幾望の色

西薗蛍

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ヴィリディアンの街道1

18 雨の日2

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 クライヴの隣に座らざるをえなくなったメルリアは、彼から今までの話を聞かされていた。

 思ったより病院の用事が長引き昼間までかかったこと、診察を終え、みさきの家に寄ったらもうメルリアは出た後だと知ったこと、慌てて追いかけるも見当たらず諦めていたこと――。

 今までの事情を、クライヴは表情をころころと変えながら話し続けた。舌の動きが鈍いせいで、はっきりとした言葉かどうかは怪しいが、メルリアには十分聞き取れる範囲だった。

 メルリアは注文したスープを少しずつ口に含みながら、クライヴの話を興味深そうにうんうんと頷いて聞いた。彼女から話しかけることはなかった。言葉を挟む隙間がないからだ。

「――だからこうしてここで会えて、すごく驚いてる。ラッキーだなってさ」

 酒を一口含み、クライヴは赤い顔で笑った。
 メルリアの記憶の中にあるクライヴよりも、彼はずいぶんと感情の起伏が激しい印象を受ける。が、笑ったり悲しんだりするだけで、怒鳴る様子はなかった。酒が入ったら豹変するようなタイプではないようだ。ニコニコと明るく笑うクライヴを見て、メルリアはほっと安堵の息をついた。

 メルリアは飲酒の経験はない。まだ酒を飲める年齢ではないからだ。しかし、酔った人間がどうなるかくらいの知識は持ち合わせていた。クライヴの様子を控えめに観察しながら、聞いていたとおり、と心の中で呟いた。

 そんな中、ふと、メルリアは黒髪の男が口にしていた言葉を思い出す。遠い昔の話だ。

 ――これ? これはお酒。メルリアにはまだ早いよ、大人になってからね。お酒はねえ、怖いよ。酔っ払うのがよくない。急に人が変わったみたいになるケースもあるし。うん? 人により。メルリアはどうかなぁ、大人になるのが楽しみだ。でも、あっという間に大人になるんだろうな。

 当時聞いた声が、メルリアの頭の中にふっと浮かび上がる。一言一句当初の記憶のまま間違いはない。懐かしいな、とメルリアは目を細めた。

「メルリア」

 先ほどまでの明るい声とは打って変わり、ずいぶんと重々しい声でクライヴは言う。
 その声で、メルリアの意識が現実に引き戻された。慌てて彼に視線を向ける。いたく真面目な顔をしていた。カウンターの上に右手を置き、その手を握りしめている。
 花浅黄色の酒器は空っぽだった。

「ずっと謝りたかったんだ。この間……説明もしないでいなくなって、すまなかった。ずっとこれが言いたくて」

 メルリアはシーバでの出来事を思い出す。灯台祭の四日目、突然クライヴが体調を崩し、走り去ってしまったことがあった。あの時はどうしていいか分からず、ただ見送ることしかできなかった。クライヴとは灯台祭の最終日には顔を合わせたが、最終日の慌ただしさで会話どころではなかった。あの別れ以降、メルリアとクライヴはまともに話をしていなかったのだ。

 メルリアは慌てて首を横に振る。まだ新しい茶色の椅子が、小さく音を立てて軋んだ。

「わ、私こそあの後眠っちゃって……、すぐに街を出ちゃったから、ごめんなさい」
「いや、メルリアにはメルリアの目的があるんだ。気にするな」

 クライヴは酒器に口をつける。酒器の底に溜まっていた一滴が、クライヴの口内に幾ばくか甘みをもたらした。舌の中で転がす余裕もないほど、その味はすっと溶けて消える。おぼつかない指が酒器の縁をなぞった。

「俺は――」

 クライヴが口を開いた途端、その動きがピタリと止まる。右手の軌道が瞬時にテーブル脇の水へ伸びた。表面の濡れたグラスを手で握りしめ、七分目まであった水を一気に煽った。空のグラスを、少々乱暴にテーブルに置く。ガチャンと言う音に、メルリアの体がきゅっと縮こまった。

 クライヴは濡れた指で己の喉に触れると、荒い息を漏らす。

「またかよ……!」

 絞り出すようにクライヴはつぶやくと、濡れた口を手首で雑に拭った。ポケットから乱雑に硬貨を取り出すと、テーブルに放るように置いた。テーブルの上で数枚の硬貨が音を立てて回る。その様子を見向きもせず、カウンター向こうの店主に投げかけた。

「代金、ここに置いておきます」

 一枚の銅貨がテーブルの上を転がり、床へと落ちていく。軽快な音が聞こえたが、クライヴはそれに構わず、椅子から飛び降りるように席を外した。そのまま宿泊室へと続く奥の階段へと向かっていく。
 立ち止まると、メルリアの方へと振り返った。睨まれたかのような強い視線に、攻撃的なその色に、メルリアはぞくりとする。
 怖い、と思った。

「悪い」

 苦しそうな声で言い残すと、クライヴは危なげな足取りで階段を上っていく。メルリアはあの日と同じように、その後ろ姿を見送ることしかできなかった。

 しばらくあっけにとられていたメルリアだったが、やがて視線が正面へ、そしてテーブルの上にある皿に目が行く。皿にはまだ半分ほどスープが残っていた。すっかり冷め切ったそれを口に含むと、どこか寂しい味がした。
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