幾望の色

西薗蛍

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都市ヴェルディグリ

25 陰雨に愁う2-2

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「何か、おかしかった?」
「笑ってくれたのが嬉しかったんです。えっと、あなたが……」

 女は、照れくさいような困ったような表情を浮かべる。やがて言葉が詰まったメルリアを見て、静かに言った。

「エルヴィーラ。エルヴィーラ・アーレンス。私の名前」

 メルリアは誰が見ても分かりやすく体をこわばらせて驚くと、目を輝かせた。
 その言葉に何度もうなずき、彼女の名前を三度口にする。この辺りでは聞かない名前の響きだった。メルリアはやがて満足したように顔を上げる。

「エルヴィーラ、さん。とっても綺麗なお名前ですね」

 エルヴィーラはその言葉に微笑んだが、何かを思い出し眉をひそめた。
 不機嫌そうなエルヴィーラの表情に、メルリアの顔が曇っていく。そんな感情の変化に真っ先に気がついたエルヴィーラは、首を横に振ってそれを否定した。

「なんでもないわ。あなたの名前は?」
「メルリア・ベルっていいます」

 自分の名前に少し似た言葉の響き。エルヴィーラはメルリアの名前の音を聞き、静かに頷いた。

「メルリアね。メルって呼んでもいい?」
「……!」

 メルリアはエルヴィーラの言葉に、繰り返しうなずいて肯定の意を示す。隣で歩いていたならば、彼女の手を取って強く握りしめているところだっただろう。

 メルリアはそう呼んでもらえる事が好きだった。

 最後にその言葉を聞いたのは三年前。祖母が弱々しい手でメルリアの頭を撫でながらのことだった。懐かしさと切なさと嬉しさで、胸の奥がじんと痺れる。胸の前にある手をぎゅっと握った。

「珍しい名字ね。ご両親は外国の人?」
「父がそうでした。そういえば、祖母の父もヴィリディアンの人じゃないって聞いたような」

 無意識にメルリアは両親の話題を避ける。そんな中、ふとロバータの父の姿を思い出した。

 どこの記憶だろう――。
 ふと、家のリビングに飾ってあった絵画が脳裏に浮かんだ。

 ベラミントの村、リンゴの果樹園と一軒家を背景に、そこで生活する家族三人を描いたものだ。
 柔らかい質感で描かれた絵画がメルリアは大好きだった。ロバータから、「この絵は私と私の両親を描いてもらったの」と聞いてから、ますます好きになった。

 懐かしいな――メルリアはあの絵を思い浮かべながら、エルヴィーラの問いに答える。

「祖母の旧姓……確かゼーベックっていったと思うんですけれど」
「東南の国の名前ね。私と一緒」

 そう答えたエルヴィーラはしばらく黙り込む。メルリアの不安げな顔にすぐに気づくと、彼女はかぶりを振った。

「それにしても、あなたには色々な国の血が流れているのね。不思議な感じがしたのはそのせいかしら」
「自分ではよく分からないですけれど……。顔立ち、外国の人っぽいですか?」
「そういうことじゃなくて――」

 エルヴィーラが口を開くが、近づく足音に口を閉ざす。店主がお待たせしましたと二人に声をかけた。ホットミルクのマグカップをエルヴィーラの前に、ダージリンのティーカップをメルリアの前に置く。

 エルヴィーラの黒いマグカップには、白色で猫の肉球が描かれていた。メルリアのティーカップには、エメラルドグリーンのラインの下に、猫の足跡がデザインされている。

 エルヴィーラはマグカップに手を伸ばし、左手で熱を測るようにそっと触れた。その中を凝視した後、静かに口をつける。

 それを確認した後、メルリアも紅茶を口に含んだ。ほんの少し、ゆっくりと。
 飲むにはまだ熱すぎるが、紅茶の香りは十分に味わえる。コトン、と静かに音を立て、メルリアはティーカップをティーソーサーに置いた。

「捜し物は見つかった?」
「覚えていてくれたんですね」

 覚えていてくれて嬉しいという気持ちと、芳しくない現状。本当は素直に喜びたいはずなのに、口から出た声は明るいものではなかった。メルリアはゆっくりと首を横に振る。

「図書館でもあんまり手がかりは見つけられなくって……。ここ最近、朝から晩まで探してたんですけど、本の量も多くって」
「そんなに長い時間、よく読めるわね」

 記憶に引っかかる人物にエルヴィーラは苦い表情を浮かべる。やれやれと短いため息をつくと、マグカップの縁を撫でて静かに微笑みかけた。

「あまり根を詰めすぎてはいけないわ」
「そういうつもりはないんですけれど……」

 困ったように笑うメルリアの言葉を、ううんと首を振って否定する。

 窓を叩く雨の音がより一層強く変わった。

 太陽の沈んだ街に、街灯がぼんやりと道を照らす。風が出始め、時折窓自体をガタガタと揺らし始める。今晩もまたひどい嵐になるだろう。
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