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都市ヴェルディグリ
38 時計の音-2
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「あ、そういえば、時計。変な音がしてましたよ。故障かなって思うんですけど」
メルリアは残りのミルクをティーカップに注ぎ、お湯のような紅茶を淹れていた。
もう駄目かな、と、ティーポットの中身を確認する。茶葉はすっかり開ききっていた。それを捨ててから、カップを持ってリビングへ戻る。
「どこの時計だ?」
「実物は見てないんですけど、二階の奥の部屋からだと思います。階段を下りた後気づいて……」
紅茶がわずかに香るホットミルクの入ったティーカップを机に置いてから、メルリアは何気なく顔を上げる。
そこには、鋭い視線でこちらを見るネフリティスがいた。
「メルリア、まず先に当たり前の事を言うが」
「はい……?」
話題を切り出したネフリティスは、眠気によりどこか気が抜けた様子は残っていない。もうすっかり目が覚めたようだ。
そんな様子に驚きながらも、メルリアは椅子に腰掛ける。
「ただの時計の秒針が、そんな遠くまで聞こえるはずがない」
メルリアはえっ、と声を漏らす。
何か言おうと必死に頭を働かせるが、適切な言葉が思いつかない。
何か言おうと言葉にならない声を漏らすと、ネフリティスに手で制された。メルリアはそのまま口を固く閉ざす。
「次。この家、リビングや仕事場など、いくつか時計はあるが、廊下には一台もない。一階にも二階にも」
ネフリティスの視線の先には、白く丸い壁掛け時計があった。
時刻は短針が八時を、長針が四十分を指している。
「最後に面白い事を教えてやろう」
ネフリティスは時計から視線を逸らすと、メルリアの目を見た。
「この家には、秒針がある時計はどこにもない」
とっさにメルリアは振り返り、壁掛け時計を確認する。
長針が引っ張られたように大げさに揺れながら、ちょうど四十一分を指した。針が動く音はしない。
当たり前だ、この時計には秒針が存在しないのだから。
メルリアは言葉を失った。
確かに時計の針の音は聞いた。けれど、音が鳴った時、肝心の時計は見ていなかった。
時間はある程度把握していたから見ようとも思わなかった。
なぜ見ようとしなかった? どこにあるか分からなかったからだ。
メルリアの背中をぞくりとした悪寒が走ると、徐々に血の気が引いていく。
そんな状態のメルリアを横目に、ネフリティスはミルクティーに口をつける。
カップから口を離したその表情は、決して明るくはなかった。
「倉庫に追いやった骨董品の時計がついに壊れたかもしれないがなあ」
薄茶色に濁ったカップの水面には何も映っていない。
今度こそのんきな声を出して、ネフリティスは残りを飲みきる。
あまり長い付き合いではないが、メルリアには分かっていた。ネフリティスは心にもない事を言っているのだと。
たぶんこれは嘘で、さっき言ったことが本当のことなのだと。それだけは漠然と理解していた。
「怖いか?」
「あ――」
とっさに否定しようとしたが、メルリアの口からは否定の言葉が出なかった。
何をどう取り繕っても、得体の知れないものは怖いのだ。人の心理がそういう風に働くと知っていた上でも。
メルリアは一つ頷くと、ネフリティスは伏し目がちに笑った。
「まあ、そろそろ潮時かもしれないな」
ネフリティスは立ち上がる。棚から一枚の紙とペンを取り出すと、テーブルの脇に置いた。
「作業の合間に調べてやる。お前の探している植物とやらの特徴を書いておけ。紙はわざわざこっちまで持ってこなくていいぞ」
「あ……」
それじゃあな、とネフリティスは足早に部屋を後にする。相変わらずメルリアの制止の声には聞く耳を持たなかった。
メルリアは一人、部屋に取り残される。
この話題が出たと言うことは、ネフリティスに自分の働きが認められたことになる。
あの花のことを教えてもらえばメルリアはここにいる意味がなくなるし、旅を再開することができる。本来ならばやっと前へ進めると喜ぶところだ。
だというのに、メルリアは手放しで喜べなかった。
ネフリティスの様子がどうしても気になったからだ。
メルリアは残りのミルクをティーカップに注ぎ、お湯のような紅茶を淹れていた。
もう駄目かな、と、ティーポットの中身を確認する。茶葉はすっかり開ききっていた。それを捨ててから、カップを持ってリビングへ戻る。
「どこの時計だ?」
「実物は見てないんですけど、二階の奥の部屋からだと思います。階段を下りた後気づいて……」
紅茶がわずかに香るホットミルクの入ったティーカップを机に置いてから、メルリアは何気なく顔を上げる。
そこには、鋭い視線でこちらを見るネフリティスがいた。
「メルリア、まず先に当たり前の事を言うが」
「はい……?」
話題を切り出したネフリティスは、眠気によりどこか気が抜けた様子は残っていない。もうすっかり目が覚めたようだ。
そんな様子に驚きながらも、メルリアは椅子に腰掛ける。
「ただの時計の秒針が、そんな遠くまで聞こえるはずがない」
メルリアはえっ、と声を漏らす。
何か言おうと必死に頭を働かせるが、適切な言葉が思いつかない。
何か言おうと言葉にならない声を漏らすと、ネフリティスに手で制された。メルリアはそのまま口を固く閉ざす。
「次。この家、リビングや仕事場など、いくつか時計はあるが、廊下には一台もない。一階にも二階にも」
ネフリティスの視線の先には、白く丸い壁掛け時計があった。
時刻は短針が八時を、長針が四十分を指している。
「最後に面白い事を教えてやろう」
ネフリティスは時計から視線を逸らすと、メルリアの目を見た。
「この家には、秒針がある時計はどこにもない」
とっさにメルリアは振り返り、壁掛け時計を確認する。
長針が引っ張られたように大げさに揺れながら、ちょうど四十一分を指した。針が動く音はしない。
当たり前だ、この時計には秒針が存在しないのだから。
メルリアは言葉を失った。
確かに時計の針の音は聞いた。けれど、音が鳴った時、肝心の時計は見ていなかった。
時間はある程度把握していたから見ようとも思わなかった。
なぜ見ようとしなかった? どこにあるか分からなかったからだ。
メルリアの背中をぞくりとした悪寒が走ると、徐々に血の気が引いていく。
そんな状態のメルリアを横目に、ネフリティスはミルクティーに口をつける。
カップから口を離したその表情は、決して明るくはなかった。
「倉庫に追いやった骨董品の時計がついに壊れたかもしれないがなあ」
薄茶色に濁ったカップの水面には何も映っていない。
今度こそのんきな声を出して、ネフリティスは残りを飲みきる。
あまり長い付き合いではないが、メルリアには分かっていた。ネフリティスは心にもない事を言っているのだと。
たぶんこれは嘘で、さっき言ったことが本当のことなのだと。それだけは漠然と理解していた。
「怖いか?」
「あ――」
とっさに否定しようとしたが、メルリアの口からは否定の言葉が出なかった。
何をどう取り繕っても、得体の知れないものは怖いのだ。人の心理がそういう風に働くと知っていた上でも。
メルリアは一つ頷くと、ネフリティスは伏し目がちに笑った。
「まあ、そろそろ潮時かもしれないな」
ネフリティスは立ち上がる。棚から一枚の紙とペンを取り出すと、テーブルの脇に置いた。
「作業の合間に調べてやる。お前の探している植物とやらの特徴を書いておけ。紙はわざわざこっちまで持ってこなくていいぞ」
「あ……」
それじゃあな、とネフリティスは足早に部屋を後にする。相変わらずメルリアの制止の声には聞く耳を持たなかった。
メルリアは一人、部屋に取り残される。
この話題が出たと言うことは、ネフリティスに自分の働きが認められたことになる。
あの花のことを教えてもらえばメルリアはここにいる意味がなくなるし、旅を再開することができる。本来ならばやっと前へ進めると喜ぶところだ。
だというのに、メルリアは手放しで喜べなかった。
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