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都市ヴェルディグリ
35 弟子代理の日々5-2
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ふわりとラベンダーの香りが鼻腔を刺激する。
燭台の橙色の光は暖かいが、部屋の光量はかなり抑えられている。
黒いカーテンは窓を覆い隠しており、外からの光は入らない。
部屋の奥にある長机には、赤いテーブルクロス。
その端には物を乗せるためのクッションらしき台座と、山積みになったカード。
長机に向かい合うように、椅子が一脚ずつ。入り口付近には、予備と思われる椅子が三脚あった。
女はその横を通り過ぎると、奥側の椅子に座った。メルリアを向かい合わせに座るよう促す。
「さて。ここがどういう場所か、分かるかしら?」
「えぇっと……」
女が静かに笑って尋ねるが、メルリアは言葉に詰まってしまう。
分からなかった。室内の装飾は控えめである。飾り棚はあるが、メルリアが背を伸ばしても届かないほど高い位置にしかない。どこにも売り物らしき物は見当たらないのだ。長机の奥にはドアが一つあるが、ここを店として考えると、この場所だけで完結しているように思えた。
「ネフリティスからの包み、受け取ってもいい?」
「は、はい!」
メルリアは膝の上にのせた包みを手に持ち、机に置いて渡す。品物を傷めないよう、静かに扱ったつもりではあったが、重量のあるそれを置いた途端、ゴトンと音が鳴った。
女は机の上で包みを解く。
中から黒色の箱が出てきた。外箱とほぼ同じサイズだ。女はゆっくりと蓋を取る。そこには透明な球があった。箱より一回り小さいそれを、布でできた台座の上に乗せた。わざとらしく女が球体に手をかざすと、メルリアは顔を上げる。
「占い師さん!」
「正解よ。私はダリダ。ここで占い師をしているの。ネフリティスとは旧知の間柄ね」
ダリダが笑みを浮かべ、メルリアも名前のみの自己紹介を済ませる。そして、ほっと胸をなで下ろした。と、同時に、すごい物を運んでしまっていたことに気づく。道中、重心があっちこっちに行ったのは、これが球体だったからだ。水晶玉といえば、占い師に必要不可欠なもの。落としてしまわなくてよかった、無事に届けられてよかった――メルリアは安堵し、ため息をついた。
「それにしても、こんなに可愛いお嬢さんが来るなんて思ってなかったから、驚いたわ」
可愛い、の言葉に、メルリアは顔を赤くして首を横に振った。
その様子にくすりと笑みを浮かべると、ダリダは腕を組む。
「ネフリティス、そんなに忙しいの?」
「日中はいつも仕事場にいるみたいで、よく分からないんですが……。ただ、お弟子さんがいらっしゃらないようで、『使い物にならない』と言っていました」
「そういうことか」
メルリアの言葉で疑問に合点がいったダリダは、静かに目を伏せた。
外の音、物音、時計の針の音すらない無音の空間では、一秒がずっと長く重い。
目を伏せるダリダを見て、メルリアはいたたまれない気持ちを抱いていた。
おそらく自分に問題があったわけではないだろうが、どうしたらいいのか分からない。
こわごわとダリダの表情を伺うと、やがて彼女は立ち上がる。棚にある茶色の紙袋を手に取ると、それを持ったままメルリアの隣に立った。
「これ、ネフリティスに渡しておいてちょうだい」
「承りました」
ダリダはメルリアの方へ紙袋を差し出した。
メルリアは慌てて立ち上がると、それを受け取る。
「長々とすみません。それでは、失礼します」
「いいのよ、気をつけてね」
持ち手の紐をしっかりと握りしめ、ダリダに向けて深く頭を下げた。
薄暗い廊下を再び抜け、ゆっくりと扉を開ける。
通りからは街灯の光が漏れていた。
メルリアは思わず顔を上げる。空からは橙色が姿を消し、暗く深い夜の色へと変わっていた。昼が長くなったとはいえ、黄昏時の時間は息をつく暇もなく過ぎ去ってしまう。
あんまり遅くなっちゃうと、今日こそお夕飯が間に合わないかもしれない!
メルリアは慌ててネフリティスの工房へと向かった。
――その少し前のこと。
ダリダは立ち去るメルリアの背中を見送り、しばらくそのまま焦げ茶色の扉を見つめる。
ドアノブを捻る音に、石畳を駆けていく軽やかな足音。それらが全て消えると、ダリダは長机の端に避けておいたカードの山を手に取った。
「ネフリティスの方はまだいいとして……、あの子か」
空っぽになった椅子のクッションに目を向ける。
ダリダはメルリアに対して気になることがあった。目に見えて分かる類いの物ではなく、占い師としての勘が告げるものだ。
机にあるカードの束――二十二枚のタロットをシャッフルし、カットする。カードの山を一直線に並べると、その中から左端のカードを手に取った。
カードの裏面の濃紫をじっと見つめると、ダリダはゆっくりとそのカードをめくった。わずかに眉をひそめるが、その位置を見て表情が緩む。
「取り越し苦労だったみたい。お節介だったかしらね」
ダリダはフッと笑うと、タロットの山を一つにまとめた。
その一番上に、引いたばかりの逆位置の月を重ねて。
燭台の橙色の光は暖かいが、部屋の光量はかなり抑えられている。
黒いカーテンは窓を覆い隠しており、外からの光は入らない。
部屋の奥にある長机には、赤いテーブルクロス。
その端には物を乗せるためのクッションらしき台座と、山積みになったカード。
長机に向かい合うように、椅子が一脚ずつ。入り口付近には、予備と思われる椅子が三脚あった。
女はその横を通り過ぎると、奥側の椅子に座った。メルリアを向かい合わせに座るよう促す。
「さて。ここがどういう場所か、分かるかしら?」
「えぇっと……」
女が静かに笑って尋ねるが、メルリアは言葉に詰まってしまう。
分からなかった。室内の装飾は控えめである。飾り棚はあるが、メルリアが背を伸ばしても届かないほど高い位置にしかない。どこにも売り物らしき物は見当たらないのだ。長机の奥にはドアが一つあるが、ここを店として考えると、この場所だけで完結しているように思えた。
「ネフリティスからの包み、受け取ってもいい?」
「は、はい!」
メルリアは膝の上にのせた包みを手に持ち、机に置いて渡す。品物を傷めないよう、静かに扱ったつもりではあったが、重量のあるそれを置いた途端、ゴトンと音が鳴った。
女は机の上で包みを解く。
中から黒色の箱が出てきた。外箱とほぼ同じサイズだ。女はゆっくりと蓋を取る。そこには透明な球があった。箱より一回り小さいそれを、布でできた台座の上に乗せた。わざとらしく女が球体に手をかざすと、メルリアは顔を上げる。
「占い師さん!」
「正解よ。私はダリダ。ここで占い師をしているの。ネフリティスとは旧知の間柄ね」
ダリダが笑みを浮かべ、メルリアも名前のみの自己紹介を済ませる。そして、ほっと胸をなで下ろした。と、同時に、すごい物を運んでしまっていたことに気づく。道中、重心があっちこっちに行ったのは、これが球体だったからだ。水晶玉といえば、占い師に必要不可欠なもの。落としてしまわなくてよかった、無事に届けられてよかった――メルリアは安堵し、ため息をついた。
「それにしても、こんなに可愛いお嬢さんが来るなんて思ってなかったから、驚いたわ」
可愛い、の言葉に、メルリアは顔を赤くして首を横に振った。
その様子にくすりと笑みを浮かべると、ダリダは腕を組む。
「ネフリティス、そんなに忙しいの?」
「日中はいつも仕事場にいるみたいで、よく分からないんですが……。ただ、お弟子さんがいらっしゃらないようで、『使い物にならない』と言っていました」
「そういうことか」
メルリアの言葉で疑問に合点がいったダリダは、静かに目を伏せた。
外の音、物音、時計の針の音すらない無音の空間では、一秒がずっと長く重い。
目を伏せるダリダを見て、メルリアはいたたまれない気持ちを抱いていた。
おそらく自分に問題があったわけではないだろうが、どうしたらいいのか分からない。
こわごわとダリダの表情を伺うと、やがて彼女は立ち上がる。棚にある茶色の紙袋を手に取ると、それを持ったままメルリアの隣に立った。
「これ、ネフリティスに渡しておいてちょうだい」
「承りました」
ダリダはメルリアの方へ紙袋を差し出した。
メルリアは慌てて立ち上がると、それを受け取る。
「長々とすみません。それでは、失礼します」
「いいのよ、気をつけてね」
持ち手の紐をしっかりと握りしめ、ダリダに向けて深く頭を下げた。
薄暗い廊下を再び抜け、ゆっくりと扉を開ける。
通りからは街灯の光が漏れていた。
メルリアは思わず顔を上げる。空からは橙色が姿を消し、暗く深い夜の色へと変わっていた。昼が長くなったとはいえ、黄昏時の時間は息をつく暇もなく過ぎ去ってしまう。
あんまり遅くなっちゃうと、今日こそお夕飯が間に合わないかもしれない!
メルリアは慌ててネフリティスの工房へと向かった。
――その少し前のこと。
ダリダは立ち去るメルリアの背中を見送り、しばらくそのまま焦げ茶色の扉を見つめる。
ドアノブを捻る音に、石畳を駆けていく軽やかな足音。それらが全て消えると、ダリダは長机の端に避けておいたカードの山を手に取った。
「ネフリティスの方はまだいいとして……、あの子か」
空っぽになった椅子のクッションに目を向ける。
ダリダはメルリアに対して気になることがあった。目に見えて分かる類いの物ではなく、占い師としての勘が告げるものだ。
机にあるカードの束――二十二枚のタロットをシャッフルし、カットする。カードの山を一直線に並べると、その中から左端のカードを手に取った。
カードの裏面の濃紫をじっと見つめると、ダリダはゆっくりとそのカードをめくった。わずかに眉をひそめるが、その位置を見て表情が緩む。
「取り越し苦労だったみたい。お節介だったかしらね」
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