幾望の色

西薗蛍

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始まり~エピナールの村

01 旅立ちの日

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 子供の頃、一度だけ目にした不思議な花がある。

 祖母が持ってきてくれた、小さな小さな白い花。わたしが触れるとぼんやり白く光り、指を離すと光が消える不思議な花。まるで魔法のような不思議な花。魔法が使えないわたしでも、まるで魔法が使えたようで嬉しかった。

 入院していた祖母にその事を聞くと、祖母は「どこに生えているのか分からない」と言う。「もう一度だけ見たい」とも。わたしもその花が見たかった。祖母には「元気になったらふたりでその花を探しに行こう」と約束した。


 ――その約束は、叶わずに消えてしまったけれど。


 ベラミント村の空は雲一つない快晴である。

 リンゴを主とした果樹園が並び、今日も農家の人間が汗を流す。リンゴの木にはまだ実らず、ようやく蕾が白く色づきはじめた頃だった。

 そんな中、村に入る行商人に背を向け、一人の少女が老年の二人の夫婦に頭を下げる。

「ルシアンさん、タバサさん。今までありがとうございました」
「いいのよ。メルリアちゃん、本当に一人で大丈夫?」

 少女――メルリアは背中を覆う大きなリュックをもう一度背負うと、不安な顔で問いかけたタバサに、笑顔で頷いた。

「困ったら、いつでも帰ってきなさい。無事、見つかるといいね」
「はい、行ってきます!」

 メルリアはもう一度力強く頷くと、老夫婦に手を振り、村に背を向けて歩き出す。二つに結った長い髪が風を受けてふわりと揺れた。


  木々の生い茂る果樹園を通り、メルリアは真っ直ぐに街道へと向かい歩いて行く。木々が風に揺れざわざわと音を立て、小鳥が枝をわずかに揺らす。
 微かに香る草や土のにおい、温かい木漏れ日に、メルリアは目を細めた。この村とはしばらくのお別れだ。もう一度村の景色を見ようかとメルリアは足を止める。振り返ろうと右足を浮かせるが、その足は方向を変えることはない。

 ――私一人でも、おばあちゃんとの約束を叶えなきゃ。あれからもう三年も経ったんだから。

 強く決心すると、メルリアは前を向いて歩き始める。


 メルリアには、祖母・ロバータと交わした約束があった。

 メルリアが十歳の時に見た不思議な花がある。形は釣鐘状で、手のひらに収まるほど小さい。朝になっても花は蕾んだままだが、時間になると真っ白な花を咲かせる。ロバータとメルリアがその花に触れると、ぼんやりと白く光った。魔力を持たない二人は、まるで自分たちが魔法使いにでもなったかのように思えた。花を白く輝かせては、ロバータと顔を見合わせくすりと笑っていた。

 メルリアが花の存在を思い出し、もう一度見たいと思った時には、ロバータは病気を患っていた。
 ロバータが唯一の家族だったメルリアは、日毎にロバータの見舞いにと病院へ通う。「退院したら、二人であの花を探しに行こう」――メルリアはそう言ってロバータを励ましたが、ついにその約束が叶うことはなくなった。

 しかし、メルリアは約束を諦めなかった。ロバータの友人であるタバサ夫妻の食堂で、三年間働き旅の資金を集める。手がかりらしいものは自分の頭の中にある花の記憶だけ。その記憶を頼りに、一からあの花を探すことを決めたのだった。


 木々のアーチをくぐり抜け、「ベラミントの村」と太い文字で記された看板を見つめた。

 行ってきます――メルリアは心の中でロバータへとつぶやく。メルリアは五年ぶりにベラミントの村を抜けると、街道へと足を踏み入れた。

 街道には様々な人物が行き交っている。荷馬車で積み荷を運ぶ男、巨大なリュックを背負い、地図を見ながら周囲を見回す旅の男。そんな中、地面に四角い影が映り込んだ。子供の笑い声が頭上から聞こえる。
 その姿を追おうと顔を上げると、長方形の物体が地上から五メートル上を飛んでいた。動物や荷台を使わずに自身の魔力で物体を移動させる魔術士の運び屋だ。珍しいな。メルリアは顔を上げ、人を乗せた絨毯が遠ざかる様を目で追う。

 この国――ヴィリディアンでは運び屋の数が多くなく、利用料も決して安くはないため、庶民には普及していない。まだまだ街道の利用率が圧倒的に高い状態である。メルリアは、はしゃぐ子供の笑い声を聞きながら、自然と笑顔になっていた。吹き抜ける風がどこか穏やかに感じる。

 すると、目の前を歩く茶髪の男と目が合った。男はメルリアに気づくと、持っていた地図を握りしめ、すみませんと駆け寄ってくる。メルリアは立ち止まった。

「ベラミントの村って、こっちであってますか」
「はい、このまま向こうを真っ直ぐ行けば大丈夫です」

 向こう、とメルリアは自分が歩いてきた道を指差す。すると、困惑していた男の顔が明るく変わった。

「ありがとうございます」

 男に軽く会釈をした後、男はメルリアの進んできた方面へと歩いて行く。目を細め、道の先にある緑を眺めると、メルリアは再び前を向いて歩き始めた。

  そのまま真っ直ぐ北へ進んでいくと、東と西への分かれ道に差し掛かる。

 メルリアは王国都市と記された東の看板をじっと見つめた。

 王国都市ヴェルディグリ。それはその名の通り王の住むヴィリディアン一巨大な都市だ。ヴェルディグリにある中央図書館には何万冊もの本が貯蔵されている。メルリアはあの花について何も知らない。まずは自分の探している花がなんなのか、名前を知るためにも真っ先に向かった方がいい場所だろう。

 しかし、国の中で一番大きい教会のあるエピナールはここから近い。今は太陽が真上にいるが、急げば日暮れ前――遅くても日暮れ直後には余裕で間に合う。どちらにしても、今日中にヴェルディグリへはたどりつけない。ゆらゆらと動いていたメルリアの指が、ぴたりと止まる。

「……よし」

 エピナールに向かおう。まずは教会でお祈りしておこう。まだ始まったわけじゃないけど、頑張ろう――。

 心の中で呟いて、メルリアは分かれ道を東に真っ直ぐ進んでいった。
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