幾望の色

西薗蛍

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貿易と海の街シーバ

16 シーバの街を去る

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 翌日――。
 シーバの街に日常が戻ってきた。

 客引きのために店の前に設置されていたいくつもの看板が片付き、街中に施された飾り付けは徐々に姿を消していた。シーバの街に来ていた山ほどの観光客はほとんど残っていない。ユカリノからの客も、今朝の便でそのほとんどが国へと帰っている。荒れ狂う波のように出入りが激しかった港も、今は凪の日のように静かであった。

「お世話になりました」

 そんな中、メルリアはみさきの家の前に立つフィリスに頭を下げる。

「それはこっちの台詞。本当にありがとう、頼もしかったわ」
「グレアムさんとテレーゼさんにも、よろしくお伝えください」
「了解」

 別れの場にグレアムとテレーゼはいなかった。テレーゼは先日までの疲れで体調を崩し、グレアムは今朝突然副業の連絡が入り、午後からは大工の仕事へと赴かなくてはならなくなったのだ。テレーゼは朝から顔を見ていないが、グレアムはメルリアに暑苦しいほどの熱量で感謝と礼の言葉を綴っていた。延べ、三十分ほど。年長者の話は長い。が、その熱の入り用には理由がある。グレアムの想定では、メルリアにはあと一日滞在してもらうつもりだった。今回の灯台祭の労いを兼ねて、フィオンやグレアムの知り合い達を呼んで打ち上げパーティを開く予定だったからだ。

 しかし、役所から、明日からしばらく雨が続くとの報せが入った。明日は一番雨が酷く、街道を進むのも難しい程の大雨だろう、との見込みだ。その情報を知ったメルリアは誘いを断る。雨の日はできるだけ街道を歩きたくなかったし、これ以上コールズ家に世話になるわけにはいかないと思ったからだ。このまま流されれば、シーバに滞在する日程が大幅に増えてしまうのも、更に迷惑をかけてしまうのも分かっていた。中々引き下がらないグレアムだったが、フィリスの一声でグレアムは渋々引き下がったのだ。

「じゃ、気をつけて。雨が降らないうちに、宿に着けるといいわね」

 十日間ほど世話になったみさきの家の看板に目をやると、メルリアは微笑んだ。

「ありがとう。フィリスちゃん」

 彼女はそれらに背を向け、シーバの街を後にする。
 メルリアは肩からずり落ちそうになったリュックを背負い直す。両肩の重みを久しぶりに感じていた。
 祭りがなければシーバはそれほど騒がしい街ではない。一昨日の風景が嘘のように静かな港街を、メルリアは一人歩いていた。潮の匂い、波の音。日常になりかけていたその風景と離れることになる。メルリアはここまで長く他所の街にいることはなかった。ほんの少し寂しさを感じながら、石造りの道を進んでいく。

 道が石造りから土へと変わった時、メルリアは空を見上げた。今はまだ太陽が雲に遮られていない。しかし、西側には黒い雲が広がっていた。酷い雨が降りそうだ……メルリアはその雲の色を見つめた。

 シーバからヴェルディグリへは、徒歩では早くても七日はかかる。しばらく雨が続くとなると、到着は早くて十日――悪くて倍以上かかることになる可能性だってある。馬車などの移動手段を使えば別だが、この時期シーバから出る馬車の料金は高い。利用客も多く、そもそも馬車が使えない場合だってある。だから、メルリアは徒歩で行くしかなかった。それに、切り詰めれば馬車を使うより街道の宿酒場を利用した方がずっと安い。メルリアの財布のひもはやはり固いのだ。

 街道を真っ直ぐ進むと、案内板へと行き当たる。シーバから出てすぐだった。メルリアはふと、昔聞いた大人達の会話を思い出す。ベラミントの村は田舎だという言葉だ。その言葉を聞いた昔も、そして思い出した今も、あまり田舎だとは思わなかった。けれど、こんなに早く案内板があるのは信じられない。

 シーバが都会なのか、ベラミントが田舎なのか。シーバの方角を指し示す看板と、ヴェルディグリの方角を指し示す看板。それらを交互に見つめながら、メルリアはううん、と悩んだ。無論、答えは出ない。

 その瞬間、冷たい風がメルリアの頬を撫でる。雨は待ってくれないかもしれない。メルリアは街道を急ぎ、最初の宿へと向かった。


 宿へたどり着いた頃には、ちょうど日が暮れる頃合いだった。

 ヴィリディアンの街道には、酒場と宿を併設した建物がいくつも並んでいる。旅人や行商人、また街道に現れた魔獣を退治する魔術士が多く利用するため、店は丸一日空いている。一階は宿泊客以外も利用できる酒場、それ以外のフロアは宿泊客のための部屋が用意されていた。メルリアが今回利用するミチノベでは、二階と地下が客が泊まるフロアだ。

 メルリアは部屋を取ると、早々に夕食を済ませる。席はカウンター含め十五程度といったところで、席と席の間隔も狭い。酒場は夜が深まるにつれ客が増えていくから、こういった店は夜が賑やかだ。早めに食事を取るに越したことはない。それに、メルリアはしばらく賑やかな店の中にいたくないと思っていた。先日までの灯台祭の疲れが、完全に抜けきっていなかったのである。

 コップの水を飲みながら、メルリアは一つ息を吐く。やっと祖母の約束に近づける。ヴェルディグリの図書館にさえ行けば、何か手がかりが見つかるはずだ。

「お待たせー」

 やる気のないような間延びした声がしたかと思うと、メルリアの前には注文したオムライスが提供された。

「いただきます」

 メルリアは手を合わせ、スプーンを手に取った。周囲から同じ言葉が聞こえないことに一瞬疑問を抱き、すぐにその違和感の正体に気がついた。

 一人で食事をすることが"久しぶり"になってしまったのだ。
 一瞬抱いた寂しさを紛らわすように、メルリアは大げさにスプーンを手に取る。オムライスにスプーンを刺すと、簡単に卵がスプーンの形に破れた。堅焼きの卵と色の薄いケチャップライスを口に含みながら、メルリアは首をかしげる。


 なぜだか少し味気ないような気がしたからだ。
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