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都市ヴェルディグリ
37 弟子代理の日々7-2
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その姿を見て、ネフリティスはふと昔を思い出した。
今日と同じように納得のいかないレシピの紙を、くしゃくしゃに丸めて投げ捨てた事があった。
すぐ傍でネフリティスの様子を見ていた女は、たった今ゴミになったばかりの紙を拾い上げ、ゆっくりゆっくりとしわを伸ばす。
黙ってレシピに目を通していた。表情はひとつも変わらないものの、その瞳の奥がキラキラと輝いていた。今のメルリアと同じように。
……これも巡り合わせなのだろうな。
彼女とその姿を重ね合わせ、ネフリティスはふっと笑った。
「お前、初めてここに来たエルヴィーラと同じ顔をしているな」
エルヴィーラの名前を出した途端、メルリアがびくりと反応する。
勢いよく顔を上げ、まじまじとネフリティスの顔を見つめた。瞳の輝きは一切変わっていないどころか、より一層増していた。
エルヴィーラはメルリアに気を許していると思っていたが、メルリアの方もエルヴィーラに懐いているのか――と、ネフリティスが瞬時に納得するほどの食いつきの良さだ。
「あの、エルヴィーラさんはどうしてここに?」
「簡単な錬金術を教えてやったんだ。あいつが必要なものを作るにはこれしかなかった」
ネフリティスはテーブルをコツコツと人差し指で叩いた。
端に寄せられたビーカーやフラスコ、乾燥した薬草やまだ青々とした野花に、瓶に入った粉末状の黒い粉。
いかにも錬金術師の仕事場です、と絵に描いたような風景だ。
メルリアは、思わず身を乗り出してそれらを眺めた。
「エルヴィーラさん、錬金術師だったんですね」
「いいや、あいつは錬金術師を名乗れるほどじゃない。レシピをなぞるだけなら割と誰でもできるな、エルヴィーラに教えてやったやつは簡単だからな」
ネフリティスは指先に視線を移す。
エルヴィーラには確かに彼女の望むものの作り方を教えたが、レシピと手順の再現方法を伝授してやっただけ。
真に錬金術師を名乗るのならば、ゼロから一を作り上げてこそ――すなわち、レシピの存在しない物を作り上げてこそ、初めて錬金術師を名乗る事ができる。そう彼女は考えていた。
もっとも、そのレシピをなぞるだけでも相当なセンスが必要なのだが。
「錬金術を真の意味で扱える者は、この世に一握りだ」
ネフリティスのようにゼロからレシピを書き上げられる者は、この世界の中に数えるほどしかいない。
彼女の知る真の錬金術師はたった二人。国外の東の果てと南の果てに一人ずつだ。
「えっと……ネフリティスさんの弟子の人は、魔術の弟子の人ですか? 錬金術の弟子の人ですか?」
ネフリティスはその言葉に一瞬目を見開くが、すぐに咳払いをひとつして冷静を装った。
開きっぱなしの懐中時計が、カチカチと規則的に時を刻む。一秒ずつ、確実に。上部の錆の緑がやけに目についた。彼女は一つ息を吐き、カーテンに映った窓枠を見つめた。
「魔術は扱えるが、私は錬金術の師匠だ。今頃しごいているつもりだったのだが」
ネフリティスは最後に見た弟子の顔を思い浮かべる。直前の記憶は散々なものだから、一つ前を選んだ。
メルリアが今立っている扉の前にいて、淡々と押しつけた雑用の報告をしていた。ネフリティスがすぐ傍まで呼びつけて、古文書の解読を押しつける。
その日は、やけに疲れた顔をしていた。
可愛い可愛いとネフリティスがからかうと、馬鹿じゃないのと憎まれ口をたたく。
――そういえば、あいつの憎まれ口を聞かなくなって久しいな。
「ネフリティスさん……?」
最後に聞いた言葉は何だっただろうか――ネフリティスが記憶を呼び起こしていると、メルリアがおずおずとこちらの様子をうかがっていた。
気づけば、カーテンに落ちる窓枠の色が薄く変わっている。ネフリティスはわざとらしくあくびするフリをして、メルリアに向き直る。
「ああ、すまん。さすがに疲れたらしい。夕飯、期待しているぞ」
「は、はい! 頑張ります」
メルリアはその言葉をプレッシャーと感じ、背筋をシャキッと真っ直ぐ伸ばす。
一度頭を下げてから、部屋のドアノブに手をかけた。
「それじゃあ、また後で」
ネフリティスの頭の中で、別の声がメルリアのそれと重なる。ネフリティスは目を丸くした。
その様子に気づかないメルリアは、いそいそとリビングへ向かう。
扉が閉じ、足音が遠ざかり――。
それからしばらくして、机の端に置いてあった本がガタン音を立て床に落ちる。
その衝撃に、ネフリティスははっとし、落ちた本に視線を向ける。
相当高さがあったというのに、本は奇跡的に閉じたままだ。最初からそこにあったかのように。
「なんなんだ、あいつは」
また後で――。
それは、ネフリティスが最後に聞いた弟子の言葉だった。あれから四ヶ月が経つ。
ネフリティスは吐き捨てると、落ちた本をゆっくり拾い上げ、本棚へと戻す。
ぽっかりと穴が開いたその部分には、うっすらホコリが積もっていた。
今日と同じように納得のいかないレシピの紙を、くしゃくしゃに丸めて投げ捨てた事があった。
すぐ傍でネフリティスの様子を見ていた女は、たった今ゴミになったばかりの紙を拾い上げ、ゆっくりゆっくりとしわを伸ばす。
黙ってレシピに目を通していた。表情はひとつも変わらないものの、その瞳の奥がキラキラと輝いていた。今のメルリアと同じように。
……これも巡り合わせなのだろうな。
彼女とその姿を重ね合わせ、ネフリティスはふっと笑った。
「お前、初めてここに来たエルヴィーラと同じ顔をしているな」
エルヴィーラの名前を出した途端、メルリアがびくりと反応する。
勢いよく顔を上げ、まじまじとネフリティスの顔を見つめた。瞳の輝きは一切変わっていないどころか、より一層増していた。
エルヴィーラはメルリアに気を許していると思っていたが、メルリアの方もエルヴィーラに懐いているのか――と、ネフリティスが瞬時に納得するほどの食いつきの良さだ。
「あの、エルヴィーラさんはどうしてここに?」
「簡単な錬金術を教えてやったんだ。あいつが必要なものを作るにはこれしかなかった」
ネフリティスはテーブルをコツコツと人差し指で叩いた。
端に寄せられたビーカーやフラスコ、乾燥した薬草やまだ青々とした野花に、瓶に入った粉末状の黒い粉。
いかにも錬金術師の仕事場です、と絵に描いたような風景だ。
メルリアは、思わず身を乗り出してそれらを眺めた。
「エルヴィーラさん、錬金術師だったんですね」
「いいや、あいつは錬金術師を名乗れるほどじゃない。レシピをなぞるだけなら割と誰でもできるな、エルヴィーラに教えてやったやつは簡単だからな」
ネフリティスは指先に視線を移す。
エルヴィーラには確かに彼女の望むものの作り方を教えたが、レシピと手順の再現方法を伝授してやっただけ。
真に錬金術師を名乗るのならば、ゼロから一を作り上げてこそ――すなわち、レシピの存在しない物を作り上げてこそ、初めて錬金術師を名乗る事ができる。そう彼女は考えていた。
もっとも、そのレシピをなぞるだけでも相当なセンスが必要なのだが。
「錬金術を真の意味で扱える者は、この世に一握りだ」
ネフリティスのようにゼロからレシピを書き上げられる者は、この世界の中に数えるほどしかいない。
彼女の知る真の錬金術師はたった二人。国外の東の果てと南の果てに一人ずつだ。
「えっと……ネフリティスさんの弟子の人は、魔術の弟子の人ですか? 錬金術の弟子の人ですか?」
ネフリティスはその言葉に一瞬目を見開くが、すぐに咳払いをひとつして冷静を装った。
開きっぱなしの懐中時計が、カチカチと規則的に時を刻む。一秒ずつ、確実に。上部の錆の緑がやけに目についた。彼女は一つ息を吐き、カーテンに映った窓枠を見つめた。
「魔術は扱えるが、私は錬金術の師匠だ。今頃しごいているつもりだったのだが」
ネフリティスは最後に見た弟子の顔を思い浮かべる。直前の記憶は散々なものだから、一つ前を選んだ。
メルリアが今立っている扉の前にいて、淡々と押しつけた雑用の報告をしていた。ネフリティスがすぐ傍まで呼びつけて、古文書の解読を押しつける。
その日は、やけに疲れた顔をしていた。
可愛い可愛いとネフリティスがからかうと、馬鹿じゃないのと憎まれ口をたたく。
――そういえば、あいつの憎まれ口を聞かなくなって久しいな。
「ネフリティスさん……?」
最後に聞いた言葉は何だっただろうか――ネフリティスが記憶を呼び起こしていると、メルリアがおずおずとこちらの様子をうかがっていた。
気づけば、カーテンに落ちる窓枠の色が薄く変わっている。ネフリティスはわざとらしくあくびするフリをして、メルリアに向き直る。
「ああ、すまん。さすがに疲れたらしい。夕飯、期待しているぞ」
「は、はい! 頑張ります」
メルリアはその言葉をプレッシャーと感じ、背筋をシャキッと真っ直ぐ伸ばす。
一度頭を下げてから、部屋のドアノブに手をかけた。
「それじゃあ、また後で」
ネフリティスの頭の中で、別の声がメルリアのそれと重なる。ネフリティスは目を丸くした。
その様子に気づかないメルリアは、いそいそとリビングへ向かう。
扉が閉じ、足音が遠ざかり――。
それからしばらくして、机の端に置いてあった本がガタン音を立て床に落ちる。
その衝撃に、ネフリティスははっとし、落ちた本に視線を向ける。
相当高さがあったというのに、本は奇跡的に閉じたままだ。最初からそこにあったかのように。
「なんなんだ、あいつは」
また後で――。
それは、ネフリティスが最後に聞いた弟子の言葉だった。あれから四ヶ月が経つ。
ネフリティスは吐き捨てると、落ちた本をゆっくり拾い上げ、本棚へと戻す。
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