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都市ヴェルディグリ
32 弟子代理の日々2
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「お前の料理の腕は悪くないな」
メルリアの作った朝食を早々に食べ終わると、ネフリティスは仰々しい様子で言った。
「あ、ありがとうございます」
食後の紅茶を用意するメルリアは大げさに驚く。
小花柄のティーポットが、手元でよくない音を立てた。慌ててそちらを見たが、欠けもひびも入っていない。
ほっと胸をなで下ろすもつかの間、ネフリティスはわざとらしく咳払いを一つする。
「よし、お前の今日の仕事が決まった」
「は、はい!」
なみなみと高温の湯が入ったポットを丁寧にテーブルに置くと、メルリアは姿勢を正した。
大げさに低い声を作っていたネフリティスは、ふうと一つ息を吐く。
どんなことを言われるのだろうか。メルリアは肩に力を入れる。
「適当に夕食を作ってくれ~、予算はあまりないし明日もあるから下手に贅沢はするな、あまり重いものはいらん。安い家庭料理で十分だ」
しかし聞こえた声は、普段通りの適当にあしらうものだった。
メルリアに入っていた肩の力ががくっと抜ける。あまりの変わりように腰まで抜けそうになった。
「そ、そんなことでいいんですか?」
「私は料理が作れないし、そんな暇もない。師匠の代わりに仕事をこなすのは弟子の務めだと思わんか?」
「は、はい……」
空っぽになったネフリティスのティーカップに、静かに紅茶を注ぐ。朝注いだものより濃い色が出た。
「お前は錬金術師ではないし魔力も全くない。ま、あったとしても、空になった魔力石に魔力を注いでもらうくらいしかないがな」
魔力が全くない――その言葉に、メルリアは表情を曇らせる。
メルリアには魔力がない。
弱いわけではなく存在しないのだ。
人間の中でも、魔術が使える人種は全体の約半分強であるが、メルリアのように一切ないパターンは非常に珍しい。
魔術を使えなくとも、体を纏う気のような形でわずかに存在している場合がほとんどなのだ。大体の人間は、「そういう人がいても不思議ではないが、出会うことはまずないだろう」、という印象を持っている。
メルリアは苦笑を浮かべる。
ひどく羨むほどではないが、全く羨ましくない、というわけでもなかった。
「やっぱり、魔力があった方がいいんですよね」
その言葉に、ネフリティスは首を横に振った。
「力がなくてよかったなと言っているんだ。ウチの倉庫にはガワだけ残った魔力石が山のように眠っている。全部を使えるようにするのに何ヶ月かかるか」
メルリアが心の奥にある羨望を押し殺して笑うと、それを見抜いたようにネフリティスは続けた。
「仕方ないだろう、お前はそういう血筋に生まれたんだ」
メルリアは相手の表情を伺う。反射的にそうしていた。
ネフリティスの言葉は重い。声色や表情次第でいくらでも質量が増す。
いけない部分に踏み込んでしまったのかと思ったが、彼女は涼しい顔だった。
さもその事情が当たり前で、諦めるでもなく受け入れるでもないような――味が苦手だからこの料理が食べられないのは仕方ない、と割り切っているような。
言葉の重みと声の軽さがちぐはぐで、メルリアは混乱した。
そんな中、「さてと」とネフリティスは席を立つ。ティーカップの底にはわずかに溶けきらなかった砂糖が数粒残っていた。
「後片付けは頼んだぞ。昼食は適当に済ませるから、お前は外で食ってこい。金は後で請求しろ。私は仕事場に籠もるから、夕食の支度が済むまでは顔を出すな」
「えっ? あ、あの、紅茶は」
「もういらん」
仕事場というのは、先日案内された場所のことだ。
恐らく、昨日のように誰かに仕事を依頼されて、何かを作る必要があるのだろう。
であれば、自分は邪魔をしてはいけない。メルリアは、使用済みの茶器をテーブルの脇に寄せた。
「分かりました、頑張ってください」
ネフリティスの背中を目で追いながら、メルリアは先ほどの言葉を頭の中で繰り返した。一言一句、違わず彼女の言葉を思い出すことができる。
今日の仕事は夕食を作ることで、昼食は作らなくてよくて、代金は後で請求――うん、覚えている。
メルリアは指折り数えながら予定を再確認すると、ほっと胸をなで下ろした。
朝食に使った食器や茶器を台所に下げ、メルリアは服の袖をまくった。
食器の洗い物が済んだら、街に出かけることになる。飲食店は何軒か通ったが、ヴェルディグリで食材を買うのは初めてだった。
夕食のメニューを考えるのは骨が折れそうだが、店を回るのは楽しみだ――メルリアは顔を上げると、にこりと笑顔を浮かべた。
一方その頃。
仕事場に戻ったネフリティスは、テーブルに散らばった紙を右端に寄せると、その上に空のインク壺を乗せた。ペーパーウェイト代わりだ。
軽いインク壺は指でつつけば簡単に転がってしまいそうなほど頼りない。気がかりではあったが、それにはかまわなかった。そんな暇はないからだ。
魔方陣が描かれた黒い表紙の本を手に取ると、ネフリティスは栞を挟んだ箇所までバラバラとページをめくっていく。
日に焼けた薄茶色のページには、古代文字がびっしりと並んでいた。その三行目を指でなぞり、眉をひそめる。
自分が作りたいものと仕組みがかみ合わない。眉をひそめ、大げさにため息をついた。
かれこれ四ヶ月は悩んでいる箇所だ。望むものを作るには、ここは避けては通れない。
ネフリティスは背もたれにだらんと体を預けると、仕事場の天井を眺めた。
部屋の隅には、いつの間にかできたらしい蜘蛛の巣にホコリが溜まっていた。
「魔力、魔術……魔法、錬金術……」
ぼうっと天井の様子を長めながら、ネフリティスはつぶやく。
そこには特別な意味も感情もなかった。ただ、頭の中に浮かんだ言葉を口に出しただけだ。
ふと、先ほど見たメルリアの顔を思い出す。
どうやら彼女は自身の魔力についてコンプレックスを感じているようだ。
何気なく、当たり前だと思って口にした言葉だったが、彼女にとっては重荷だったらしい。
「人間の魔力……、元素を扱える才能、か」
ネフリティスは静かに目を閉じた。まぶたの裏の真っ黒な視界に、彼女のよく知る人間の姿が浮かぶ。
「ない方が、私は幸せだと思うがな」
その呟きを肯定する者は、この場にはいなかった。
メルリアの作った朝食を早々に食べ終わると、ネフリティスは仰々しい様子で言った。
「あ、ありがとうございます」
食後の紅茶を用意するメルリアは大げさに驚く。
小花柄のティーポットが、手元でよくない音を立てた。慌ててそちらを見たが、欠けもひびも入っていない。
ほっと胸をなで下ろすもつかの間、ネフリティスはわざとらしく咳払いを一つする。
「よし、お前の今日の仕事が決まった」
「は、はい!」
なみなみと高温の湯が入ったポットを丁寧にテーブルに置くと、メルリアは姿勢を正した。
大げさに低い声を作っていたネフリティスは、ふうと一つ息を吐く。
どんなことを言われるのだろうか。メルリアは肩に力を入れる。
「適当に夕食を作ってくれ~、予算はあまりないし明日もあるから下手に贅沢はするな、あまり重いものはいらん。安い家庭料理で十分だ」
しかし聞こえた声は、普段通りの適当にあしらうものだった。
メルリアに入っていた肩の力ががくっと抜ける。あまりの変わりように腰まで抜けそうになった。
「そ、そんなことでいいんですか?」
「私は料理が作れないし、そんな暇もない。師匠の代わりに仕事をこなすのは弟子の務めだと思わんか?」
「は、はい……」
空っぽになったネフリティスのティーカップに、静かに紅茶を注ぐ。朝注いだものより濃い色が出た。
「お前は錬金術師ではないし魔力も全くない。ま、あったとしても、空になった魔力石に魔力を注いでもらうくらいしかないがな」
魔力が全くない――その言葉に、メルリアは表情を曇らせる。
メルリアには魔力がない。
弱いわけではなく存在しないのだ。
人間の中でも、魔術が使える人種は全体の約半分強であるが、メルリアのように一切ないパターンは非常に珍しい。
魔術を使えなくとも、体を纏う気のような形でわずかに存在している場合がほとんどなのだ。大体の人間は、「そういう人がいても不思議ではないが、出会うことはまずないだろう」、という印象を持っている。
メルリアは苦笑を浮かべる。
ひどく羨むほどではないが、全く羨ましくない、というわけでもなかった。
「やっぱり、魔力があった方がいいんですよね」
その言葉に、ネフリティスは首を横に振った。
「力がなくてよかったなと言っているんだ。ウチの倉庫にはガワだけ残った魔力石が山のように眠っている。全部を使えるようにするのに何ヶ月かかるか」
メルリアが心の奥にある羨望を押し殺して笑うと、それを見抜いたようにネフリティスは続けた。
「仕方ないだろう、お前はそういう血筋に生まれたんだ」
メルリアは相手の表情を伺う。反射的にそうしていた。
ネフリティスの言葉は重い。声色や表情次第でいくらでも質量が増す。
いけない部分に踏み込んでしまったのかと思ったが、彼女は涼しい顔だった。
さもその事情が当たり前で、諦めるでもなく受け入れるでもないような――味が苦手だからこの料理が食べられないのは仕方ない、と割り切っているような。
言葉の重みと声の軽さがちぐはぐで、メルリアは混乱した。
そんな中、「さてと」とネフリティスは席を立つ。ティーカップの底にはわずかに溶けきらなかった砂糖が数粒残っていた。
「後片付けは頼んだぞ。昼食は適当に済ませるから、お前は外で食ってこい。金は後で請求しろ。私は仕事場に籠もるから、夕食の支度が済むまでは顔を出すな」
「えっ? あ、あの、紅茶は」
「もういらん」
仕事場というのは、先日案内された場所のことだ。
恐らく、昨日のように誰かに仕事を依頼されて、何かを作る必要があるのだろう。
であれば、自分は邪魔をしてはいけない。メルリアは、使用済みの茶器をテーブルの脇に寄せた。
「分かりました、頑張ってください」
ネフリティスの背中を目で追いながら、メルリアは先ほどの言葉を頭の中で繰り返した。一言一句、違わず彼女の言葉を思い出すことができる。
今日の仕事は夕食を作ることで、昼食は作らなくてよくて、代金は後で請求――うん、覚えている。
メルリアは指折り数えながら予定を再確認すると、ほっと胸をなで下ろした。
朝食に使った食器や茶器を台所に下げ、メルリアは服の袖をまくった。
食器の洗い物が済んだら、街に出かけることになる。飲食店は何軒か通ったが、ヴェルディグリで食材を買うのは初めてだった。
夕食のメニューを考えるのは骨が折れそうだが、店を回るのは楽しみだ――メルリアは顔を上げると、にこりと笑顔を浮かべた。
一方その頃。
仕事場に戻ったネフリティスは、テーブルに散らばった紙を右端に寄せると、その上に空のインク壺を乗せた。ペーパーウェイト代わりだ。
軽いインク壺は指でつつけば簡単に転がってしまいそうなほど頼りない。気がかりではあったが、それにはかまわなかった。そんな暇はないからだ。
魔方陣が描かれた黒い表紙の本を手に取ると、ネフリティスは栞を挟んだ箇所までバラバラとページをめくっていく。
日に焼けた薄茶色のページには、古代文字がびっしりと並んでいた。その三行目を指でなぞり、眉をひそめる。
自分が作りたいものと仕組みがかみ合わない。眉をひそめ、大げさにため息をついた。
かれこれ四ヶ月は悩んでいる箇所だ。望むものを作るには、ここは避けては通れない。
ネフリティスは背もたれにだらんと体を預けると、仕事場の天井を眺めた。
部屋の隅には、いつの間にかできたらしい蜘蛛の巣にホコリが溜まっていた。
「魔力、魔術……魔法、錬金術……」
ぼうっと天井の様子を長めながら、ネフリティスはつぶやく。
そこには特別な意味も感情もなかった。ただ、頭の中に浮かんだ言葉を口に出しただけだ。
ふと、先ほど見たメルリアの顔を思い出す。
どうやら彼女は自身の魔力についてコンプレックスを感じているようだ。
何気なく、当たり前だと思って口にした言葉だったが、彼女にとっては重荷だったらしい。
「人間の魔力……、元素を扱える才能、か」
ネフリティスは静かに目を閉じた。まぶたの裏の真っ黒な視界に、彼女のよく知る人間の姿が浮かぶ。
「ない方が、私は幸せだと思うがな」
その呟きを肯定する者は、この場にはいなかった。
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