3 / 197
始まり~エピナールの村
02 幾望の夜に-2
しおりを挟む
メルリアは顔を上げ、左隣に座る女の表情を窺った。穏やかに、ただただ静かに、女は水面を見つめている。声を掛ける事が躊躇われたが、メルリアはゆっくりと尋ねる。
「あの……。あなたは、ここによく来るんですか?」
「年に一度だけ、付き合いでこの村に来るの。用事を済ませている間、私はここにいる」
女は淡々とそう言った。水面が再び揺れ、女の長い髪が空気を含みふわりと風に舞う。
話をしていても、水面が揺れても、女はメルリアと目を合わせることはなかった。ただただ、目の前に映る湖畔の月に視線を向け続けていた。
会話が途切れ、沈黙が訪れる。メルリアも女も、それ以上何か言葉を口にはしない。沈黙があまり得意ではないメルリアだったが、今日だけは違った。
普段と異なる焦りや居心地の悪さは感じない。今の感情は普段の真逆だと気づいていた。
メルリアも女に倣い、水面に映る月を見つめる。木々の葉が擦れ反響し、水面の月が霞むように歪んだ。包み込むような音が消えたかと思うと、次第に水面は丸い月を正確に映し出していく。
「あなたはどうしてここに来たの? 女の子が一人でこんな真夜中にいるなんて、危ないわ」
本で読んだ知識を喋るような、どこか他人事のような口調で女は言う。心配するような口調とは程遠い声色だった。
わずかな距離に気づかないメルリアは、照れくさそうに頬を掻きながら、恐る恐るといった風に話し始める。
「たまたまです。実は、色々あって道に迷っちゃって……」
メルリアは、自分が祖母のために探し物をしているということ、探し物のためにヴィリディアンを旅することにしたこと、道中で三人の人助けをしたことを、女に順を追って話していった。
メルリアも女も、湖畔に映る月を眺めたまま、お互いの顔を見ることはなかった。しかし話の途中でメルリアに興味を持った女は、不思議そうに彼女の顔に視線を向ける。
メルリアがその視線に気づいたのは、ここに来るまでの経緯を話し終えた後だった。メルリアと女の視線が合う。すると、女はくすりと笑った。
「……面白い子ね。自分の事はいいの? 日暮れまでにたどり着けなかったらどうしようって考えなかった?」
「そこまで考えてなくって」
メルリアは苦笑するが、自らの行いを後悔していなかった。まだ宿は見つからないけれど、こんなに夜は更けてしまったけれど、あの人たちを放っておけばよかったとは微塵も思っていなかった。
ありがとうとメルリアに微笑みかける人達の顔。思い返すと胸の奥が温かくなる。メルリアはその温かさを感じながら言った。
「私がどれだけのことができたかは分かりませんけれど……。誰かの役に立つのは、やっぱり嬉しいなって思うんです」
メルリアの言葉を聞いた女の瞳がわずかに揺れる。湖畔を眺めていたメルリアは、女の表情の変化には気づけなかった。
「そう……」
女は身近な人物の存在を思い浮かべながら目を細める。相づちの声は、女の心から出た穏やかな声だった。
「それに、今日じゃなかったら、こんなに綺麗な月は見られなかったと思うんです。今日は満月かな」
湖畔に浮かぶ丸い月、それから空に浮かぶ丸い月を交互に見ながらメルリアは呟く。
「まだ満ちてない。満月は明日ね」
しかし、女ははっきりとメルリアの言葉を否定した。月の端がわずかに欠けている事に、女は気付いていたのだ。
そうですか、とメルリアは寂しげに呟き、笑う。メルリアの視線が自然と女から逸れた。
少しだけ残念だと思う気持ちと、これだけ綺麗な物が見られたのだから満月ではなくても構わない、という二つの気持ちが入り交じる。寂しい気持ちを振り払い、笑顔を作ろうとした時、女がぽつりと呟いた。
「明日も来る? もっとも、今日のように凪かどうかは分からないし、雲がないという確証もないけれど」
その言葉を聞いたメルリアの作り笑顔が、ぱっと本物の笑顔に変わる。女の方に視線を向けた。
しかし、脳裏によぎった明日の自分を思い浮かべ、膝の上に置いた手を弱く握りしめた。先ほどとは正反対の感情で心臓の鼓動が徐々に早く変わっていく。メルリアは女の表情を窺う。
「せっかくなので、明日も来てみようと思います。あなたは明日、いらっしゃるんですか?」
女はその言葉に目を見開き、何度か短い瞬きを繰り返した。一度小さく息を吐いてから言った。
「そうね。都合がつけば、明日の九時頃に来るわ」
淡々と言う女の言葉であったが、メルリアの表情は更に明るくなる。無意識に女の手を取って笑いかけてしまうほどに。突然のことに女はどういう反応をしていいか判らなくなり、ただただメルリアに握られた手を見つめることしかできなかった。
「待ってます。またお話ししたいです」
女の身につけている白い手袋が月明かりに光る。メルリアはその布の感触に注意を向けられなかった。もっとこの人と話がしたいと、直感的にそう思った。
だからこそ、話ができるかもしれないという状況をとても嬉しく感じていたのだ。女は喉元まで出かかったいくつもの言葉を飲み込み、抑揚の薄い声で言う。
「あまり期待しないでね」
「はい!」
女が明日の晩ここに来ない可能性もある。メルリアはそれをきちんと理解していた。だがその表情は来ないことを全く考えていないような顔だった。そんなメルリアに女は苦笑を浮かべる。けれど、握られた手を女は自ら離そうとはしなかった。
「あの……。あなたは、ここによく来るんですか?」
「年に一度だけ、付き合いでこの村に来るの。用事を済ませている間、私はここにいる」
女は淡々とそう言った。水面が再び揺れ、女の長い髪が空気を含みふわりと風に舞う。
話をしていても、水面が揺れても、女はメルリアと目を合わせることはなかった。ただただ、目の前に映る湖畔の月に視線を向け続けていた。
会話が途切れ、沈黙が訪れる。メルリアも女も、それ以上何か言葉を口にはしない。沈黙があまり得意ではないメルリアだったが、今日だけは違った。
普段と異なる焦りや居心地の悪さは感じない。今の感情は普段の真逆だと気づいていた。
メルリアも女に倣い、水面に映る月を見つめる。木々の葉が擦れ反響し、水面の月が霞むように歪んだ。包み込むような音が消えたかと思うと、次第に水面は丸い月を正確に映し出していく。
「あなたはどうしてここに来たの? 女の子が一人でこんな真夜中にいるなんて、危ないわ」
本で読んだ知識を喋るような、どこか他人事のような口調で女は言う。心配するような口調とは程遠い声色だった。
わずかな距離に気づかないメルリアは、照れくさそうに頬を掻きながら、恐る恐るといった風に話し始める。
「たまたまです。実は、色々あって道に迷っちゃって……」
メルリアは、自分が祖母のために探し物をしているということ、探し物のためにヴィリディアンを旅することにしたこと、道中で三人の人助けをしたことを、女に順を追って話していった。
メルリアも女も、湖畔に映る月を眺めたまま、お互いの顔を見ることはなかった。しかし話の途中でメルリアに興味を持った女は、不思議そうに彼女の顔に視線を向ける。
メルリアがその視線に気づいたのは、ここに来るまでの経緯を話し終えた後だった。メルリアと女の視線が合う。すると、女はくすりと笑った。
「……面白い子ね。自分の事はいいの? 日暮れまでにたどり着けなかったらどうしようって考えなかった?」
「そこまで考えてなくって」
メルリアは苦笑するが、自らの行いを後悔していなかった。まだ宿は見つからないけれど、こんなに夜は更けてしまったけれど、あの人たちを放っておけばよかったとは微塵も思っていなかった。
ありがとうとメルリアに微笑みかける人達の顔。思い返すと胸の奥が温かくなる。メルリアはその温かさを感じながら言った。
「私がどれだけのことができたかは分かりませんけれど……。誰かの役に立つのは、やっぱり嬉しいなって思うんです」
メルリアの言葉を聞いた女の瞳がわずかに揺れる。湖畔を眺めていたメルリアは、女の表情の変化には気づけなかった。
「そう……」
女は身近な人物の存在を思い浮かべながら目を細める。相づちの声は、女の心から出た穏やかな声だった。
「それに、今日じゃなかったら、こんなに綺麗な月は見られなかったと思うんです。今日は満月かな」
湖畔に浮かぶ丸い月、それから空に浮かぶ丸い月を交互に見ながらメルリアは呟く。
「まだ満ちてない。満月は明日ね」
しかし、女ははっきりとメルリアの言葉を否定した。月の端がわずかに欠けている事に、女は気付いていたのだ。
そうですか、とメルリアは寂しげに呟き、笑う。メルリアの視線が自然と女から逸れた。
少しだけ残念だと思う気持ちと、これだけ綺麗な物が見られたのだから満月ではなくても構わない、という二つの気持ちが入り交じる。寂しい気持ちを振り払い、笑顔を作ろうとした時、女がぽつりと呟いた。
「明日も来る? もっとも、今日のように凪かどうかは分からないし、雲がないという確証もないけれど」
その言葉を聞いたメルリアの作り笑顔が、ぱっと本物の笑顔に変わる。女の方に視線を向けた。
しかし、脳裏によぎった明日の自分を思い浮かべ、膝の上に置いた手を弱く握りしめた。先ほどとは正反対の感情で心臓の鼓動が徐々に早く変わっていく。メルリアは女の表情を窺う。
「せっかくなので、明日も来てみようと思います。あなたは明日、いらっしゃるんですか?」
女はその言葉に目を見開き、何度か短い瞬きを繰り返した。一度小さく息を吐いてから言った。
「そうね。都合がつけば、明日の九時頃に来るわ」
淡々と言う女の言葉であったが、メルリアの表情は更に明るくなる。無意識に女の手を取って笑いかけてしまうほどに。突然のことに女はどういう反応をしていいか判らなくなり、ただただメルリアに握られた手を見つめることしかできなかった。
「待ってます。またお話ししたいです」
女の身につけている白い手袋が月明かりに光る。メルリアはその布の感触に注意を向けられなかった。もっとこの人と話がしたいと、直感的にそう思った。
だからこそ、話ができるかもしれないという状況をとても嬉しく感じていたのだ。女は喉元まで出かかったいくつもの言葉を飲み込み、抑揚の薄い声で言う。
「あまり期待しないでね」
「はい!」
女が明日の晩ここに来ない可能性もある。メルリアはそれをきちんと理解していた。だがその表情は来ないことを全く考えていないような顔だった。そんなメルリアに女は苦笑を浮かべる。けれど、握られた手を女は自ら離そうとはしなかった。
0
お気に入りに追加
0
あなたにおすすめの小説

王太子に転生したけど、国王になりたくないので全力で抗ってみた
こばやん2号
ファンタジー
とある財閥の当主だった神宮寺貞光(じんぐうじさだみつ)は、急病によりこの世を去ってしまう。
気が付くと、ある国の王太子として前世の記憶を持ったまま生まれ変わってしまうのだが、前世で自由な人生に憧れを抱いていた彼は、王太子になりたくないということでいろいろと画策を開始する。
しかし、圧倒的な才能によって周囲の人からは「次期国王はこの人しかない」と思われてしまい、ますますスローライフから遠のいてしまう。
そんな彼の自由を手に入れるための戦いが今始まる……。
※この作品はアルファポリス・小説家になろう・カクヨムで同時投稿されています。

今さら言われても・・・私は趣味に生きてますので
sherry
ファンタジー
ある日森に置き去りにされた少女はひょんな事から自分が前世の記憶を持ち、この世界に生まれ変わったことを思い出す。
早々に今世の家族に見切りをつけた少女は色んな出会いもあり、周りに呆れられながらも成長していく。
なのに・・・今更そんなこと言われても・・・出来ればそのまま放置しといてくれません?私は私で気楽にやってますので。
※魔法と剣の世界です。
※所々ご都合設定かもしれません。初ジャンルなので、暖かく見守っていただけたら幸いです。

スライムと異世界冒険〜追い出されたが実は強かった
Miiya
ファンタジー
学校に一人で残ってた時、突然光りだし、目を開けたら、王宮にいた。どうやら異世界召喚されたらしい。けど鑑定結果で俺は『成長』 『テイム』しかなく、弱いと追い出されたが、実はこれが神クラスだった。そんな彼、多田真司が森で出会ったスライムと旅するお話。
*ちょっとネタばれ
水が大好きなスライム、シンジの世話好きなスライム、建築もしてしまうスライム、小さいけど鉱石仕分けたり探索もするスライム、寝るのが大好きな白いスライム等多種多様で個性的なスライム達も登場!!
*11月にHOTランキング一位獲得しました。
*なるべく毎日投稿ですが日によって変わってきますのでご了承ください。一話2000~2500で投稿しています。
*パソコンからの投稿をメインに切り替えました。ですので字体が違ったり点が変わったりしてますがご了承ください。
[鑑定]スキルしかない俺を追放したのはいいが、貴様らにはもう関わるのはイヤだから、さがさないでくれ!
どら焼き
ファンタジー
ついに!第5章突入!
舐めた奴らに、真実が牙を剥く!
何も説明無く、いきなり異世界転移!らしいのだが、この王冠つけたオッサン何を言っているのだ?
しかも、ステータスが文字化けしていて、スキルも「鑑定??」だけって酷くない?
訳のわからない言葉?を発声している王女?と、勇者らしい同級生達がオレを城から捨てやがったので、
なんとか、苦労して宿代とパン代を稼ぐ主人公カザト!
そして…わかってくる、この異世界の異常性。
出会いを重ねて、なんとか元の世界に戻る方法を切り開いて行く物語。
主人公の直接復讐する要素は、あまりありません。
相手方の、あまりにも酷い自堕落さから出てくる、ざまぁ要素は、少しづつ出てくる予定です。
ハーレム要素は、不明とします。
復讐での強制ハーレム要素は、無しの予定です。
追記
2023/07/21 表紙絵を戦闘モードになったあるヤツの参考絵にしました。
8月近くでなにが、変形するのかわかる予定です。
2024/02/23
アルファポリスオンリーを解除しました。

憧れのテイマーになれたけど、何で神獣ばっかりなの⁉
陣ノ内猫子
ファンタジー
神様の使い魔を助けて死んでしまった主人公。
お詫びにと、ずっとなりたいと思っていたテイマーとなって、憧れの異世界へ行けることに。
チートな力と装備を神様からもらって、助けた使い魔を連れ、いざ異世界へGO!
ーーーーーーーーー
これはボクっ子女子が織りなす、チートな冒険物語です。
ご都合主義、あるかもしれません。
一話一話が短いです。
週一回を目標に投稿したと思います。
面白い、続きが読みたいと思って頂けたら幸いです。
誤字脱字があれば教えてください。すぐに修正します。
感想を頂けると嬉しいです。(返事ができないこともあるかもしれません)

元おっさんの俺、公爵家嫡男に転生~普通にしてるだけなのに、次々と問題が降りかかってくる~
おとら@ 書籍発売中
ファンタジー
アルカディア王国の公爵家嫡男であるアレク(十六歳)はある日突然、前触れもなく前世の記憶を蘇らせる。
どうやら、それまでの自分はグータラ生活を送っていて、ろくでもない評判のようだ。
そんな中、アラフォー社畜だった前世の記憶が蘇り混乱しつつも、今の生活に慣れようとするが……。
その行動は以前とは違く見え、色々と勘違いをされる羽目に。
その結果、様々な女性に迫られることになる。
元婚約者にしてツンデレ王女、専属メイドのお調子者エルフ、決闘を仕掛けてくるクーデレ竜人姫、世話をすることなったドジっ子犬耳娘など……。
「ハーレムは嫌だァァァァ! どうしてこうなった!?」
今日も、そんな彼の悲鳴が響き渡る。

少し冷めた村人少年の冒険記
mizuno sei
ファンタジー
辺境の村に生まれた少年トーマ。実は日本でシステムエンジニアとして働き、過労死した三十前の男の生まれ変わりだった。
トーマの家は貧しい農家で、神から授かった能力も、村の人たちからは「はずれギフト」とさげすまれるわけの分からないものだった。
優しい家族のために、自分の食い扶持を減らそうと家を出る決心をしたトーマは、唯一無二の相棒、「心の声」である〈ナビ〉とともに、未知の世界へと旅立つのであった。

どうやら悪役令嬢のようですが、興味が無いので錬金術師を目指します(旧:公爵令嬢ですが錬金術師を兼業します)
水神瑠架
ファンタジー
――悪役令嬢だったようですが私は今、自由に楽しく生きています! ――
乙女ゲームに酷似した世界に転生? けど私、このゲームの本筋よりも寄り道のミニゲームにはまっていたんですけど? 基本的に攻略者達の顔もうろ覚えなんですけど?! けど転生してしまったら仕方無いですよね。攻略者を助けるなんて面倒い事するような性格でも無いし好きに生きてもいいですよね? 運が良いのか悪いのか好きな事出来そうな環境に産まれたようですしヒロイン役でも無いようですので。という事で私、顔もうろ覚えのキャラの救済よりも好きな事をして生きて行きます! ……極めろ【錬金術師】! 目指せ【錬金術マスター】!
★★
乙女ゲームの本筋の恋愛じゃない所にはまっていた女性の前世が蘇った公爵令嬢が自分がゲームの中での悪役令嬢だという事も知らず大好きな【錬金術】を極めるため邁進します。流石に途中で気づきますし、相手役も出てきますが、しばらく出てこないと思います。好きに生きた結果攻略者達の悲惨なフラグを折ったりするかも? 基本的に主人公は「攻略者の救済<自分が自由に生きる事」ですので薄情に見える事もあるかもしれません。そんな主人公が生きる世界をとくと御覧あれ!
★★
この話の中での【錬金術】は学問というよりも何かを「創作」する事の出来る手段の意味合いが大きいです。ですので本来の錬金術の学術的な論理は出てきません。この世界での独自の力が【錬金術】となります。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる