。日の入り日の出はわずか十秒のうちに過ぎ去っていく。
 夜が長いかと思えば、浮かぶ月がみるみるうちに満ち欠けを繰り返す。

 窓のすぐ上に飾られている壁掛け時計は、秒針と短針が狂ったようにそれぞれ別方向へ回転していた。

「なんだ、これは」
「現実だ」

 唖然と立ち尽くすクロードに、ネフリティスは事実を淡々と述べた。

「手紙に書いただろう? 魔力が暴走し、時の元素と融合しかけた結果だよ」

 ネフリティスはクロードの表情を伺った。
 ただ目を丸くして、唖然と立ち尽くしている。
 恐らく何か考えているのだろうが、この男は頭がいい分、処理できないのだろう――と判断した。

 その片隅で、イリスもこいつのこんな表情見たことないだろうなあと考えた。残りのスペースでは、メルリアの事を考えていた。

 ルーフスで一、二を争う強い魔力を持つ男。
 まだ若く、経験が浅いというのはあるだろうが、それを差し引いても、そんな男がこのざまだ。

 メルリアに何も伝えなかった自分の判断は正解だったと思っていたし、彼女の行儀の良さに初めて強く感謝した。

 ネフリティスは一つ息を吐くと、繋いだ手をぐっと引っ張る。その衝撃に、クロードははっと我に返る。

「いつまでぼうっとしている。エルフとはいえ、私の魔力も無限じゃないんだ。早く調べてくれ」
「すまない」

 ネフリティスは部屋の奥へ躊躇なく進んでいく。床の間を縫って生える時音草ときのねそうを容赦なく踏みつけた。四、五、三、七と、様々な花弁を持つそれが、秒針に似た音を立て揺れる。
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