幾望の色

西薗蛍

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都市ヴェルディグリ

29 錬金術師ネフリティス3-2

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 メルリアは早々に次の配達先へ向かった。

 ずっしりと重みのある小包を、大切に抱えながら歩いて行く。一件目とは異なり、メルリアの足取りは確かだ。工房と同じ道に面していたため、五分と立たずに目的地へ到着した。

 店の前にたどり着くと、メルリアは顔を上げた。猫の顔を模った看板が、風でカラカラと揺れている。

 メルリアは目を細めた。たった昨晩のことなのに、もうずっと昔のような気がする――胸の奥にチクリと広がる寂しい感情をため息で紛らわす。これ以上引きずられないようにと、メルリアはシャノワールの扉を開けた。

「ごめんください」

 カラン、と扉につけられたベルが店内に来客を知らせた。
 メルリアは店の奥に声をかけ、静かに足を踏み入れる。

 相変わらず客の姿はなかった。

 全体的に焦げ茶色の落ち着いた店内だ。壁には黒猫を模った白い文字盤の時計。ガラス張りの棚には、黒猫がデザインされた皿やティーカップなどが展示されている。
 昨夜見た風景と同じだった。

 それらに目を向けていると、メルリアの頭上でコトンと物音がした。
 顔を上げると、ちょうど棚の上に乗った黒猫と目が合う。昨日、エルヴィーラに懐いてきた黒猫のアステルだ。

 昨日とは異なり、アステルは棚の上から動こうとしない。メルリアの存在は認識したが、ちらりと目をやっただけで、つまらなそうにカウンターの奥へ視線を逸らした。
 アステルがピクリと耳を動かすと、カウンター奥の扉がゆっくりと開く。

「すみません、お待たせしてしまいましたね」

 昨晩会った中年の男が顔を出した。メルリアは、慌てて首を横に振る。両手は塞がっていた。
 男はメルリアの顔を見ると、ふっと笑みを浮かべる。

「アステルが気になりますか?」
「はい、少し……。やっぱり、普段はああしているんですか?」

 メルリアが苦笑を交え、棚の上に上ったアステルに視線を向ける。
 眠たそうに目を開いていたアステルは、やがてくわっと大きく口を開け、欠伸をした。鋭い二本の歯が光る。

「ええ。昨夜は驚きました。……とはいえ、この子も黒猫ですから」

 どういうことだろう? メルリアはカウンターの奥にいる男を見た。男は穏やかな表情を変えないまま、目を細める。

「判るんでしょうね。仕えるべきものが何か」

 その言葉を聞いた途端、メルリアの脳裏にはエルヴィーラの姿が浮かんでいた。

 初めて会った時から不思議な雰囲気の人物だと思っていた。
 とても綺麗で、どこか神秘的な人。
 詳しいことは聞いていないが、実際、あんな豪華なホテルに部屋を取っている人だ。本当にお金持ちのお嬢様なのかもしれない――。

 動物は人間より勘が鋭いところがあるという。
 きっと人の雰囲気が分かるんだろう、と、メルリアは一人頷いた。

「……さて。本日はどういったご用件ですか」

 にこにこと微笑みかける男に、メルリアははっとした。両手に持っている小包の存在を忘れていたからだ。

「あ、あの、今日はこれを……。錬金術師の、ネフリティスさんの代わりに、お届けに!」

 メルリアはカウンターへ向かうと、男に包みを手渡した。男はそれを受け取ると、カウンターの端にゆっくり置いた。

「確かに受け取りました。ありがとうございます」
「あ、あの、今日はこれで……また伺います!」

 メルリアは慌てて頭を下げる。

「ええ、お待ちしております」

 男の声にもう一度頭を下げてから、メルリアは男に背を向けた。
 店の扉を引くと、ベルがカランと音を立てた。その音の中で、アステルがニャアと短く鳴く。

 ベルの音にかき消され、アステルの声はメルリアの耳に届くことはなかった。
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