幾望の色

西薗蛍

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都市ヴェルディグリ

36 弟子代理の日々6

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 その晩、メルリアは夜中に目を覚ました。

 深い場所からゆっくりと浮上していくように、まどろんでいた意識が静かに覚醒していく。
 あくびを一つこぼすと、メルリアは大きく瞼を開いた。

 まるでぐっすりと眠れた朝のように頭がすっきりしていたし、目も冴えきっている。それは、しばらく眠れないことを意味していた。

 メルリアはやむなくベッドから起き上がると、カーテンを人差し指でわずかに開く。
 空の一番遠い場所には、丸い月が輝いていた。寝起きには眩しい輝きに、思わず目を細める。

 今夜は満月だ。月明かりはどこか頼りないが、独特な柔らかさがある。
 太陽の力強さとは違う、どこか落ち着く明かり。メルリアは月が好きだった。

 それに――。
 メルリアは静かに目を伏せる。
 すると、水の流れる密やかな音が聞こえる気がした。

 エピナールで見た湖の真ん中にぽっかりと浮かぶ丸い月。水面を鏡として、その姿をくっきりと映し出す。
 あの場所で見た満月は、言葉にならない美しさがあった。

 あの日の記憶を思い返すメルリアは、記憶の中で隣を見る。
 そこにあるのは、静かにたたずむエルヴィーラの姿。あの景色が特別幻想的に思えたのは、エルヴィーラの存在も大きい。

 ――待っているわ。待つのは得意だから。

 静かに笑うエルヴィーラの表情を思い出すと、胸の奥がぎゅっと締め付けられた。
 その刺激に耐えかね、深く息をつく。ふと脳裏に浮かんだ感情を押し殺すようにかぶりを振った。

 考えてはいけない、感じてはいけない。
 会いたいならまだしも、寂しいと思ってはいけない。そう思ったら終わりだ。

 メルリアは傍らにあるバッグを手に取る。
 明かりをつけずに中を探り、手の感触を頼りにポーチを取り出した。

 そこから四つ折りの紙を取り出し、質感を確かめるように指でなぞった。ゆっくりと開くと、月明かりを頼りにその文字に目を通した。

「グローカス、街外れ、アマルルアの宿を出て西……」

 急ごしらえで書いたとは思えないほど綺麗な手跡だった。
 メルリアは黒いインクを指でなぞりながら、なじみのない単語をぽつぽつと声に出す。

「『三十分ほどの上り坂の先、夜半の屋敷で待っている』、……お屋敷?」

 メルリアはその言葉に目を丸くするが、しかしすぐ納得したように頷いた。
 エルヴィーラのイメージと、屋敷のイメージが自然と重なったからだ。

 やはり彼女はいい家のお嬢様だったのだ――メルリアは一人でうんうん頷いた。
 エルヴィーラが持つ独特の雰囲気はもちろん、どこか儚い様子や、立ち居振る舞いは、高貴な身分を思わせるには十分すぎた。
 どこか自分とは違う世界を生きているようだと感じられるほどに。

 それなのに、懐かしい気がすると感じるのは図々しいだろうか。
 メルリアは苦笑を浮かべる。けれど、それが悪いとは思っていなかった。

 ふと、紙の端に文章が続いていると気づいたメルリアは親指を離す。

 ――追伸。エルヴィーラの傍にいてくれてありがとう。

 今までの筆跡は非常に整っていたが、その一行だけほんのわずかな乱れがあった。
 まるで書く事をためらったかのように、最初と最後の文字がどこか情けなく曲がっている。

 メルリアはその様子に気づかぬまま、紙全体をぼうっと眺める。
 しばらくそうした後、同じように四つ折りに畳んだ。
 元あったようにポーチにしまい、リュックの中に戻す。

 その動作ひとつひとつは、まるでガラス製品を扱うかのようにゆっくりとしていた。

「おばあちゃんのお父さん……か」

 メルリアは呟く。
 興味はあるが、メルリアは曾祖父のことを何も知らない。メルリアにとってはずっとずっと遠い存在だった。

 ロバータから自身の母の話はたまに聞いていたが、父の話を聞く事はなかったし、そんな機会もなかった。
 そもそもロバータが元気だった時は、祖母の両親という感覚がいまいちつかめなかったというのもある。

 メルリアは再びベッドに横たわると、天井をぼんやり眺める。あっという間に目が暗闇に慣れ、木材独特の模様が渦を巻く。その一点を漠然と見つめた。

 あのメモを渡してくれた男――シャムロックと、祖母の父とはどういう関係だったのだろう。

 メルリアは記憶の底からシャムロックの顔を呼び起こす。
 彼は三十代前半くらいの見た目だった。本人と関係があった、というのはあまり想像がつかない。

 あの人の両親が世話になった?
 昔はグローカスに住んでいた?

 メルリアの思考がぐるぐる回り、やがてまとまりがつかなくなる。
 視界に映る木の模様が、混沌とした思考と同調するように螺旋を描いて見えた。

 メルリアはそのままゆっくりと目を閉じる。

 途切れ途切れの意識の中、ようやく眠れると気づいた次の瞬間には眠りについていた。
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