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都市ヴェルディグリ
33 弟子代理の日々3
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青空の広がるヴェルディグリの街は活気に満ち溢れていた。
この道は人が多い。メルリアがかつて通っていた図書館への道とは桁違いだ。
大きな紙袋やバスケットを提げた人に何度もすれ違う。
風に乗ってパンの焼けるいい匂いが漂ってきたかと思えば、精肉店から呼び込みの声が響く。
人は多いが、ヴェルディグリの呼び込みはどこか落ち着いている。
メルリアの知る商店街――シーバのそれとは雰囲気がまるで異なっていた。
あの時は祭りの期間という事も関係していただろうが、あちらは若干の荒っぽさが目立っていたように思う。
対して、ヴェルディグリは大人しく、シーバと比べると品があった。
街一つ変わるだけでここまで違うのか、とメルリアは驚く。
しかし、ヴェルディグリは王都だ。この違いは、国王陛下のお膝元であるからかもしれない。街ゆく人々の姿を横目に、メルリアはひとり納得した。
彼女がパン屋で買い物を済ませると、重い甲冑を纏った衛兵が目に留まった。
ベラミントにはないその冷たい金属の光沢に、思わず背筋が伸びる。
彼は険しい表情で周囲を警戒していたが、子供が嬉しそうに声をかけると、笑顔でそれに応える。そんな様子を後ろから見ていたメルリアは、思わずくすりと笑みを零した。
とても微笑ましい光景だな、と胸の奥にじんわりとした熱が広がる。気づけば、肩に入っていた余計な力が消えていた。
メルリアは道の端で立ち止まると、出かける前に作った買い物メモに目を通す。パンの項目にレ点を入れ、精肉店へ向けて歩き出した。
メルリアが誰かのために料理を作るのは久しぶりだった。
シーバでみさきの家に世話になっていた時、彼女が台所に立つ事は一日たりともなかった。
フィリスが認めなかったというのが一番の理由だ。
それに、フィリスの料理の腕は高いし、自分はよその家にお邪魔している立場だ。下手に介入しては迷惑になるだろうと考え、メルリアは希望しなかった。
それ以前といえば、メルリアがまだベラミントのエプリ食堂で働いていた頃にまで遡る。
一月ほど前までは、毎日のように料理の腕を振るっていた。
それは、七歳の時から休むことはなく続いていた。
ロバータが仕事から帰ってくるまで、メルリアはずっと一人だった。
夜までの間、裏紙の端まで使ってお絵かきをして遊んだり、文字の練習をしたり。
七歳には少し難しい児童文学を二ページほど読んだかと思えば、ページが破れた乳幼児向けの絵本を引っ張り出す。
それに飽きたら、すっかり首や腕がくたびれた、薄汚れた犬のぬいぐるみで遊ぶ日々。
窓の外から村の景色を眺めることはあっても、メルリア自ら外に出ることはなかった。
一緒に遊べるような年の近い子供は、ベラミントの村にいなかったからだ。
日が沈む頃になると、ロバータの親戚だという中年の男が起きてくる。
仕事は夜勤だから、日中は寝てばかり。
彼はメルリアが五歳の頃からこの家に住むようになった。
この頃のメルリアは人見知りだったが、この男には心を許していた。ロバータと親しげな様子だったからというのもあっただろう。
男がリビングに顔を出すやいなや、メルリアは男のそばに駆け寄る。やっと話し相手ができたのだ。
男は目覚めてから白湯を一口。
喉を潤してから、台所の棚の一番上――メルリアからは絶対手の届かない場所にある洋酒を一口飲んでから、再び水を飲む。
それが、彼が目を覚ましてから必ずすることだった。
その様子を近くで見ていたメルリアは、大げさに嫌そうな顔をして鼻をつまんだ。
「おさけくさい」
眉をひそめながら、男を見上げてほおを膨らます。
「ごめんごめん」
男は頭をかきながら笑う。
それが日常だった。
ある日、ロバータの帰りが遅いと落ち込むメルリアに、男は言った。
「じゃあ、メルリアががんばって、ロバータの手伝いをしてあげたらいいんじゃない?」
「……お手伝い?」
小首を傾げて尋ねるメルリアを見て、男はううん、と考えるそぶりを見せる。
「う~ん……そうだな。オレが危なくないように見てるから、お夕飯を作るのはどう? 疲れた時は料理なんてする元気ないし、メルリアが作ってくれたら、すごく嬉しいと思うなあ」
「本当? よろこんでくれる?」
「うん。ロバータ……、おばあちゃんは絶対喜んでくれるよ。オレが保証する」
メルリアはその言葉を聞いて飛び上がった。ぶんぶんと首を縦に振り、まん丸に見開いた目を輝かせる。
普段なら座るために使う椅子を踏み台にして、メルリアは男と共に夕飯を作った。その日のロバータの喜ぶ顔が忘れられなくて、メルリアはそれから毎日のように男と共に料理をするようになった。
それから五年後、男がいつの間にかいなくなっても、メルリアはずっと料理を続けた。
時間が流れ、作る相手が変わっても。
メルリアは久しぶりに祖母との思い出を振り返りながら、ふっと笑みを浮かべた。
その表情は、嬉しくもあり悲しくもある。道を歩くメルリアは、はっとして足を止めた。
……そういえば、あの人って誰だったんだろう。
初めましてと挨拶をした時、ロバータがきちんとどういう間柄なのか説明してくれたはずだ。ロバータはそういう人だから、とメルリアは推測する。
しかし、どう説明されたのかは全く覚えていない。
覚えているのは親戚だということだけで、名前も知らない。自分自身、今まで気にも留めなかった。
だけれど、今考えると不思議な話だ。
いつの間にか家にやってきて、いつの間にかいなくなったのだから。
一時的に居候していたのだから、祖母か男に何か事情があったのだろう。
が、やがて静かに息を吐いた。
考えても仕方がないことだ。
あの家はもう自分たちの家ではないし、男は祖母が他界する五年くらい前にいなくなった。真実を知る人間は誰も残っていないのだ。
「……あれ?」
メルリアの口から声が漏れる。疑問の声だ。何か忘れているような気がする――。
メルリアはポケットの中から、買い物のメモを引っ張り出した。
パンと肉の横にチェックが入っている。青果店の横には括弧書きで、トマト、タマネギといった野菜が五種類記入されていた。
……そうだ、パプリカ! 細かく切って、スープに入れようと思ったんだった!
メルリアはペンを取り出し、メモ書きの端によれた字でパプリカを追記する。
しっかりしろと言わんばかりに頬を軽く叩くと、青果店に向けて歩き出した。
この道は人が多い。メルリアがかつて通っていた図書館への道とは桁違いだ。
大きな紙袋やバスケットを提げた人に何度もすれ違う。
風に乗ってパンの焼けるいい匂いが漂ってきたかと思えば、精肉店から呼び込みの声が響く。
人は多いが、ヴェルディグリの呼び込みはどこか落ち着いている。
メルリアの知る商店街――シーバのそれとは雰囲気がまるで異なっていた。
あの時は祭りの期間という事も関係していただろうが、あちらは若干の荒っぽさが目立っていたように思う。
対して、ヴェルディグリは大人しく、シーバと比べると品があった。
街一つ変わるだけでここまで違うのか、とメルリアは驚く。
しかし、ヴェルディグリは王都だ。この違いは、国王陛下のお膝元であるからかもしれない。街ゆく人々の姿を横目に、メルリアはひとり納得した。
彼女がパン屋で買い物を済ませると、重い甲冑を纏った衛兵が目に留まった。
ベラミントにはないその冷たい金属の光沢に、思わず背筋が伸びる。
彼は険しい表情で周囲を警戒していたが、子供が嬉しそうに声をかけると、笑顔でそれに応える。そんな様子を後ろから見ていたメルリアは、思わずくすりと笑みを零した。
とても微笑ましい光景だな、と胸の奥にじんわりとした熱が広がる。気づけば、肩に入っていた余計な力が消えていた。
メルリアは道の端で立ち止まると、出かける前に作った買い物メモに目を通す。パンの項目にレ点を入れ、精肉店へ向けて歩き出した。
メルリアが誰かのために料理を作るのは久しぶりだった。
シーバでみさきの家に世話になっていた時、彼女が台所に立つ事は一日たりともなかった。
フィリスが認めなかったというのが一番の理由だ。
それに、フィリスの料理の腕は高いし、自分はよその家にお邪魔している立場だ。下手に介入しては迷惑になるだろうと考え、メルリアは希望しなかった。
それ以前といえば、メルリアがまだベラミントのエプリ食堂で働いていた頃にまで遡る。
一月ほど前までは、毎日のように料理の腕を振るっていた。
それは、七歳の時から休むことはなく続いていた。
ロバータが仕事から帰ってくるまで、メルリアはずっと一人だった。
夜までの間、裏紙の端まで使ってお絵かきをして遊んだり、文字の練習をしたり。
七歳には少し難しい児童文学を二ページほど読んだかと思えば、ページが破れた乳幼児向けの絵本を引っ張り出す。
それに飽きたら、すっかり首や腕がくたびれた、薄汚れた犬のぬいぐるみで遊ぶ日々。
窓の外から村の景色を眺めることはあっても、メルリア自ら外に出ることはなかった。
一緒に遊べるような年の近い子供は、ベラミントの村にいなかったからだ。
日が沈む頃になると、ロバータの親戚だという中年の男が起きてくる。
仕事は夜勤だから、日中は寝てばかり。
彼はメルリアが五歳の頃からこの家に住むようになった。
この頃のメルリアは人見知りだったが、この男には心を許していた。ロバータと親しげな様子だったからというのもあっただろう。
男がリビングに顔を出すやいなや、メルリアは男のそばに駆け寄る。やっと話し相手ができたのだ。
男は目覚めてから白湯を一口。
喉を潤してから、台所の棚の一番上――メルリアからは絶対手の届かない場所にある洋酒を一口飲んでから、再び水を飲む。
それが、彼が目を覚ましてから必ずすることだった。
その様子を近くで見ていたメルリアは、大げさに嫌そうな顔をして鼻をつまんだ。
「おさけくさい」
眉をひそめながら、男を見上げてほおを膨らます。
「ごめんごめん」
男は頭をかきながら笑う。
それが日常だった。
ある日、ロバータの帰りが遅いと落ち込むメルリアに、男は言った。
「じゃあ、メルリアががんばって、ロバータの手伝いをしてあげたらいいんじゃない?」
「……お手伝い?」
小首を傾げて尋ねるメルリアを見て、男はううん、と考えるそぶりを見せる。
「う~ん……そうだな。オレが危なくないように見てるから、お夕飯を作るのはどう? 疲れた時は料理なんてする元気ないし、メルリアが作ってくれたら、すごく嬉しいと思うなあ」
「本当? よろこんでくれる?」
「うん。ロバータ……、おばあちゃんは絶対喜んでくれるよ。オレが保証する」
メルリアはその言葉を聞いて飛び上がった。ぶんぶんと首を縦に振り、まん丸に見開いた目を輝かせる。
普段なら座るために使う椅子を踏み台にして、メルリアは男と共に夕飯を作った。その日のロバータの喜ぶ顔が忘れられなくて、メルリアはそれから毎日のように男と共に料理をするようになった。
それから五年後、男がいつの間にかいなくなっても、メルリアはずっと料理を続けた。
時間が流れ、作る相手が変わっても。
メルリアは久しぶりに祖母との思い出を振り返りながら、ふっと笑みを浮かべた。
その表情は、嬉しくもあり悲しくもある。道を歩くメルリアは、はっとして足を止めた。
……そういえば、あの人って誰だったんだろう。
初めましてと挨拶をした時、ロバータがきちんとどういう間柄なのか説明してくれたはずだ。ロバータはそういう人だから、とメルリアは推測する。
しかし、どう説明されたのかは全く覚えていない。
覚えているのは親戚だということだけで、名前も知らない。自分自身、今まで気にも留めなかった。
だけれど、今考えると不思議な話だ。
いつの間にか家にやってきて、いつの間にかいなくなったのだから。
一時的に居候していたのだから、祖母か男に何か事情があったのだろう。
が、やがて静かに息を吐いた。
考えても仕方がないことだ。
あの家はもう自分たちの家ではないし、男は祖母が他界する五年くらい前にいなくなった。真実を知る人間は誰も残っていないのだ。
「……あれ?」
メルリアの口から声が漏れる。疑問の声だ。何か忘れているような気がする――。
メルリアはポケットの中から、買い物のメモを引っ張り出した。
パンと肉の横にチェックが入っている。青果店の横には括弧書きで、トマト、タマネギといった野菜が五種類記入されていた。
……そうだ、パプリカ! 細かく切って、スープに入れようと思ったんだった!
メルリアはペンを取り出し、メモ書きの端によれた字でパプリカを追記する。
しっかりしろと言わんばかりに頬を軽く叩くと、青果店に向けて歩き出した。
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