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都市ヴェルディグリ
30 錬金術師ネフリティス4
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メルリアはその後も、様々な場所を歩いて回った。
縦長のずっしりとした包みは、都市一番の製薬会社へ。
中央図書館へは、ガラガラと音の鳴る大きな包みを。
先日エルヴィーラと共に入ったホテル・ウェイブのロビーにも立ち寄った。
フロントの女性には、手のひらサイズの包みを渡す。住宅街の民家へも向かい、ずっしりと重い包みを手渡した。
配達をしているだけのメルリアは、中身を知ることはない。ただ一つ、民家に配達した包みを除いては。
その民家は親子三人で暮らす小さな家だった。
メルリアの訪問に顔を出したのは、六歳の娘とその母親の二人だ。
ネフリティスの代わりに配達に来たと伝えると、少女は顔をほころばせる。待ちきれない様子で体を揺らしながら、少女は玄関先で包みを開けた。
中からは黒い箱のオルゴールが顔を出す。
聞けば、これは母親が子供の頃からの宝物で、少女もそれを大切にしていたという。
しかし、ある時からネジが上手く回らなくなってしまった。
街のどの技術者に修理を頼んでも受け付けてもらえず、ダメ元で都市の錬金術士へ依頼したという。
元通りになったオルゴールに少女は大はしゃぎ。母親は目を潤ませながら何度もメルリアに頭を下げた。
その逸話を聞いたメルリアも、母親と同じように目を潤ませ、必ず本人に伝えますと約束した。
この一件だけでも、ネフリティスという錬金術師がこの都市に貢献している事が十分窺える。
恐らく他の施設もそうなのだろう――石の道を踏みしめながら、メルリアは思いを巡らせた。
すべての配達作業を終え、ネフリティスの工房に戻った時には、すっかり日が暮れていた。
メルリアは工房の扉をノックし、声をかける。返ってくる声も音もない。
少しの罪悪感を抱きながら、そっとドアノブをひねった。躊躇なく家の扉が開く。
相変わらず玄関は薄暗く、昨日訪れた左手の廊下からわずかに光が漏れるのみだ。
「……失礼します」
メルリアは小さく呟いてから、工房に足を踏み入れた。相変わらず物音がない。
ネフリティスは黙々と仕事をしているのだろう。
メルリアは周囲をぐるりと見回す。
左手の通路奥からは光が漏れる。右手の通路には明かりが灯っておらず、暗闇が淡々と広がっていた。
窓の外から家に入るわずかな光が、あちらに道があると知らせている。
メルリアはその暗闇を見つめたまま、しばし立ち止まった。
あの奥には何があるのだろう、と疑問に思ったからだ。
メルリアは錬金術のことをほとんど知らない。
だが、シャムロックの言葉やネフリティスの説明から察するに、錬金術には、何かしら「物」が必要らしいとは察していた。
あの奥には、もしかしたら錬金術をするための材料があるのだろうか?
自分が求めている花も、ここに材料として存在する……?
いや、それは都合がよすぎる。
メルリアはぶんぶんと頭を振った後、光の差す右手の通路を目指そうと、一歩踏み出す。
「……あれ?」
カチリ、カチリ、と、秒針が鳴る。
メルリアは再び周囲を見回す。しかし、時計らしい物は見当たらない。
それ以前に、玄関に明かりがないせいで、足下以外はほとんど何も見えなかった。
……ここに時計、あったっけ。
メルリアは目を閉じる。
昼間ここに来た時、確かに時計の針の音は聞いた。しかしよくよく考えれば、エルヴィーラと共に来た時には聞いた覚えがない。
もっとも、雨音にかき消されて聞こえなかったかもしれないが――今日は雨が降っていない。だから、さっきまでは聞こえていなかったことの説明はつかない。
時計の秒針は小さく弱いものだ。物音もそうだし、何かを考えていればその音を忘れることも少なくない。昨日も、今日も、聞こえていなかったとしても、おかしくはない。
けれど、何かがおかしいような。
メルリアが違和感を覚え始めた矢先、耳に入る秒針の音が変わっていることに気づく。
カチリ、カチリと鳴る音はそのままに、その音が大きく聞こえたり小さく聞こえたり、刻む音の速度が変わったり――時計の音にしても、明らかに何かがおかしい。
メルリアは急いでネフリティスの仕事場へと向かった。
「た、ただいま戻りました」
「なんだ、遅かったな」
仕事場へ向かうと、ネフリティスは片付けをしていた。
植物の茎や枯れた花を一つの袋にまとめ、紙くずを捨てる。物が乱雑に放置されている作業机を忌々しげに見つめると、一つ息を吐いた。
現実から目を背けるように視線をそらすと、メルリアを見る。すると、ネフリティスは思い出したように声を漏らした。
「二階にお前の部屋を用意してやった。今晩からここに住め」
「え?」
「使っていなかったが掃除はしてやった。カビ臭くはないぞ」
「家とリビング、貸した部屋は許可なく出入りして構わない。それ以外の部屋には絶対に入るな」
「あ、あの」
「今後、仕事場には必ず声をかけて入れよ。返事がない場合は入るな」
メルリアが戸惑う声を漏らすたび、彼女が疑問に思っていることとは全く無関係のことを淡々と言う。
質問を許さないように、わざと聞きたいことを避けているように。
事実、ネフリティスはそれを分かってやっていた。やがて、鋭い視線がメルリアを捉える。
「――お前、知りたいんだろう? わざわざ錬金術師に尋ねないと分からないようなモノの情報が」
冗談めいた様子から一転、強い口調でネフリティスは言い放つ。
メルリアの動きがピタリと止まる。
ほんの数秒前までは、居場所まで用意してもらうなんて申し訳ない。このまま宿で寝泊まりしますと断ろうとした。その言葉が、ほどけるように消えていく。
ネフリティスの言葉をゆっくり噛み砕くと、メルリアは静かに頷いた。
もしかしたら、自分の探しているものはとても難しいものなのかもしれない。彼女に頼る以外に、道はないのかもしれない――そう考えたからだ。
「分かりました。お世話になります」
メルリアは頭を下げる。その様子に、ネフリティスはニッと笑った。
「いい返事だな」
ネフリティスは腰に手を当てる。メルリアが頭を上げる瞬間を見計らって言った。
「明日からもみっちり働いてもらうからな。よろしく頼むぞ、弟子代理」
縦長のずっしりとした包みは、都市一番の製薬会社へ。
中央図書館へは、ガラガラと音の鳴る大きな包みを。
先日エルヴィーラと共に入ったホテル・ウェイブのロビーにも立ち寄った。
フロントの女性には、手のひらサイズの包みを渡す。住宅街の民家へも向かい、ずっしりと重い包みを手渡した。
配達をしているだけのメルリアは、中身を知ることはない。ただ一つ、民家に配達した包みを除いては。
その民家は親子三人で暮らす小さな家だった。
メルリアの訪問に顔を出したのは、六歳の娘とその母親の二人だ。
ネフリティスの代わりに配達に来たと伝えると、少女は顔をほころばせる。待ちきれない様子で体を揺らしながら、少女は玄関先で包みを開けた。
中からは黒い箱のオルゴールが顔を出す。
聞けば、これは母親が子供の頃からの宝物で、少女もそれを大切にしていたという。
しかし、ある時からネジが上手く回らなくなってしまった。
街のどの技術者に修理を頼んでも受け付けてもらえず、ダメ元で都市の錬金術士へ依頼したという。
元通りになったオルゴールに少女は大はしゃぎ。母親は目を潤ませながら何度もメルリアに頭を下げた。
その逸話を聞いたメルリアも、母親と同じように目を潤ませ、必ず本人に伝えますと約束した。
この一件だけでも、ネフリティスという錬金術師がこの都市に貢献している事が十分窺える。
恐らく他の施設もそうなのだろう――石の道を踏みしめながら、メルリアは思いを巡らせた。
すべての配達作業を終え、ネフリティスの工房に戻った時には、すっかり日が暮れていた。
メルリアは工房の扉をノックし、声をかける。返ってくる声も音もない。
少しの罪悪感を抱きながら、そっとドアノブをひねった。躊躇なく家の扉が開く。
相変わらず玄関は薄暗く、昨日訪れた左手の廊下からわずかに光が漏れるのみだ。
「……失礼します」
メルリアは小さく呟いてから、工房に足を踏み入れた。相変わらず物音がない。
ネフリティスは黙々と仕事をしているのだろう。
メルリアは周囲をぐるりと見回す。
左手の通路奥からは光が漏れる。右手の通路には明かりが灯っておらず、暗闇が淡々と広がっていた。
窓の外から家に入るわずかな光が、あちらに道があると知らせている。
メルリアはその暗闇を見つめたまま、しばし立ち止まった。
あの奥には何があるのだろう、と疑問に思ったからだ。
メルリアは錬金術のことをほとんど知らない。
だが、シャムロックの言葉やネフリティスの説明から察するに、錬金術には、何かしら「物」が必要らしいとは察していた。
あの奥には、もしかしたら錬金術をするための材料があるのだろうか?
自分が求めている花も、ここに材料として存在する……?
いや、それは都合がよすぎる。
メルリアはぶんぶんと頭を振った後、光の差す右手の通路を目指そうと、一歩踏み出す。
「……あれ?」
カチリ、カチリ、と、秒針が鳴る。
メルリアは再び周囲を見回す。しかし、時計らしい物は見当たらない。
それ以前に、玄関に明かりがないせいで、足下以外はほとんど何も見えなかった。
……ここに時計、あったっけ。
メルリアは目を閉じる。
昼間ここに来た時、確かに時計の針の音は聞いた。しかしよくよく考えれば、エルヴィーラと共に来た時には聞いた覚えがない。
もっとも、雨音にかき消されて聞こえなかったかもしれないが――今日は雨が降っていない。だから、さっきまでは聞こえていなかったことの説明はつかない。
時計の秒針は小さく弱いものだ。物音もそうだし、何かを考えていればその音を忘れることも少なくない。昨日も、今日も、聞こえていなかったとしても、おかしくはない。
けれど、何かがおかしいような。
メルリアが違和感を覚え始めた矢先、耳に入る秒針の音が変わっていることに気づく。
カチリ、カチリと鳴る音はそのままに、その音が大きく聞こえたり小さく聞こえたり、刻む音の速度が変わったり――時計の音にしても、明らかに何かがおかしい。
メルリアは急いでネフリティスの仕事場へと向かった。
「た、ただいま戻りました」
「なんだ、遅かったな」
仕事場へ向かうと、ネフリティスは片付けをしていた。
植物の茎や枯れた花を一つの袋にまとめ、紙くずを捨てる。物が乱雑に放置されている作業机を忌々しげに見つめると、一つ息を吐いた。
現実から目を背けるように視線をそらすと、メルリアを見る。すると、ネフリティスは思い出したように声を漏らした。
「二階にお前の部屋を用意してやった。今晩からここに住め」
「え?」
「使っていなかったが掃除はしてやった。カビ臭くはないぞ」
「家とリビング、貸した部屋は許可なく出入りして構わない。それ以外の部屋には絶対に入るな」
「あ、あの」
「今後、仕事場には必ず声をかけて入れよ。返事がない場合は入るな」
メルリアが戸惑う声を漏らすたび、彼女が疑問に思っていることとは全く無関係のことを淡々と言う。
質問を許さないように、わざと聞きたいことを避けているように。
事実、ネフリティスはそれを分かってやっていた。やがて、鋭い視線がメルリアを捉える。
「――お前、知りたいんだろう? わざわざ錬金術師に尋ねないと分からないようなモノの情報が」
冗談めいた様子から一転、強い口調でネフリティスは言い放つ。
メルリアの動きがピタリと止まる。
ほんの数秒前までは、居場所まで用意してもらうなんて申し訳ない。このまま宿で寝泊まりしますと断ろうとした。その言葉が、ほどけるように消えていく。
ネフリティスの言葉をゆっくり噛み砕くと、メルリアは静かに頷いた。
もしかしたら、自分の探しているものはとても難しいものなのかもしれない。彼女に頼る以外に、道はないのかもしれない――そう考えたからだ。
「分かりました。お世話になります」
メルリアは頭を下げる。その様子に、ネフリティスはニッと笑った。
「いい返事だな」
ネフリティスは腰に手を当てる。メルリアが頭を上げる瞬間を見計らって言った。
「明日からもみっちり働いてもらうからな。よろしく頼むぞ、弟子代理」
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