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貿易と海の街シーバ
15 灯台祭、最終日-2
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「はい、看板をかけてきたわ。お疲れさま」
客のいないみさきの家では、一日目のように人の形をした抜け殻がその場に転がっていた。その数は四つ。一日目と比べると、抜け殻の数が一つ増えた。
「ごめんなさいね、突然夫が無理を言ってしまって」
抜け殻状態のクライヴに、テレーゼは優しく声をかけた。クライヴは辛うじて顔を上げる。
「いえ……」
否定するが、格好はつかない。疲れの色が前面に出ていたからだ。クライヴは前日とは違う汗を流し、ぐったりと椅子に腰掛けていた。
フィリスはテレーゼが用意した氷水を一気に飲み干すと、改めて助っ人の顔を見る。
「あー……、あなた、この間のお客さんじゃない」
その言葉に、机に突っ伏したグレアムが右手を挙げる。全身ぐったりと倒れ込み元気はないが、突き立てた親指だけは綺麗に反っていた。トレンチがグレアムの頭上で鈍い音を立てる。己の手柄にすり替えることにだけは抜かりないんだから――フィリスはグレアムの頭にあるトレンチを力なくぐりぐりと押しつけながら、盛大にため息をついた。
「クライヴくん……だったわよね? 簡単なものだけど今から用意するから、少し待っていて」
「すみません、助かります」
クライヴはテレーゼに頭を下げる。彼女はゆっくりと厨房へ向かっていった。
手伝わなければと思うフィリスだったが、膝に力が入らない。そのまま甘えて任せてしまおうと思った。
「テレーゼさんの料理はなぁ……美味いぞぉ……」
顔だけをクライヴの方へ向け、グレアムがだらしなく笑う。疲れのせいで出た奇妙な笑みだが、案の定気持ち悪いとフィリスに叩かれた。
そんな様子を眺めていたクライヴの視線が、隣のメルリアに向く。もう大丈夫だと伝えたかったはずが、随分と遠回りしてしまった――それだけ言おう、と声をかけようと口を開く。が、声は出なかった。メルリアは椅子の背もたれに腰掛けたまま、居眠りをしていたからだ。
「なんだぁ少年、メルリアのことが気になるかぁ?」
「そんなことは――」
ない、と言おうとした時、また鈍い音が響いた。ぺしぺしとトレンチでグレアムの頭が小さく何度も小突かれている。
「そういう風に何でも恋愛に絡ませるの気持ち悪い。悪い中年の癖」
「あー悪い悪い、とーちゃん疲れてて変なこと言ったって」
「父さんはいつだって頭のネジがおかしい」
「フィーはヒドいなぁ」
いつにも増して罵倒と冗談が限度を超えているが、それらは彼らの頭の中できちんと理解されず、記憶されず、すり抜けていく。
フィリスはメルリアに視線を向けた後、欠伸交じりに言った。
「でも珍しいわね……。メルリアって絶対居眠りしなかったのに」
フィリスはここ五日間のことを思い出す。いくら眠気が辛そうでも、メルリアはいつだって気合いで耐えていた。自分が先に眠ることすら遠慮しそうな人なのに、珍しい。
テレーゼが厨房で作業をしている水の音、火が油ではねるパチパチという音を耳にしながら、フィリスは今日で灯台祭が本当に終わってしまったんだと実感していた。
視線の先にいる助っ人は、もうすぐいなくなる。
数年前みさき家で一緒に働いていたフィオンより、よほど頼りになる人材だ。羨ましいほどの記憶力は、多忙の店の接客に向いている。一緒に仕事をするには頼もしい存在だ。
……また、来年の灯台祭には一緒に働いてみたいけれど。
メルリアの寝顔を見つめながらぼんやり考えていると、フィリスは自身に強い眠気が襲っていることに気づく。もう今日はこのままベッドの上で眠ってしまいたいとさえ思えた。フィリスは眠い目を擦り、椅子から立ち上がる。ふくらはぎがじわりじわりと温かく痛んだ。
「ごめん、私もう寝るわ」
「おー、フィーお疲れ」
グレアムに頷いて返す。フィリスは辛うじて薄く開いた目でクライヴに会釈すると、厨房の奥へと、自分の部屋に向かって歩いて行く。
灯台祭は終わった。
メルリアが街を離れる時がすぐそこまで迫っていた。
客のいないみさきの家では、一日目のように人の形をした抜け殻がその場に転がっていた。その数は四つ。一日目と比べると、抜け殻の数が一つ増えた。
「ごめんなさいね、突然夫が無理を言ってしまって」
抜け殻状態のクライヴに、テレーゼは優しく声をかけた。クライヴは辛うじて顔を上げる。
「いえ……」
否定するが、格好はつかない。疲れの色が前面に出ていたからだ。クライヴは前日とは違う汗を流し、ぐったりと椅子に腰掛けていた。
フィリスはテレーゼが用意した氷水を一気に飲み干すと、改めて助っ人の顔を見る。
「あー……、あなた、この間のお客さんじゃない」
その言葉に、机に突っ伏したグレアムが右手を挙げる。全身ぐったりと倒れ込み元気はないが、突き立てた親指だけは綺麗に反っていた。トレンチがグレアムの頭上で鈍い音を立てる。己の手柄にすり替えることにだけは抜かりないんだから――フィリスはグレアムの頭にあるトレンチを力なくぐりぐりと押しつけながら、盛大にため息をついた。
「クライヴくん……だったわよね? 簡単なものだけど今から用意するから、少し待っていて」
「すみません、助かります」
クライヴはテレーゼに頭を下げる。彼女はゆっくりと厨房へ向かっていった。
手伝わなければと思うフィリスだったが、膝に力が入らない。そのまま甘えて任せてしまおうと思った。
「テレーゼさんの料理はなぁ……美味いぞぉ……」
顔だけをクライヴの方へ向け、グレアムがだらしなく笑う。疲れのせいで出た奇妙な笑みだが、案の定気持ち悪いとフィリスに叩かれた。
そんな様子を眺めていたクライヴの視線が、隣のメルリアに向く。もう大丈夫だと伝えたかったはずが、随分と遠回りしてしまった――それだけ言おう、と声をかけようと口を開く。が、声は出なかった。メルリアは椅子の背もたれに腰掛けたまま、居眠りをしていたからだ。
「なんだぁ少年、メルリアのことが気になるかぁ?」
「そんなことは――」
ない、と言おうとした時、また鈍い音が響いた。ぺしぺしとトレンチでグレアムの頭が小さく何度も小突かれている。
「そういう風に何でも恋愛に絡ませるの気持ち悪い。悪い中年の癖」
「あー悪い悪い、とーちゃん疲れてて変なこと言ったって」
「父さんはいつだって頭のネジがおかしい」
「フィーはヒドいなぁ」
いつにも増して罵倒と冗談が限度を超えているが、それらは彼らの頭の中できちんと理解されず、記憶されず、すり抜けていく。
フィリスはメルリアに視線を向けた後、欠伸交じりに言った。
「でも珍しいわね……。メルリアって絶対居眠りしなかったのに」
フィリスはここ五日間のことを思い出す。いくら眠気が辛そうでも、メルリアはいつだって気合いで耐えていた。自分が先に眠ることすら遠慮しそうな人なのに、珍しい。
テレーゼが厨房で作業をしている水の音、火が油ではねるパチパチという音を耳にしながら、フィリスは今日で灯台祭が本当に終わってしまったんだと実感していた。
視線の先にいる助っ人は、もうすぐいなくなる。
数年前みさき家で一緒に働いていたフィオンより、よほど頼りになる人材だ。羨ましいほどの記憶力は、多忙の店の接客に向いている。一緒に仕事をするには頼もしい存在だ。
……また、来年の灯台祭には一緒に働いてみたいけれど。
メルリアの寝顔を見つめながらぼんやり考えていると、フィリスは自身に強い眠気が襲っていることに気づく。もう今日はこのままベッドの上で眠ってしまいたいとさえ思えた。フィリスは眠い目を擦り、椅子から立ち上がる。ふくらはぎがじわりじわりと温かく痛んだ。
「ごめん、私もう寝るわ」
「おー、フィーお疲れ」
グレアムに頷いて返す。フィリスは辛うじて薄く開いた目でクライヴに会釈すると、厨房の奥へと、自分の部屋に向かって歩いて行く。
灯台祭は終わった。
メルリアが街を離れる時がすぐそこまで迫っていた。
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