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都市ヴェルディグリ
25 陰雨に愁う2-3
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メルリアは驚いた表情で、エルヴィーラは憂鬱そうな表情で音を立てた窓を見つめる。
「雨、ひどくなってきましたね。エルヴィーラさん、帰り大丈夫ですか?」
「大丈夫よ。帰らないつもりだから」
そうですか、とメルリアは会話を流しそうになった。
が、言葉の真意に気づいて、慌ててエルヴィーラを見つめた。
窓の方を見ていたエルヴィーラはメルリアに視線を合わせ、悪戯っぽい笑みを向ける。慌てるメルリアの様子を楽しんでいるように、くすりと笑った。
「あの、多分誰か心配してると思います……」
「困ればいいと思う」
スパッと言い放った言葉に、メルリアはさらに慌ててしまう。
ほんの少し怒りの混じった声だったが、主体はそこではない。エルヴィーラは何かに怒っていたが、冷静さを欠いてはいなかった。
「気にしないで。少し、うまくいかなかっただけだから」
エルヴィーラは青い顔のメルリアを見て、静かに言い直す。その程度の余裕は十分あった。
その言葉にメルリアはほっと胸をなで下ろした。
「でも帰らないけれど」
そう付け足すと、安心しきっていたメルリアの顔から血の気が引いていく。
そんな様子を見て、エルヴィーラはくすくすと笑った。
「やっぱりメルは面白いわね。ううん、『面白い』よりも『可愛い』かしら」
本気とも冗談ともとれないような口調で、エルヴィーラは微笑すると、メルリアの青ざめた表情から血の気が戻り、頬がぽっと赤くなった。
そんな様子を見て、またエルヴィーラはくすくすと笑う。やがて彼女が目にたまった涙を拭った後、すっかり冷めてしまったミルクの白濁色を見つめた。
「長く一緒にいると、たまに分からなくなる事があるのよ。相手が私をどう思っているのか。伝えてくれた言葉は覚えているけれど、時間が経てば感情は変化するかもしれない。すれ違いが続くと不安になる」
エルヴィーラはまだ熱の残るマグカップを指でなぞり、指先から感じるわずかな余韻に目を伏せる。
その姿をまっすぐに見つめながら、メルリアは唇を固く結んだ。
自分のことのように心を痛めながら、膝の上に置いた手を握りしめる。広場で感じた印象は間違っていなかった。エルヴィーラは本当に沈んでいたのだ。
「変な事を言ってごめんなさい」
エルヴィーラは愁いを帯びた表情で笑う。
メルリアは何も言えなかった。
どんな言葉をかけても、中途半端な同情になるだろう。安易な言葉では彼女を傷つけてしまう。
エルヴィーラが今、自分から見えている以上の感情を持っているのだとしたら――。
言葉を間違えたくはない。けれど、正解が分からない。
メルリアの胸の奥が、ぎゅっと締め付けられるように痛んだ。
「あなたが泣きそうな顔をしないで」
エルヴィーラはおもむろに立ち上がると、メルリアの傍らでしゃがむ。未だ不安そうな表情でこちらを見るメルリアへ、静かに微笑んだ。
「……けれど、ありがとう」
膝にあったメルリアの左手をゆっくりと取ると、両手で包み込むように握りしめた。
その手はやはりメルリアにとっては冷たいものであったが、今日はこの間よりも温かく感じた。メルリアは黙って何度か頷いた後、手を握られたまま口を開く。
「うまく言えないんですけれど、エルヴィーラさんは綺麗で、笑っている顔が素敵で、だから笑っていて欲しくて……えぇと……」
「嬉しいことを言ってくれるのね」
今度こそエルヴィーラは微笑むと、窓の外に視線を向ける。一つ息を吐いた後、メルリアから手を離し、ゆっくりと立ち上がった。
「叶うことなら、あなたの捜し物の手助けをしたいけれど……。きっともう時間ね」
どういう意味だろうか。メルリアがその疑問を口にする前に、店の扉が音を立てて開いた。特等席に座っていたアステルが器用に床へ降り立ち、来客を告げるように店主にニャァと一つ鳴く。
「いらっしゃ――あらあら」
「ひゃっ!?」
店主は困ったような表情を浮かべ、メルリアは驚きで小さな悲鳴を上げた。
その理由は、店の戸を開いた男の姿のせいだ。男は細身であるが、二メートル近くある高身長であった。
メルリアの隣に立たせれば、メルリアがまだ年端の行かぬ少女のように映るほど。その差、実に四十センチ近く。
また、エルヴィーラと同じように夜闇に溶け込むような黒い服を身に纏っており、それらが雨水のせいで体にべったりとまとわりついている。
髪も同様に張り付いているため、表情が分かりづらい。エルヴィーラと同じ白色の手袋からは、肌の色が透けて見えていた。指先からポタポタと雨粒が落ちていく。
そんな中、普段と変わらずにいるのはアステルとエルヴィーラだった
。アステルは濡れているにもかかわらず、尻尾をピンと立て、男の足に体をこすりつけているし、エルヴィーラは男の姿を驚きもせずに見つめていた。
「突然すみません、この近くで――」
「あちらのお嬢さんですか」
店主は長身の男の言葉を遮り、店の奥を指し示す。
男がエルヴィーラを見つけると、彼は安心しきった様子で、深いため息をついた。
雨風にさらされた顔はひどく青白かったが、張り付いた髪から窺える瞳は温かかった。
「雨、ひどくなってきましたね。エルヴィーラさん、帰り大丈夫ですか?」
「大丈夫よ。帰らないつもりだから」
そうですか、とメルリアは会話を流しそうになった。
が、言葉の真意に気づいて、慌ててエルヴィーラを見つめた。
窓の方を見ていたエルヴィーラはメルリアに視線を合わせ、悪戯っぽい笑みを向ける。慌てるメルリアの様子を楽しんでいるように、くすりと笑った。
「あの、多分誰か心配してると思います……」
「困ればいいと思う」
スパッと言い放った言葉に、メルリアはさらに慌ててしまう。
ほんの少し怒りの混じった声だったが、主体はそこではない。エルヴィーラは何かに怒っていたが、冷静さを欠いてはいなかった。
「気にしないで。少し、うまくいかなかっただけだから」
エルヴィーラは青い顔のメルリアを見て、静かに言い直す。その程度の余裕は十分あった。
その言葉にメルリアはほっと胸をなで下ろした。
「でも帰らないけれど」
そう付け足すと、安心しきっていたメルリアの顔から血の気が引いていく。
そんな様子を見て、エルヴィーラはくすくすと笑った。
「やっぱりメルは面白いわね。ううん、『面白い』よりも『可愛い』かしら」
本気とも冗談ともとれないような口調で、エルヴィーラは微笑すると、メルリアの青ざめた表情から血の気が戻り、頬がぽっと赤くなった。
そんな様子を見て、またエルヴィーラはくすくすと笑う。やがて彼女が目にたまった涙を拭った後、すっかり冷めてしまったミルクの白濁色を見つめた。
「長く一緒にいると、たまに分からなくなる事があるのよ。相手が私をどう思っているのか。伝えてくれた言葉は覚えているけれど、時間が経てば感情は変化するかもしれない。すれ違いが続くと不安になる」
エルヴィーラはまだ熱の残るマグカップを指でなぞり、指先から感じるわずかな余韻に目を伏せる。
その姿をまっすぐに見つめながら、メルリアは唇を固く結んだ。
自分のことのように心を痛めながら、膝の上に置いた手を握りしめる。広場で感じた印象は間違っていなかった。エルヴィーラは本当に沈んでいたのだ。
「変な事を言ってごめんなさい」
エルヴィーラは愁いを帯びた表情で笑う。
メルリアは何も言えなかった。
どんな言葉をかけても、中途半端な同情になるだろう。安易な言葉では彼女を傷つけてしまう。
エルヴィーラが今、自分から見えている以上の感情を持っているのだとしたら――。
言葉を間違えたくはない。けれど、正解が分からない。
メルリアの胸の奥が、ぎゅっと締め付けられるように痛んだ。
「あなたが泣きそうな顔をしないで」
エルヴィーラはおもむろに立ち上がると、メルリアの傍らでしゃがむ。未だ不安そうな表情でこちらを見るメルリアへ、静かに微笑んだ。
「……けれど、ありがとう」
膝にあったメルリアの左手をゆっくりと取ると、両手で包み込むように握りしめた。
その手はやはりメルリアにとっては冷たいものであったが、今日はこの間よりも温かく感じた。メルリアは黙って何度か頷いた後、手を握られたまま口を開く。
「うまく言えないんですけれど、エルヴィーラさんは綺麗で、笑っている顔が素敵で、だから笑っていて欲しくて……えぇと……」
「嬉しいことを言ってくれるのね」
今度こそエルヴィーラは微笑むと、窓の外に視線を向ける。一つ息を吐いた後、メルリアから手を離し、ゆっくりと立ち上がった。
「叶うことなら、あなたの捜し物の手助けをしたいけれど……。きっともう時間ね」
どういう意味だろうか。メルリアがその疑問を口にする前に、店の扉が音を立てて開いた。特等席に座っていたアステルが器用に床へ降り立ち、来客を告げるように店主にニャァと一つ鳴く。
「いらっしゃ――あらあら」
「ひゃっ!?」
店主は困ったような表情を浮かべ、メルリアは驚きで小さな悲鳴を上げた。
その理由は、店の戸を開いた男の姿のせいだ。男は細身であるが、二メートル近くある高身長であった。
メルリアの隣に立たせれば、メルリアがまだ年端の行かぬ少女のように映るほど。その差、実に四十センチ近く。
また、エルヴィーラと同じように夜闇に溶け込むような黒い服を身に纏っており、それらが雨水のせいで体にべったりとまとわりついている。
髪も同様に張り付いているため、表情が分かりづらい。エルヴィーラと同じ白色の手袋からは、肌の色が透けて見えていた。指先からポタポタと雨粒が落ちていく。
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。アステルは濡れているにもかかわらず、尻尾をピンと立て、男の足に体をこすりつけているし、エルヴィーラは男の姿を驚きもせずに見つめていた。
「突然すみません、この近くで――」
「あちらのお嬢さんですか」
店主は長身の男の言葉を遮り、店の奥を指し示す。
男がエルヴィーラを見つけると、彼は安心しきった様子で、深いため息をついた。
雨風にさらされた顔はひどく青白かったが、張り付いた髪から窺える瞳は温かかった。
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