幾望の色

西薗蛍

文字の大きさ
上 下
23 / 197
貿易と海の街シーバ

15 灯台祭、最終日-2

しおりを挟む
「はい、看板をかけてきたわ。お疲れさま」

 客のいないみさきの家では、一日目のように人の形をした抜け殻がその場に転がっていた。その数は四つ。一日目と比べると、抜け殻の数が一つ増えた。

「ごめんなさいね、突然夫が無理を言ってしまって」

 抜け殻状態のクライヴに、テレーゼは優しく声をかけた。クライヴは辛うじて顔を上げる。

「いえ……」

 否定するが、格好はつかない。疲れの色が前面に出ていたからだ。クライヴは前日とは違う汗を流し、ぐったりと椅子に腰掛けていた。
 フィリスはテレーゼが用意した氷水を一気に飲み干すと、改めて助っ人の顔を見る。

「あー……、あなた、この間のお客さんじゃない」

 その言葉に、机に突っ伏したグレアムが右手を挙げる。全身ぐったりと倒れ込み元気はないが、突き立てた親指だけは綺麗に反っていた。トレンチがグレアムの頭上で鈍い音を立てる。己の手柄にすり替えることにだけは抜かりないんだから――フィリスはグレアムの頭にあるトレンチを力なくぐりぐりと押しつけながら、盛大にため息をついた。

「クライヴくん……だったわよね? 簡単なものだけど今から用意するから、少し待っていて」
「すみません、助かります」

 クライヴはテレーゼに頭を下げる。彼女はゆっくりと厨房へ向かっていった。
 手伝わなければと思うフィリスだったが、膝に力が入らない。そのまま甘えて任せてしまおうと思った。

「テレーゼさんの料理はなぁ……美味いぞぉ……」

 顔だけをクライヴの方へ向け、グレアムがだらしなく笑う。疲れのせいで出た奇妙な笑みだが、案の定気持ち悪いとフィリスに叩かれた。

 そんな様子を眺めていたクライヴの視線が、隣のメルリアに向く。もう大丈夫だと伝えたかったはずが、随分と遠回りしてしまった――それだけ言おう、と声をかけようと口を開く。が、声は出なかった。メルリアは椅子の背もたれに腰掛けたまま、居眠りをしていたからだ。

「なんだぁ少年、メルリアのことが気になるかぁ?」
「そんなことは――」

 ない、と言おうとした時、また鈍い音が響いた。ぺしぺしとトレンチでグレアムの頭が小さく何度も小突かれている。

「そういう風に何でも恋愛に絡ませるの気持ち悪い。悪い中年の癖」
「あー悪い悪い、とーちゃん疲れてて変なこと言ったって」
「父さんはいつだって頭のネジがおかしい」
「フィーはヒドいなぁ」

 いつにも増して罵倒と冗談が限度を超えているが、それらは彼らの頭の中できちんと理解されず、記憶されず、すり抜けていく。
 フィリスはメルリアに視線を向けた後、欠伸交じりに言った。

「でも珍しいわね……。メルリアって絶対居眠りしなかったのに」

 フィリスはここ五日間のことを思い出す。いくら眠気が辛そうでも、メルリアはいつだって気合いで耐えていた。自分が先に眠ることすら遠慮しそうな人なのに、珍しい。

 テレーゼが厨房で作業をしている水の音、火が油ではねるパチパチという音を耳にしながら、フィリスは今日で灯台祭が本当に終わってしまったんだと実感していた。

 視線の先にいる助っ人は、もうすぐいなくなる。
 数年前みさき家で一緒に働いていたフィオンより、よほど頼りになる人材だ。羨ましいほどの記憶力は、多忙の店の接客に向いている。一緒に仕事をするには頼もしい存在だ。

 ……また、来年の灯台祭には一緒に働いてみたいけれど。

 メルリアの寝顔を見つめながらぼんやり考えていると、フィリスは自身に強い眠気が襲っていることに気づく。もう今日はこのままベッドの上で眠ってしまいたいとさえ思えた。フィリスは眠い目を擦り、椅子から立ち上がる。ふくらはぎがじわりじわりと温かく痛んだ。

「ごめん、私もう寝るわ」
「おー、フィーお疲れ」

 グレアムに頷いて返す。フィリスは辛うじて薄く開いた目でクライヴに会釈すると、厨房の奥へと、自分の部屋に向かって歩いて行く。


 灯台祭は終わった。

 メルリアが街を離れる時がすぐそこまで迫っていた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

後宮の棘

香月みまり
キャラ文芸
蔑ろにされ婚期をのがした25歳皇女がついに輿入り!相手は敵国の禁軍将軍。冷めた姫vs堅物男のチグハグな夫婦は帝国内の騒乱に巻き込まれていく。 ☆完結しました☆ スピンオフ「孤児が皇后陛下と呼ばれるまで」の進捗と合わせて番外編を不定期に公開していきます。 第13回ファンタジー大賞特別賞受賞! ありがとうございました!!

異世界転生したので森の中で静かに暮らしたい

ボナペティ鈴木
ファンタジー
異世界に転生することになったが勇者や賢者、チート能力なんて必要ない。 強靭な肉体さえあれば生きていくことができるはず。 ただただ森の中で静かに暮らしていきたい。

屋台飯! いらない子認定されたので、旅に出たいと思います。

彩世幻夜
ファンタジー
母が死にました。 父が連れてきた継母と異母弟に家を追い出されました。 わー、凄いテンプレ展開ですね! ふふふ、私はこの時を待っていた! いざ行かん、正義の旅へ! え? 魔王? 知りませんよ、私は勇者でも聖女でも賢者でもありませんから。 でも……美味しいは正義、ですよね? 2021/02/19 第一部完結 2021/02/21 第二部連載開始 2021/05/05 第二部完結

日本列島、時震により転移す!

黄昏人
ファンタジー
2023年(現在)、日本列島が後に時震と呼ばれる現象により、500年以上の時を超え1492年(過去)の世界に転移した。移転したのは本州、四国、九州とその周辺の島々であり、現在の日本は過去の時代に飛ばされ、過去の日本は現在の世界に飛ばされた。飛ばされた現在の日本はその文明を支え、国民を食わせるためには早急に莫大な資源と食料が必要である。過去の日本は現在の世界を意識できないが、取り残された北海道と沖縄は国富の大部分を失い、戦国日本を抱え途方にくれる。人々は、政府は何を思いどうふるまうのか。

ユーヤのお気楽異世界転移

暇野無学
ファンタジー
 死因は神様の当て逃げです!  地震による事故で死亡したのだが、原因は神社の扁額が当たっての即死。問題の神様は気まずさから俺を輪廻の輪から外し、異世界の神に俺をゆだねた。異世界への移住を渋る俺に、神様特典付きで異世界へ招待されたが・・・ この神様が超適当な健忘症タイプときた。

転生『悪役』公爵令嬢はやり直し人生で楽隠居を目指す

RINFAM
ファンタジー
 なんの罰ゲームだ、これ!!!!  あああああ!!! 本当ならあと数年で年金ライフが送れたはずなのに!!  そのために国民年金の他に利率のいい個人年金も掛け、さらに少ない給料の中からちまちまと老後の生活費を貯めてきたと言うのに!!!!  一銭も貰えないまま人生終わるだなんて、あんまりです神様仏様あああ!!  かくなる上はこのやり直し転生人生で、前世以上に楽して暮らせる隠居生活を手に入れなければ。 年金受給前に死んでしまった『心は常に18歳』な享年62歳の初老女『成瀬裕子』はある日突然死しファンタジー世界で公爵令嬢に転生!!しかし、数年後に待っていた年金生活を夢見ていた彼女は、やり直し人生で再び若いままでの楽隠居生活を目指すことに。 4コマ漫画版もあります。

後宮物語〜身代わり宮女は皇帝に溺愛されます⁉︎〜

菰野るり
キャラ文芸
寵愛なんていりません!身代わり宮女は3食昼寝付きで勉強がしたい。 私は北峰で商家を営む白(パイ)家の長女雲泪(ユンルイ) 白(パイ)家第一夫人だった母は私が小さい頃に亡くなり、家では第二夫人の娘である璃華(リーファ)だけが可愛がられている。 妹の後宮入りの用意する為に、両親は金持ちの薬屋へ第五夫人の縁談を準備した。爺さんに嫁ぐ為に生まれてきたんじゃない!逃げ出そうとする私が出会ったのは、後宮入りする予定の御令嬢が逃亡してしまい責任をとって首を吊る直前の宦官だった。 利害が一致したので、わたくし銀蓮(インリェン)として後宮入りをいたします。 雲泪(ユンレイ)の物語は完結しました。続きのお話は、堯舜(ヤオシュン)の物語として別に連載を始めます。近日中に始めますので、是非、お気に入りに登録いただき読みにきてください。お願いします。

極悪家庭教師の溺愛レッスン~悪魔な彼はお隣さん~

恵喜 どうこ
恋愛
「高校合格のお礼をくれない?」 そう言っておねだりしてきたのはお隣の家庭教師のお兄ちゃん。 私よりも10歳上のお兄ちゃんはずっと憧れの人だったんだけど、好きだという告白もないままに男女の関係に発展してしまった私は苦しくて、どうしようもなくて、彼の一挙手一投足にただ振り回されてしまっていた。 葵は私のことを本当はどう思ってるの? 私は葵のことをどう思ってるの? 意地悪なカテキョに翻弄されっぱなし。 こうなったら確かめなくちゃ! 葵の気持ちも、自分の気持ちも! だけど甘い誘惑が多すぎて―― ちょっぴりスパイスをきかせた大人の男と女子高生のラブストーリーです。

処理中です...